第十五話 「蔵王の信仰 天と地のあわい 」
春の終わり、京の夜は淡く香を立てていた。
政宗の上洛から数日、宗高は一人、東山の麓にある古びた堂を訪ねていた。
堂の扉には「蔵王大権現」と刻まれた木札。
だがその姿は蔵王山の祠とは異なり、どこか柔らかく、人の世に近い。
「ここが……都の蔵王堂か。」
宗高が手を合わせたその時、背後から声がした。
「蔵王の名を呼ぶ若き武家――珍しき客人よ。」
振り向くと、法衣をまとった僧が立っていた。
名を円照という。
かつて修験道と陰陽道を共に修め、朝廷にも仕える不思議な僧であった。
「あなたが伊達宗高殿か。峰雪の雫の主と伺っておる。」
「はい。されど酒を広めたのは民の力。私はその導きを授かっただけにございます。」
円照は目を細めた。
「導き、か……。それは蔵王の加護を指すのかね?」
宗高はしばし考え、答えた。
「蔵王権現は、怒りと慈悲のあわいに立つ神。
私の力ではなく、人々の祈りが形を成したのだと思っています。」
僧は頷き、堂の奥へと宗高を導いた。
そこには金泥の仏像――青黒き顔に三眼、怒りを湛えた蔵王権現像が鎮座していた。
火焔を背に、しかしどこか微笑んでいるようにも見える。
円照は灯明を掲げながら問う。
「宗高殿、あなたは蔵王に何を祈る?」
「人が恐れず、自然と共に生きること。
山を掘らず、水を汚さず、命が回る世を――。」
その瞬間、堂内に風が走った。
灯明が揺れ、蔵王像の瞳が淡く光る。
宗高は思わず膝をついた。
――声が、心に響く。
> 「高宗よ。汝、蔵王の名を継ぐもの。
然れど神は形にあらず。
祈りとは、人の行いそのものぞ。」
宗高の額に冷たい風が触れた。
それは蔵王の雪のように、澄み渡っていた。
円照は静かに合掌し、呟いた。
「神が語ったのだな。」
宗高は頷く。
「ええ。……蔵王の声は、人の声でもありました。」
その夜、宗高は円照と語り明かした。
陰陽師が信じる天の理、修験者が歩む地の理。
その二つを結ぶ“中道”こそが、蔵王の教えだと知る。
「蔵王は怒りの神にあらず、目覚めの神にございます。」
宗高の言葉に、円照は微笑んだ。
「ならばあなたはすでに、その一部となっておる。」
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翌朝、宗高は東山の頂から京を見下ろした。
雲の向こうに、東方の空がわずかに赤く染まる。
笹丸が後ろに控えていた。
「殿、夜通しで修行とは、まるで山伏にございます。」
宗高は笑みを返す。
「蔵王は山におわす。
ならば我も、山の子でなければならぬのだ。」
懐から取り出したのは、小さな青い珠。
それは円照から授かった“蔵王の守り珠”――
人と神の境を越え、祈りを通わせる印だった。
「笹丸、我らの道はこれから険しくなる。
だが忘れるな。蔵王の力は、剣にも術にもあらず。
民の手と心、それこそが神の御技だ。」
笹丸は深く頭を下げた。
宗高は京の空を見上げた。
雲間から光が差し、都の屋根を照らす。
その光は、まるで蔵王の峰から届く朝の気配のようであった。




