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第73.1話 play a duet

 ストリートピアノの白い鍵盤が、ショッピングモールの照明を受けて鈍く光っている。俺は深く息を吸い込むと、指先に神経を集中させた。


 今日弾く曲は、拓哉が選んでくれた楽曲リストの中から選んだ「Luminous」。最初にこの曲の歌詞を見た時、胸の奥がざわついたのを覚えている。


 指がピアノの鍵盤に触れると、静寂を破って最初の音が響く。低音域の重厚な和音から始まって、徐々にメロディーラインが浮かび上がってくる。周りのざわめきが消えて、俺の世界には音楽だけが存在していた。


 頭の中で歌詞が流れる。


 見上げた夜空 光ひとつもない

胸の奥 冷たく凍えてた

誰の声も 届かない場所で

ただ息をしてた 名前も忘れて


 でも かすかに響いたの

あの日の音が

閉ざした扉の奥 揺らぎ始めた鼓動――今


 Luminous 音に乗せて

涙さえも歌に変えて

夜空に 火を灯すように

心を焦がしてゆく

私たちは 今を 生きている


 Luminous 闇を裂いて

いま 生まれ変わるこの瞬間

重ねた声 未来を呼ぶよ

誰にも消せない音

私たちは ずっと Luminous。


 この言葉を初めて読んだ時、俺は息が詰まりそうになった。まるで俺の心を覗き見られたような、そんな不思議な感覚だった。


 最初のサビが終わりに近づく。俺は心の中で曲の構成を思い描きながら、次に来るラストサビへの準備を始めた。ここからが、俺なりのアレンジの見せどころだ。


 突然、指の動きが激しくなる。原曲にはない装飾音符を散りばめながら、ベースラインを太く響かせる。左手が踊るように鍵盤を駆け抜けて、右手はメロディーラインをより感情豊かに奏でていく。


「おおお……!」


 周りから驚きの声が上がった。でも俺は集中を切らさない。この瞬間こそが、俺が音楽で表現したかった感情の全てだった。


 真珠のことを思い出す。苦しくて、激しい憎悪に心が支配されそうになった。千秋のことまで頭をよぎって、俺はもう何もかもが嫌になりそうだった。


 でも……。


 この曲の歌詞が、ふと頭に浮かんだ。まるで俺の今の気持ちを言葉にしてくれたような感覚に、俺は少なからず救われたんだ。音楽って、やっぱりいいな……そう感じた瞬間でもあった。


 音だけは俺を裏切らない。暗闇の中でも、その音が光となって俺を導いてくれる。今、周りから聞こえてくる歓声や拍手、そして時折自分の口から漏れ出るチック音も、もはや全てが美しく混ざり合った完成された音に聞こえてくる。


 右手が最後の高音域を奏でる。余韻が静かにフードコートに響いて、やがて消えていった。


 一瞬の静寂の後、周りから大きな拍手と歓声が沸き起こった。


「すげー!」


「めちゃくちゃ上手い!」


「感動……!」


 俺は鍵盤から手を離すと、ゆっくりと振り返った。すると、拓哉がカメラを持って親指を立て、にやりと笑っているのが見えた。


「最高だったぞ、優斗!」


 拓哉の満足そうな顔を見て、俺も自然と笑顔になった。何だか、心の底から音楽を楽しめた気がする。


 俺は立ち上がると、周りの観衆に向かって深々とお辞儀をした。みんなが温かい拍手を送ってくれて、胸の奥がじんわりと熱くなる。


「あ、ありがとうございました」


 俺の声は少し震えていた。でも、それは悲しみからじゃない。久しぶりに感じた、純粋な喜びからだった。


 その時だ、拍手の余韻がまだ続いている中、俺の視界の端に何かが映った。フードコートの向こう側から、こちらに向かって走ってくる人影がある。


 誰だろう……?


 よく見ると、それは女の子だった。肩まである黒髪で、なんというか……すごくスタイリッシュな格好をしている。首には黒いチョーカー、耳にはシルバーのピアスが光っている。肩にはギターケースを背負っていて、前髪に付けた×型のヘアピンが印象的だ。


 なんかすごく際立つ子だな……あ、目が合った……。


 その瞬間、走ってきていた女の子が急に足を止めた。そして、なぜか顔が真っ赤になって、口をパクパクと開いたり閉じたりしている。


「あ、あ、あ……!」


 な、何この子……?よく見るとすごく美人だけど、何かすごく慌ててる……。俺に何か用があるのかな?


 でも、この反応は……もしかして俺のこと怖がってる?え?なんで……?


「ピ、ピン子!足早すぎやって!」


 突然、金髪のボブカットの女の子が息を切らしながら現れた。八重歯がチラリと見えて、なんだかすごく人懐っこそうな印象だ。


 ピン子……って呼ばれた黒髪の子が振り返る。


「や、八重……」


 八重……この金髪の子か。


「はぁはぁ……」


 八重が息を整えながら、黒髪の子を見る。


「に、にしても、あんたホンマはあがり症なんやから、もうちょい落ち着きいや」


「なっ!あ、あがってないし……」


 ピン子がスンとした顔になる。でも、まだ顔は赤いままだ。


「おい優斗……」


 拓哉が俺の肩を叩いた。


「この子たちもお前の知り合いか?お前の周り、美少女率高すぎじゃね?」


 恨めしそうな顔で言う拓哉に、俺は慌てて手を振った。


「な、なんだよそれ。知らないよ、初めて見る子たちだし」


「お~、あんた口上手いな~」


 八重が拓哉の腕を肘で軽く小突いた。


「え?あ、いや、そんなつもりじゃ……」


 拓哉が慌てているのを見て、八重がケラケラと笑う。


「ほな自己紹介しよか。うちは藤乃宮八重子、八重ちゃんって呼んでや」


 藤乃宮八重子……八重ちゃんか。覚えた。


「んで、こっちはうちの友人で東雲美紗ちゃんや」


 東雲美紗……美紗ちゃん。さっきまでピン子って呼ばれてた子だ。


「ども……」


 美紗が俺たちの方を見ずに、そっけなく言った。


 し、塩対応……。やっぱり俺のこと嫌いなのかな……。


「ああ、気にせんといて」


 八重がケラケラ笑いながら言う。


「この子、緊張するとすぐこうやってツンツンすんねん。ホンマは人見知りなだけやか――」


「ぐおっ……!」


 突然、八重が脇腹を押さえて悶絶した。見ると、美紗の膝が八重の脇腹にクリーンヒットしている。


「お、おまっ……」


 八重が苦悶の表情を浮かべる中、美紗は何事もなかったかのように目を逸らし、口の中でガムをぷくっと膨らませた。


 こ、怖っ!この子怖いんだけど!?


「な、なんかワイルドな子だな、優斗……」


 拓哉がごくりと喉を鳴らしながら呟く。


「う、うん……」


 俺も思わず頷いてしまった。美紗……確かにワイルドだ。


「だがそこがいい!」


 突然、拓哉の目がキラキラと輝いた。


「いいんだ……?」


 俺は呆れた顔で拓哉を見る。こいつ、実はダメな奴かもしれない……。


「あ、俺は天川優斗、そしてこっちが友達の佐伯拓哉」


「ども!拓哉って呼んでください女王様!」


 えーと……拓哉……君?


「あの……」


 その時、美紗が突然口を開いた。俺は反射的に身を正す。


「無視か!だがそこもいい!」


 拓哉、ちょっと黙ろうか……。


 拓哉に冷たい視線を送りつつ、俺は美紗に振り返り口を開いた。


「あ、は、はい?」


「その……」


 美紗が俺から目を逸らしたまま、ぼそりと呟く。


「連弾……やってみない?」


「連弾……ですか?」


 連弾……。その言葉を聞いて、俺はカルマくんとのセッションを思い出した。あの時はもやもやした気持ちのまま演奏して、なんだかうまくいかなかった。でも今なら……今なら、前よりも自分が弾きたい時に音を出せるようになった気がする。


「わ、分かりました。俺でよければ、いいですよ」


 俺がやんわりと微笑むと、美紗が一瞬だけこちらを見て、また顔を赤らめた。


「……っ」


 美紗は小さく咳払いをすると、背負っていたギターケースを八重に押し付けた。


「持ってて」


 その時の美紗の視線が、なんだか八重を睨みつけているように見えた。


「は、はひ!」


 八重がビビりながら返事をする。


 うっ……やっぱりちょっとこの子怖い……。


「ああ……女王様って呼びたい……」


 ふと隣を見ると、拓哉が目をキラキラさせながら美紗を見つめていた。


 おい拓哉……マジで引くから……。


 美紗がゆっくりとピアノの椅子に腰掛ける。そして、ちらりと俺に視線を送った。


 俺も覚悟を決めて、隣に座る。周りの人たちも、また何か始まるのかと察して、再び俺たちの周りに集まり始めた。

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― 新着の感想 ―
優斗が報われますように。 他の方が書いてありましたが、……確かになぁ〜。 真珠ちゃんはまだ千秋と違って、決定的なヤラカシはしてないんだよなぁ〜…。 でもそれも時間の問題な気がする…。 これからも頑…
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