第五話 「黒影の笹丸」
春の陽が村田の屋敷に差し込んでいた。
梅が香り、山の雪もようやく溶け始めた頃。
黒前掛け組と黒脛巾組の協働によって、領内は目に見えて活気づいていた。
そんな折、宗高は庭に一人の影を呼び寄せた。
「笹丸。近う寄れ。」
忍び装束のまま現れた笹丸は、静かに膝をつく。
その動きは無駄がなく、風のように軽やかだった。
「此度の街道整備、そして商路の護衛、見事であった。お前がいなければ、味噌も塩も仙台には届かなかったろう。」
「恐れ入ります。しかし、我らは影。光の中では消えるものにございます。」
宗高は微笑を浮かべた。
その眼差しは穏やかで、どこか寂しげでもあった。
「影があるからこそ、光は形を持つ。
お前のような者がいて、俺は領主でいられる。」
「……宗高様。」
笹丸は、少しだけ顔を上げた。
宗高の言葉には、飾りも打算もない。
その誠実さが、笹丸の胸を強く打った。
「笹丸。」
「はっ。」
「黒脛巾組の鷹丸からだ。
――お前を、俺の側に置きたいそうだ。」
「……側に、でございますか?」
「うむ。黒前掛け組と黒脛巾組、両方を繋ぐ“橋”が必要だ。
お前のような者にこそ、俺の傍で風を読んでもらいたい。」
笹丸は息を呑んだ。
忍びにとって、“主の傍に仕える”とは名誉であり、死を意味する。
命を預け、常に影として生きるということだ。
「宗高様。それは、我が命を捧げる覚悟を問うことでございますか。」
「違う。」
宗高はゆっくりと首を振った。
春の風が髪を揺らし、声が柔らかく響く。
「俺はお前に、命を預けたい。
忠義ではなく、信頼で繋がりたいのだ。」
笹丸の胸が熱くなった。
忍びとして生きてきた彼にとって、
“信頼”という言葉は、最も遠いものだった。
戦場では裏切りも嘘も日常だった。
だが、宗高の目には一片の疑いもない。
「……宗高様。
我が刃、この身、この影、すべて貴方に預けます。
陽が沈もうと、貴方の光を見失いませぬ。」
「うむ。ならば、これを。」
宗高は懐から一枚の布を取り出した。
黒前掛け組の象徴――黒い前掛けだ。
だが、それには小さく「影」の字が縫い込まれている。
「黒前掛け組と黒脛巾組、二つの印を重ねた。
お前は今日から、“黒影”の笹丸だ。」
笹丸はその布を両手で受け取り、額に当てた。
忍びが誓いを立てるときの仕草――それは命を捧げる証。
「笹丸、御命に従い、光と影の境を守りましょう。」
宗高は立ち上がり、笹丸の肩に手を置いた。
掌の温もりが、笹丸の心に深く沁みた。
「これからは俺の目となり、耳となれ。
そして――迷ったときは、俺の味噌を味わえ。
味が濁っていれば、俺もまた迷っているということだ。」
笹丸は微笑んだ。
忍びである自分が、こんなにも心を許せるとは思わなかった。
「……承知いたしました、宗高様。
味が濁らぬよう、風のごとく見張りましょう。」
宗高が頷く。
その背後を春の風が撫で、笹丸の黒装束を揺らした。
光と影が、ひとつの庭に溶け合うような静けさが広がっていた。
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こうして笹丸は、宗高の“影の護衛”として仕えることになった。
彼は以後、宗高のそばに常に控え、黒前掛け組と黒脛巾組の橋渡しを務める。
村田の発展の裏には、必ず笹丸の影があったという。
そして人々は後に語る――
「村田には、光を支える黒き影がいた」と。




