第三十七話 「江戸到着と評判」
江戸湾に朝日がきらめき、蔵王丸の帆が風をはらんで静かに入っていく。
荒浜新港を出てから十日あまり。波も天候も良く、予定より早い着船となった。
船を仕切る蔵王七翼の一人・有見勘平が声を上げる。
「江戸の町が見えてきたぞ! 黒前掛け組、港に入る準備にかかれ!」
着船して下ろした品を、江戸の船奉行所で荷を検分した役人は、酒樽を開けた瞬間にふわりと立つ香りに目を丸くした。
「……これは、ただの果実酒ではないな。香りに深みがある。薬草を調えておるのか?」
勘平が胸を張った。
「結姫様が、薬師らとともに調合された『身体を整える酒』でございます。
特に、この“白権の雫”は疲れを癒し、胸のつかえを取ると、大変評判にございまして。」
役人は感心しきりに頷き、目録へ急ぎ筆を走らせた。
◆江戸市中で広がる「蔵王の恵み」
酒が江戸の市中へ並ぶと、評判は一気に広まった。
●薬草酒 ― 「武家屋敷から注文殺到」
最初に評判に火がついたのは旗本屋敷である。
軽い不眠や胸苦しさに効くとして、医者を通じて次々と注文が入った。
「身体が温まるのに、翌朝はすっきりしている」
「胃が軽くなる。年寄りにもよい」
そんな評判が広がり、やがて城中の奥向きにも届いた。
●二つの果実酒 ― 「憧れの一品」
果実酒は甘すぎず香り高く、江戸市中の人々の人気をさらった。
「荒浜から船で来た“蔵王星霜”は香り高いとか」
「“結の紅”祝いの席では、これが出るのが粋なんだと」
浅草・日本橋・神田の酒屋は、あっという間に品切れを起こした。
●加工品 ― 「料理人たちの注目の的」
そら豆味噌、梅干し、薬草茶。
とくにそら豆味噌は煮物に加えるとまろやかになり、町中の料理茶屋で争奪戦が起きた。
「この味噌、何処のだ?」
「村田――蔵王の麓の村だと」
◆江戸商人との本格的な商談
数日後、日本橋の豪商・多島屋利右衛門が蔵王丸の詰所を訪れた。
大店の主らしく、落ち着いた声で、勘平に頭を下げる。
「これほどの品、年に数度入る西国船にも負けませぬ。
ぜひ、わが多島屋で専売として扱わせていただきたく。」
勘平は微笑し、首を横に振った。
「ありがたい申し出ですが、殿ののお考えは“広く届ける”でございます。
専売にはできませぬが、多島屋様とは大口でのお取引を願いたい。」
利右衛門は少し驚いたように目を見開き、やがて深く頷いた。
「……村田殿は、欲深ではないのですね。よくわかりました。
では、その志に恥じぬよう、多島屋も力を尽くしましょう。」
この取引を皮切りに、
越後屋、伊勢屋、伏見屋など江戸の名だたる商家が次々に交渉へ訪れた。
黒前掛け組は日々、商談に追われることになった。
◆村田の宗高へ届く報せ
村田城。宗高のもとに、江戸からの書状が届けられる。
「――蔵王の酒、江戸にて評判甚だし。
武家屋敷より注文殺到、商家より商談相次ぐ。
江戸市中“蔵王の香り”の名、瞬く間に広まる」
宗高は静かに書状を読み、そっと机に置いた。
「村田の皆の努力が結ばれたか……。
結姫にも、良い報せを届けられるな。」
福地右近が横で微笑した。
「宗高様、荒浜からの次の積荷もすでに準備中。
村田の名は、いよいよ都まで届きましょう。」
宗高は深く頷き、言葉を絞りだした。
「――蔵王の恵みを、もっと広く。
村田は、まだここからだ。」
春の風が吹き込み、村田の城下は静かに息づいていた。
宗高の改革は、江戸の地で確かな第一歩を刻み始めたのであった。




