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秋 12歳

夏が過ぎ、森に秋が訪れると、景色は一気に深みを帯びていった。


 あれほど勢いよく茂っていた葉は色づき、赤や黄、褐色に染まってひらひらと落ちていく。

 地面は落ち葉の絨毯に覆われ、歩けばかさりと乾いた音が鳴った。

 風は涼しく、空気はどこか澄みわたり、どんぐりや栗が木の根元に転がる。

 森は夏の喧騒を終えて、落ち着いた息遣いを取り戻していた。


 その森の奥、誰も寄りつかぬ聖域に、一本の剣が突き立っている。

 夏の日差しにも、秋の風にも揺らぐことなく、ただそこに在り続ける。

 周囲の草は剣の存在を守るように柔らかく揺れ、光は刃に反射して冷たい輝きを返す。

 年月が過ぎてもその輝きは曇らず、むしろ時を経るごとに透明さを増しているかのようだった。


 そこへ、いつものように桜木ひよりがやって来る。

 12歳になった彼女は、6歳のときに駆け回っていた幼さを残しつつも、背は伸び、表情は少し落ち着きを帯びていた。髪は肩を越えて長くなり、歩き方もどこか静かで慎重だ。


 ひよりの手には、1冊の分厚いノートと鉛筆が握られていた。

 学校で使うようなありふれた学習帳だが、その中身は彼女だけの宝物だった。


 聖剣の前に腰を下ろすと、ひよりは背筋を伸ばしてノートを開いた。

 風がページをめくりそうになるのを片手で押さえ、真剣な顔つきで鉛筆を走らせる。


「……勇者ひよりは、伝説の聖剣を手に、世界を救う旅に出ました」


 小さく声に出しながら、彼女は書き進めていく。

 文字はまだ不揃いで、誤字も多い。それでも一文字ごとに強い思いがこめられ、ページを埋めていく。


 剣を横目に見やりながら、彼女は心の中で物語を広げた。

 敵は恐ろしい魔王。荒れ果てた大地、泣き叫ぶ人々、空を覆う闇。そこへ勇者となった自分が現れ、迷わず聖剣を引き抜き、光を放って戦うのだ。仲間と共に苦難を乗り越え、最後には世界を救って、平和を取り戻す。


 まだ子どもの空想に過ぎない。けれど、ひよりの胸は高鳴り、文字を綴る手は止まらなかった。


 しばらくして、鉛筆の先が丸くなり、紙に引っかかり始める。ひよりは「うーん」と小さく唸り、剣に視線を移した。


「ねえ、聖剣さん」


 呼びかける声は6歳のころと変わらないが、響き方は違っていた。幼い無邪気さに混じり、少しだけ思慮深さが宿っている。


「ほんとに、ひよりが抜けるのかな……」


 剣は応えない。秋風が落ち葉を舞わせるだけだった。


 それでも彼女は笑った。


「もし抜けたら……ほんとに世界を救えるかな。……いや、きっと救えるよね」


 そう言うと、ひよりはノートに顔を戻し、再び書き進めた。


 昼下がりの聖域は、森の中でも特に静かだった。

 蝉の声はすでに遠のき、虫の音が代わりに木々の間に響いていた。

 ときおり木の実が落ちる「コトン」という音さえ、秋の楽器のように心地よい。


 ひよりは書く手を止め、しばらく物思いにふけるように空を見上げた。高く澄んだ秋空。流れる雲の速さに季節の移ろいを感じる。


「ねえ、聖剣さん。ひよりね、本を読むのが好きになったんだよ」


 ぽつりと呟く。剣の前で話すことは、もう彼女の日課になっていた。


「こないだ村の人から借りたの。冒険の話。お姫さまが勇者を待ってて、魔物をやっつけるんだよ。すっごくドキドキした」


 話しているうちに、頬が少し赤らむ。


「ひよりも、あんなふうに……だれかを守れる人になれたらいいな」


 声は小さいが、確かに剣に届いていた。


 夕暮れが近づくと、聖域の光は柔らかさを増した。

 斜めに差す陽射しが剣を黄金色に染め、ひよりの影を長く伸ばす。落ち葉がその影に重なり、まるで物語の挿絵のようだった。


 ひよりはノートを閉じ、胸に抱いた。


「……まだ全然じょうずに書けないけど。いつか、ほんとの物語を書けるようになるのかな」


 風が彼女の髪を揺らし、剣の刃先で光が瞬いた。それはまるで、無言の答えのようにも思えた。


 そのとき、ひよりはふと地面に目をやった。

 足元にはころんと転がる小さなどんぐりや、木の実が落ちている。丸い帽子をかぶったどんぐりを拾い上げ、掌でころころ転がしながら笑った。


「ねえ、聖剣さん。これ、あげる」


 ひよりは剣の前にしゃがみ込み、石の台座の根元へそっと置いた。

 さらに、近くに落ちていた赤い木の実や、形のきれいなどんぐりを選び、順に並べていく。真剣そのものの顔つきで、けれど楽しげに。


「なんだか、聖剣さんもおなかすいちゃうかなって……。ひよりのおやつにはならないけど……えっと……お供え、みたいなもの!」


 照れたように言ってから、小さく両手を合わせてぺこりと頭を下げる。


「いつも見ててくれてありがとう」


 秋風がさわさわと葉を揺らし、どんぐりの帽子がカタリと音を立てた。

 聖剣は相変わらず沈黙を守っているが、その沈黙はどこか温かく、ひよりの胸を落ち着かせる。


「ふふ、これでちょっとはにぎやかになったね」


 剣の根元に並んだ木の実は、まるで小さな祭壇のようだった。

 ひよりはしばらく眺めて満足そうに微笑み、それから背筋を伸ばして剣に手を振った。


「今日もありがとう、聖剣さん。また、明日も来るから」


 その声は少し照れくさそうで、それでいて誇らしげだった。


 秋の森を出る頃、空は茜色から紫へと変わり、鳥たちが帰巣の声を上げていた。

 落ち葉を踏みしめる音が、ひよりの足取りを軽やかにした。

 胸の中では、今日書いた物語がまだ続いている。勇者ひよりはまだ魔王を倒していない。

 明日は続きを書こう。聖剣の隣で。


 ……そう心に決めながら、ひよりは村への道を歩いていった。

作者の一言

こんにちは、シエルです。

小説に限らず、算用数字を使うか漢数字を使うか、悩むことありますよねぇ……

私は、年に関係するものや二桁以上の数は算用数字を使うことにしています。2年後、10歳や1024人など。

後は全部漢数字を使っていますね。例外として、数十年や数百人といったものは漢数字を使ってます。

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