第七十八話 「命名と守役」
第二子が姫君と知れた日の夜、村田城はいつになく静かだった。
障子越しに聞こえるのは、夏の虫の声と、遠く蔵王から吹き下ろす風の音だけ。
宗高は、行灯の明かりの下で、小さな紙片を何枚も並べていた。
そこには、いくつもの名前が書かれている。
「花……光……雪……」
どれも美しく、だが決めきれない。
そこへ、右近が控えめに声をかけた。
「殿、名は“願い”でございます。
殿が、この姫君に何を託されるか――それが、名になるかと」
宗高は、しばし黙った。
翌朝、宗高は結のもとを訪れた。
「名のことだが……」
結姫は、腕に眠る姫君を見つめながら、穏やかに答えた。
「この子が生まれた夜、
蔵王から吹いた風は、とても柔らかかった」
「雪でも、嵐でもなく……
“澄んだ気”のようでした」
宗高は、その言葉に、はっとする。
「……澄」
その一字が、胸に落ちた。
「澄姫」
結は、静かに頷いた。
「澄んだ心で、
人の間を曇らせぬように」
「蔵王から流れる澄川のように」
こうして、姫君の名は決まった。
数日後、宗高は雪王丸と共に刈田嶺神社へと向かった。
雪王丸も、いつになく背筋を伸ばし、父の後を歩く。
蔵王の峰を仰ぐ石段。
社殿に近づくにつれ、空気が変わっていく。
祝詞があげられ、澄姫の健やかな成長が祈られる。
宗高は、胸中でそっと願った。
(この子が、
政や争いに呑まれぬように)
参拝を終え、拝殿の控えの間で一息ついた時、宗高は一人の家臣に声をかけた。
「彦右衛門」
福地彦右衛門。
かつて村田城を守り抜いた古強者であり、右近の父。
年は五十を越えていたが、その眼差しは鋭い。
「は」
「雪王丸の守り役を、頼みたい」
彦右衛門は、一瞬、目を伏せた。
「……この身に、務まりましょうか」
宗高は、首を振る。
「剣の腕ではない。
“人を導く力”を教えてほしい」
「戦わずして守ること。
耐え、見極め、時を待つこと」
「それは、彦右衛門にしか頼めぬ」
彦右衛門は、ゆっくりと膝をついた。
「承知いたしました」
その時、雪王丸が一歩前に出る。
「……おじい、守ってくれる?」
彦右衛門は、初めて柔らかく笑った。
「守り役を仰せつかったからには、雪王丸殿、厳しくいたしますぞ。」
雪王丸は、深く頭を下げた。
「よろしくお願いします!」
宗高は、その姿を見て、胸の奥が熱くなるのを感じた。
(世代は、こうして繋がる)
澄姫の名は、祈り。
雪王丸の守りは、経験。
そしてそれを束ねるのが、今を生きる自分の役目。
蔵王の風が、静かに境内を抜けていった。
刈田嶺神社の神前で、
新しい命と、新しい役目が――
確かに結ばれた瞬間だった。




