第七十五話 「父、政宗逝く」
仙台城の朝は、以前より静かになっていた。
かつてならば、城下の物音が届く前に目を覚まし、
誰よりも早く政務に向かっていた城の主である政宗は、今は、夜明けの光を待つように床に横たわっていた。
「……今日も、よく晴れておるか」
障子越しに差し込む光を見て、
政宗は小さく呟いた。
片目は既にほとんど見えていない。
身体も、思うように動かぬ。
だが、その声には、
かつて戦場で軍勢を動かした覇気が、
かすかに、しかし確かに残っていた。
側には、伊達忠宗が控えている。
「父上、無理をなされませぬよう」
忠宗は穏やかに言うが、
その胸の内には、
言葉にできぬ不安が渦巻いていた。
政宗は鼻で笑う。
「案ずるな。
わしは、まだ死なぬ」
「だが――」
「だが、だ」
政宗は、忠宗の言葉を遮った。
「次は、そなたの時代だ」
その言葉に、
忠宗は思わず背筋を伸ばす。
「仙台は、もう“築く”段階ではない。
保ち育てる時代だ」
「敵を作るな。
だが、恐れられよ」
「目立ち過ぎるな。
だが、埋もれるな」
忠宗は、深く頭を下げた。
「肝に銘じます」
政宗は満足そうに頷く。
「それでよい」
その日の午後、
政宗は宗高を呼び寄せた。
宗高は、畳に手をつき、
父を前にして静かに座る。
「宗高」
「はい、父上」
政宗は、しばし宗高を見つめた。
「……わしはな、
そなたを、
最初は恐れておった」
宗高は、目を伏せる。
「力がある者は、
家を滅ぼすこともある」
「だが――」
政宗は、ゆっくり言葉を続けた。
「そなたは、
人を生かす方を選んだ」
蔵王会。
治水。
養生処。
江戸での救援。
その一つ一つが、
政宗の胸裏をよぎる。
「それでよい」
「伊達は、
"武"だけの家では、
もう生き残れぬ」
宗高は、強く拳を握った。
「父上が築かれたものを、
壊さぬよう、
広げるだけです」
政宗は、満足そうに笑った。
「それでこそ儂の息子じゃ」
夕刻。
政宗は、結姫と雪王丸を呼ばせた。
雪王丸は、まだ幼い。
だが、祖父の顔を見ると、
不思議と静かになった。
政宗は、震える手で雪王丸の頭に触れる。
「……よい目だ」
「この子は、
見よ、
周りをよく見ておる」
結姫は、目を潤ませながら頭を下げた。
「恐れ多きお言葉です」
政宗は、軽く首を振る。
「よい」
「この家は、
次へ行く」
その言葉は、
自らの役目が終わりつつあることを、
政宗自身が認めた証だった。
その日の夜、
政宗の容態は、急に悪化した。
呼吸が浅くなり、
医師が集められる。
忠宗と宗高は、枕元に控えた。
政宗は、薄く目を開け、
二人を見た。
「……聞いておけ」
声は、かすれている。
「外様の伊達は、
常に、
幕府に警戒される」
「それでも――
恐れるな」
「己を律せ」
言葉は、途切れ途切れだった。
「宗高」
「……はい」
「民を、
見失うな」
「忠宗」
「……はい」
「家を、
守れ」
そして――
最後に、微かに笑った。
「……伊達と民を頼んだぞ」
それが、政宗の、最後の言葉だった。
夜明け前。
政宗は、静かに息を引き取った。
戦国を駆け、
天下を夢見、
そして――
一つの時代を生き抜いた男の最期は、
驚くほど穏やかだった。
宗高は、父の亡骸の前で、長く動けずにいた。
蔵王の薬草。
薬膳。
養生処で培った知識と手。
それらを尽くし、政宗は――
史実よりも、確かに長く生きた。
それは間違いない。
発作の前兆を察し、
食を整え、
身体を温め、
気を巡らせた。
政宗自身もまた、
「まだ死なぬ」と笑っていた。
だが――
宗高は、今、はっきりと理解していた。
(それでも、父は……
“この時代で”、
“父として”死んだのだ)
元の歴史の政宗ではない。
戦だけを知る独眼竜でもない。
民を見、
町を育て、
孫の頭を撫で、
未来を語った父。
それは、
宗高がこちらの時代に来てから築かれた、
**「父・政宗」**の生だった。
もし自分が来なければ、
政宗はもっと早く病に倒れ、
違う最期を迎えていたかもしれない。
だが、延ばした命の先にあったのは、
永遠ではなかった。
宗高は、静かに目を閉じる。
(治すことはできた)
(救うこともできた)
(だが、
“終わり”までは、
変えられなかった)
それでも――
後悔は、なかった。
父は、満ち足りた顔で逝った。
次の世代へ、言葉を残し、
役目を終えた顔だった。
「……父上」
宗高は、心の中で語りかける。
「この時代で、
父でいてくださり、
ありがとうございました」
政宗は、
英雄としてではなく、
一人の父として、
この世を去った。
それが、
宗高がもたらした、
歴史の“違い”だった。
蔵王の峰は、
静かに雲を抱いている。
命は、延ばせても、
時は止められない。
だが――
生き方は、
確かに変えられた。
宗高は、
父が見た最後の景色を、
これからも守っていくと、
静かに誓った。
城内に、
鐘の音が響く。
仙台城は、
静かな喪に包まれた。
葬儀の後。
宗高は、城の高台から城下を見下ろした。
町は動いている。
人は生きている。
(父上が望んだ景色だ)
忠宗が、隣に立つ。
「これからだな」
宗高は、頷いた。
「はい」
武の時代は終わり、
治め、支える時代が始まる。
独眼竜と呼ばれた伊達政宗の築いた土台の上に、
次の世代が歩き出す。
蔵王の峰は、
今日も静かにそびえていた。
それは、
父の時代を見送り、
子の時代を迎える山だった。
奥州の覇者――伊達政宗、逝く。
だが、
伊達の歩みは、
これからも続いていく。
第一部 完
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