01.処刑台の上の"悪女"
全25話で完結予定です。
配達帰りの荷物は、いつもより重かった。
野菜、塩、それに酒。重たいに決まってる。
城下町の酒場で住み込みの下働きをしている少女・リータは、朝の仕入れを終えて通りを歩いていた。
身寄りのない元孤児のリータにも、働き口はある。でも、自由も休みはない。
配達、掃除、洗濯、呼ばれれば夜番も。こき使われる毎日だ。
今日も、ただ荷物を店に運び戻るだけのはずだった。
(なのに、なんでこうなるかな)
中央広場が騒がしい。人が多い。道がふさがっている。
「……また処刑?」
城下では、罪人の処刑はそう珍しいことではない。
盗賊や反逆者の首が落とされるたび、なんとなく人が集まり、なんとなく眺めて帰っていく。
その程度の“見せ物”だ。いつもなら。
けれど今日は、様子が違った。
人の密度がやけに高い。声の熱も、空気の重さも、いつもとは違う。
誰もが、広場の中央──処刑台のほうを見ていた。
白いドレスの令嬢がひとり。背筋がまっすぐで、顔は見えない。
処刑台の上には木枠と鎖。首を固定する台座がすぐ背後にあった。
執行人らしき男がそばに立ち、合図を待っている。
(うわ。朝から嫌なもん、見たくないな)
そう思い、目を逸らそうとしたとき——令嬢が小さく笑った。
「これが笑わずにいられて?」
令嬢は、今にも自分の首に刃を落とそうとしている執行人や、広場の人々にも向けて言った。
「ずっと疎まれてきたわたくしが、こうして処刑されることで、初めて皆さまの望みに応えられるなんて。……おかしな話ですわね」
その声は静かで、でもよく通った。
リータは息を止めた。
声に聞き覚えがあった。
令嬢の顔は見えない。けれど、風に揺れた金髪がちらりと目に入った。
「……お嬢様……?」
そのとき、ギロチンが重く鳴り、刃が落ちた。
令嬢の体が、がくんと崩れた。
周囲がまたざわめきはじめた。処刑が終わった――それを合図に、まるで見届ける役目を果たしたかのように、人々の熱が別の方向へ流れていく。
荷物を抱えたまま、リータはその場に立ち尽くしていた。
* * *
次に目覚めたとき、天井がやけに明るかった。
城下町の酒場──その屋根裏にある住み込みの寝床だ。
埃っぽい匂いと、身体に馴染んだ粗末な布団が、いつもと変わらずそこにあった。
リータは上半身を起こし、シャツの袖をつまむ。
破れていたはずの綻びが、きれいに縫い直されている。
「……は? いつの間に?」
誰かが夜のうちに縫った? いや、そんな気配はなかった。
次に、靴を履いた瞬間、足が止まった。
踏み込んだときの感触が、あきらかに違う。
今にも擦り切れそうだったはずの靴底が、わずかに厚みを取り戻していた。
「……シャツならまだしも、靴底が戻るって、どういう理屈?」
階下の酒場に降りると、雇い主でもある店主が肉をさばいていた。
まだ客の姿はない。午前中の仕込みの時間だ。
厨房には、いつもの血と脂の匂いが立ち込めている。
「おい寝坊娘、水場の樽、運んどけ」
「寝坊じゃないです。昨日だって閉めの片付けまで全部やったんですから」
「だからって朝をサボっていい理由にはならねえ」
「…いい職場だなぁ」
やれやれと樽を運びながら、ぽつりと尋ねる。
「昨日、広場で処刑、ありました?」
肉を切っていた店主の手が一瞬止まる。だが、顔は上げない。
「処刑? 聞いてねえな。誰が?」
「白いドレスの令嬢。壇上で喋ってた……金髪の、やたら背筋のいい人」
「金髪の令嬢ねぇ……」
店主はしばらく考え込み、骨を断つ手を動かしながら言った。
「ああ、ルヴェル家の娘かもな。あの家の令嬢は金髪で有名だ」
「ルヴェル……?」
「ルヴェル侯爵家。城下じゃ知らないやつのほうが少ねえんだがな。
令嬢の名前は──そうそう、マグノリア・ド・ルヴェルだ」
マグノリア。どこかで聞いたような、聞いたことないような。
名前の響きだけでは、顔も印象も浮かばなかった。
「けどな、ルヴェル家といったら宰相筋だ。そんな大物が処刑されてたら、町じゅう大騒ぎだ。
パン屋も八百屋も、きっとそれしか話題にしてねえよ」
「……たしかに」
マグノリア・ド・ルヴェル……。
声に出してみても、しっくりこなかった。
(でも、見た。確かに、あの人だった)
気になって、その日の仕事の合間、何人かにそれとなく聞いてみた。
「マグノリア・ド・ルヴェル? ああ、あの令嬢ね」
「なんか、目ぇ合わせなかったってだけで侍女を替えたとか。ほんとか知らないけどさ」
「一日三回は癇癪起こすって話もある。笑ったとこ見たやつ、誰もいないんだって」
そんな噂が出回るくらいには、有名人らしい。
なのに、リータが見た処刑の話をする人はひとりもいなかった。
やっぱりあれは──最初からなかったこと、なのかもしれない。
* * *
ひと通りの仕事を片づけたあと、足がなんとなく高台のほうへ向いていた。
空はどんよりしていて、雨がぽつぽつと落ち始めていたが、好奇心のほうが勝っていた。
(あのとき見たあの顔──本当に、ルヴェル家の令嬢だったのかな)
ルヴェル侯爵家のタウンハウス。
鉄の門と白い壁が、静かに人を拒んでいた。
こうして近づいてみるのは初めてだった。
中を覗いたところで、何がわかるわけでもない。
そう思った矢先、屋敷の門が開いた。馬車が1台戻ってきて門の中へ入っていく。
侍従が出迎え、馬車から降りた御者が扉を開ける。
降りてきた令嬢の横顔が、ちらりと見えた。
──あの人だった。処刑台にいた、あの令嬢。
「……出た。ほんとに出た……!」
令嬢は何か言いながら手をひらひらと振り、侍従の傘を避けるように早足で歩き出した。
受け取られなかった傘を、侍従が慌てて引っ込める。
令嬢は振り返りもせず、屋敷の中へ入っていった。
* * *
「これ、どういう……いや、無理あるって……」
帰り道、頭の中がざわついていた。
あれが、噂に聞くルヴェル家の令嬢?
処刑台のあの人と、我儘で有名なお嬢様が同一人物?
結びつかない。なのに、名前も顔も一致していた。
ふと足を止めたのは、角を曲がった先。
道端の石垣にもたれて、何かをかじっている老人がひとりいた。
「……じいさん……⁉」
一瞬で背中に汗がにじんだ。
数ヶ月前に、寒さでぽっくり逝ったはずの老人だった。
(だって葬式、出たし。棺桶、店主が泣きながら運んでたし)
目の前のじいさんは、何食わぬ顔で酒場の団子を頬張っていた。
痩せてはいるが、足取りもしっかりしている。
「なんだ、変な顔しやがって。団子の味、変わったな」
「……変わったのはそっちでしょ!? 生きてるって何!?」
混乱するリータに首を傾げつつも、じいさんはそのままどこかへ行ってしまった。
(袖。靴。処刑。マグノリア。そしてじじい)
(ひとつひとつは小さな異変。けれど、もう誤魔化せる範囲じゃない)
──時間が巻き戻っている。リータはそう確信した。
初めての長編連載です。ブクマ、感想など励みになります。よろしくお願いいたします。