第九話 「信仰と理 」
初冬。
蔵王山の峰には、早くも雪が降り始めていた。
村田の町は「峰雪の雫」の評判で賑わい、黒前掛け組も大忙しだった。
だが、その繁栄の影に、ひとつの不穏な噂が流れ始めていた。
「宗高様は、人ではない。
蔵王権現の化身か、それとも魔を操る妖か――」
発酵を自在に操り、天候を読むようにして豊作を導く宗高の姿は、領民にとって奇跡のようであり、同時に恐ろしいものでもあった。
そして、その噂は、蔵王山麓の古寺「蔵王院」に届く。
---
その夜。
宗高は笹丸とともに、山道を登っていた。
呼び出したのは蔵王院の僧正・海玄。
村田の繁栄を「神仏への冒涜」と断じ、宗高を諌めたいのだという。
「……人の心とは難しいものだな。」
宗高が呟く。
「救えば疑われ、黙れば恨まれる。」
「人は、わからぬものを恐れるのです。」笹丸が答える。
「ですが、殿のお力は蔵王権現の御加護。恐れられようとも、真は伝わりましょう。」
宗高は微笑した。
「そうであればいいのだがな。」
---
蔵王院の本堂。
篝火が揺れる中、僧たちが並び、中央に海玄が座していた。
その眼差しは鋭く、まるで真実を見透かすようだった。
「宗高殿、そなたの酒も味噌も、民を喜ばせておる。
だが――“理”を越えておらぬか。」
宗高は静かに膝を折った。
「理、とは?」
「人が神仏の領分に踏み込むことじゃ。
山の水を閉じ込め、米を操り、自然の摂理を弄ぶ。
それは信仰を軽んずる行いではないか。」
宗高は深く息を吐き、僧の目を見返した。
「もしそれが罪ならば、私は罪人でしょう。
ですが、私は神や仏に逆らうためにこの力を使っているのではありません。
人を救うために、理を学び、理を活かしているのです。」
海玄の眉が動く。
「救いとは、神仏が与えるものだ。」
「いいえ。」宗高の声は静かに、しかし強く響いた。
「救いとは、“人が人に差し出す手”のことです。
神や仏がその手を導くなら、それは感謝すべき奇跡。
だが、手を差し出すのを恐れる者に、神や仏は微笑まぬ。」
僧たちはざわめいた。
海玄は黙したまま、やがて小さく頷いた。
「……おぬしの言葉には熱がある。だが理屈もある。
信仰と理、その二つを両の掌に乗せるとは、難しきことよ。」
「難しいからこそ、やる価値がある。」宗高が微笑む。
「私は神や仏を畏れ、同時に学を信じる。
どちらも人を救うための道です。」
---
外に出ると、雪がしんしんと降っていた。
笹丸が静かに尋ねる。
「殿……蔵王権現は、殿に何を望まれているのでしょうか。」
「わからぬ。」宗高は雪空を仰いだ。
「だが、もし望みがあるなら――
“この時代を、恐れよりも希望で満たせ”
そう言っている気がしてならぬ。」
そのとき、風が吹き、蔵王の峰が月光に照らされた。
雪の粒が舞い上がり、宗高の肩にそっと積もる。
「……信仰と理。どちらも真ならば、争う必要はない。」
宗高の声は雪に溶け、夜に消えていった。
---
その夜、蔵王院の僧たちは密かに語り合った。
「宗高殿は、神仏を否定せぬ。理をも恐れぬ。」
「もしかすれば……彼こそが、蔵王権現の導きなのかもしれぬ。」
そして翌朝、蔵王院の門前には一枚の木札が掛けられていた。
――「信仰と理、共にあれ」
それは、宗高が静かに残した言葉だった。




