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5.原始の森と温泉宿

第一司書であらせられるソゴゥ様を伴って飛行竜で海を渡る。

まだ幼年期であるソゴゥ様は、来年には三年間の第一司書職を経て、正式なイグドラシルの大司書へ就任され、国内外に発表される。

宮廷で初めてお会いした際は、緊張のあまり、自分が何を話したのかさえ記憶が定かではなく、ただ、厳しい方だという印象だけがあった。

そのソゴゥ様は、護衛の悪魔が操る飛行竜に乗り、しきりに空を眺めている。その横顔は年相応に幼く見えた。

天空には、星が集まってできた七色の光の帯が広がり、その下には、黒い海が何処までも続いている。黒い海面に無数の白波が立ち、そこに水があるということ分かる。

遠方に見つけた漁火に、先頭の飛行竜が光を送る。応えるように、向こうからも光が送られてくる。

「あれですね」と同乗しているブロンに告げる。

その海洋に漂う漁船に、飛行竜で向かう。近づくと、かなり大きな漁船であることが分かる。すでに漁を終えて、明日水揚げを行うために港へ向かっているところだ。

四騎の竜に八人が乗り、そのうちソゴゥ様と護衛の悪魔、自分とブロンの四人だけが船へと降り、残りの四人は竜に乗ってその場を離脱する。

漁船の船長に迎えられ、疲れて眠る漁師たちを起さないように、船室の隅を間借りして過ごす。やがて夜が明け、ガルトマーンの港が近づくと、船の接近を受けて空壁に通行証の提示を求める表示が映し出される。船長が通行証を提供し、船は港へと接岸する。

船が停泊すると同時に下船し、港を抜けてその先の港町を迂回して北へ向かう。早朝の港町は、漁を終えた漁師たちで賑わうが、自分たちは潮焼けした漁師に紛れるのは難しいだろうと判断した。

内陸までは、人目に触れないように移動することにして、次の町で足を手に入れる予定となった。

街道には魔獣避けの避難所があり、衛兵が街道を監視しているため、自分達は街道を外れた森林地帯を突っ切る形で町を目指した。

「それにしても、華のないパーティーだな」と冒険者の扮装で、森林をひた走るソゴゥ様が呟く。

自分とブロンはソゴゥ様に頼まれて、ここにいる四人全員の冒険者の身分を示す登録証を用意していた。この世界共通のルールとして、各国を自由に行き来できる職業が、冒険者であるため、国交がなくても身分が証明できるからだ。

冒険者には厳しい審査と保証人が必要で、自由に国を行き来できるとはいえ、訪れた国の法の遵守はもちろん、諜報活動の禁止、立ち入り禁止区域には足を踏み入れない、また知り得た情報の共有が義務付けられている。

「私と、ヴィントの後に付いてきてください」とブロンがソゴゥ様に告げる。

「イグドラムの整備された森林とは違って、手つかずの原生林のようですね」

「ああ、数万年前の植生かと思うような未知の植物ばかりだ」

無秩序に枝の張り出した高木が天井を覆い、矮木や羊歯、苔類が地表を覆っている。生息している生物も馴染みのないものばかりだ。

ブロンと共に蔦や弦植物を剣で薙ぎ、悪路を進む。

ビシッという大きな音がして、ブロンが跳び上がった。

再び、大きな音がすると同時に、護衛の悪魔がソゴゥ様を抱え、大きく跳躍して音源から距離を置く。

見ると、悪魔の服の背が焦げたように裂けていた。

「おい、それ」と心配なされるソゴゥ様に対して「大丈夫だ、服が焦げたに過ぎぬ」と悪魔が答えた。

「電気葛が群生しているようです」

トーラス家が得意とする空気を操る魔法で、温かい空気球を沢山作り、あちこちに転がす。

温度を持った塊を小動物に見立てて草の上に滑らせることで、電気葛の生息範囲を確認するためだ。また、電気葛は一度攻撃すると半日は動かなくなるため、疑似餌に攻撃をさせることで、放電させてしまうのが狙いでもある。

葉の転がる先々で、ビシビシと大きな音がして、弦が撓り地面を打ち付ける。数百メートル先まで、次々と蔦が撓り地面を叩きつける光景にゾッとする。

ひとしきり音が止んでから、再び歩を進めていく。

電気葛の群生地を抜けると、今度は真っ直ぐな茎を持つ草が茂る場所に出た。すでに立ち枯れているが、我々の背より高く隙間なくびっしりと生えているため視界が利かない。また、そこだけ大木が生えていないため、その場所からは、切り取ったように空が見える。

差し込んだ光が草を黄金色に照らし、何か神聖な生き物が棲息していそうな雰囲気がある。

草を刈って、分け進もうと踏み出した足が、ぬかるんだ地面に沈んだ。ソゴゥ様が後ろで「何か、蛇みたいなのが足撫でてった!」と飛び上がり、悪魔がソゴゥ様を肩車して進む。

「道が悪いですね」と声を掛けると、見晴らしが良くなってご満悦のご様子でソゴゥ様が頷いた。

ブロンと剣で草を刈って道を作り進むが、また巨木の下へ差し掛かると、渓流で足場が悪く、流石に飛行魔法を使って超えていくことにした。しかし、飛べば飛んだで森林の上方も危険が目白押しだった。

まず、霧がかかっているのかと思うほど、辺り一面に蜘蛛の巣が張り巡らされている。

またこの巣には、巨大で、異常な数の蜘蛛がいる。そして、蜘蛛にも蜘蛛の巣にも火が利かない。火炎を吐く有翼人すらも、食料と見込んで進化した様な蜘蛛だ。耳もないから、有翼人の鶏鳴も利かないであろうし、また、人が掛かっても抜け出せないほどの凶悪な粘度を持った糸だ。質が悪いことに、白く見える糸の他に、視力の良い有翼人をしても、位置を把握するのが難しいであろう透明度をもった糸が仕掛けられていた。

その糸に、我々もまんまと全員捉えられ、ソゴゥ様が「罠にかかった蝶って、こんな気持なんだな」などと浸っておられる。存外余裕がおありのようだ。

「私が、電流を糸に流します。ソゴゥ様方は、防電魔法は?」とブロンが尋ねる。

「問題ないです、ヨルは?」

「我も問題ない」

ブロンは糸を湿らせ、次に糸に通電して蜘蛛を感電させることに成功した。

「よかった、食べられずに済んだ」と安堵するも、その後、糸から抜け出すのがかなりの困難を極めた。まず、拘束された状態では剣が上手く振るえず、糸が剣に引っ付き、ビヨンビヨンと伸びて切断できない。

「頭に血がのぼってきてヤバイ」とソゴゥ様が仰ると「我に任せよ」と悪魔の身体から、黒い炎が出て、やがて炎が糸を伝って延焼し、捉えられていたソゴゥ様の周囲の糸を溶かしてなお伸びてきた炎が、自分やブロンに張り付いていた糸を溶かした。

耐火素材だったはずだが、悪魔の黒い炎は、通常の炎と違って物質に劣化や腐敗などを引き起こすことが出来るらしい。

地面に降りると、服から何から体中ベタベタで、髪にも蜘蛛の糸がついたままになっていて不快極まりない。

「早く街に行って、宿をとって風呂に入って服を着替えたい」とソゴゥ様。

騎士らしく常に泰然としているブロンも、流石に青い顔で同意していた。

蜘蛛の糸を避けて飛んでいると、地表では瀑布が連なり、やがて水は黒い地面を割く白い流れとなった。

渓流の底に堆積した白い砂が酸化していないところを見るに、生き物の棲息や飲み水には向かない水質のようだ。

「何だあれは」とブロンが渓流の先を指さす。

何か赤いものが川面に浮かんで流れてくる。

「花じゃないか?」

暫く飛び続けていると、枝が撓るほど赤い花をつけた大樹が林立し、赤い花のトンネルを形成している。枝をくぐるように飛んでいると、ふとブロンの髪に赤い花がついていた。武骨で、眼光が鋭く、最も花の似合わない男だ。

一度正面に向き直り、笑ってしまわないよう深呼吸をしてから、同僚に指摘をする。

「ブロン、頭に花がついている」

ブロンはギョッとして手で払おうとしたが、どうやら蜘蛛の糸が付着した部分に引っ付いたようで取れないらしい。

逆を見ると、ソゴゥ様にも付いていた。

「ソゴゥ様、花がついております。私がお取りしてよろしいでしょうか?」

「え、お願いします」

手を伸ばして花を取ろうとするが、まったく剥がれない。

「蜘蛛の糸と髪の毛に絡んでしまって、上手く取れませんね」

「わっ、ヴィントさんにもついていますよ」

ヴィントが自分の頭に手をやると、二つも頭にのっかっていた。

悪魔だけ何も付いていない。

「うわわわわわわわわ」と突如ソゴゥ様が叫びながら、顔の周りを手で払われた。

「どうしたのだ?」

「虫が! 虫が!!」と言いながらソゴゥ様が藻掻いている。

「虫などおらぬ。気をしっかり持つのだ」

「いやだって、頭にオオカナブンがついてない? 羽音がすごいする」

「花がついているだけだ。この花か・・・・・・・」

ブロンは両耳を塞いで苦痛を耐えるような表情をしている。

自分は、半年前に別れた彼女から頬に受けた打擲音が繰り返し聞こえる。その時の衝撃と、喪失感に泣きそうになる。と言うか、泣いてしまっていた。

「クッ、ガイド! 赤い花、幻聴、ガルトマーン検索・・・・・・・呟椿、取りついた生き物が一番嫌がる音を聞かせて弱らせる・・・・・・・食肉植物、マジか、次から次へと!」

ソゴゥ様が魔法書を取り出され、花の生態をお調べになられて言う。

「樹木本体は寒さに弱く、花はスーパービィバ火山の灰や、シマティユウ湖の塩で枯れる・・・・・・・って、持っているわけがねえ!」

「我の炎で焼こうか?」

「やめろ、ハゲる、待て、無ければご家庭のお塩でも代用できますって・・・・・・・」

「私、塩を持っています」とほぼ号泣に近い状態で答える。

「ヴィントさんには一体何が聞こえているのか・・・・・・・塩で花を揉み込むようにすると、暫くして剝がれ落ちるらしい」

各自受け取った塩で、頭の花を剥がす。

何処へ行くにも塩を携帯しておいてよかった。とりあえず塩さえあれば、何でも美味しく食べられると、騎士の演習で学んで以来の習慣が役に立った。

やがて、この原始の森から永遠に抜け出さないのでは、という不安が頭を擡げかけた頃、登った断崖から見下ろす先に、宿場町の風情のある集落を見つけて小躍りしたい気持ちになった。この森での野宿も、夜道を行くのも完全に自殺行為でしかない。

町へ辿り着き、明日の移動手段となる馬の確保を行い、後は宿泊できるところを探す。

街道が町の中央を抜け、道の両端には食堂や土産物店が軒を連ねている。町には、有翼人以外の姿も多く見られた。

街道から来たであろう旅行者に奇異の目で見られながら、自分たちの蜘蛛の糸や泥などで汚れた格好を振り返る。

「地図だけじゃ、分からない事があるんだな」とソゴゥ様が何やら悔やまれるように、衣服の汚れを払いながら仰る。

「ええ、まさかあれほど手つかずの森とは思いませんでしたね。人どころか、獣道さえ見つけられませんでした。あの森の虫や植物を相手にするより、大型の魔獣を相手にしている方がマシです」とブロンが応える。

やがて、街道の奥まったところに、山を背にした趣のある宿を見つけた。

看板に「ビィバ温泉郷・湯けむりの宿、彼岸花」とある。

「ここに泊まれるか、確認してきます」

「いや、一緒に行きますよ」と、ソゴゥ様がまるで我が家に戻ったように、気楽に宿の中へ入っていかれるのに続き、文字の書かれた垂れた布を手で避けて、後を追う。

「すみません、大人四人で泊まりたいんだけれど、部屋ある? 予約はしてないんだけれど」

入り口に客を迎えて立つ黒い翼の有翼人の女将に、ソゴゥ様が気さくに声を掛ける。

この町の有翼人のほとんどが身に付けている、前合わせの変わった服装をしている。

「いらっしゃい、予約なんてうちはやってないんで、前金で半分払ってくれたら部屋を用意できますよ。食事はどうします? うちでも食べられるけど」

「よかった、食事も四人ぶんね、あと、温泉あるの? 大浴場?」

「ありますよ、自慢の風呂。この温泉郷で一番広いんですよ」

「宿泊費に入湯料は含まれているのかな?」

「ええ、宿泊されるお客さんは、好きな時間に好きなだけ入れますよ、とても疲れていらっしゃるご様子ですし、すぐに入ってきたらいいですよ」

「そうします。ちなみに混浴?」

「あはは、残念、混浴だと女性客が来なくなりますからねえ、男女別です」

「ですよね、じゃあ前金払うんで」とソゴゥ様がさっさと前金を払い、受け付けの女将と同じ色の翼のカギを持った有翼人の仲居が部屋に案内する。

「烏天狗の里みたいだな」とソゴゥ様が独り言ちる。

土足禁止で、板張りの上り框の横にある下足入れに、泥が白くこびり付いたブーツなどを格納して施錠し、カギを手に持って、何やらすぐに脱げてしまいそうな室内履きに履き替え「火気厳禁、火属性魔法禁止」とある廊下入り口から入り、奥へ進む。

ソゴゥ様は先から上機嫌で、鼻歌を歌い出しそうな・・・・・・・いや、すでに歌っていらっしゃって、中庭などを眺めていらっしゃる。

細い板張りの廊下を、幾度も曲がり、階段を上がったり降りたりしながら、一旦建物の外の屋根付きの廊下を渡って、山に食い込む様にして建てられた別館に案内された。別館には客室が二つしかないようで、手前の「二人静」とドアに貼られた客室を通り過ぎて、奥の突き当りの「曼珠沙華」の部屋へ通される。

「こちらです、こちらの建物は新しいので部屋もきれいなんですよ」

「おお、畳だ、すごい! 座卓に座布団に茶菓子、パーフェクト!」

ソゴゥ様が拳を握りしめて喜ばれていらっしゃるが、正直、椅子もベッドもないただの織った草の敷物の上に、低いテーブルが置いてあるだけの部屋で、体を休められる気がしないが、野宿よりは屋根や壁があるだけましというものだと諦める。

ブロンも似たような見解なのか、殺風景な部屋に悄然とている。

ソゴゥ様が皆に座布団に座るように勧め、仲居が発酵が不十分なのか、まだ緑色をした茶を入れる。何か草っぽくあるが、ソゴゥ様はやはり喜んで飲まれている。

「もしかして、ここってイグドラシルの大司書さんが提案した温泉街なんじゃないですか?」

「ええ、よくご存じで。以前、この町で翼にカビが生える疫病が流行って、その治療法などを相談した際に、ここの温泉で常に体を清めることと、今まで手掴みでしていた食事を箸を使うことを提案していただいて。その際に、わざわざ大司書様が来訪されて、過疎化の進んでいた街の復興まで提案いただいたんですよ。建物の様式の珍しさ、宿のサービスの斬新さなどが話題になって、今では、ガルトマーン王国内だけでなく、世界中から観光や湯治目的でお客さんが来られるようになったんですよ」

「なんと、大司書様が考案されたんですか」

「ええ、ですからエルフのお客さんも増えましたよ」

ソゴゥ様が嬉しそうであったのはそのせいなのかと、納得した。

「お食事はこちらにお持ちいたしますか? それとも食堂でご用意いたしますか?」

「食堂に行くので、布団だけお願いします」

「かしこまりました。では失礼します」

仲居が出ていくと「布団を持って来てくれるのでしょうか?」とブロンがソゴゥ様に尋ねる。

「いや、そこの押し入れに入っている布団を、寝る前に敷いてくれるんですよ」

「そうなのですね、私はてっきり、この床で寝るのかと思っておりました」

「ちゃんとフカフカな寝床を用意してくれますよ。さてと、大風の書が今どこにあるか確認しよておこう。ガイド、大風の書を」とソゴゥ様が低いテーブルに地図を投影され、カギを槍のように大きくして床にトンと突く。

光が拡散し、やがて地図上に黄金の光が明滅する箇所が現れる。光は昨日とほとんど変わらないウィドラ連邦国の北側、ガルトマーン王国との国境付近にあった。

昨日よりややガルトマーン王国のスーパービィバ活火山群に近い、ウィドラ連邦国側だ。

「活火山群に向かっているとすると、ティフォン・トーラスの目的として考え得る二つの事柄があげられますね。一つは、火山の噴煙の向きをイグドラムに向ける事。大風の書で偏西風とは逆向きのジェット気流を起して、灰をイグドラムに降らせればその被害は甚大だ。スーパービィバ活火山群に植物が生えないのは、常に噴煙で曇っているからだけでなく、灰に毒性があるからです。もう一つは、確証がないうちは話すことが出来ません。ガルトマーン王国とイグドラムでの決め事に関わることだからですが、皆の方で、他に何か考えられることはありますか?」とソゴゥ様が聞かれる。

「今のところティフォン・トーラスの目的と行先については、ソゴゥ様のご推察以上の意見はございません」

「私もです」

「この地域でティフォン・トーラスが立ち寄って一番厄介な場所がスーパービィバ活火山群です、そこへ辿り着く前にティフォン・トーラスの身柄を抑えようと思います。距離的には早朝から馬で向かえば、向こうが飛行竜を使わない限り追い付けるでしょう」

「現在、ウィドラ連邦国とガルトマーン王国の国境を飛行竜で超えることは不可能と聞きます。しかし、万一のことがあった場合を考え、ここでは休憩するに留めて先を急いだほうがよろしいのではないでしょうか?」

「いいえ、明日万全の態勢で臨むためにも今日はしっかり休みましょう。それに、万が一、ティフォン・トーラスに出し抜かれても、大丈夫なよう保険がありますから」と口角を上げて仰る。

「分かりました」とブロンが応える。正直、ソゴゥ様の言葉にほっとしていた。

「手紙を出したら、風呂へ行きましょう」とソゴゥ様が驚くほどの速記で手紙を書きあげ、それを二羽の白いふっくらした丸い鳥に変化させて、窓辺から外へ放たれる。

「ソゴゥ様、大変恐縮ですが、ガルトマーン王国は猛禽類の宝庫とされ、小鳥はすぐに餌食にされてしまいます。手紙を届けるのは難しいかと」

「ああ、大丈夫ですよ、強いので。ほら、あそこ見てください」とソゴゥ様が指し示す方に目を向けると、ちょうど飛び立ったばかりのソゴゥ様の小さな白い鳥の一羽が、匍匐飛行してきた大きな肉食の鳥に襲われていた。

爪で小突かれてバランスを崩したところで、小鳥は白く大きく膨れ上がって舞い上がり、ふっくらした可愛らしいフォルムから、スマートで強そうな大きな鳥に変化して、襲ってきた鳥を蹴り返している。

「さっさと振り切って手紙を届けてくれたらいいのだけど、負けん気が強いみたいで、やられたら、やり返すんです」と困ったようにソゴゥ様が仰る。

「あれは、イグドラシルの樹皮から作った紙に、マスターが魔法を掛けた鳥であろう。であれば、目的地に到達できないことなどまずない」

「マスターじゃなくて、ソゴゥね。ブロンさんも、ヴィントさんも、人前では私のことはソゴゥと呼びつけてください」

「そうは思っているのですが、なかなか・・・・・・・ソゴゥ様も、我々のことは呼びすてでお願いします」

「なるほど、急に呼び方を変えるというのは難しいですね」とソゴゥ様が苦笑される。

大浴場へ行き、湯船を満たす真っ白なお湯に驚いていると、ソゴゥ様が「美肌の湯か」とガルトマーン語で書かれた立て板を読んで、納得されている。

「こんな濁った水に浸かって大丈夫でしょうか?」

「温泉なんて、こんなもんですよ。お湯に枯葉のような沈殿物が混ざっていたり、お湯の色が真っ黒だったり、色々な種類があって、効能も色々ですが、どのお湯も適度に浸かれば疲労回復の効果があります」

「風呂というものに初めて入る」

「ええ、どうなっての悪魔社会。衛生観念がないの?」

「そもそも汚れないからな。汚れても浄化できる」

「お風呂の良さを知らないなんて、可哀そうに」とソゴゥ様が悪魔を挑発するように仰る。

「温い水に浸かって、何が楽しいのだ」

「まあ、入ってみればわかるよ、腰の布は湯に付けるなよ、湯に入るときは外して頭の上にのせておくか、後ろの岩に置いておくんだ」

温泉にお詳しいソゴゥ様の言いつけを守り、体を清めてから恐る恐る白い湯に浸かる。

独特な匂いも、湯で体が温まると次第に気にならなくなった。骨まで温まり、疲れが湯に溶け出して消えていくようだった。

ブロンも首まで使って、幸福な溜息を吐いている。

風呂を出ると、個室の食事処で箸というものを使って夕食をいただく。これもまた、使い方をソゴゥ様に教えていただいて、珍し食事を楽しんでいると、ソゴゥ様が「鶏肉・・・・・・・有翼人も食べるんだ」とショックを受けたご様子。

「鳥と、有翼人は別の生き物だからな」と悪魔が気遣いをみせる。

「私は夕食が終わりましたら、また温泉に行ってから休みたいと思います」

「私も、温泉が気に入りました、ソゴゥ様も行かれますか?」

「もちろん、また温まってから眠りたいですからね、ヨルはどうする?」

「端からそのつもりでおった」

ソゴゥ様が可笑しそうに笑われる。明日何が起こるか分からなくとも、今この瞬間は、ここにいる時間の有難さを享受しようと思った。

二度目の温泉に入っていると、他の客の姿もあり、ソゴゥ様と悪魔、それにブロンはひと浸かりすると部屋に戻られた。

自分は、ソゴゥ様に悪魔とブロンが付いているのであれば問題ないと、少し長めに湯に浸からせていただいていた。

湯から上がり、着替えようと脱衣所へ出て休憩している客の横を通り過ぎる際に「奥の新しい建物の客室なんだがな、あそこ出るらしいぞ」というのが聞こえた。

気になったので、着衣をおさめた籠の前へ移動した後も、空気の流れを操作して男たちの話を聞き取りやすくしていると、男は内緒話をするように声をひそめながら、以前この宿で起きた火事のことについて話し出した。

「・・・・・・・で、絶対について行ってはいけないんだそうだ」

「ついて行ったらどうなるんだ?」

「そりゃあ、決まってんだろ・・・・・・・」

湯冷めと言う言葉があるらしい。完全に湯冷めして、なんだか寒くて両肩を抱くように部屋へ戻ると、敷かれた布団の上で、二対一で枕を当てあっていた。どう避けても、ソゴゥ様が投げた枕は悪魔とブロンの顔面にヒットするのに対し、二人が投げた枕をソゴゥ様は一瞬消えたように避けていた。

「何か能力を使っているだろう」

「能力も実力のうち! 当ててから物を言うんだな、ヨル」

なんと平和な光景だろう。

「ヴィントさん、顔色が優れないようですが、湯あたりしましたか?」

こちらに気付いたソゴゥ様が、心配するように声を掛けてくださる。

「いえ、大丈夫です」

「本当に顔色が悪いぞ、大丈夫なのかヴィント?」

「ああ、大分疲れも取れて、体調はいいんだ」とブロンに応える。

「水分をとってくださいね、それと、今日はもう明日に備えて休みましょうか」

「はい、そうしましょう」

いそいそと三人が枕を回収して、それぞれの布団に入る。

清潔で快適な布団で休めることが幸せではあったが、気掛かりのせいでなかなか寝付けずにいた。

やっと寝つけた頃、何かに意識を呼び戻され、目が覚めた。

見上げた天井に、ここがガルトマーンのビィバ地区の宿の中であったことを思い出す。

隣のブロンの寝息が微かに聞こえる。ソゴゥ様と悪魔に至っては、そこに存在しているのか疑わしいほど静かに眠っていらっしゃる。

コンコンとドアがノックされる。

ああ、この音で目が覚めたのか・・・・・・・。

無視し続ける。これに応じてはいけない。

だが、ノックは執拗に繰り返される。

誰も目を覚まさないでくれと思いながら、隣のブロン呼吸が変わったのを感じる。

悪魔はすでに覚醒しているようだ。先ほど閉じられていた瞼が開き、暗闇で目が赤く光っている。正直不気味だ。

ソゴゥ様は目を閉じておられるが、眠っているのか起きているのか全く分からない。

「あのう、こんな夜分にすみませんお客様」

戸口から昼間の仲居の声が聞こえる。

「なんだ」と、とうとうブロンが起きて、応じようと立ち上がる。

「ブロン、開けるな!」

「なんでだ、何かあったのか聞かないと」

戸口から仲居が「隣のお部屋でボヤがありまして、一応念のためお部屋を移っていただきたいのです。お荷物は、私どもでお運びしますので、そのままで大丈夫ですから」と、申し訳なさそうに言う声が聞こえる。

「部屋を移れと言っているぞ」とブロンが内カギを外す。

「新手の押し込み強盗だ! とにかくドアを開けるな!」と咄嗟に叫ぶ。

「だったら、尚更放置しておけないだろう。取り押さえてやろう」

宮廷騎士内でも実力者であるブロンは、彼の特殊能力である雷撃で広範囲にわたり敵を無力化できることから、自信過剰気味な性質があると感じていたが、ここへきてそのことを、もっと諫めておかなかったことが悔やまれる。

「無理だ、そうじゃない、やめるんだ!」

いつの間にか背後に立つ悪魔が肩に手をのせ「どうせすぐに消える」と言い、「それよりマスターを起すでない」と、布団へ戻っていく。

ブロンが遂にドアを開けた。

暗闇に、青白く浮かび上がる仲居は明らかに不自然な像を成している。

「さあ皆さま、早くこちらへ」

「一人か?」と拍子抜けしたように、ブロンが言い、こちらを振り返って睨む。

その間に、ブロンの後ろにいた仲居の姿が闇に溶けるように消えていく。

ブロンが仲居の方に目を戻したときにはもうその姿は、そこになかった。

「おい、どうなっているんだ、いなくなったぞ、ヴィント、あれ、何でお前も、もう寝ているんだ?」

「気を失ったようだな。エルフは知恵の種族、分からないことを恐れるより、追及する性分が勝るかと思ったが」と悪魔が呆れたように言い、さっさとドアを閉めて寝ろと言って、赤く光る眼を閉じた。

翌朝、食堂で朝食の配膳を待っているところで、昨夜の仲居を見かけて、思わず悲鳴を上げてしまった。

「ヴィントさん、どうしたんですか?」

温泉卵というものを、何やら複雑そうに眺めながらソゴゥ様が仰る。

「昨夜の事か? お前、何か様子がおかしかったが、どうしたんだ?」

もう、この宿を発つのだからいいかと思い、昨夜大浴場で聞いた話を三人に聞かせた。

「昨日皆が大浴場から部屋へ帰った後、他の泊り客がしていた噂を聞きまして」

「この宿の怪談でも聞いたんですか?」

「そうなんです」

「どんな話だ?」

「以前この宿で火事があったそうで、逃げ遅れた客を逃がそうと従業員が奔走し、最後に奥の建物へ向かいましたが、奥の建物からだけ、客を逃がすことが出来なかったそうなのです。いくらドアを叩いて逃げるように言っても、客がドアを開けることはなく、結局、奥の建物は全焼してしまったそうです。その後悔の念から、いまだに、新築となった建物に夜な夜なその従業員が現れて、客を逃がそうとするのだとか」

ブロンが嫌そうな顔で、こちらを見る。

「お前、昨日は押し込み強盗だって言ったじゃないか」

「幽霊だなんて言って、信じると思わないですからね」

「だが、さっき昨日の仲居を見かけたぞ」と、青い顔で言うブロンの後ろから「昨夜は失礼いたしました」と件の仲居が声を掛けてきた。

「ヒッ」とブロンと声が重なり、椅子をガタつかせる。

女将がいたずらをした子供を咎めるように、仲居の頭を押さえて「この子が、大変失礼いたしました」と腰を折って頭を下げる。

「どういうことですか?」と、ソゴゥ様が湯飲みを置いて尋ねる。

「もう、こちらの宿の噂はお知りになったのでしょう?」

「火事があったという話ですよね」

「ええ、この子ったら、人一倍責任感が強くてねえ、あの火事の日、奥の建物に宿泊客はいなかったんですよ。本館の客を逃がして、奥には客がいないことを知っていた私どもは、仲居たちをすぐに外に出そうとしたのですけどね、もしかしたら誰かいるかもしれない、せめて部屋が空なのを確かめないと、って、そう聞かなくて。誰もいないのだから、中から応えがある訳もなく、カギも持たずに慌てていたから、ひたすら戸を叩いていて。私がこの子を気絶させて連れて逃げたのがいけなかったのか、偶に、夜になるとその念が身体から離れて、奥の客室の戸を叩いては、中の客を怖がらせてしまって・・・・・・・いまじゃ、興味本位で奥の客室に泊りたがる客が、わざわざ来るくらいなんですよ」

「本当にすみません」と仲居が何度も頭を下げる。

「そういう事か、まあ、こちらとしては一人が気を失っただけだから、そう気にしなくていいが、もっと火事に備えて避難経路を確立しておいた方がいいだろう。この建物入り組み過ぎているからな」とブロンが応える。

ソゴゥ様はお茶を飲み干された後、ちらりとこちらを見て横に顔を向けられた。肩が震えているように見えるのは何故なのだろう。


宿を発ち、昨日予約した馬を借りて火山群へ向かう。

馬は区間で借り、次の街道沿いの町で交換し、また次の町までの区間を借りるという仕組みとなっている。火山群まではざっと200㎞といったところだから、二つ町を経由する必要がある。

昨夜は何やら面白いことがあったようだが、三日前は大怪我を負い、一昨日は徹夜で飛行竜を飛ばし、昨日は一日森を歩いて疲れ果てていたせいで朝まで目が覚めることはなかった。

温泉のおかげで、今朝はだいぶ体調が良い。

飛行竜を扱わないガルトマーン王国では、巨大な非鳥類型竜や、牛馬を輸送や交通手段としているところが多く、旅行者や冒険者はこうして一番早い一角馬を借りて移動する。街道でうっかり魔獣に出くわしてしまっても、気性の荒い一角馬は、その角で突き刺して排除してくれることがあるのだそうだ。

一つ目の町を過ぎ、二つ目の町で早めの昼食をとって、いよいよ火山群へ向かう経路を進む。

中央街道をそのまま行けば、ガルトマーンの北側の海へ出る。火山群へは、中央街道を途中で北東寄りに分岐する荒れた道を進まねばならない。

火山地帯へ向かっても恐れない性格で、暑さに強い種類の馬を所望したら、角はないが、象のように巨大な馬を貸してくれたので、二頭借りて二人ずつ乗ることにした。

地響きがすごいが、意外と小回りが利いて、そこそこ速度もある。遠くの方で草を食べていた動物までもが、物音に驚いて逃げていく。

草木が絶え、周囲が岩だらけになった頃、空もまた曇天となった。

「何か飛来します!」

ヴィントが警告し、ブロンが雷の矢を構える。

見上げると、白い羽根の有翼人が複数人こちらに向かって滑空してくる。

「攻撃しないように!」と二人に言い、象よりも大きな馬から飛行魔法を使って降りる。

ガルトマーン王国の衛生兵の制服を着た、数人がそのまま自分たちの馬の前に降り立つ。

赤く長い髪が印象的な美女を中心に、皆綺麗な女性達だった。

「お久しぶりですね、ソゴゥ」

「おう、グレナダ! それに皆も元気そうだな」

美女達が飛び掛かるようにソゴゥに群がり、猛禽類に襲われている兎のようだと、二人の騎士は焦る。

「ちびコーチ、大きくなられましたね、あの時は子狸くらいでしたのに」

「そんな小さくなかったけどね、あと、なんで子狸に例えた? 似ているからか? 俺、似てないよな?」

「あれから十年ですからね、立派になられて。冒険者として国の依頼で、犯罪者を追ってこられるなんて」

「コーチが探しておられる一行を見付けましたよ!」

有翼人がそれぞれに告げるのを、順番に聞く。

「皆エルフの一団のようです、目の退化した強大な土掻竜に四五人ずつ、十騎に乗った五十人ほどの団体で、皆武装しております」とグレナダが言う。

「円盤状の金属の武器を携帯していなかった?」

「ありましたね、珍しい金属の武器が、あれは人間の作った武器でしょうか?」

「どうだろう、ただ、厄介な武器だよ。追尾機能があって、引力を操作して獲物を引き寄せて裂くようにできている。射程圏内に入らないようにするのが賢明だ」

よく考えれば、あの武器は有翼人を近付けないために作られたような武器だ。

「ところで・・・・・・・」と、有翼人の一人が後ろの三人を見る。

「イセトゥアン様は、同行されていらっしゃらないのでしょうか?」

「ああ、イセトゥアンね、そんな人いたね、ここにはいないけれど」

脳内で、有翼人女子たちに絶大な人気を誇る兄の脹脛にローキックを入れる。

「この煩い鳥たちは何なのだ。道行を邪魔するのであれば燃やすか?」

「いや、どう見ても協力者だろうが。どうしたのお前? 白い翼に対抗意識があるの?」

「えっ」と女子たちがヨルを見て固まっている。凍り付いたように制止した彼女たちに、スパルナ族と悪魔は相性が悪かったのだろうかと、心配になる。

「ちょ、ヤバ」

「マジ、ヤバイ」

よくわからないが、ヤバイらしい。

グレナダが彼女たちを押しのける。

「ソゴゥ、とにかくこの先の噴煙の上がっている火山に、ソゴゥの探している集団が向かっていますよ、追うのですよね? ここからなら、飛んで行った方がいいと思うので、魔力を温存したいのでしたら、私たちが運んでいってもいいのですが、どうすしますか?」

グレナダの提案は、後ろの三人に向けられたものだった。

「我には必要ない」とヨルが黒い翼を広げる。

「ラサーヤナ族の方なのかしら?」

「いや、人に擬態した悪魔だ。あまり近づかないで、はいそこ、不用意に触らない!」

「悪魔だって、かっこいい」と女子たちは種族など気にした様子もなく、積極的にヨルの翼に触ったり、イセトゥアン派と、ヨル派で議論を繰り広げている。

「ブロン、ヴィント、二人はどうしますか? 彼女たちは俺の古い知り合いで、今回協力してくれます。彼女たちに、逃亡犯のところまで運んでもらいますか? 自力で飛行しますか?」

「自力で!」と二人が同時に応える。

「天使に運んでもらうなんて、畏れ多いです」

「いや、スパルナ族の方々であって、天使ではないから」

「女神・・・・・・・」とブロンが呟いている。

「あー、グレナダ、申し出は有難いけれど、皆こんな感じなんで、場所だけ案内してもらえるかな、何とかついて飛んでいくから」

「マスター」

「おい」

「ソ、ソゴゥは我が抱えて連れて行こうか? 有翼人より早く飛べるぞ」

「案内人を抜かしてどうすんの? 人を抱えて飛ぶときって、揚力はどうなってんの? 翼やお腹の下に、体を浮かす風を作って飛んでいるんだよね、鳥って」

「我は鳥ではない」

「聞き捨てならないですね、私達有翼人より早く飛べると? ソゴゥ、私が抱えて飛んであげますよ、私の方がずっと早いですから」とグレナダさんが、腕をとって引き寄せてくる。

「いや、我の方が早いに決まっている」と反対側の腕をとってヨルが引っ張ってくる。

まさに、人間を正しい方へ導かんとする天使と、堕落を唆す悪魔の構図だが、内容はどっちが早く飛べるかだが。

「俺飛べるし、結構早いし、とりあえずあの手前の双子山の右側山頂まで、誰が一番最初に着くか競争する?」と提案してみる。

「ソゴゥに世界を教えてあげましょう!」

「マッ、ソゴゥ、翼ある者の真髄を見せてやろう」

ちょくちょく、マスターと言いそうになる締まらないヨルは置いておき、ブロンとヴィントもまた炯々と目を光らせている。やる気だ。

二頭の馬を、二人の有翼人に任せて、エルフ勢足す悪魔と、グレナダを筆頭に有翼人の女子たちで双子山を目指すことになった。

馬を任せた二人に、飛翔の合図をお願いし、一斉にスタートする。

まあ、反則と言われようが、見える範囲なら瞬間移動ができる俺より早く辿り着く者は、同じ能力を保有する者だけなのだが。

案の定、クレームの嵐だ。

知っていました。だが、俺は言った「誰が一番早く飛んでいけるか」ではなく「誰が一番最初に着くか」と。

ようやく追いついてきたブロンとヴィントが「流石、有翼人の方の本気の飛行は凄まじいですね」と、素直に負けを認めている。

ほぼ同時に到着したヨルとグレナダは、未だに俺に反則だとやり直しを要求してくる。子供か。今はそれどころではない。

ここからなら、ティフォン・トーラスの一団を鳥瞰できると思い、集まってもらったのだ。

「グレナダ、それで一団はどっちだ?」

「あのひと際高いコーナンカインズ火山の左側手前に、噴煙を上げている火山が見えますか?」

「ああ、あそこか。いるいる、間違いない」

顔に「イグドラシルを冒涜しせし者」と印をつけた奴らを含む一団が見えた。

「彼らの目的が、ソゴゥの知らせてきた懸念の通りでしたら、このまま山頂に向かうでしょう。上空から攻撃して、壊滅させますか?」

「いや、彼らが持つ武器と有翼人とは相性が悪い。それに、上空からの攻撃を想定して耐魔法防御が厳重にされているとみるべきだ。俺ならそうする。ここは、俺たちだけで何とか・・・・・・・」

「私たちは、ソゴゥの役に立てることをずっと待っていたのです。貴方が来なければ、私たちはずっと閉じ込められたままだったのですから」

「そうです、あの時のソゴゥは、あんなに小さかったのに、誰よりも頼もしかった。あんなに小さかったのに」

「ね、めっちゃ子供だったよね、すごい小生意気だったけど、賢くて、あんな状況でパニックにもならずに、偉かったよね」

「そういうの、いいから」

耳が赤くなっているのが分かる。

彼女たちの中では、俺はまだあの小さい子供の印象のままなのだろうか、あれから二、三十センチは身長伸びたのに。

褒められているのか、揶揄われているのか分からないが、ともかく戦闘にも協力してくれるというなら、できるだけ彼女たちを危険な目にあわせず、ティフォン・トーラス達を拘束する方法を考えよう。

「わかった、じゃあ、皆協力してくれ」


目的地はすぐそこだ。

聖骸となってなお、その神聖を失わず、エルフを導いてきたイグドラシルに、もはや期待はない。何かに蝕まれ病んだ結果、イグドラシルは、その正しさを失ったのだ。

イグドラシルを正しく管理できなかったエルフにもまた、期待はない。増えすぎた混血を排し、選ばれた正統なる者だけを残すべき時が来たのだ。

この大風の書で、風向きを変えてイグドラムに灰を送り込むことで、弱者は滅び、国家は消滅するかもしれない。だが、そこから純系のエルフだけを残し、正しい国家を再建すればいいのだ。そこにはもはや、イグドラシルはいらない。

エルフ以外をイグドラシルの管理者として選んだ樹霊は、耄碌したのだ。

現第一司書はイグドラシルを穢した。あんな、どこの馬の骨とも分からない男が、あの黒い髪が、黒い瞳が、エルフの代表であって良いはずがない。

そう、あんな耳の丸い、顔だけが先代と似ているあの男が・・・・・・・。

「ソゴゥ・・・・・・・」

「私の名前を憶えていたのですね、ティフォン・トーラス。貴方の目論見は分かっていますよ、これより先へは進ませません」

今まさに考えていた、イグドラシル第一司書が目の前に、二人の男を伴って立ち塞がった。

まさか、たった三人で追って来たというのか。

「イグドラシルの知恵である貴族書を、返していただこう」

「第一司書殿、わざわざこのような場所までご足労いただき恐縮ですが、貴殿のご要望に応えることはできませんね」

「国王と私の許可なく、貴族書の国外持ち出しは、重罪です。それこそ、貴族書の奪還のためなら、持ち出し者の生死が問われないほどに」

「あはははは、面白い忠告をなさる。これはもはや戦争、互いに命を乞う間柄ではないと思っておりましたが、それに、たった三人で何ができるのでしょうか? 見たところ王宮騎士、ああ、ひとりはヴィントではないですか、身内の不祥事に駆り出されましたか? 今からでも、私のもとに下って良いのですよ、貴方も正当なエルフ、トーラス家の者なのですから歓迎しましょう。生きていてよいのは、濁りのないエルフの血を持つ者だけ。そこにいる、人間モドキがレベル7など、この世の終焉が近い証拠です」

騎士の一人が小声で、隣のヴィントに「お前の身内、なにかカルトの教祖みたいなこと言いだしているぞ」と耳打ちする。

「お恥ずかしい限りです」とヴィントが応える。

「聞こえていますよ」

風を操って、どんな会話も拾うことが出来る。

「三人まとめて、あの火山の噴火口からその死体を投げ入れて進ぜよう」

第一司書が、魔導書を片手にこちらへと歩み出る。

「そうですか、ならば、思う存分殺し合うとしましょう。とはいえ、これから行われるのは一方的な殺戮となりますが、ご容赦いただきたい」

魔導書を広げると、空にいくつもの赤い魔法円が浮かび上がった。

こちらも武器を構え、魔法弾の詠唱を一斉に始めるが、それより早くいくつもの円から、黒い炎を纏った悪魔たちが顕現した。

「一度に、何体もの悪魔を召喚したのか!」

中でも、ひと際大きく男性体の悪魔の威圧は凄まじく、詠唱中の魔法を無効化し、土掻竜の制御を失わせた。

「地獄の門を開け」と第一司書が悪魔に命じる。

『〇×?◇&%(The Gates of Hell)!』

悪魔の声と共に、大地が揺れ、地面から巨大な人骨に似た躯が這い出して、荘厳で醜悪な門扉へと姿を変えた。

背後では、ここへ伴ってきた者達の悲鳴が響き、左右にいた護衛の者までが断続的に奇声を喉から発している。

大地を削るように、その扉が開かれる。

「何をしているお前たち、攻撃をやめるな! 破壊しろ!」

大風の書を取り出し、開こうとしたまさにその瞬間、何かが身体に纏わりついて身動きがとれず、門へと引き寄せられていく。

大地から突き出した門の向こうには、暗闇が口を開けている。

「やめろ、やめろ! おい、私を誰だと思っている! こんな事、許されるものか!」

門の横に立ち、こちらを見ている第一司書と目が合う。

「おい! やめさせろ! 今すぐにだ!!」

「なに、寂しがることはない。すぐに、ここにいる全員を、そちらに送ってやろう。煉獄の炎に焼かれ続けるがいい」と赤い目をした悪魔が答える。

「だそうですよ」と第一司書が微笑む。

「うわあああああああああ、いやだ! 助けろ! 助け・・・・・・・」

地面に爪を立て抗うも、抵抗虚しく、ティフォンの姿は扉の中へと消えていった。

ティフォン・トーラスを飲み込むと扉が閉まり、門扉が地面に埋まっていく。

その場には、土塊だけが残った。


「さて、皆さん、首魁は御覧の通り地獄へ送らせていただきましたが、他に希望者はいらっしゃいますか?」

皆の視線がソゴゥに集まる。凍り付いたように、誰も身動ぎすらせず、息を殺している。

「降伏するというのであれば、地獄行きは免除して差し上げましょう。今すぐ武器を捨て、土掻竜から降りて、両掌を地面についてください」

上空からの複数体の悪魔によるプレッシャーも相まって、ティフォンの部隊は我先にと転がるように土掻竜から飛び降りて、地に這いつくばった。

一人残らず戦いを放棄したのを見やって、どうやって拘束するか思案していると、「面倒くさいので、全員眠らせてしまいましょう」とグレナダ申し出る。

「ソゴゥ達は耳を塞いでいてください」

グラナダの歌唱による催眠魔法により、眠りに落ちた一団を拘束する。

「彼らは、ガルトマーン王国で身柄を拘束してもらって、この後イグドラムから来る刑事部の者達に引き渡してもらうとして、あいつは俺たちで連れて帰るか?」

ソゴゥは上空を見上げ、二人の有翼人に拘束されたティフォン・トーラスを地上に連れてくるように合図した。

ソゴゥの能力を使って、ティフォンを大袈裟な地獄の門の立体映像の裏に引き込んだ際、ティフォンの部隊の者達から死角となる上空に待機させていた有翼人のもとに、瞬間移動させていたのだった。

「この偽エルフが! こんな外連で我らを謀るとは! 恥を知れ!」

目の前に降りてくるなり、吠え出したティフォンにヨルが近寄る。

「マスター、こいつは殺しておこう。主に我の心の平和のために」

ヨルがティフォンの頭を鷲掴みにする。

「我はまやかしなどではないぞ、心優しいマスターの気遣いを貶す毒虫は駆除してやろう」

「あはははは、バカども! 私の勝ちだ!」

突如、高笑いを始めたティフォンが「大風よ!」と叫ぶ。

手には開いた状態の大風の書があり、トーラス家の者であれば発動が可能な大気流の永続発生魔法を唱えていた。

ソゴゥは徐に、大風の書を横から奪い、ティフォンの頭を叩いた。

「痛ッ!」

「痛ッ、じゃねえよ、バカが。ああ、疲れた、本も回収できたし、撤収!」

「なっ、何故魔法が発動しない! 偽物だったのか?」

「国外に持ち出し瞬間、所有権はトーラス家から、イグドラシルに返還されているつーの。トーラス家の者がいくら詠唱を行ったところで、応えはしないんだよ。貴族のくせにそんなことも知らなかったのか? 勉強不足だな、おい、俺たちが追ってきたのは、ただ、本を回収するためだけだ。お前の目論見など、端から成功する可能性はなかったんだよ。まったく、お前のようなおバカさんに付き合わされた、こっちの身にもなれよ」

「何という口の利き方、それが第一司書の有り様か!」

「お前に敬意を払っていないだけだ。お前も、俺にムカついていたんだろ、この髪が黒く、この瞳が黒く、この耳が丸いのが気に喰わなかったのだろう」と言うそばから、ソゴゥの髪は白銀に、瞳は亜透明の黄緑に、耳は尖りエルフのそれとなった。

「なっ、どういう・・・・・・・」

「俺の両親はエルフだ、父親はカデン・ノディマー伯爵、ちなみに母さんはヒャッカと言う。あんたが、誘拐を教唆して抹殺しようとしたレベル6の兄弟たちの末っ子が俺。俺だけ、髪色が違っていたから、兄弟と思われていなかったようだけれどな」

「なっ、お前がヒャッカ様の息子だというのか」

「あんた、屋敷に母さんの肖像画風のステンドグラス飾っておいて、俺の顔に気付かないなんて、その目は節穴か?」

「えっ、えっ、という事はイセトゥアン隊長も前大司書様のご子息なのですか⁉」

ブロンとヴィントの方がティフォンより反応している。

「歴代のレベル6の子供たちは、誘拐されて不幸な目にあっているからね、大人になるまではと、公にされてこなかったんだよ。だから、末っ子の俺も血縁者とばれないように髪色を変えていたんだ(ウソ)」

「なるほど、似ていらっしゃるとは思っていたのですが、そういう理由でソゴゥ様は人間に寄せていらしたんですね」

ヴィントが真に受けて、納得する。

「聖女様に、カデンのような害虫の産ませた子など必要ない。『災』の餌になればいいと、スパルナ族にお前たちの存在を教えてやったのに、結局十年前はオスティオスの奴に邪魔されたがな。どのガキもしぶとく、国家中枢に食い込む浅ましさよ、だが、やはり私の勝ちだ、『災』は解き放たれた」

グレナダと有翼人たちが反応する。

「グレナダ、あの魔獣は数年前にこの地から移動したんだったよな?」

ソゴゥは、ティフォンの目的を二つ推測していたが、その一つが、この地に留まっていた黒い体躯に幾何学模様の緑の光を放っていた、あ虫のような姿の、魔獣への干渉だった。

「十年前のあの事件以降、魔獣のいた洞窟は国の監視下に置かれて観測され続けていましたけれど、二年ほど前に、魔獣は突如姿を消しています」

「ティフォン、あんたは『災』をどこで見た?」 

ティフォンは嫌な笑みを浮かべるだけで、ソゴゥの質問に答えない。

「ソゴゥ、魔獣の消えた後には、巨大な穴を掘り進んで移動していた痕跡がありました。移動先は、ウィドラ連邦国の方向です」

「第五指定図書、イグドラシルの図書館建造時に使用された工法や、大規模な工事魔法について記された書籍、あんなものをどう利用するのかと考えていたが、深い竪穴を掘削するために利用したのか」

「さすが第一司書殿、ご明察ですよ。もとより、ガルトマーン王国へ侵入するための経路として、地中深くに潜る穴を掘る必要があったわけですが、横穴は『災』が掘り進めてきたものをそのまま利用してこの地にやって来たわけです。『災』は地中にいる間は、星の気脈に取り付き、地表へ出れば生き物を貪り始める、ふふ、ああ、これからこの大陸はの生き物は悉く、災の餌だ!」

「うるせえよ、幼稚な事を喚くな。ウィドラ連邦国のガルトマーン王国国境付近、お前たちが昨日までいた場所だな、そこに災がいたという事か」

幼稚と言われたことに腹を立てて黙るティフォンの顔を、ヨルが掴む。

捕まれたこめかみから、頭蓋骨に穴が開くかと思うほどの締め付けに、堪らずティフォンは上ずった声で答える。

「ああ、いた、いたんだ。我々が掘った竪穴の奥に! ウィドラ連邦国の側だ」

「太歳は物質的な質量を持った、星に取り付くウィルスのようなものだ」とヨルが言い、さらに「太歳が地上に出たのであれば、その男の言う通り、未曾有の災害を齎すであろう。これから死する生物の数だけ、この男を殺し続けることもできるが、どうする?」と物騒な提案をしてくる。

「私も賛成です」

グレナダが怒りに燃えた目を、ティフォンに向ける。

「二人とも落ち着いて。まずは、ガルトマーン国王に報告した方がいい、同時に事実確認を行い、各国に対策を講じさせるために周知する」ソゴゥは言いながら、手紙を数通書いて、白い鳥を飛ばす。

「ティフォン、お前は、俺たちを災のもとへ案内してもらう」

ソゴゥは言い、土掻竜にティフォンを乗せた。

「我々も同行します」とブロンとヴィント、それにヨルが同乗する。

「私も行きます」

グレナダは他の有翼人に、このことの報告と、ティフォンの部隊の者達の身柄を任せる。

土掻竜上では、ソゴゥがイグドラシルの蔵書から「太歳」について記されているものを見つけ、その本の情報を呼び出して確認を始めていた。

ブロンが四肢を拘束されたティフォンを押さえ込みながら、太歳のもとへ案内するよう、促し、その横でヨルが脅しをかけていた。

「誤った道に進んだ時点で、四肢から順に腐食の炎で燃やしていくぞ」

ヴィントとグレナダがソゴゥを落ちないように支え、土掻竜はその大きさからは想像できない速さで大地を蹴って走り出した。


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