第七十六話 「二人の試練」
政宗の死は、伊達家にとって一つの時代の終わりであると同時に、張りつめた糸が切れた瞬間でもあった。
葬儀が終わり、弔問の列が途切れた後。
仙台城は、静まり返っているようでいて、内側では微かな軋み音を立て始めていた。
誰もが知っていた。
――あの独眼竜がいたからこそ、抑えられていたものがあったことを。
伊達忠宗は、政宗の座していた上段の間に一人座り、しばらく立ち上がることができずにいた。
(ついに、この席か……)
藩主となる覚悟は、とうに決めていた。
だが実際に父がいなくなった城は、想像以上に重い。
家臣たちの視線。
礼を尽くしながらも、その奥にある値踏み。
「伊達は、この男で持つのか」
その問いが、無言のまま突き刺さってくる。
忠宗は、拳を握りしめた。
(父と同じことは、できぬ)
政宗のように、睨み一つで場を制することはできない。
ならば――
(違うやり方で、まとめるしかない)
まず手を付けたのは、混乱を起こさせないことだった。
家中法度の再確認
役目の継続と安堵の早期通達
重要家臣の入れ替えを行わない判断
「変えぬこと」が、
今は最大の決断だった。
忠宗は理解していた。
父が残した最大の遺産は、
制度でも、軍備でもない。
“伊達は一つだ”という空気
それを、まず守らねばならなかった。
一方、村田城。
宗高は、蔵王を望む廊下で、
父の形見の数珠を静かに握っていた。
政宗亡き後、
宗高のもとには、目に見えぬ圧が集まり始めていた。
「政宗公の御心を最も理解していたのは、宗高殿だ」
「いずれは、伊達を導く存在になるのでは」
称賛は、
時に刃よりも危うい。
宗高は、そのことを誰よりも知っていた。
(俺は、藩主ではない)
(藩主の器を試されているように見えれば、
それは忠宗兄上の立場を脅かす)
だからこそ、宗高は一歩引いた。
蔵王会の報告は、必ず忠宗を通す
政治的判断は行わず、実務と民政に徹する
家臣にも「忠宗様の御意向」を繰り返し強調
右近が進言する。
「殿が前に出れば、
家中は安堵します」
宗高は、首を振った。
「今、前に出るべきは、
俺ではない」
それは、
自らの力を抑えるという試練だった。
交差する不安
仙台城では、忠宗が悩み、
村田では、宗高が抑える。
二人は、互いに相手を思っていたが、
その距離が、かえって不安を生んだ。
「宗高は、何を考えている」
「兄上は、無理をしていないか」
政宗がいたなら、
一言で済んだことだ。
だが今は――
自分たちで確かめ合わねばならない。
初七日の夜。
忠宗は、宗高を仙台城に呼び寄せた。
二人きりの座敷。
「……父上が亡くなってから、
初めてだな」
忠宗がそう切り出す。
宗高は、深く頭を下げた。
「家督相続、おめでとうございます」
しばし、沈黙。
やがて忠宗が言った。
「俺は……
父ほど強くはない」
宗高は、すぐに答えた。
「父上ほど強い方は、
二度と現れません」
その言葉に、忠宗は苦笑する。
「ならば、どうする」
宗高は、まっすぐに兄を見た。
「父上は、
伊達を一人で背負われた」
「兄上は、
皆で背負えばよい」
忠宗の目が、わずかに潤む。
「……支えてくれるか」
「はい」
それは、臣下としてではなく、
弟としての答えだった。
政宗の遺したもの
その夜、二人は盃を交わした。
政宗の話をし、
失敗を笑い、
未来を語った。
政宗亡き後、
伊達家は確かに緊張していた。
だが――
崩れはしなかった。
それは、
独眼竜が遺した“恐怖”ではなく、
最後に遺した“信頼”が、
確かに根を張っていたからだった。
伊達家は、
新しい形で歩き出す。
忠宗は、藩主として。
宗高は、支える柱として。




