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2.エルフの国と生贄の山

素剛は、ソゴゥになった。

ファミリーネームはない。児童養護施設的なところで育ったからだ。それと、悪魔にはならなかった。まさかのエルフになっていた。

ソゴゥは今、十歳になると与えられる一人部屋の中で感動に打ち震えていた。

「一人部屋なんていらなくね? 二人部屋でいいじゃん。お兄ちゃんと寝る前にお話しできなくて寂しくね?」と肩を組んでくる、ヨドゥバシー十一歳。

「ふざけんな、お前が十歳の時に一人部屋に移らなかったせいで、一年遅れたんだろ」

「いやいや、俺が移ったら、別の大部屋の小さい子の面倒を見させられるところだったんだぞ、むしろ感謝してほしいね。それに、ニトゥリーとミトゥコッシーはあいつら十三歳だけど、いまだに二人部屋じゃん」

「あいつら、明らかに双子だからな」

「俺たちだって兄弟だろ、顔すげえ似ているし」

「ああ、それ今だけな、そのうち成長すると全然似てなくなるから」

「何でそんなこと言うんだよ、兄弟だって思っているのに」

「いや、兄弟で合っているよ」

「え?」

「マジで兄弟なんだよ、俺とお前。あと、ニトゥリーとミトゥコッシーと、イセトゥアンは」

「ソゴゥ、お前」

何故か、目を潤ませて両手を握ってくるヨドゥバシー。手汗が気持悪い。

この児童養護施設「高貴なる子らの園」に赤子の時にバラバラに預けられた俺たちは、赤の他人ということになっている。だが、俺が前世の記憶を思い出す前から、兄弟五人は割といつも固まっていた。顔や雰囲気が似ていたのもあるが、なんとなく居心地がよかったからだ。そして、この世界でも俺たちはどうやら本当に兄弟らしい。

それは、たまに来る貴族の親切なおじさん、カデン・ノディマーの態度で分かった。

きっかけは幼い頃、園長のオスティオスさんが俺を、高い高いって、両手で持ち上げて、俺が、きゃきゃと喜んでいるのを、血涙を流して、ハンカチを千切れんばかりに嚙んで柱の陰から見ているカデンを見つけた時だ。

その後も、他の子たちと同じように接しているようで、明らかに俺たち兄弟五人と接するとき不自然だったこと、それにカデンと俺を除く兄弟の四人は、髪の色や目の色が同系色だったことなど。エルフでは珍しくない白髪に、紫の虹彩。色の強弱はあるが、四人はこの系統の色で、俺だけが何故か、黒髪、黒目の前世のビジュアルのまま、耳さえエルフの尖った特徴を持たず、人間のように丸かった。

一度人間を疑われて、エルフか人間かを調べられたことがある。

安心してください。エルフですよ。

よかった。兄弟の中で俺だけ早死にはごめんだからな。

長男のイセトゥアンから、色をだんだん濃くした最終形が、俺。ということかもしれない。

イセトゥアンは寝ていると「ウサギが枕の上にのっていますけど、フン大丈夫ですか?」みたいに真っ白な髪に、薄いラベンダーアメジストの虹彩。次男のニトゥリーは白銀の髪に、アメジストカラーの虹彩、三男ミトゥコッシーは銀色の髪に、ニトゥリーよりやや濃いアメジストカラーの虹彩、四男ヨドゥバシーは、鈍色の髪に、深紫色の虹彩。そして俺。

どう見てもただの黒髪に、ただの黒い虹彩。

灰色に近い黒髪でなく、陽に透ければ赤みを帯びるし、虹彩も紫よりの黒である至極色、ではなく、暗い焦げ茶だ。日本人のど真ん中を行く特徴。それが、今生の俺。

多分母さんが、黒か茶系統の髪と瞳をしているんだろうな。母さんまだ、会っていないけど。

エルフの寿命は長い。だから、いつか会えると思っているし、それほど焦っていない。

父、カデンの様子から、生きているだろうことはわかる。

今は、たぶん何かの事情で会えないだけで、それは、俺たちがもう少し成長しないと解消しない事情なのかもしれない、と思うことにしている。

開け放ったドアから、俺たちを見つけてイセトゥアン十四歳(まだ成長期前の俺と同じく、子供の雰囲気を残している)が、「おっ、ソゴゥ今日から一人部屋?」と入ってくる。

「おう、イセ兄、俺もついに一国一部屋の主だ。今日から、この部屋を好きなように、色々とカスタマイズするんだ」

「考え直せよ~、お兄ちゃんが寂しいって言ってるだろ~」

前世では全く兄貴ぶらなかった淀波志だったが、ヨドゥバシーとなった彼はやたらと兄弟を主張してくる。この環境のせいだろう。本当の肉親というものを、切望しているのだ。

事情があるとはいえ、両親の罪は重いな。

「ヨドの言う通りだ。最初はいいんだが、やはり一人はつまらないもんだよ。ニッチとミッツが羨ましくなってきた。どうだヨド、俺と一緒の部屋にするか?」

「え、ヤダ」

「え」

ヨドゥバシーが俺の後ろに隠れる。

「イセ兄さんといるとさ、夜、出るじゃん」

「え?」

「俺、まだ死にたくねえもん」

「イセ兄の部屋、幽霊でも出るの?」

「もっとおっかねえもんが、イセ兄さんの部屋の前の廊下に出るんだよ」

「何それ、俺知らないんだけど」とイセトゥアンが不安げに眉を寄せてヨドゥバシーを見る。

「その点、ソゴゥは無敵だしな。この間のあいつらを追っ払った手腕。俺には決して真似できないけど、尊敬はしている」

「だから、俺の部屋の前に、何が出るんだよ」

「俺、何か追っ払ったっけ?」

「『ここは男子棟だぞブスども。何を見ても、何をされても文句を言えない立場だが、俺に何をされたい?』って、女子棟から抜け出して、イセ兄さんの部屋の中の様子をうかがっていた女子数名の前に真っ裸で現れ、一瞬でその場を阿鼻叫喚の地獄に変えて追っ払ったのは、三日前の出来事だったな」と遠い目のヨドゥバシー。

人を変態みたいに言うが、風呂帰りで腰に巻いていたバスタオルが偶然はだけただけだ。

「お前は、部屋でパンイチで寛いでいたりするだろ」とソゴゥ。

「俺は、廊下ではきちんと服を着ていますう。だから、脱衣所出たら、服を着るように毎回言っていたのに。女の子たちの心に深い傷を残してしまったな」

「俺が悪いみたいに言うなし」

『いや、お前が悪いよ』

兄二人の声が重なる。

解せぬ。きっとニッチとミッツなら、俺の言い分をわかってくれたはず。

俺は二人を部屋から追い出して、引っ越しの続きを行うことにした。

服やら、本やらをせっせとクローゼットやラックに詰める。

前世より豪華な服、豪華な部屋。

それでも、母のいたあの家の方がずっといい。

俺が前世の記憶を思い出したのは、六歳くらいの頃、四年前だ。

エルフの子供は大体そのぐらいの年齢になると、今まで呼吸のように取り込んで出すだけだった魔力を、溜めて放つ、ということができるようになる。

この溜めて出すが、いわゆる魔法というやつで、溜め込む技量が上がると、魔法の強度が上がる仕組みだ。溜め込んだ魔力を、任意の形で放出する。その際に、形付けるのが、音声や、組指、中には踊りなどもある。一番簡単なのが、放出する魔法用の回路が書かれた図面に、ただ魔力を流すもの。これなら、難しい記号の暗記や、理解がなくても、紙一枚で発動させることができる。

小学校の時に配られる教科書のように、色々な魔法の書かれた紙が配られ、魔力をこれに流して発動させ、感覚を覚えていくという授業を始めるのが、この六歳頃だった。

最初のころは、この授業は屋外で行われ、だだっ広い草原で年の近い(俺の時は三人だった)子供をその倍の大人が囲んで、慎重に行われた。

エルフというものは、とても合理的な考え方をするようで、無駄や無意味なことを嫌うが、労力を惜しまず、労働を苦にしていない種族のようだ。

とはいえ、俺はこの園の生活しか知らないから、他のエルフがどうかよくわかないけど。

危険を伴う子供たちの授業に、最善の警戒で大人が当たる。

オスティオス園長が、地べたに座る子供たちに魔法図の書かれた紙を配る。

「その紙を地面に置いて、両手をこう、開いてパーにして、手から、紙に魔力を放出しますよ、皆さん。では最初にビオラから」と、端の女児に声を掛ける。

「ロウソクの様な、小さな赤い炎が生まれますから、そうしたら手を放してくださいね」と補足する。

配られた魔法図は全て、火球を生み出すものだった。

ビオラはなかなか勘がよく、直ぐに紙の上にほんわりと暖かなオレンジ色の光が集まりだして、ユラユラと炎の形をなして留まった。

すごい! 俺は、純粋にビオラとその手元の炎を見てそう思った。

その後、真ん中に座っていたローズも、同様に炎を出すことに成功し、俺の番になった。

緊張と、ワクワクで広げた手がひんやりとして、そしてしばらくすると暖かくなった。

「できた!」と、興奮度合いを高まらせた瞬間、炎は勢いを増して、赤から紫、そして黒く色を変えて俺の手から腕へ、全身へ広がった。

大人たちの焦る声と、オスティオス園長の冷却の詠唱、それが発動する前に炎は跡形もなく消え、俺当人は火傷もなく、ただ感動に小刻みに震えていた。

そして思った。これだ! これをやりたかったんだと。

その雷に打たれたような衝撃に「うおぉおおおおおお!!」と叫び、地面を転がり出して、草むらの石に頭をぶつけて気を失った。

後で、その場にいた女児二人に聞いたが、あんなに慌てたオスティオス園長を見たのは初めてだったと。

魔王が上空から、突然宣戦布告してきたかのような慌てようだったらしい。

それは、本当に申し訳なく思っている。

突然奇声を発して、転げまわったりしたおかげで、何か良くないものに憑りつかれたのではと心配されたようだ。

園長たちの心配は、あながち的外れでもない。

俺は、こちらでも再び中二病に憑りつかれてしまったのだから。

前世の記憶を取り戻した俺は、少し切なくも、大いに今生を受け入れ、夜な夜な男子棟を抜け出しては、かっこいい術の発動練習に勤しんで過ごした。

そして、そこそこの大技を習得して現在に至る。

特にお気に入りの技は、マーキングした的に物を当てるやつ。

最初は履いているスリッパを蹴って、ヨドゥバシーの顔面にヒットさせる遊びだった。

魔法を使って当てることはできないかと考えたのがきっかけで、試行錯誤しているうちに百発百中の技を編み出した。

プロセスとしては、まずは術を発動させて射出する対象物をスタンバイ状態にして、次に視界をマーキング用に切り替え、当てたい場所にマーキングを行う。

マーキングには、視線をコンマ数秒固定すればポイントに印が付き、そこ目掛けて、対象物を発射するというもの。

最初は一つの物を一か所に当てる地味な術だったが、今は、小型ナイフくらいの大きさなら、百個を同時に的に当てられるし、その距離は、視界の届く範囲。つまり、俺の目に見えているものは全て的となる。

精度もマーキングさえ正確にできていれば、対象が動いても、追尾して当たる。

ただ、威力は弱い。暴れている百頭の象に、麻酔針を飛ばして全頭を眠らせることができるレベルだ。試したことはないが・・・・・・・。

的の大きさは、ネズミくらいまでなら余裕。虫だと、カブトムシくらいの大きさがないと難しい。やはり、大きい的の方が、マーキングがしやすい。

この世界の水準がまだよくわからないが、園の授業ではもっと地味な事しか習わないので、同年代ではかなり良いのではと思っている。

あとは瞬間移動。これは自分の周りを魔力で覆い、次に視界をマーキング用に切り替え、行きたい場所にマーキングを行う。マーキングには、視線をコンマ数秒固定すればポイントに印が付くのは、先の魔術と同様。ただし、その場所に自分の体積と同様の空間があるかどうかと、その場所での数分間の生存率が計測され、90%を切ると警告が出て、80%を切るとエラーとなる。つまり、見えているからと言って、空気のない大気圏外へ瞬間移動はできないし、煮えたぎるマグマの中もエラーとなる。

他にもこれを応用した、中二の夢を詰め込んだ、ものすごい技を、三年の期間をかけて制作したが、これをヨドゥバシー辺りに試したりしたら、トラウマを植え付けてしまうかもしれないので自重している。

悪党を懲らしめるシチュエーションか、ホラー系のアトラクション施設で雇ってもらうしか、発揮する機会はないだろう。

後者の場合、R18となることは必須。いかがわしい意味ではなく。


歯ぎしりも、寝言もない一人部屋の静かな一夜が明け、朝食をとりに食堂へ向かう。

片側一列に二十人は座れる長テーブルに、何故か俺を挟んで、同い年トリオ、ビオラ、俺、ローズで固まって座る。こういう時は、大概ビオラとローズが喧嘩している時だ。

向かいの席で、ヨドゥバシーがニヤニヤしている。後で、ロケットキック顔面二連打な。

「ソゴゥ君、タイが解けているよ」とローズが世話を焼きだす。

断っておくが、一ミリも解けていない。

結び直され、改悪されたタイに青筋を浮かべ、黙ってミルクを飲む俺。

「寝ぐせついてるよ、私、櫛もってるから直してあげるね」と反対側からビオラが俺の頭部に櫛を刺す。

断っておくが、ただの一本も遊ばせていない。

ちょっと血が出たんじゃないかというくらい、勢いよく押し付けられた櫛を持つビオラの手をそっと掴み、俺は口元に持ってきて、その手の甲に口付ける。

「食事中は、食事に集中したまえ」

俺のセリフに被ってビオラの悲鳴が上がる。

「ちょっと、ビオラちゃんに何てことするのよ!」

「エーン、ローズちゃん!」

「可哀そう、直ぐに手を洗いに行こう!」

「それは大丈夫だけど」

「え、それは大丈夫なの?」

とにかく、仲直りしたようで、強制的にビオラ、ローズ、俺の席順にされた。俺はローズに押しやられ、これからイラっとしそうな予感に先んじて斜め前のヨドゥバシーの脛に、靴をかなり強めに当てて、戻した。魔法で。

「いってえ!」と悶絶するヨドゥバシー。

一応、前世分のアドバンテージのある俺は、十歳の子供に気遣うことぐらいはできる。

「お前たち、どうした? 何かあったのか?」

ローズとビオラは顔を見合わせて、明日の同盟国の来賓パレードを見に行く服で意見が割れたのだと言う。

ローズもビオラも、プラチナブロンドの髪に、ローズは透明度の高いモルガナイトの様なピンク色の瞳、ビオラはアイオライトのようなスミレ色の瞳で、お互い、その色の服をお揃いで着たがったようだ。

それぞれの瞳の色の服を着て、リボンだけお互いのを交換して着けたら、ニコイチに見えるだろうと提案する。

「全裸魔人にしては、いいアイデアね」

「採用!」

全然嬉しくない。

「全裸魔人ってなんだよ」

「女子棟の談話室で、上の子たちが言ってたよ。男子棟で黒髪の全裸魔人が襲ってきたって」

「それ、俺とは限らないだろ。ヨドゥバシー十一歳とかじゃねえの?」

「ヨドゥバシー十一歳なら黒髪じゃなくて、ドブネズミ色(褒め言葉)って言うと思う」

「ヨドゥバシー十一歳は黒ではないよね、惜しいけど。くすんだ灰色かな?」

「めっちゃ十歳トリオが弄ってくる。十一歳が俺だけだからって、ひどくない?」

「俺は十一歳だから、お前らより一歳年上だから、って思ってそうなのが鼻につく」

「マジ、それ」と女子二人が追撃する。

項垂れるヨドゥバシー。その肩を叩く、十二歳、ダンデ君、重量級。ほぼ黄色の金髪で、常に骨付き肉を片手に持っていそうなイメージ。

確かにこの園には、黒髪の子供は俺だけで、先生の中に一人茶色の髪の女性がいるだけだ。この先生の授業中に質問しようとして「母さん!」って、声を掛けてしまったのは、致し方ないはず。

その後、先生にギュって抱きしめられて、居たたまれない気持ちになったのは、割と最近の出来事だ。

ビオラやローズが浮かれている明日のイベントは、実は俺も、ものすごい楽しみにしている。

「明日は俺が黒い服着るから、ソゴゥは鉄色の服を着ろよ、ニコイチな!」

朝食後、教科書を取りに部屋に戻るなり、ヨドゥバシーがノックをせずに入って来て言った。

「困るんだよねえ、君。ちゃんとノックをしたまえよ」

「廊下をマッパで歩くやつに、プライバシーを問われてもなー」

「明日の服はさておき、俺は明日、もしかしたら母さんに会えるんじゃないかって思っているんだ。俺たちの母さんは、貧乏貴族の父さんと駆け落ちして子供が出来たけど、引き戻された王族のお姫様なんだと思う。しかも子供が出来る度だから、四回は城に引き戻されているね、可哀そうに」

「え、ソゴゥ、え?」

「だから、明日のパレードの王族席に母さんいると思う」

「マジか、ソゴゥ」

俺は本気。という目でヨドゥバシーを見たら、ギュってされた。下にすっとしゃがんで、足払いからの下段突きをお見舞いしといた。


歯ぎしりも、寝言もない一人部屋の静かな朝、二日目。

大人エルフたちの引率で、パレードを見に行く日。

いくつかのグループ毎にトラムに乗ってこのエルフの国、イグドラム国のセイヴ港に向かう。最初に海を見たときの感動は、なんと表現したらいいだろうか。

三日月型の湾に、透き通った遠浅のエメラルドグリーンとパライバトルマリンの織り成す美しい色彩。

湾を形成する岩は黒く、崖から海に突き出した場所に、巨大な巻き貝のようなフォルムの桟橋に直結した迎賓館がある。

有機的でいて、未来都市の建造物を彷彿とさせるような建物だ。

その海王種の一国、ニルヤカナヤ国の一団が物々交換と近況報告に年に一度、海の中からやって来る日、それが今日なのだ。

沖に巨大な島が出現し、そこから、色とりどり巨大魚にのった海洋人が続々とやって来る。トビウオが並走して道を作り、華やかな魚には貴魚人が、スタイリッシュで機動力が高そうな魚には、武魚人が乗っている。そして、高身長なエルフをして、どの海洋人も見上げるほど大きい。

風に揺れる赤や緑の飾りヒレ、虹色に輝く鱗、原色の力強い迸る生命力に満ちたその体躯は、淡い色彩を持つエルフの人々を圧倒する。

まるでリアル夢の国(海サイド)のショーを見ているようだ。

俺は毎年園の子供たち用に確保された、観覧用のお迎え席で、一団が海門広場に集まっていく様子をニッチとミッツの腕にしがみついて見ていた。

「そう興奮しなさんなって」と俺を宥めるミッツ。

「そりゃあ無理よ、俺もドキドキが止まらん。見てみい、あれは服を着とるんか?」

「ニッチ、お前、目の付け所がクソじゃ」

「お前こそ、さっきから下向いて、鼻押さえとるのはなんでなん? それよりも、我らの可愛い弟を見習わんかい、母上がおるかもゆうて、熱心に探しておる」

「ソゴゥ、流石にここからは、あの檀上におる人の顔までは見えんやろ」

俺はミッツを見上げ、少し首を傾けて「んー」と曖昧に応え、また、王族席に目を戻した。

エルフの視力は個体差が大きらしく、俺は人の顔もそこそこ見える。

母さんがあそこにいれば、俺は絶対に見つける自信がある。だが、いまこの場に出てきている王侯貴族、高官などの中には母さんはいなかった。

海洋人たちも一応全員確認してはいるが、確認するまでもなく、全く違う。

互いの国の代表の挨拶を終え、来賓は桟橋から上陸してそのまま迎賓館へと入国していくが、午後には歓迎式典があるので、観覧客はその場で買ってきた昼食をとったり、港付近にの飲食店へ繰り出す。

園の子供たちは、引率の先生たちと、毎年決まった二階建てのレストランを借り切って、一階と、二階におよそ、七十人ずつ分かれて昼食をとる。

このレストランで出されるのは、毎年決まってこの店の看板メニューのブイヤベースに似た魚介類のスープと、前世に一度食べたことがあるヤギのチーズに似たクセの強いチーズのパイ、バケットと魚のフリット、それとワインが出る。

アルコールは十二歳以上で保護者同伴なら、飲むことができるし、園でも時折、アルコールの嗜み方を学ぶために出される。いかんせん、双子の前には、赤いワインが用意されているが、俺にはない。

「ひとくち~、ひとくち~」

「いかん、あと三年我慢せい」

「このチーズのパイを胃に流し込むのには、その液体が必要なんだって、本で読んだ」

「ソゴゥは、毎年パイを制するのに一苦労しよるのう」

「ソゴゥ、何て本に書いてあったん?」

「人間が書いた『エルフの食文化』って本」

俺はこのレストランに来るのも、毎年楽しみにしている。みんなで外出できるというのもあるし、このレストランの雰囲気も、園の先生方や当番の子供ではない人が給仕をしてくれるのも新鮮で楽しい。

ワインを飲むともっと楽しいはず。

ニッチに頭を抑え込まれ、ワイングラスに手が届かない。仕方なく、ノンアルの甘いシードルのようなものを我慢して飲む。

ミッツの隣の幼い子が、もじもじとし出したので、ミッツが「俺、トイレ行くけど、一緒に行こうか?」と自分のついでに連れて行ってあげるよと話しかける。

ミッツのそういうところ、俺は好き。

先生達は、十四人ごとに五つあるテーブルとは別に、十数人で固まって食事をしている。

先生に付いてきてもらうのは、ちょっと恥ずかしかったのだろう。

俺たちのいる二階には、オスティオス園長もいる。オスティオス園長は俺がいる方に、必ずいる気がする。

園で最高の実力があるだけでなく、イグドラム国で五本の指に入る魔導士なのだそうだ。

顔は怖いけど、めちゃくちゃ優しい。顔は怖いけど。あとしゃべり方も若干高慢だけど、面倒見がよくて、涙もろいというギャップがある。萌えはしないけど。

ミッツが子供と手を繋いで席を立って暫くして、ニッチが、急にテーブルに突っ伏した。

いきなりのことで、体を支えることも皿を避けてやることもできなかった。

「ぐああ、頭が、痛てえ」

カトラリーが高い音を立てて転がり、頭を押さえて苦しがる様子に、救護ができる先生を呼ぼうと、椅子から立ち上がると同時に、「先生! 先生!」と泣きながら、ミッツと一緒に一階のトイレに行った子供が一人で上がってきた。

オスティオス園長と数人の先生が子供の脇をすり抜けて一階に駆け下り、俺が母さんって呼んでしまったペル・マム先生が、泣いていた子供のもとに膝をついて、何があったのか尋ねた。

「みんなが、死んじゃった」


オスティオスは数名の教師を伴って、一階に駆け下り、漂う臭気に口元を押さえて浄化の魔法を発動させた。

「クレモンだ、気をつけろ!」

後続の教師はすでに、臭気を肺に入れてしまい、泥酔したようにふらついている。

柑橘系の香りのするクレモンはエルフの正常な思考を奪い、その臭気を吸い込み過ぎると酩酊状態に陥り意識を失う。

オスティオスの目の前には、テーブルに突っ伏したり、床に倒れ込んだ子供たちと教師の姿があり、レストランの従業員も、厨房の者もみな、一様に床に倒れていた。

教師たちは教育者としての資質だけでなく、要人警護のエキスパートでもある。それがみな、抵抗や戦闘の気配もなく無力化されている。

クレモンを使ったことも驚愕に値する。まず、その実をエルフの国へ持ち込むことは、液体にしようが、粉末にしようが、その成分を何かに付着させて紛れ込ませても、入国の際に必ず検知される。クレモンの実をイグドラムへ持ち込むことは不可能である。

かろうじて、検知が完全でない種の状態で持ち込んだとしても、種から育てるとなると、有害となる実をつけるまで十年は掛かる。

そして、その実が成る十年がたつ前に、大概は摘発されて駆除され、生育に関わった者は、永久に国内に足を踏み入れることができなくなるのだ。

子供たちの状態を確認し、危険な状態にある者がいないか見て回り、平衡感覚が著しく失われていることに気付いて、直ぐにまた浄化の魔法を発動する。

「まだ、ここにクレモンがある。子供たちを店の外に移動させるんだ」

「園長、子供が二人おりません」

「一階にはイセトゥアンとヨドゥバシーがいたな、もしかしてこの二人か」

「恐らく」

「すぐに、首都防衛局に知らせて、捜査要員を確保してくれ、私はペンタスに誰か見ていないか、話を聞く」

相手は相当な手練れか、内部に内通者がいたか、教師たちが逆らうことができない立場の者がだったのか、ともかく、クレモンの使用から長期的に計画されていた可能性がある。

二階に戻り、ペル・マムが泣いているペンタスを宥めているのと、窓の外から飛び出さんとしているニトゥリーを羽交い締めにして留めているソゴゥの様子が目に入った。

ペンタスに話を聞かねばならないのだが、件の兄弟の奇行が気になった。

「ソゴゥ、ニトゥリー、何をしている」

「園長先生、ニトゥリーが、ミツコッシーが誘拐されたって言って、窓から飛び降りようとしているんで、止めているんです」

「ミツコッシーが誘拐されたと、何で思ったんだ?」

「ニトゥリーは離れていてもミツコッシーと話しができるからだと思います。って、ニッチ、いい加減に落ち着けよ。ここから飛んでも、ニッチは飛行魔法使えないから足折るだけだ」

「ニトゥリー、ミツコッシーといま話せるのか?」

ニトゥリーは血走った目で振り返り「あいつ、痛がっとる。腕と足、千切れそうに痛いって、肺もつぶれそうに苦しいって。すぐに助けんと」

「ああ、直ぐに助けに行こう、場所は分かるか?」

ニトゥリーは窓枠から足を下し、目をつぶって耳を澄ますように沈黙した。

「ミッツは目隠しをされてとって、狭いところに転がされとるようや、あと、馬車のような揺れを感じとる、潮の匂いから遠ざかっとる、それと、イセ兄とヨドのうめき声が聞こえるから、どうやら、二人も側におるらしい」

オスティオスは頷き、ニトゥリーに一緒に来るように告げる。

「ミッツが『あれ』をすれば、もっと色々と分かるんやけどな」

ニトゥリーを連れて店を出るために、階段を降りる。

直ぐに浄化の魔法をかけるが、それでもニトゥリーは腰が抜けたように、その場にへたり込んでしまった。その後ろから、ヒョイとニトゥリーをかわしてソゴゥが現れた。

床に伏した子供たちを移動させるため、防護魔法を掛けて作業する教師たちの中に分け入って、あたりをキョロキョロと見まわしている。

オスティオスが注意する間もなく、テーブルに置かれ、蓋が転がっていたポットを覗き込み、中からクレモンを手掴みで取り出し、ソゴゥはそれを燃やした。

「臭いがなくなりましたね」近くにいた教師が言い、他の教師たちも防御を超える微細な臭気が消えたことに安堵した。

オスティオスは気付の魔法をニトゥリーにかける。

「それにしても、クレモンを手掴みにして正気を保っていられるとは」と教師たちが感心したように言う。

オスティオスは見た目が人間のようであるソゴゥが、間違いなくエルフであることを知っていた。

「ニッチ、大丈夫か、いまミッツの様子はどう?」

ソゴゥに支えられ、立ち上がるニトゥリーが「まだ移動しとる、遠くへ行くみたいや、飛行竜がいる場所へ向こうとるんやないかって、これはミッツの予想だけど」と答える。

イグドラム宮殿がある首都セイヴは特別管制空域であり、セイブ内から飛行竜や、魔法での飛行による通り抜けができない。また、国境も同様に飛行による行き来は制限されている。

オスティオスは二階にいるペル・マムを近くの教師に呼びに行かせ、意識を取り戻した教師達から、何があったのかを尋ねた。

建物内はレストランの従業員と教師、子供たちだけで、誰も訪ねてこなかったこと、子供の一人がお茶を注ごうとして、お茶が出てこないため、お湯が入っているか確かめようとしているやり取りを耳にしていた教師がおり、子供がポットの蓋を開けたのとほぼ同時に、クレモンの臭いが立ち込めて、直ぐに意識を失ってしまったという。

ポットの蓋には、風の魔法陣が貼られていて、光刺激で発動する図柄になっていたために、ポットの中に籠っていた臭気が、一気に一階部分に広がったようだ。

イセトゥアンとヨドゥバシー、そして運悪く居合わせてしまったミツコッシーを攫った者たちは、建物内の様子を近くで探っていて、実力のある教師たちが倒れたのを確認して、子供たちの誘拐を実行したのだろう。

兄弟たちを攫った理由は想像がつくが、目的は犯人を見つけないとわからない。

港は来賓のために普段よりも警備が厳重で、警邏、巡回に駆り出される人員も防衛局軍部、警察機構、王宮兵士など、様々な部署から手配されており、そのため子供たちのために集めることができる人数はそう期待できなかった。

また、道は観覧客でごった返して、後手をとった状態はかなり厳しいが、予想外の光明がある。兄弟たちの一人、ニトゥリーだ。

「こちらも飛行竜を手配しよう」

「軍部から特殊部隊の精鋭を五人、こちらに回してくれることになりました」

「彼らの身元は?」 

「十二貴族の縁者と、後見人を持つ者です」

それであれば、今回の誘拐には絡んでいないとみていいだろう。十二貴族には絶大な権力と共に、国家を裏切れない縛りがある。

「園長、私をお呼びですか?」

「ペル・マム先生、これから攫われた子供たちの捜索に、このニトゥリーを連れていきます。ニトゥリーは、兄弟たちの場所が分かるようですので、飛行竜に同乗していただき、道案内をお願いします」

「わかりました」

「この年で、もう特殊魔法を編み出しているとは、恐れ入るな」

教師の一人が感心したように唸る。

「ニッチとミッツは、夜寝る前にベッドで寝ながら話しをしたりするとき、口開けて喋るのが面倒くさくて、何とか魔法で思考を互いに知らせあうことができないか、毎晩練習しんだって」と何故か、当たり前のようにこの場にいるソゴゥを、教師が不審げに見つめる。

オスティオスはその視線に気づき、ソゴゥを二階に連れていき、他の子供たちと一緒にするように、その教師に命じる。

「ヤダヤダ、俺も行くし!」と教師の顔を両手で突っぱねるソゴゥ。

風呂を嫌がる猫のようだと、ペル・マムは飼っている黒猫を思い出して和む。

「俺がいないと、もしまたクレモンで攻撃されたら、誰も抵抗できないで、大変なことになるかもしれないだろ! 俺の嗅覚無効スキルが絶対役に立つって!」

「嗅覚を無効にした程度で防げるものではないのだが・・・・・・・」

オスティオスは、ニトゥリー、ソゴゥどちらの能力もこの救出には必要だと判断し、ソゴゥを連れていくことに決めた。

ニトゥリーの能力で、兄弟たちが首都セイヴを馬車で超え、一番近い国境のある七番貴族領の森林地帯で馬車を下され、飛行竜に乗り換えたとわかり、オスティオスと他に教師が九人、それと二人の子供を伴って、一番近い飛行竜の竜舎へと向かう。軍部の者とはそこで落ち合う連絡をした。

「ミッツは、目隠ししているのに、よく自分の場所がわかるね」

「あいつは、自分の身体から抜け出して自分のことを見ることが出来るんよ。互いに思考を飛ばして会話できるよう練習しとったとき、うっかり、自分の身体から幽体離脱してしもうて、あんまりゾッとしないんで、やめるよう言っとった。長時間離れられるわけやのうて、一瞬やから、たぶん今も細切れに、抜け出して位置を確認しとる。使い道のない特技だと思とったが、役に立ったわ」

「俯瞰のスキルは、軍部ではかなりハイクラスの役職が約束される高等な魔術だ。園の者には知られてもいいが、外では喧伝しないよう注意するんだ」

オスティオスが釘を刺したところで、軍より派遣されてきた精鋭が到着した。

隙のない動きと表情のない顔、軍服の上からでもわかる強靭な肉体は、荒事に慣れていそうなタフさが見て取れる。

挨拶もなく、向こうの代表らしき男とオスティオスは視線を交わしただけで、直ぐに飛行竜に騎乗する。園の十一人と軍部の五人が十五騎にそれぞれ乗り国境を目指す。

国境を出るまでに、確保するとが何より優先される。

騎竜術に長けたペル・マムを先頭に、雁のように翼を広げた竜が並び飛行する。

鳶色の羽毛に覆われた、巨大な鳥型の恐竜のような見た目で、緑色のものを身に着ける事を好む謎の習性を利用し、手綱と鞍を取り付け、エメラルドに似た鉱石を飛行報酬として与えることにより、騎乗が可能となっている。

なかには、ペル・マムのように竜の方から、乗ってくださいと寄って来る特殊な体質を持つ者もいる。

オスティオスは、ソゴゥを抱えて竜に乗り、はしゃいで落ちないか内心、冷や冷やしながら上空を滑空する。

ふおおおおと、謎の奇声を発し続けているソゴゥ。

ニトゥリーより落ち着いて見えたが、その実、暗く思いつめった目をしていた。せめて、この瞬間だけでも気が紛れるのならと、オスティオスはその黒い髪をひと撫でする。

先頭の飛行竜が減速しだすと、オスティオスが先頭を代わり、許可申請を制限空壁へ投影し、間もなく、「許可」の表示と共に空壁に穴が開いて、飛行竜が連なってそこを通り抜ける。

首都セイヴから離れると、景色は街並みから森林地帯へと一変する。

低層雲を切り裂いて、長らく飛行を続けながら、ついに国境付近にまで差し掛かる。

オスティオスはペル・マムの竜と並走し「目標は!」と声を張り上げる。

「まだこの先です! 国境を越えている様です!!」

国境の空壁は今、如何なる出国申請も受け付けていないはず。どういうことだと、オスティオスは貴族の関与を疑った。

「あそこです!」ペル・マムが叫び、指で指し示す先に、不自然に穴の開けられた空壁が現れた。三角に切り取れられた空壁の縁が、赤く発光している。

地上に、空壁の展開を遮断している装置を見つけ、計画性の高さを痛感した。

「このまま、国境を越えて追うぞ」

誘拐犯が用意した空壁の穴を通り抜ける。

隣国は友好国の一つだ、正式な謝罪は後でするとして、とにかく子供たちを取り戻さなくてはならない。

編隊は地上から視認を避けるために高度を上げ、防御膜を強化し、気圧と気温を保ちながら、ニトゥリーの案内に追従する。

山岳地帯上空を航行し、やがて見えてきた灰色の稜線は、有史以来最も噴火を繰り返しているスーパービィバ活火山群で、大規模な爆発を繰り返してはその形を変えてきた。

今も、いくつかの山からは白い噴煙が上がり、火山雷が光っている。

降り積もる灰で一切の生き物を遮断し、灰色と白の山稜が連なるその中で標高が五千メートルにもなる最大のコーナンカインズ火山は、休止状態だが、遠目に見ても身が竦むほどの圧倒的な存在感を放っている。

やがて、ペル・マムの竜が高度を下げ、特徴的なカルデラを持つ火山の側へと先導し、数時間を飛行し続け、ようやく着陸姿勢をとった。

この場はすでに、友好国である隣国の端を横断して国交の薄い中立国の領土だった。

灰色の渓谷の手前に、十五騎全てが降り立った。

狭間の手前に、数人の有翼人の姿が確認できる。

「スパルナ族ですね、すでにこちらには気づいているでしょう」

特殊部隊の男が言った。

「言わずもがなですが、有翼人は好戦的で、対空戦のみならず、地上での戦闘能力も高く、視力が発達しているため、閃光などの目つぶしや、逆にあたりの光を遮断して暗闇にする魔法が有効とされております。しかし、そうした手段はすでに対策が取られている可能性があります」

「小細工なしで、正面から行こう。どうやら、あまり時間がないようだ」

オスティオスはニトゥリーの様子を見て応じる。

スパルナ族と思しき者たちは、灰色の服を着て、顔や身体、本来は白い翼、また髪の毛に至るまで、火山灰を塗りたくって、全身灰色にして背景と同化していた。そのため、かなり視認し難く、見えている者が全てではない可能性がある。

オスティオスは特殊部隊の男と段取りを決めて、飛行竜とペル・マムだけを残し、ニトゥリーとソゴゥを伴って、渓谷へと正面から接近した。

カミソリ状に切り立つ山を割く細い道、その断崖の高さは、千メートル近くある。オスティオスが子供たちを守りながら、他二人の教師が後方を警戒しつつ、特殊部隊五名を先頭に、突っ込んでゆく。

向こうからも、スパルナ族が様々な武器を振りかざして駆けてくる。鶏鳴と呼ばれる人の肺をも破壊する爆音を口々に発しているが、これは有翼人の攻撃の一つとして想定されていたため、全ての音を百デシベル以下にする防音魔法と衝撃緩衝魔法により、オスティオス達には元気のいい鬨の声程度に聞こえている。

先頭の五人が閃光を用いるが、案の定、これをものともしない者がほとんどな中、それでも一瞬怯んだ者を見逃さずに攻撃をしていく。およそ同人数程度がぶつかり合って拮抗していたが、特殊部隊が数人を倒すと、二対一、三対一という状況を作り出すことが出来るようになり、形成が一気にこちらへと傾いた。

有翼人の翼は、鳥類の翼と異なり再生に優れている。折れたり、風切羽を失っただけで飛行が出来なくなる鳥類と異なり、多少折れても飛翔でき、また、もがれても生えてきて、数ヶ月で元に戻る。ただし、翼をもがれたり、著しく損傷した場合は、数日動けなくなる。

この弱点から、翼は魔法で保護されていたり、強固な防具を纏っていたりするが、ここにいるものは、空中戦も視野に入れて、防具ではなく、魔法での保護を行っていた。

だが、この場にオスティオスを超える魔導士はおらず、それらの保護魔法はすべて、弱体化され、こちらの攻め手の攻撃を通し、千切れたり、もがれたりと、やがてすべてが地に尻をついて動かなくなった。

辺りは、食用に鳥を絞めた現場のように羽が散乱しており、翼をもがれ動けなくなった有翼人が鶏鳴を上げ続けている。

人死にはないとはいえ、かなり衝撃的なものを見せてしまったと、オスティオスは子供たちを気にするが、当の兄弟は「後で、こいつら丸焼きにして食おうぜ」「賛成」と言って、目を爛々と光らせている。

渓谷入口のスパルナ族を退け、断崖の間を行く。待ち伏せや上空からの攻撃、落とし穴など考え得る全てで不利な状況ではあるが、進まないことには子供たちを取り戻すことが出来ない。進軍の懸念は当たり、上空から鶏鳴が上がる。

十数人が一斉に攻撃魔法、投擲武器などを構える。

「伏せろ!」とオスティオスの出した、土魔法による土壁に隠れ、子供たちは頭を押さえ、地面に腹ばいになる。

その途端に、開始された一斉攻撃が左右の断崖に被弾し、的外れな方向より衝撃音が響いてくる。有翼人の攻撃は、命中度が高いことでも有名だが、攻撃が悉く外れており、通りの向こうに、殺虫剤を浴びたコバエのごとくスパルナ族が落ちてくる。

噴煙の煙る空を、ペル・マムを乗せた飛行竜が、弾丸のように空中のスパルナ族へ突進して、弾き飛ばしていたのだ。竜は一騎だけでなく、他十四の無人の竜も追随して、スパルナ族に突撃している。ペル・マムと十五の竜が、待ち伏せをしていた有翼人を叩き落とし、断崖に張り付ていたスパルナ族も、特殊部隊と教師たちによって打ち倒された。

一行は進行を再開し、灰色の道を前後左右、そして空を警戒して進む。

やがて、片側の岸壁の抉られたような横穴が現れ、その奥に、地獄に続くような、暗く深い穴が地面に口を開けていた。ニトゥリはーその穴の奥を指さした。

特殊部隊の男がその穴の縁に立ち、光る小石のようなものを投げ入れた。

やがて底に石が到達したのを確認して「四百メートル強ですね。熱異常、気圧、空間異常もありません。降下を開始しますか?」とオスティオスに尋ねる。

「トウキョウタワーがすっぽりかよ」とソゴゥが意味の分からないことを呟いている。

しかも、穴底を確認するように覗き込んで「生存確率クリア」とも言っているようだ。特殊部隊に憧れを抱き始めたのだろうかと、オスティオスは少し複雑な気持ちになった。

「ここを降下するにも、それなりに魔力が消費されるだろう、この先の戦闘のことを考えると、魔力量が不安な者は、先に進まずここで待機が望ましいが、子供たちは連れていく。それ以外で誰か残る者はいるか?」

オスティオスの問いかけに、誰もが首を振る。全員がこの先へ進むこととなった。

魔力量は体力と違い、根性で何とかなるものではない。魔力が完全に枯渇すれば、生命維持が難しくなり、消費された魔力を戻すには、エルフの場合一晩を有する。個人の魔力量は、魔力細胞の数であり、魔力細胞をどれだけ保有できるかは、魔力細胞球の数で決まる。

魔力細胞球は生まれてから三才までと、人間でいうところの第二次性徴期だけであるが、エルフはこの体構造の変化期が、少ない者でも一生に十回は訪れる。

この変化期に魔力を多く使用したり、また魔術の練度を上げるなどの努力をすることにより増やすことが出来る。この時期、普通に過ごしていれば、魔力細胞球の数は変化しないが、オスティオスは変化期ごとに研鑽を重ね、膨大な魔力細胞球を取得し、その身に多くの魔力を有している。前国王もまた、変化期に誰よりも努力を重ねて甚大な魔力を保有し、万能の魔導士と呼ばれ、大陸の中に傑出した人物として名を馳せている。

「ニトゥリーは私が背負っていくから、ソゴゥは他の先生と一緒に来なさい」

「僕は飛行魔法使えるので、一人で大丈夫です」と得意げなソゴゥ。

「なら、手だけでも繋いで降りなさい。途中魔力が切れたらいけないから」

ソゴゥは不承不承といった様子で、近くにいた教師と手を繋ぎ「大丈夫なのに~」とぼやいている。

ニトゥリーを見ると、押し黙って、小刻み震えていた。

穴へ降下するのが怖いのかと思っていると、ニトゥリーは突如小さく悲鳴を上げ、両腕が何かに縋るように空を掴んだ。

「ニトゥリーどうしたんだ? 何があった?」

「ニッチ?」

「イセ兄が、化け物に・・・・・・・、次は俺の番だって、ミッツが・・・・・・・」

「そんな・・・・・・・、何が起きたの、もっと詳しく聞けない?」

「ほとんど、言葉をなさん悲鳴のような意識が飛んできよる・・・・・・・早く行かんと」

オスティオスは急いでニトゥリーを背負い、特殊部隊や他の教師の後に続いて、飛行魔法による溶岩洞の降下を開始した。

背中に、ニトゥリーの押し殺した泣き声とその振動が伝わる。

すぐ横には、他の教師と手を繋いで降下するソゴゥ。その様子を確認するが、暗くて判然としない。ただ、泣いたり、パニックに陥る事態にはなっていないようだった。

ミツコッシーの言う化け物とは何なのか・・・・・・・。

地上から離れると、届く光が減って、降下するほどに暗く、底の濃く密度の高い闇が口を開けて、上層の薄闇を飲み込んでいるかのように見える。

やがて、最下部に降り立った者達の光魔法によって、洞穴が横穴に続いていることが分かる。

誰も口に出さないが、何か大きなものの存在を感じていた。

それは生物というより、死や恐怖、絶望、救いのない運命、光のない未来といった、人の本能が避けようとする概念のようなものだった。

横穴に立ち入れば、その先はスパルナ族が設置した灯が点々と道を照らしていた。

ここまでの敵の侵入を想定していなかったのか、誘い込まれているのか。

だが、躊躇している暇はない。

「ここからは、あらゆる戦闘を想定し進みましょう。下策は足を止めることです」

前へと出した足から、力が抜けてその場に崩れていきそうな、抗い難い恐怖。しかし、それでも自信に満ちた特殊部隊の掛け声と、先頭を切って進む彼らの存在が非常にありがたく、頼もしいと思えた。

体中の血液があわ立つような感覚を押し切って、前に進む。

罠を警戒しながら特殊部隊が先を行くが、その勢いはほとんど全力疾走に近く、一キロほど走ったあたりで空間が突然開けた。

そこには見上げるほど高い位置に天井があり、そして目の前は、きれいな円の形の直径二百ほどもある大きな穴が開いていた。

「ミッツ!」

「ヨドもいる」

子供たちが身を乗り出すが、オスティオスと教師とで取り押さえる。

円のちょうど向こう側に、祭壇のような灯の集中した場所で、歪な翼をもつ男を中心に、子供たちを穴に突き落とさんとする、数人のスパルナ族の様子が見えた。

教師の一人が、穴の縁に膝をついて覗き込み、仰け反るように尻をついた。一瞬、口腔から漏れかけた悲鳴を飲み込んだのは、彼の全力の理性によるものだった。他の教師が同様に穴の中を確認した後、全身を震わせて這う這うの体で穴の縁から離れた。

彼らとて、優秀な者ばかりだ、その彼らが腰を抜かすほどのものが、そこにあるというのだろうか。

オスティオスは、子供たちにこの場に留まることを伝え、自ら確認しに縁に向かいその中を覗き込んだ。

「こんなものが・・・・・・・」

オスティオスは絶望に近い感情の来襲に飲み込まれないよう、どうにか思考だけは止めず、最善を模索する。

あんなものが地上にでたら、世界はこの先、未曾有の災厄に見舞われることになるだろう。

「星蝉」エルフの国ではそう呼ばれているが、各国で呼び名が違い「災」や、「太歳」と呼ばれ、ある国では大昔、その存在に恐怖し続ける王が、国内で大規模な地を掘り返す作業が発生した際には、それがいないか必ず確かめたといわれている。

今では、人が建築などで掘り返す程度では、星蝉にぶつかることはなく、地下の深くに在り一所に留まることがないということが分かっている。

星蝉はただ、この惑星の地中を巡るだけのモノ。大地のエネルギー循環の一役を担っているともいわれ、その個体数が、唯一なのか、複数存在するのかは知られていない。地中から出てくることはないため、その生体がほとんど知られておらず、また、地中から出てきた際は、地上の全ての生き物を喰い、大地を蹂躙しつくし、あらゆるものを壊滅すると言われている。

理性を失ってはならないと、そう自らに注意していたにも拘らず、どれだけ自失していたのか、穴の向こう側が俄かに騒がしくなり、オスティオスは特殊部隊と何人かの教師たち、それとスパルナ族が交戦状態に入ったことに気付いた。

こちら側が優勢であったところへ、突如、ミツコッシーの身体が宙に跳ね上げられ、星蝉の穴の中へと落ちていく。

背後から、耳を聾する大絶叫を上げたニトゥリーが、教師二人を弾き飛ばして、こちらに向かう。オスティオスが土壁で行く手を遮るが、一瞬で砕かれた。

「うわあああ、コロス! 殺してやらあ!」

教師たちが追い縋って取り押さえようとするが、完全に力で押し負けている。

兄弟が連れ去られた理由。それは、その尋常じゃない魔力量のせいに他ならない。彼らにはそれを発する術の習得や、練度、技術が足りておらず、それほど大きな魔法が使えるわけではない。それでも、生命の危機や、感情の高まりにより魔力が骨や筋肉を強化して、今のニトゥリーのように爆発的に身体能力を向上させているのだ。

もはや、スパルナ族と戦うより、ニトゥリーを取り押さえる方が難しいだろう。

再び教師達が振り払われ、暴れ牛のように突っ込んでくるニトゥリーへオスティオスが鎮静と拘束の魔法を放とうとした瞬間、その体が弾き飛ばされるようにして地面に倒れた。

見ると、ニトゥリーの腰にソゴゥが両腕でしがみ付いている。

「放せ! 放せや!!」

ニトゥリーがソゴゥの背を拳で叩き、引き剝がそうとするが、ソゴゥは声を上げず、ただ兄を押さえ込んでいる。ソゴゥはニトゥリーより頭一つ分背が低く、体もずっと小さい。それが、教師を二人振り払ったニトゥリーを圧倒している。

オスティオスは周囲を見る余裕を取り戻し、向こう側の様子を確認すると、どうやら今はヨドゥバシーを盾に膠着状態となっているようだった。

オスティオスはニトゥリーに鎮静の魔法を掛けると、ソゴゥの背を撫でた。

ソゴゥは怒りと悲しみに震え、血が滲むほど自身の口を噛んで耐えながら、ニトゥリーを行かせてはいけないと判断し、行動したのだ。

「ニトゥリー、弟が怪我をしている。気を静めろ」

ニトゥリーは地面を搔いていた手をとめ、やがて力を抜いて虚空を見つめた。

ソゴゥは口から血を吐き出し、オスティオスに剝がされるままニトゥリーから腕を放した。

「肋骨が折れているな・・・・・・・」

ニトゥリーに殴られた背から、負傷の気配を悟ったオスティオスは治療の魔法を施す。

「ソゴゥ、ごめん、ソゴゥ・・・・・・・ミッツ、まだ生きとる」

「何だって! どういうことだ、ニトゥリー」

「たぶん、化け物の中だと思うと言うてる。けれど、全く別の場所みたいで、あと、イセ兄も一緒の場所におるて」

ソゴゥは息を吐き出し「そうか、なら助けられるな」と、ニトゥリーの頭を小突いた。

「園長先生、俺に考えがあります」と先まで淀んでいた暗い目を希望に光らせた。

「何処にいるか分からんもんを、どうやって助けるん?」

ソゴゥはヨドゥバシー達の様子を確認してから、こちら側で何かを探すように周囲を見回し、時折虚空に視線を止めて、そしてオスティオスに向き直った。

「園長先生、ミッツ、俺は自分が印をつけた場所へなら何処からでも戻ってこられる。空壁でも試したことがあるから、恐らく、あの怪物の腹の中からでも戻ってこられると思う。だから、先生たちは、ヨドゥバシーを傷つけられないよう、時間を稼いでほしい」

「いま、聞き捨てられないことがあったが、空壁で試したとか・・・・・・・」

「あ、しまった、いや、言い間違いです。園の建物の壁とかです」

「とにかく、俺は行きます」

「ちょっとまて、何処へ行くんだ!」

「ソゴゥ、待て、お前」

ソゴゥは二人が止める間もなく、穴へと飛び込んだ。

二人とそれに他の教師も縁に駆け寄り、穴の中を覗き込む。


穴の縁から覗き込んだ時、背筋が凍るような、体の制御を奪われそうな恐怖が全身に廻った。

かなり深い位置にあるそれが、距離感がおかしくなるほどに巨大で、一個の生命体というより、池や湖のような景色のようだ。しかも、一部しか見えていない。

一言でいうなら、羽化する直前の蝉の幼虫のようだ。

宇宙のように暗くどことなく透けていて、背に浮かび上がる幾何学模様が呼吸するように黄緑に光り、明滅している。虎穴に入らずんば虎子を得ずだ。

園長先生とミッツの制止を振り切り、飛び出してみたものの、風を切り降下しながらも滝汗状態である。

先にこの怪物を具に観察していたら、ここまで思いっ切り飛び出していなかっただろう。

ソゴゥは怪物を見ないように目を瞑った。

やがて、柔らかいものにぶつかり、ほんの少しの抵抗を感じたのち、空気よりも密度の濃い何かに包まれるような一瞬の浮遊感、そして直ぐにまた引力により、されるがままに、何かにぶつかった。

噎せ返るような花の匂い。

目を開けると、底は一面の花畑だった・・・・・・・。

しまった、これ、死んでね?

ソゴゥの知るありとあらゆる花が、生息地も季節もまるっきり無視して、同じ場所に咲き誇っている。

「何が落ちてきたと思ったら、ヨドじゃのうて、ソゴゥじゃ」

仰向けに倒れ、胸の前で手を組んで目を閉じているソゴゥの耳に、ミッツの声が聞こえた。

「ここは天国ですか?」

「あー、いや、まあ、天国かのう、じゃが、あれを見てみぃ、ある意味地獄よ」

起き上がり、ミツコッシーの指す方を見て、ソゴゥは舌打ちをした。

「クソか」

「クソよ」

二人の視線の先には、白い羽の少女たちに囲まれたイセトゥアンがいた。

「先に生贄された、有翼人の子らじゃ」

ソゴゥは徐に立ち上がると「助けに来てくれたんですね、勇者様」と大盛り上がりの輪に進み入り「はいはい、ちょっと御免なさいよ」と少女たちをかき分けて、イセトゥアンの髪を掴み上げる。

「おい、てめえ、俺たちが上で死ぬほどお前たちを心配していたのに、いいご身分だな。俺は許すが、ニトゥリーにこの状況を話したら、お前、たぶん殺されるぞ」

道行く大人の男さえ脇に避けてしまうであろう形相のソゴゥが、額を付き合わせんばかりの距離で言った。

「ひぃ、ソゴゥ⁉ お前どうやってここに」

「助けに来たに決まっているだろ、園長先生たちや、軍の人たちもいる。それより、この子たちは何? スパルナ族だろ、なんでいるんだ?」

「私たちも、落とされたから」と赤髪の少女が応える。

「生贄ってミッツが言っていたけど、どういうこと? あんたらのとこの大人の間で、子供を化け物に食わすのが流行ってんの?」

赤髪の少女が「魔力の強い者で、自分たちに抵抗できない者を選んだんだと思う」と答えた。

「だから、子供を狙うのか。でも何がしたいんだ?」

「私たちは休止している魔獣を目覚めさせ、地上へ導く餌にされたのだと思う」

「地上に引っ張り出してどうするつもりなんだ?」とイセトゥアンが尋ねる。

「分からなけれど、私が読んだ本では地上に出現した『災』という魔獣はかつて、いくつもの国を滅ぼしたって・・・・・・・」

「なんてことだ」と憂いを帯びた声を発するイセトゥアンに、いつの間にか輪に加わっていたミツコッシーがイセトゥアンの横腹を蹴る。

「すまん、なんかイラっとしたんじゃ、我慢できんかった」

ソゴゥがミツコッシーの肩を、ポンと叩く。窘めるのではなく、同意の合図だ。

数人の少女が「大丈夫ですか」とイセトゥアンを助け起こす。

ソゴゥはそれを出来るだけ視界に入れないように、赤髪の少女に「目的はなんだ、そんなことをして、スパルナ族に何の意味があるの?」と尋ねる。

「聖地奪還です。父の目的は、イグドラムの首都、セイヴにあるイグドラシルの聖骸にある知識を得ることだと思います」

挙手するソゴゥに、少女は「どうぞ」と応える。

「父って言った?」

「言いました」

「あと、聖地奪還って、化け物を世に放ってしまえば、地上は蹂躙され尽くすだろ。そしたらイグドラシルも無くなって、意味がないじゃないか」

「イグドラシルはすでに枯死した植物だから、もう奪われる命はありません。それに、父が言うには、魔獣でもイグドラシルの聖骸を破壊することはできないと。魔獣が地を破壊する間、有翼人は空へ逃げ延びることが出来ので、絶えるのは飛べない生き物だと」

「イグドラシルの知識を奪って、一体何をするつもりなんだろう」

「あれじゃ、この子の亡くなった母君を生き還らせるのが目的なんじゃないかの?」

「母は、生きています」

「ハズレかい」と頬を掻くミッツの横で、同じ事を考えていたと目で語るソゴゥ。

「母は父に愛想を尽かして出ていきました。私の父は、長年の苦しみから、理性的な考えと、他人との共感力を失ってしまいました。翼の歪んだ有翼人は長く生きません。でも、父は長く生きた歪んだ翼をもつ有翼人が得る、絶大なカリスマ性と、強運を持っていました」

「ん、ちょっと、途中から何言っているのか解らなくなった」

「あっ、すみません、有翼人の翼は折れたり、引きちぎられても、健康な翼に生え変わります。でも、生まれつき歪んだ翼をもってしまった場合、傷つき再生しても、歪んだ翼が生えてきます。そして、歪んだ翼を持つ者は、空を長時間飛ぶことが出来ません。これは、有翼人にとって大きなストレスになります。それは、心身を衰弱させやがて死に至らしめるほどの。ですから、長く生きる者は稀なのです、そうして、長く生きた者は得てして、先ほど言った通り、人を惹きつけ、説得する力を持ち、また望んだことへの手がかりを得る幸運を授かりやすいという特徴があるのです。まさに、私の父がそれです」

「なるほどね」とイセトゥアンが頷く

彼の両腕に、取り縋るように引っ付く少女たちを視界から排除してソゴゥは「じゃあ、翼を治したいのか」と尋ねる。

「最初の目的はそうだったのかもしれません。でもいまは、聖地を取り戻すことこそが、父の目的になっているのだと思います」

「俺もよう知らんが、イグドラシルに有翼人は近づけんと、絵本か何かで見た気がするが」

「はい、大昔、世界樹にはあらゆる有翼人が暮らしていたと言われています。けれど、有翼人は気性が荒く、火を好む性質から世界樹そのものから追われてしまったと。でも、枯死し、聖骸となったいまなら、奪えるのではと父は考えたのでしょう」

「それで・・・・・・・」

ソゴゥは言いにくそうに、少女を見つめる。

「二点、確認したい」

「はい」

「まず、あんたは娘なのに、なんで生贄にされたんだ」

「父にも良心の呵責があったのだと思います。父が偶然この地で『災』を見つけたとき、これを利用しようという天啓と共に、魔力の強い生物として真っ先に思い浮かんだのが私だったはずです。であれば、他人の子を浚ってくるよりも、まず自分の子をと。悩んだ末にそう決断し、実行するまでには長い時間を費やしたようです。私からしたら、諦めてほしかった・・・・・・・。父が、この場所へ足繫く通い、何かを調べている間、私も様子のおかしい父を案じて、そしてこの魔獣を見つけて、どうにかこれを世に出さないようにできないか考えました。そして今この魔獣が休止しているのは、ある図書に乗っていた、星の歌によるものです」

「星の歌?」

「はい、父が調べていた『災』の生態についての文献とは別に、『地に在るもの』との対話に用いられる旋律があると、本に載っていたのです」

「その旋律で、この魔獣が休止しているというの?」

「そうです。ここにいる皆にも覚えてもらいました。だから、あなた方の様な、魔力が桁外れな者が落ちてきても、直ぐに眠らせることが出来ました。魔獣は、魔力の強い者を吸収するたびに目を覚まそうとしましたが、あの本の歌にあった眠りの歌を、ダメもとで試してみたところ、何とかなりました」

「それはすごいな」

「お手柄じゃ」

「それで・・・・・・・」ソゴゥは目を輝かせる兄達を押しのけ、少女に確認する。

「上では俺たちの兄弟を盾にして、君の父親を含むであろうスパルナ族と、俺たちの国の者が戦っている。戦力的には俺たちに分があるようだったが、人質のせいで両者身動きが取れない。俺は、この状態を打破するつもりだが、そうすると、君たちの身内は命を落とすことになるかもしれない。どうする?」

「まず、ここから出られるのでしょうか?」

少女たちが希望に満ちた目で見てくる。

ソゴゥは横を向き「出られる」とぶっきらぼうに応える。

「この空間では、飢えることも、怪我や病むこともなく、知っている花から見たことのない花まで沢山咲いていて、時折きれいな音楽が聞こえたりして居心地は良かったのですが、流石にもう飽きました。それに、上にいる大人たちは、父であろうと私たちの敵です。どうか気にせず、私たちに協力できることがあったら言ってください」

「協力してくれるの?」

「はい」

少女たちがそれぞれ応える。

「やった、俺ちょっと思い付いたことがあるんだよね」

「ソゴゥ、何企んどるん?」とミツコッシーがソゴゥの肩に手を回す。

「この子たちが協力してくれるなら、ちょっと面白いことが出来ると思う。ここに落とされる前、ミッツやヨドがいた場所の後ろ、祭壇のようになっていた奥の壁に彫られていたのって、スパルナ族が確か熱心に崇めている神様だよね」

「はい、アヴァタラ神ですね、種族によって呼び名が異なりますが。私たち有翼人を使役する代わりに永遠の命を授けると言われています」

「よく見えなかったんだけど、どんな姿をした神様なの?」

「色々な動物や種族に身を変えると言われていますが、壁に彫られていたのは、人型のやつですね」

「それ、詳しく」

身を乗り出して、少女の話に聞き入るソゴゥ。

やがて手を打って立ち上がると、「よし! お前たち、リハーサルだ! イセ兄の特技と、この子たちとで、ド派手に登場しようじゃないか!」と声を張り上げた。


翼の折れた赤髪の有翼人の長広舌にも飽き飽きしていたころ、ミツコッシーから「そちらへ行く」との意思が飛んできた。

有翼人を囲む特殊部隊も、教師たちも、ヨド関係なしキレて突っ込みそうなイライラ感が、穴を隔て伝わってきていたため、漸くかとニトゥリーはオスティオスに報告した。

「本当か、それでいつ?」

「もういます」と背後からソゴゥがオスティオスに話しかける。その後ろにミツコッシーもいる。

「な! マジか、ソゴゥ!! すげえ!! ミッツ、お前クソッ!!」

「クソて、他に言いようあるやろ!」

「ソゴゥ!!」

教師たちに囲まれ、ソゴゥは一瞬得意げになりかけてすぐに「ヨドを助ける」これから来る者には決して攻撃しないように、向こうに合図を送れますか?

オスティオスは頷き、光の玉を二発打ち上げた。

「待機の合図だが、このタイミングで送ったのだから、何かあると伝わったとは思うが」

「では、行きますよ」

ソゴゥは縁に立ち、両手を突き出した。

まずは、薄暗い洞窟の中、穴の中心あたりの天井付近に、眩しい光りの玉が発生する。

皆の視線がそちらへと向く。

「何だアレは!」と敵味方の声が聞こえ、ソゴゥは視線をそこへ固定する。

まるで召喚するように、残りの子供たちをそこへ瞬間移動させる。

光りが弾け、中から現れたように、浮遊する翼を持つ者たち。

その中心にいる者に、スパルナ族の者は打ち震え感嘆の声を上げ、中には気絶する者までいた。

白く輝く長い髪、桃色を帯びた黄金色の肌、腹をベルトのように抑える二本の腕のほかに、四本の腕はそれぞれ蓮の花、牡丹、百合、タイサンボクを持ち、四枚の赤い翼はメラメラと燃え続けている。額に一つの縦長の目、そのほか四つの目が赤い光彩を光らせ、下半身に金の布を纏っている。

そして、その中心なる神に付き従うように、赤く燃える翼を持った青い肌をもつ少女たちが取り囲む。

「おお、我らが神よ」

ひれ伏す者たち、そして啞然として立ち尽くす赤髪の男。

この瞬間に、ヨドゥバシーが特殊部隊によって奪還されていたにも拘らず、スパルナ族たちはそれどころではないと、神を崇め奉っている。

こちら側から見れば、中心のイセトゥアンを有翼人の少女が抱えて飛んでいるのが丸わかりなのだが、向こうからは見えないように工夫されている。

「俺、プロデュース」と、ドヤ顔で振り返るソゴゥ。

夜な夜な練習していた、立体映像やプロジェクションマッピングの要領で、このエンタメ空間を生み出している。とはいえ、楽しんでいるのはソゴゥただ一人だったが。

オスティオスも、ニトゥリーも、イセトゥアンとその他の有翼人が、何らかの方法で神々しく演出されていることは理解しているが、その方法の難解さと、それをやっているのがこの十歳のソゴゥだということに驚愕し、固まっていたのだ。

ソゴゥは、向こう側でスパルナ族が制圧されたのを確認し、イセトゥアンをこちらに呼び戻す。少女たちもやってきて、感謝を伝えるようにソゴゥを取り囲み、涙と鼻水で顔を汚しながらも大はしゃぎだ。

「ちびコーチ見てくれましたか!」

「よくやったなお前たち! 赤毛もよく頑張ってイセ兄を持ち上げたな」

「グレナダです私の名前、ちびコーチの名前も教えてください」

「ソゴゥだよ」と耳を真っ赤にしてソゴゥが横を向く。相変わらず、ふざけていないとまもに異性と話せないようだ。

「イセ兄よ、それどうなっとるん?」

「イセ兄は、変身が出来るんだよ。別人に変身することもできるし、肌の色や、目の色を変えたり、髪の毛や爪の長さを変えられるんだよ。俺、イセ兄が別人になりすまして、女子の追跡から逃れているのを目撃して知ったんだけどね。その後、何ができるか追求しまくって、この魔法のことを吐かせた」

「魔法はともかく、クソじゃ」

「クソよ」と唾棄するように言うニトゥリーとミツコッシー。

「いや、まずは褒めてくれよ~」

「それで、ソゴゥ、この有翼人の少女たちは?」

「園長先生、この子たちも俺たちのように、化け物に生贄にされたんだ。お家に帰してあげて!」と急に子供らしい、ウルウルした目で訴えるソゴゥ。

兄弟達からは「わざとらしすぎない?」と言われているが、教師たちには覿面である。

教師たちはとにかく園の子供には甘い。そして自覚がないのである。

スパルナ族の大人たちは全て拘束され、特殊部隊が有翼人たちの国、ガルトマーン王国の衛兵を呼んできて引き渡した。駆け付けた衛兵は赤い翼をもつガルーダ族だったが、先のイセトゥアンたちの扮装のように燃え盛ってはいない。あれは、ソゴゥの演出によるもので、火の鳥をイメージしたものだった。

星蝉が発見された以上、各国の圧力や緊張は高まることだろう。だが、かの化け物は一所に留まることをしない。いずれ目を覚まし、早めに何処へ行ってくれることを願うばかりだ。

スパルナ族の男が、自分の娘をあの化け物に捧げて、十年以上が経過しているということだった。一瞬動き出した星蝉は、何故かすぐに休止状態となったという。実は、自分の娘が、星蝉を中から眠らせていたのだが、そうとは知らず、カルトの様な洗脳で仲間を集め、魔力の強い子供を浚ってきては投げ入れ続けた。

それが、効果がないと見切りをつけ、もっと魔力の強い者が必要だと、十年前白羽の矢が立ったのが、この兄弟達だった。そこから、十年の計画にて連れ去りを成功させたのだ。

星蝉の中にいた少女たちは、十年の時の経過に驚いていた。彼女たちは、投げ入れられて、せいぜい数ヶ月くらいに思っていたという。

特殊部隊五人のうち三人と、数人の教師を状況説明のために残し、オスティオスと子供たちは帰国の途に着く。

全てが終わったと安堵の帰路へつかんとする中、約一名だけが、いまだ号泣し続けている。

「恐がっだよう、マジでみんな喰われちゃったがど思っだよう、うあああん」

ソゴゥの腰に取り付いて泣き続けるヨドゥバシー。

「うぜえ、離れろ」

「だって、だって、うあああん」

「こいつ、人の服で鼻水拭いてる・・・・・・・」

オスティオスは年相応の反応を見せるヨドゥバシーに、ほっこりした気持ちになる。

ソゴゥに至っては、中に成人男性が入っているんじゃないかとさえ疑っていた。

肝が据わりすぎている。

「ヨドよ、お前が有翼人に捕まって、震えながら兄弟を心配している間、イセ兄はのう、有翼人の女子にひとり囲まれて、ハーレムをご満悦よ」

「マジで?」

「おう、マジでじゃ」

「勇者様って言われて、ご満悦だった」

「いやいやいや、ちがうって、そんなことないって」

光速で首を振るイセトゥアン。

ヨドゥバシーはイセトゥアンを冷めた目で一瞥したのち「俺、今日、ソゴゥと寝る~」と甘えだした。

「ソゴゥ、マジ無敵」

「それな」

「よせよ~、もっと褒めろ、お願いします」

ふんぞり返るソゴゥを、ヒョイと持ち上げ、ペル・マムは自分の飛行竜に乗せる。

「さあ、そろそろ帰りましょう」

「か、母さ、先生・・・・・・・」

「うふふ、皆が無事で本当に良かったわ」

一行は飛行竜に乗ってガルトマーン王国の火山群を飛び立った。

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