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4.モフモフと悪魔と朝ごはん

陽が沈む三十分前に、司書は館内にいる客に図書館からの退出を促す。エントランスホールを含む一般公開図書の区画は、何処に何人いるか分かるようになっていて、図書館職員と、入館した客が全て退出すると正面口は閉じられる。

図書館が閉館すると、八人いるレベル5がエントランスホールに全て集まり、一日の締めの申し送り事項などが行われ、閉館業務が完了すると、レベル3から4の司書は、自宅かもしくはイグドラシルの外にある寮へと帰っていく。

レベル5が集まる中へ、館長であるソゴゥが顔を見せる。

「館長、お出掛けですか?」

公式な場で着用する司書の制服を着たソゴゥを見て、レベル5で一番若い司書が声を掛ける。

「ああ、回収だ」

「十二貴族ですね」

「まったく、おかげで私が出張ることになった。アベリア、後のことは任せるぞ」

ソゴゥの一年後にレベル5として司書に就任したアベリアは、一番若いレベル5でも百歳以上年が離れている部下の中で、唯一気を使わないですむ部下だった。

「はい、かしこまりました」

母の引退と共に、司書長だったジャカランダも引退し、レベル5は八人のまま。彼らは皆、アベリアを除きソゴゥの教育や修行に携わり、その成長を目の当たりにしてきたため、ソゴゥをそれなりに認めている。だが、図書館職員やレベル3から4の中には、レベル7というだけで、盲目的に信仰対象のように崇める者もいれば、ただ運がいいだけだと認めていな者もいた。

ソゴゥはこの二年、館長として認められるよう、その行動や言動が規範となるよう、自分を厳しく律してきた。

館長に就任してから、誰かに頼るということも、笑ったり雑談したりする姿も、誰も見たことがない。

暴風の吹き荒れる荒涼とした大地に、何にも縋らずに立ち続けるようなその頑なさに、多くのレベル5の重鎮たちは、危うさを感じていた。

それでも誰にも弱みを見せたくないと、ソゴゥが望むのなら彼の成長を見守るしかないと。だが、いつも待っている。助けてほしいと、その手が伸ばされることを。

ただ一人、この図書館で初代が着た暗緑色の司書服に同色の踝まであるマントを翻し、颯爽とイグドラシルを後にする。

十二貴族は国内の各拠点を治め、その城はこの王都である首都セイヴ以外にあるが、登城する際の屋敷を首都にそれぞれ構えている。

図書館にほど近い場所に、十二貴族の一つ、トーラス家の屋敷がある。雄牛の意匠の門扉の向こう、煌々と灯の漏れる窓から、主人の在宅を窺わせる。

この国で、十二貴族に予約なしで訪問できる者は王族と、レベル5以上の司書だけとなっている。各省庁の上層部ですら、許されない行為である。

屋敷の者に来訪を告げ、程なく門が開かれる。

「用向きは、第五指定図書の返却です。ここで待っていますので、速やかにお持ちいただきたい」

さっさと本を回収して帰りたいため、屋敷の中へ入るのを厭い玄関ホールで使用人にそう告げる。

「主人より、ご案内するように仰せつかっておりますので、どうぞこちらへ」と言う使用人と、何度か押し問答を繰り返し、結局埒が明かないとソゴゥは内心舌打ちをしたい気持ちを抑え、使用人の後に従う。

案内されたのは、礼拝堂のような食堂だった。

床も壁も白く、白い長テーブルに、白い椅子、テーブルの上に等間隔に置かれた燭台、白いテーブルの中央にあるテーブルランナーの深い赤色がやたら目立つ。

また、この部屋を礼拝堂のように見せている原因の一つが、壁の高い位置に填め込まれた、採光用のステンドグラスだ。ただ、その意匠はエルフが信仰する世界樹ではなく、エルフらしい白く長い豊かな髪に、慈愛に満ちた透き通るオリーブ色の瞳、そしてボルドー色の服を纏っている聖母のような女性のものだった。

エルフ第一主義で、他民族の国内からの排斥を王へ進言したティフォン・トーラスが「これはこれは、第一司書殿」と両手を広げ、腰を折って挨拶をする。

「挨拶は結構です。私の来訪は、イグドラシルの知識の回収にほかならない。今日が期限だったことをお忘れですか?」

「まさか、とんでもない。ただ、私は急遽、明日に領地へ戻らねばならなくなり、その支度に追われておりまして。まさか、指定図書を使用人に持たせるわけにもいかず、このように司書様自らにご足労いただき、恐悦至極に存じている次第でして。どうぞ、お掛けになってください。せめて、晩餐に招待したく、我が家の料理人の腕を確かめて頂けないでしょうか」

「いえ、そのような気遣いは結構」

ソゴゥが席に着かないことにも頓着せず、ティフォンは使用人に晩餐の支度をさせ始めた。

終始にこやかな微笑みを浮かべ、金色の長く伸びた髪のひと房を指に絡ませながら、どうでもいい話を延々と聞かされて、ソゴゥは何度も男の胸倉をつかんで、「いいから本を返しやがれ」と脳内で繰り返していた。

言葉は丁寧だが、男の目は他民族を侮蔑するような色が隠せていない。ソゴゥの見た目は人間そのもので、背もエルフの成人男性としては低く、辛うじて平均的な女性の身長よりは高いといったところだ。髪も、黒というエルフではありえない色であり、また、王侯貴族や、司書のほとんどが正装と言うべき長髪に対し、庶民や軍部が好むような短髪であった。

第一司書の長衣は、それそのものが崇拝される尊いもので、それを見かけただけで知恵の精霊に祝福を受けているかのような、高揚感を齎すものだ。それを、このエルフの特徴のない、まだ年若い、エルフからしたらまだ幼年期に入る男が身に着けていることが、ティフォンには許せないのだろうと想像できる。

たっぷり二時間かけて食事を終え、やっとのことでソゴゥのもとに、例の本が持ってこられた。ソゴゥは食事や飲み物に一切口を付けることなく、椅子にさえ座らずに、その時間を過ごしていた。

「お待たせいたしました」

本当にな、とソゴゥは思考に留める。

「長らくお借りしておりました、これで返却は完了ですね」

「ああ、少しお待ちください」とソゴゥは返却された本を手に取り、司書がもつガイドと呼ばれる携帯していた魔法書に手を当てて半眼で何事かを呟くと、本が呼応する様に光った。

「確かに、これはお貸ししていた物です。では、私はこれで」

「図書館まで、馬車でお送りいたしますよ」

「いえ、不要です」とソゴゥは振り返らずに食堂を後にする。

屋敷を出ると、やっと息が吸えたと言わんばかりに深呼吸をする。

図書館へ続く真っ直ぐな街道に、幹が淡く発光する街路樹が等間隔に植えられている。ソゴゥはその間を通り、帰路を急ぐ。

嫌な予感がする。

あの男の目的はこの本だったのか、それとも別の何かか。

図書館が近くなると、周辺に民家などはなくなり、公園や商業施設だけとなるが、それも夜は無人になる。

夜になると、イグドラシルが昼間放出していた魔力を吸収しだすからだ。

やはり来たか。

ソゴゥは自分をつけてきた気配が動き出したのを察知して、その最初の攻撃をギリギリで躱すが、追尾するように飛来してきたものが再びソゴゥの方へと向きを変える。

避けたつもりでいたが、気づけばソゴゥは地面に片膝を付いていた。

司書服の腹の部分が裂け、血が滲みだしている。

傷を塞いだり、治癒させたりといった高度な治癒魔法は使えないが、とりあえず腹に手を当てて、止血を行うと、ソゴゥは高く跳躍して、自分を襲ったものの正体を確認する。

見たこともない武器だった。銀色の刃のついた円盤状のものが高速で回転しながら、二機が交差するように飛び交っている。

その超高速で回転する磁気を帯びた武器により、場の重力が武器の方へ傾き、避けたつもりで引き寄せられていたのだと、ソゴゥは瞬時に解析する。

エルフの魔術によるものではない。あれは、他国の技術によって作られた武器だ。

第二貴族のトーラスが他国と繋がっていたのか・・・・・・・。

ティフォン・トーラスは、トーラス家の当主ではない。当主の叔父にあたり、後見人としての役割を担っていたはずだ。

このタイミングで襲ってきた者が、トーラスと無関係であるわけがない。恐らく、一度返しておいて、この本を再び手にするつもりなのだろう。

ソゴゥは、帯電した武器に火球をぶつけ、その後、冷却の魔法で凍り付かせた。うまく磁気が消えたようで、円盤はただの二つの鉄の塊となって転がった。

顔を隠した十数人の男たちが武器を持って飛び出してきたのを見るや、ソゴゥはガイドを開き「印を」と、唱える。これで、男たちの顔には、隠していても「イグドラシルを冒涜しせし者」と刻印され、その心根が改まらない限り、何をしても消えることはない。

彼らは自分たちがされたことに気付かずに、ソゴゥに襲い掛かる。

ソゴゥは彼らを手玉に取り、圧倒的な実力差をみせつけると、襲ってきた者たちは、今度は拘束されまいとして、見切りをつけて撤退した。

ソゴゥも彼らを追うことはしない。本をイグドラシルに持ち帰ることが最優先であるためではあるが、これ以上彼らに構うだけの余裕がなかった。

灯の消えたイグドラシルに戻る。

レベル5の八人も、それぞれの住居となる第五区画の自室に戻っているのだろう。

閑散として静まり返った巨大な建物に辿り着き、レベル7のみが立ち入りを許された、第七区画へ急ぐ。部屋には、傷を治すことのできる治癒の魔術書がある。

もはや、医者へ駆け込むよりも内臓まで達したこの傷を治すには、その方が確実だと判断しての帰宅だったが、脂汗が滲む全身と、霞んでくる目。意識までもが朦朧とし始めた。

壁に手を付きながらも何とか歩き、禁書庫の書架に肩をぶつけ、うっかり意識を失いそうになるのを、気力を奮い立たせて堪える。

さっきから意識は「ヤベー」が無限ループしている。

エルフでもたちどころに傷が癒えるような治癒魔法を使えるのは、治癒専門の魔導士と、オスティオス園長のような高位の一部の魔導士だけで、通常の医者の治療においては前世の技術や薬品の方がずっと優秀だった。

自室まであと少しというところで、何かに蹴躓きソゴゥは絨毯張りの床に両手をついた。足を掬ったのは、分厚い魔法書のようだ。先ほど、書架にぶつかった時に落としてしまったものだろう。ソゴゥは本を拾いあげようとして失敗して、床にとり落とした。

めくれ上がったページに手が触れ、そこが赤く汚れたことに気付き、ソゴゥは悲鳴を上げそうになった。

しまった、俺の血で手が汚れていたのか・・・・・・・。

そんな事にも気が回らないでいた。

一人で戦うことの限界を感じる。とは言え、レベル7と同等に戦える者はそうはいない。もしも、他の司書と共闘して、その者が人質になった際、イグドラシルの世界を破滅に追いやるような重要書籍と、その人質どちらかを選べと言われたら、自分はどちらも選ぶことが出来ないだろう。

だから、一人で戦うことにした。

その方が、ずっと心が楽だからだ。

十年前、誘拐された兄弟たちを目の当たりにした時、誰かを選び、誰かを犠牲にしなくてはならない状況だったらと、考えたことがある。

どんなに悩んでも、結論は出なかった。

俺は弱い。

イグドラシルの大切な知識を、俺の血で汚してしまった・・・・・・・。

開いた本の上に、小さな太陽のように高エネルギーの塊が出現し、水面に一滴の雫が落ちて波紋が広がるように、光が帯状になって拡散し、円の形で定着した。

円に赤い光の字が浮かび、照度を上げて、その中央に宇宙の暗がりに似た闇が口を開く。

そこから、雷鳴に似た轟音を轟かせ、狭い門を潜るように巨大な悪魔が顕現した。

『我を呼んだのは貴様か』

「嘘だろ・・・・・・・」

それ、俺がやりたかったやつ・・・・・・・。

ソゴゥはその黒い炎を纏った悪魔に多大な嫉妬を覚えながら、そこで意識を失った。


目の前の、見た目は人間だがエルフの匂いがする男が、自分を召喚したのは間違いないが、自分を見るなり意識を失ってしまった。

男の腹からは血が染み出しており、何か深い傷を負っている様だ。

とりあえず面だけでも見ておこうと、髪を掴もうとして手を伸ばすと、何かに腕をバシリと叩かれた。

『なんだお前たちは』

見たこともない動物が、腕を何度も叩いてくる。

大きさは小熊くらいで、二足歩行をしており尻尾が体と同じくらいの長さのある、全体的に焦げ茶色の猫のような顔をした動物が何処からともなく、わらわらと集まってきた。

大きな一匹が、小さな一匹を抱え上げ、男の方を顎でしゃくる。

『この男を持ち上げろということか? なぜ我が』

小さい方の一匹が、悪魔の脛を蹴る。いいから、やれ、と言わんばかりだ。

しょうがなく持ち上げようと腕を伸ばすと、再び脛を蹴られた。

獣は両腕を上げ、出ていた爪をシュッと引っ込めて見せた。

『グッ、我に爪を引っ込めろと言っているのか、小賢しいタヌキどもめ』

何を言っているか分からないが、タヌキではないと不満の声があちこちで上がる。

渋々自慢の長い爪を引っ込めると、やっと男に触れることが許され、それを抱え上げ、タヌキモドキの先導に従い奥の部屋へと移動する。

テラリウムのような植物と書物が混然となった、ガラス天井の部屋の中で、天井部に近い高い所に、人の寝床のような場所を見つけそこに男を下す。

あとは邪魔だと言わんばかりに、隅に押しのけられ、タヌキモドキが男の服を剥いで、傷を器用に濡れた布で清めると、治癒魔法と思われる、丸くて白い泡のような光が、どんどん傷に吸い込まれていく。

ひとしきり治療が済んだのか、今度は、そんな所でボサッとしているなと言わんばかりに、手招きされ、寝床へ入ろうとして巨大な黒い翼が引っ掛かったのを見て、タヌキモドキに舌打ちをされる。

渋々自慢の黒い翼を体に収納し、獣の側に行くと、今度は包帯を巻くから、男の身体を支えておけと言うようなことが、ジェスチャーで伝えられる。

何匹かの共同作業で包帯が巻き終わると、寝間着に着替えさせるのを手伝わされ、やっと男を横たわらせて、布団を掛けて落ち着くと、今度はタヌキモドキたちは、破れた男の服を繕い始めた。

『なんなんだこいつらは。男の召喚獣か』

それにしては、自分たちの意思で行動して、魔法も使っている。それに、あんな肉球のある猫のような手で、やたら器用だ。

ここは我が知っている世界ではないのか・・・・・・・。

こんな動物や魔獣は見たことがない。

数えると七匹いた。個体ごとにそれぞれ性格があるようだが、鼻の下に髭のような茶色が濃い部分があるものが、その場を仕切っているようだった。

見ているうちに、毛皮に触りたくなって手を伸ばすと、叩かれた。

やがて、服の修繕を終えると、小さな三匹は男の周囲で丸くなって眠り、他の四匹は用が済んだとばかりに、部屋の明かりを消して出ていった。

この部屋に、己が体は合っていないと感じ、窮屈さを解消するため人へ擬態する。

することもなく、天井から見える星空を見上げる。鮮やかではっきりとした光の瞬き、無限に広がる空、澄み切った空気。

ここはとても息がしやすい。

ずっと水中から水面を見上げるような、視界の利かない、息苦しい場所にいた。

意識が浮上するたびに、狂わないよう、自分で自分を破壊し、バラバラにして沈める。それが、永遠に続くと思っていた。

永遠は終わり、光の中へ引き上げられて今がある。

正気でいることを許される世界で、こうして肉体を持って、光と空気と温度を感じて、存在することが、己に許されるのだろうか。

男と三匹の寝息を聞きながら、空が白むまで見上げていたら、ドアから昨日の四匹が入ってきて、一段低い部屋の中央にある長いテーブルを清めだし、白い布を敷いて皿やスプーンやホークを並べ、奥のキッチンスペースで調理を始め出した。やがて、パンの焼ける匂いと、スープの匂いがし始める。

茶の濃淡がトラ模様の一匹が、眠っている男の顔を肉球でポフポフと優しく叩いた。

薄目を開けて、目の前のタヌキモドキを確認し、男は反対側へ寝返りを打つ。

「オレグ、もう少し寝かせて・・・・・・・」

キニュっと、可愛い声で鳴いて、反対側へ回り込みポフポフを再開する。

起きないと駄目だよ、と言っているようだ。

どこか牧歌的で長閑な光景を見ていると、男が唐突に飛び起き、同時に無数のナイフが空中に現れて、こちらに狙いを定めるように刃を向けた。

「誰だ! なぜ俺の部屋にいる!!」

「何を言う、我を呼んだのはお前だろう」と契約の魔導書を男の方へ放る。

「本を投げるな!」と男が慌てて、それを受け取る。

男が魔導書を確認し「ああああ!!」と頭を抱えた。

「嘘だろ、第七指定書、最高ランクの魔導書だ。国を滅ぼすほどの悪魔を一方的に従わせることが出来る禁書中の禁書。こんなものを、勝手に使ったなんてバレたら・・・・・・・なあ、すまん、何とかお帰りいただくことは出来ないだろうか」

「一度、顕現したら、契約者が死ぬまで戻ることは出来ない」

「いや、そこを何とか」

「我にはどうにもできぬ。その魔導書の力の根源は、世界樹の力。その本を燃やしても、もはや理を曲げることは叶わない。諦めて、我のマスターとなるがよい」

「マジか・・・・・・・じゃ、せめて美少女になって出直してきてくれ」

「これでも、かなりエルフに寄せたのだ、これ以上の擬態は出来ない」

男はナイフをすべて下し、今更気づいたように自分の腹の辺りを確認して「傷が痛くない」とこちらを見たから「そこに沢山いる茶色の獣がやったのだ」と教えた。

「そうか、ありがとうな」小さなモフモフにすり寄られ、一匹一匹大事そうに撫でる。

「ジェームス、朝ごはんの支度ありがとう。手紙を一通出したらすぐに朝食にするから、少し待ってくれ」

食事の支度をしていた獣の一匹に、男が呼びかけると、キュッと鳴いて返事をした。

男は驚くほどの速記で何かを書き記すと、紙に魔法を掛ける。白いふっくらした丸い鳥に変化した紙が、窓辺から外へ飛び立つのを見届け「朝食だ、席に着け」とこちらを呼んだ。


やっちまった。

昨日のヤベーの無限ループから一転「やっちまった」がお気に入り検索トップ1から10までを埋め尽くしている。

よりによって、第七指定の禁書を棚から落として、うっかり血の付いた手で触ってしまって、うっかり悪魔を呼び出してしまったなんて、絶対誰にも言えない。

鯖フレークにオーロラソースを加えてディップにしたものを、トーストに塗って焼いたものと、白身魚のフリット、サラダ、トマト的な野菜のスープとミルク。ジェームス達、樹精獣は雑食だが、やはり見た目が猫のようなことも関係してか、魚類が好きなようだ。ジェームス達が当番の日は、だいたい魚になる。

香ばしく焼けたトーストをサクサク齧りながら、目の前の悪魔をどうしたものか頭を悩ませる。

さっさと食べろと、スミスに叱られ、悪魔が恐る恐るスープを口にする。

やはり、血みたいな赤いものが好きなんだろうか。

「お前、名前は?」

「我は、〇▽$%◇だ」

「え? 何て?」

「だから、〇▽$%◇だ」

うん、わからん。

「その高次元の発音を、何とか三次元に落とし込んで表現出来ないのか?」

「我は、『終わらない夜』という意味の名を持つ悪魔だ」

「そうか、いい名前だな、農作物は育たなそうだけれど、睡眠不足は解消されそうだ。ある意味、パリピな響きすらある。終わらない夜さんじゃ長いから、そうだな、ヨルと呼ぶことにするけれどいいか?」

「マスターが決めたのならそれでいい」

「マスターって・・・・・・・、俺は、ソゴゥ。ただし、このイグドラシルの中では館長と呼ぶように、他の者に示しがつかないからな。いいか、ヨル、俺はこのイグドラシルの第一司書、レベル7で館長をしている。この俺が、禁書から誤って悪魔を召喚したなど、あってはならない事なんだ。そこで、ヨル、お前は俺が魔力と引き換えに、俺自らが陣を敷いて召喚したことにする」

「契約の書を介しての召喚ではなく、召喚の儀にて呼ばれたことにするということか」

「そう、あと、ヨルは本の中に還ったりできないのか?」

「本の中に還る?」

「いや、なんか、用事があるときだけ本から出てくる的な便利な仕様だったりしないかなって思ったんだけど、そうじゃない?」

「契約の書は扉に過ぎない。一度通った扉が再び開くのは、マスターの命が尽きて魔力供給が失われた時だけだ」

「じゃあ、本当に死ぬまで主従関係か。あと、マスターじゃなくて、ソゴゥでいいって。まあ、とりあえず俺の落ち度で招いたことだしな、腹を括るか・・・・・・・」

チビの樹精獣の口元のミルクを拭ってやりながら、もう一つの懸念事項について、良案がないか考えていた。

眩しそうに目を細め、周囲を眺めている悪魔に「俺の側にいないといけない、というわけでもない・・・・・・」と言い掛けたところで、食い気味に「物理的に距離を置くことは出来ない」と答えてきた。

「常に魔力の供給が必要ということか?」

「そういうわけではないが、マスター」

「ソゴゥな」

「そ、ソゴゥの命を守るのが我の使命、離れていてはそれが実行できないゆえに、我はソゴゥの側を離れることは出来ない」

「うーん、まあ、悪魔を俺の目の届かないところに野放しにするわけにもいかないし、やっぱりイグドラシルに住むことになるよな。そうすると、レベル5以上の司書資格が必要だけど、悪魔に適性検査を受けさせるわけにもいかないし・・・・・・・」

「昨夜のことがあったのだ、護衛として召喚したと報告すればいい。司書護衛官として王族の許可を得ればいいだろう」

「おお、ダメもとで交渉してみるのもありだな。ダメだった場合は、コウモリか何かに変身して、この部屋の天井にぶら下がっていてもらうしかないな」

「我は吸血鬼ではない」

「そういえば、昨日召喚された時に纏っていた黒い炎はどうしたんだ、人間に擬態した時に消したのか?」

「あれは、世界樹に立ち入った瞬間消された。もう出そうと思っても出ない」

「ああ、そうか・・・・・・・イグドラシルは火気厳禁だからな、火属性魔法は司書ですらこの中で使えないんだった。あと、言っておくが、このイグドラシルの中では司書以外魔法が使えないからな」

「承知した」

「さあ、グズグズしてないでさっさと全部食べろ、ジェームス達の作ったご飯を残すなんて許さないからな」

紅茶を飲みながら、ままごとのようにたどたどしい悪魔の食事を眺めて、ソゴゥは腹の傷や体調を確認する。

どうやら、問題なさそうだ。

ジェームス達、樹精獣がいなかったら本当にやばかったのだろう。そう考えると、ここで自分の配下となる悪魔が召喚されたのは、イグドラシルの采配のように思えなくもない。

まあ、自分の過失の言い訳だが。

こいつが、使える奴ならいいのだが、俺より弱かったら話にならない。

仮にも悪魔なのだから、簡単には死なないと思うが。

小さい樹精獣のハリーとソルトとイーサンが窓辺に止まる王室のロイヤルブルーの鳥を見付けて、キチュッ、キチュッツと鳴いて知らせる。

興奮してはしゃいでいるだけにも見えるが、とても可愛い。

手を伸ばすと、そこへ王家の伝書鳥が納まり手紙へと姿を変える。

ソゴゥは手紙に目を走らせてから立ち上がると「王からの呼び出しだ、直ぐに出る」とジェームス達に伝える。

ソゴゥは返事を書いて、再び白い丸っとした鳥に変えて送り出し、昨夜も着た重要な場での着用を義務付けられた司書服に着替えると、悪魔を振り返った。

立ち上がると、擬態しているとはいえソゴゥより頭一つ大きい。黒い髪、赤い瞳、エルフが横に突き出た尖った耳なのに対し、縦に尖った耳をしている。

王の許可が下りれば、他の司書達には護衛の悪魔として紹介するつもりだから、容姿はこのままでいいだろう。

ただ、服がな・・・・・・・。

ヨルと呼ぶことにした悪魔の格好が問題だった。このまま王城の門扉を一緒に潜ることが出来るほど、俺の心臓は強くない。

ある意味、別の城の王であっておかしくない格好とも言えるだろう。

後々面倒なことにならないよう、面通しはしておいた方がいいが、さてどうするか・・・・・・・。

悩んでいたところに、スミスとナタリーが黒い服を担いでやって来た。

広げてみると、黒い司書服だった。

「初めて見る色だ」

レベル3と4は同じシルバーブルーのデザイン違い、レベル5と6も同じボルドーのデザイン違い、レベル7が暗緑色。レベル3未満はそもそも司書にはなれないため、この三色が司書服の色だ。

ともかく司書服なら、王城を訪ねても問題ないだろう。

「これに着替えたら、直ぐに出るぞ」とヨルに服を渡す。

司書服は、ヨル用に誂えたようにぴったりだった。

イグドラシルの外門の前で、王宮からの迎えの馬車に乗り、イグドラム宮殿へと向かう。正門から入り、王の居城へと向かう途中にある、王に近しい立場の者との会合の際に使用する部屋に通され、王の来訪を待つ。

やがて護衛の騎士を伴って王がやって来た。

「第一司書よ、このような形で許せ」

「お気遣いは不要にございます。御身の安全が第一ですので」

騎士を出入口に立たせ、王が白く曇りのないテーブルの上座に着くと、王に近い順にソゴゥ、ヨルと並んで腰を下ろした。

「では時間もない、早速喫緊の課題について話そう。まずは、今朝報告を受けてすぐに、ティフォン・トーラスについて調べさせた結果、王都内のトーラスの屋敷に、ティフォンが不在であることが確認された。残されていた使用人によると、昨夜のうちに領地に帰ったという。事実確認のためにトーラス家へ問い合わせると、ティフォンの帰省は予定になく、また本人からの連絡もないと言う。それから、昨夜遅くに隣国のウィドラへの国境を超えた団体がある。トーラス家の関連商業団体だ。通行許可証は通常に取得されたもので、登録人数などに問題がないため通行が許可されている。ここまでで、意見はあるか?」

「ティフォン・トーラスは国境を越えたと考えます。トーラス家の十二貴族が所有する、トーラス家貴族書のうち、ティフォンが管理する、『大風の書』が国外に持ち出された可能性があります」

「余もそう考える。ティフォン・トーラスの特殊能力は、記憶の保管。見たものをそのまま記憶することが出来るが、その記憶を脳に完全な状態で留めておけるのは、100時間だそうだが、イグドラシルから奪おうとした第五指定図書の内容を別の媒体に書き写すことが出来ない以上、第五指定図書の内容と『大風の書』を使って、何か事を起こそうとした場合、この100時間内に行われる可能性が高い」

イグドラム指定図書は転写が出来ないなど、三重のセキュリティが掛かっている。

「貴族書が国外に持ち出された場合、その権利は、十二貴族からイグドラシルへ移行します。これは、イグドラシル第一司書である私の案件のようです」

「ティフォン・トーラスの逮捕、拘束は王命で刑事部と軍部に要請する。貴族書の回収は貴殿に任せる。大量の人員を国外に送り出すのには時間がかかる。騎士数名を貴殿に付けるので、別働隊として事に当たってほしい」

「かしこまりました」

「では、直ぐにここへ適任の騎士を呼ぶ。この場を使って作戦を立てるがよい」と言って、王が目を閉じる。

やがて、見慣れたラベンダーアメジストの瞳と、白髪のイセトゥアンの顔に戻る。

「王からの要件は以上だ。久しぶりだな、ソゴゥ。どうだ、俺の影武者ぶりは」

「影武者って言うか、口寄せ? 降霊術? 真似しているのは見た目だけで、実際に喋っているのは王本人だから、似ているも何もないだろ」

イセトゥアンは変身の特殊能力を買われ、王族の影武者を務めたりするが、今日の会議にイセトゥアンを立ち会わせたのはソゴゥの要望でもあった。流石に得体の知れない悪魔を連れて、王に会うわけにはいかないと先の手紙で伝えていたのだ。

「そいつが、召喚した悪魔か」

イセトゥアンが、ソゴゥの横いるヨルに視線を向ける。

「ヨルと呼んでいる。ヨル、こいつは俺の兄のイセトゥアンだ、王宮騎士をしている」

「ヨルとやらよ、これはお前の採用試験でもある。今回の件で、ソゴゥのサポートが上手く出来たなら、ソゴゥの護衛の任を許可すると王は仰っていた。俺から言わせれば、第一はソゴゥの命を守ること、怪我をさせない事、ソゴゥの言うことを聞くこと、それからついでに貴族書を取り戻す手助けをするんだ」

「おい、ついでが一番重要なんだけど」

「我はマスターの命を守るための存在。言われずとも、当然のこと」

「だから、マスターって呼ぶなって言っているだろ、こういった場では館長と言うように」

「承知した」

イセトゥアンに伴って来ていた、護衛役の騎士が、謁見室のドアを開けて、二人の上級宮廷騎士を招き入れた。

一人は砂色の髪を、エルフの騎士がよくやる編み込みにした短髪で、体格がよく、アイスブルーの目つきが鋭い男。もう一人も金髪を同じ編み込みにした短髪で、鮮やかなブルーの瞳には不安と緊張が伺えた。

「王宮騎士団、特務隊第一班、ブロン・サジタリアスです」

「同じく、王宮騎士団、特務隊第一班所属、ヴィント・トーラスです」

「トーラス家の者ですか、この任務がどういうものか理解しているのですね?」とソゴゥがヴィントに尋ねる。

「トーラス家の辱を雪ぐために、全力で任務にあたる所存です」

「ティフォン・トーラスは抹殺しますが、いかがか?」

「は?」

「ティフォン・トーラスの抹殺を想定していなかった、もしくは、殺すことが出来ないと言うのならこの任務は降りたほうが賢明です、どうですか?」

「ティフォン・トーラスは国家の敵、我がトーラス家の敵、私の敵です。貴族書を取り戻すための弊害となるならば、ティフォン・トーラスを倒してみせます」

「交代する気はないという事ですね?」

「はっ! 私をお使いください」

ソゴゥは「では、よろしく頼みます」と二人の騎士に言い、イセトゥアンに目を向けた。

「早速だが、ティフォンが向かったと思われる東のウィドラ連邦国だが、ウィドラは友好国であるため、ティフォン・トーラスの緊急手配と逮捕の協力要請が行われる手筈となっている。もし、ウィドラ連邦国内にティフォンの協力者がいたとしても、潜伏し続けることは困難となるだろう。俺は、ティフォンがウィドラ連邦国に留まる可能性は低いと思う」

イセトゥアンの言葉に、ソゴゥは頷く。

「おそらくそうだろう、とりあえず現時点での、貴族書のありかを、調べよう」と、白いテーブルにガイドを使って地図を投射した。

次に、ガイドの装丁に填め込まれていたカギを抜き取ると、空中へ放り投げて手を伸ばす。青白い光を放ったカギは、槍のように長くなってその手に握られた。

「大風の書よ」と、カギの柄を床に一度突くと、そこを中心として光が円状に広がる。

周囲の者は、気泡のようなものが肌表面を撫でて過ぎていった感覚を覚えた。

やがて、白いテーブルに投射した地図上に、黄金の光が明滅する箇所が、ウィドラ連邦国上に現れた。光はウィドラ連邦国の北側、ガルトマーン王国との国境付近へ移動していた。

「微妙な位置だな」とイセトゥアンが、眉根を寄せる。

「ああ、このままガルトマーン王国へ向かうつもりなんだろうか」

ヴィント・トーラスが緊張した面持ちで「それは難しいと思います」と発言する。

「ウィドラ連邦国の国家元首がナーガ族となってから、二国間の国交が完全に断絶しているため、ウィドラ連邦国からガルトマーン王国への入国に際し、渡航不可状態が続いています。それに、ガルトマーン王国とウィドラ連邦国の国境には大規模な空壁が展開され、ガルトマーン王国側では、等間隔に見張り台が設置されたと聞きます」

「ヴィントの言う通り、ティフォンが万が一何らかの方法でガルトマーン王国へ渡った際、同じルートで追いかけるのは難しいだろう。ウィドラ連邦国ルートは、刑事部か軍部に任せて、ソゴゥ達はガルトマーン王国から追跡してはどうだろうか」とイセトゥアンが提案する。

「飛行竜で公海から回り込んで、ガルトマーン王国主要港まで半日かからないでしょうが、ガルトマーン王国への入国審査に数日かかるのでは」とブロン・サジタリアスが、投射された地図を指して言う。

「イグドラシル第一司書の来訪となれば、かえって動き難くなることが想定されます」

「ああ、それならちょっと思い付いたことがあるので、イセトゥアンの言う通り、ガルトマーン王国経由で貴族書を追うことにしようと思う。その方法について、これから軍部に確認したいことがあるので、騎士の二人にはこれから言う物を用意して、イグドラシルの司書官であるアベリアを尋ねてください」

「承知致しました」と、二人の騎士は余計な事は言わず、やるべき事をするために早急に席を立ち、部屋を退出する。ソゴゥはイセトゥアンに「イセ兄、海軍にいるミッツにこれから末弟が行くって連絡しておいて」と、伝言を頼んでから、首を鳴らして席を立つ。

「わかった。くれぐれも、ガルトマーン王国で暴れるなよ。あの国は国民総兵士と言ってもいい好戦的な種族だ。それに国王は、不死薬を求めて数多の神をなぎ倒して侵攻した神鳥、ガルダの子孫と言われている。王は代々『ガルダ』と名乗っていて、現王もかなり好戦的な人物らしい。くれぐれも、ガルダ王に出くわすことがないようにな」

「おい、変なフラグを立てないでくれよ」

「伝説では、神々でさえ神鳥の侵攻を武力では止めきれず、結局、不死薬を渡して友和を持って止めたとされている(諸説あり)。もし、遭遇した際は、戦闘じゃ勝ち目がないぞ」

「だから、戦わないし、会うつもりもないから!」

部屋を出て、護衛騎士の一人と共に王宮を出るとミツゥコシーのいるセイヴ海軍基地に向かう。

王宮にほど近い位置にある基地正門に、王宮馬車で乗り付けて、外塀の門番を素通りし正面入り口に横付ける。

馬車のステップを降りたところで、首に腕が掛けられる。

ヨルが相手を攻撃する前に「兄だ」とくぐもった声を絞り出さす。

ミツゥコシーの腕に、何度もタップするがなかなか放してくれない。

やっとのことで満足したらしい、ミツゥコシーが「久しいのう、ソゴゥ。背え伸びたんやないか?」と弄ってくる。

「現状維持だよ!」

見上げると、日焼けした顔に、サイドが刈り込まれたちょと悪そうな銀色の短髪。メチャクチャかっこいいと、ソゴゥは立場が無ければ同じ髪型にしたいと思った。

「ミッツ、通信部に連れて行ってくれ。ガルトマーン王国付近の海域を航行している、イグドラム船籍の船がないか知りたいんだ」

「おう、イセ兄の手紙から、そういった要望が来ることが分かっていたからな、すでに手配済みよ。こっちだ」とミツゥコシーが海軍基地を案内する。

塔のような高い建物に入り、通信部の一室に通される。壁一面に近海から遠洋までイグドラムに政治的、気象的影響のある海域が映されていて、風向、波高、船舶を指す光などが変化している。それらは衛星からの情報ではなく、各観測地点からの報告や、定期的な音や光の反射結果、ブイの移動状況をもとに計測され、収集された情報だ。船舶においては、定期報告による位置を反映している。

「海軍司令部広域調査班、中尉ミツゥコシー・ノディマーだ。イグドラシル第一司書殿の要請により、ガルトマーン王国付近の海域を航行している、イグドラム船籍全てを直ちに報告せよ」

ミツゥコシーは専門学部課程経て、その後たった三年で中尉にまで昇任していた。入学と同時に与えられた階級がもともと高かったのもあったが、ミツゥコシーはこの三年でイグドラム排他的経済水域及び、交易路に出没していた海賊を転職させた功績が伝説となっていた。海賊業より儲かると言って、拿捕した海賊たちに道具や技術の提供などの支援を行い、就職先を紹介し、またイグドラムが保証人となって、壊滅的に漁業センスのない魚好きな有翼人の集う国、ガルトマーン王国に出向させて漁をさせているのだ。

「ガルトマーン主要港近海に小型船が二十艘、遠洋に大型の漁船が三隻、うち一隻は明朝に主要港へ帰港予定です」と女性隊員が早速報告する。

「了解した。第一司書殿、次のご指示を」とミツゥコシーが畏まって言う。ソゴゥ以外の他の者には見えてはいないが、目は笑っている。

「その漁船に連絡を取っていただきたい。内容は手紙に記しますので」

「承知いたしました。第一司書殿」と国王に匹敵する権力者の突然の来訪に、緊張で震える声を懸命に制御して隊員が応える。

「私の要件は以上です。ご協力感謝いたします」

ミツゥコシーと共に踵を返し、通信室を出ていくイグドラシルの第一司書の背を、その場の者たちはあからさま過ぎないようにガン見する。イグドラシルからほとんど出ない世界樹の使いである司書、その中でも初代と同等の最高位の司書には、王侯貴族とは別の、崇拝に似た感覚をエルフは覚える。滞在した空気に触れるだけでも、何かしらの御利益的なものがあるのではと、ソワソワするのを互いに悟られぬよう、皆がそれぞれソゴゥが立っていた場所を用もなく、行ったり来たりしていた。

「ミッツ、ありがとう。一瞬で話が済んだ」

「通信部の連中は、もっとソゴゥと話したかったかもしれんがのう、まあ、緊急事態だからしょうがない。俺も別動隊に志願しとる。ソゴゥと一緒がええが、役割があるからのう、側におれん。護衛の悪魔さんよ、ソゴゥを頼むのう」と最後はヨルに話しかけた。

「当然である」とヨルが答える。

「それじゃ、頑張ってこい」と、馬車まで見送りに来たミツゥコシーが、ソゴゥの髪をくしゃくしゃに掻きまぜながら言う。

ソゴゥは頷き、馬車に乗り込むとイグドラシルへ向かうよう伝える。

イグドラシルへ戻ると、指示を出した王宮騎士の二人はまだ来ていなかった。

ソゴゥはイグドラシルに戻るなり、八人のレベル5にソゴゥの執務室へ集まるよう召集を掛けた。三々五々と集まるなか、アベリアは入室するなりヨルに目を止めて「館長、そちらの方はどなたですか?」と尋ねた。

ソゴゥは全員が集まったのを確認し、ヨルを紹介する。

「この者は、私が召喚した悪魔で、ヨルと言う。今後私の周辺警護を任せる予定だ。正式な王の承認を得て、イグドラシルに滞在させるので、覚えておいてもらいたい」

「その黒の司書服はどうされたのですか?」と、ジャカランダの後任で司書長となった、サンダーソニアが質問する。

「樹精獣たちが持って来た」とソゴゥが答えると、皆のヨルを見る目にあった猜疑心が弱まった気がした。

「イグドラシルに滞在とは、館長の私室に滞在するという事ですか?」とアベリアが険しい顔で尋ねる。

「そうだ、他に置いておくのも不安だし、私の目の届くところに居てもらうつもりだが、何か問題か?」

「いえ、そういうわけではないのですが・・・・・・・(館長の部屋、館長の部屋・・・・・・・)」

後半はブツブツと、聞き取れない声でアベリアが何か言っていたが、ソゴゥは己の思考にもぐってしまった彼女をよそに「他に何かこの件で意見がある者はいるか?」と尋ねる。

「現段階では、特に申し上げることはございません」と代表してサンダーソニアが言う。

「では、本題に入る。昨夜、第五指定図書の回収に十二貴族のティフォン・トーラスを尋ねた帰りに何者かの襲撃を受けた。目的はおそらく、私が回収した第五指定図書の奪取と思われる。襲撃が失敗に終わった直後に、首謀者と思われるティフォン・トーラスは、隣国のウィドラ国境を超えている。トーラス家の貴族書でティフォンが管理する、『大風の書』が国外に持ち出されてしまったことが分かっている」

事の重大さを何より理解している司書達から、怒りと、恐怖の気配が漂う。

「私はこれより、ティフォン・トーラスを追い『大風の書』を回収する。イグドラシルはこれより緊急事態とし、指定図書の閲覧と貸し出しを停止し、一部例外を除き、第四階層以上を閉鎖する」と司書達に通達する。

「かしこまりました」と皆の承諾を確認し、ソゴゥはガイドのカギを取り出して、これを本来の槍のような大きさへ戻して手に握る。

「禁書庫閉鎖」と言って、床を突くと、カギを中心に光が周囲に広がっていく。

「私不在の間、イグドラシルのことをお願いします」と皆に伝え、司書長のエルフに向けて「サンダーソニア、後のことはよろしく頼みます」と言った。

「ええ館長、イグドラシルの事はお任せください。館長を襲撃したティフォン・トーラスを私が捕まえて捻り上げて差し上げたいところですが、どうかお気をつけて」

「館長、時間があったらで構いませんので、連絡をお願いします」と一人が発言すると、他にも「私からもお願いします。連絡をいただければ、私たちが安心します」と声があちこちで上がる。

「ああ、わかった。だが期待はしないでくれ」とソゴゥが応える。

執務室の扉がノックされ、シルバーブルーの司書服の者が「館長、王宮騎士の方がお見えです」と報告する。

「わかった、応接室に案内してくれ、直ぐ行く」と応え、ソゴゥはレベル5との打合せを終えて、ヨルを伴い執務室を後にする。

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