第64話 油断大敵
夕暮れが店内に差し込む頃、俺たちの気持ちは次第に高揚していた。
アニメタイアップのオーディション企画。ネット配信での生ライブに視聴者投票。確かに緊張するけど、同時にワクワクする気持ちの方が大きかった。これまで積み重ねてきた全てを、音楽にぶつけられるチャンスなんだ。
「でもさ、配信って実際どんな感じになるんだろう」
俺はストローでドリンクをかき混ぜながら呟いた。氷がカラカラと音を立てて、その音が妙に心地よい。
「まあ、普通のライブと変わらねえんじゃね?ただ観客が画面の向こうにいるってだけで」
北斗が軽く肩をすくめる。彼女はいつも余裕があるように見えるけど、きっと内心では俺以上に燃えているんだろう。
「でも画面越しだと、観客の反応が直接感じられないから難しい」
美弥がコーヒーカップを両手で包みながら、静かに呟く。確かにそれは大きな違いかもしれない。ライブの醍醐味って、観客との一体感だからな。
「大丈夫だって!私たちの音楽なら、きっと画面の向こうにも届くよ」
真珠が明るく笑いながら言う。その笑顔を見ていると、自然と不安も和らいでくる。彼女のそういうところ、本当に……。
そんな時だった。
プルルルル——
真珠のスマホが、テーブルの上で軽やかに鳴り始めた。彼女は手を伸ばして画面を確認すると、少し眉をひそめる。
「あれ?ママ?」
真珠の声に、なんとなく困惑が混じっているのが気になった。普段なら「ママからだよ〜」なんて明るく言うのに、今日はどこか歯切れが悪い。
「珍しいな、この時間に」
北斗がちらりと真珠を見る。
「うん……何だろう」
真珠は少し迷ったような表情を見せてから、通話ボタンをタップした。
「もしもし、ママ?どうしたの?」
いつもの明るい声で電話に出る真珠。でも、俺にはその声に微かな緊張が混じっているのが分かった。隣に座っているからか、彼女の表情の変化がよく見える。
最初は普通に相槌を打っていた真珠だったが、徐々にその表情が変わっていく。
「えっ?」
突然、真珠の声が高くなった。俺たちも思わず彼女の方を見る。
「何で急に……え、はあ?パパが!?」
パパ?真珠のお父さんといえば、確かミュージシャンだったはず。真珠が時々話してくれる内容だと、世界各地を飛び回っているとても忙しい人だと聞いている。
「う、うん……うん……」
真珠の声が、だんだん小さくなっていく。普段の彼女らしくない、どこか弱々しい響きが混じっている。それが俺には気になって仕方なかった。
「一応聞いてはみるけど……うん、分かった……」
通話の向こうから聞こえてくる声は、俺たちには内容までは分からない。でも真珠の反応を見ていると、何か重要な話をしているのは確かだった。
やがて真珠は「じゃあまた後で連絡するね」と言って通話を切った。そして、ふうっと小さくため息をつく。
「おつかれさん」
北斗が頬杖をつきながら、何気なく声をかけた。
「なんかあったのか?」
その問いかけに、真珠は一瞬言いよどんだ。いつものように即答しないのが、やっぱり気になる。
「あ、うん……」
真珠は少し俯きながら答えた。
「パパが、日本に帰ってくるんだって」
「えっ?マジかよ」
北斗が驚いたように身を乗り出す。
「お前んとこのパパって、確か海外のミュージシャンだよな?結構忙しい人だって前に聞いたけど」
「うん……普段は本当に忙しくて、なかなか帰ってこられないから」
真珠の声には、複雑な感情が混じっているように聞こえた。嬉しいはずなのに、どこか戸惑っているような。
「それは良いことじゃないか。久しぶりに会えるんでしょ?」
俺が言うと、真珠は少し困ったような表情を見せた。
「それがね……」
真珠は手元のナプキンをくしゃくしゃと丸めながら続けた。
「命の恩人に会って、お礼を言いたいんだって」
「命の恩人?」
俺は眉をひそめた。随分と大げさな言い方だけど、一体何があったんだろう。
すると北斗が、何かに気づいたような顔をした。
「命の恩人って……もしかして、アレのことか?」
「アレ?」
俺はその言葉に反応して、北斗を見返した。
その瞬間、真珠がぱっと顔を上げて、慌てたように両手を振った。
「あ、え、う、ううん!」
明らかに動揺している。頬も少し赤くなっているし、視線もあちこち泳いでいる。
「な、何でもないから!優は気にしないで!」
「え、でも命の恩人って……」
気になって聞き返そうとした俺に、真珠は突然立ち上がった。
「あ、ほら優!これも美味しいよ!」
そう言いながら、目の前のパフェからイチゴをスプーンですくい、そのまま俺の口に向かって突っ込んできた。
「んぐっ!」
予想外の攻撃に、俺は思わずむせ返る。甘いイチゴの味が口の中に広がったけど、それよりも真珠の慌てっぷりの方が気になった。
「美味しいでしょ?」
真珠が無理やり笑顔を作って言う。でも、その笑顔がどこかぎこちないのが丸わかりだった。
そんな時、北斗のスマホが軽やかな音を立てた。
「おっ、噂をすれば何とやらだな」
北斗がスマホを手に取りながら、興味深そうに呟く。
「何々?」
俺たちの視線が一斉に北斗に向く。真珠も、さっきまでの慌てた様子を忘れたように北斗を見つめている。
「何の連絡?」
真珠が身を乗り出して聞いた。
「シャンプロからだ」
北斗がスマホの画面を見ながら答える。
シャンプロ——シャングリラプロダクション。今回、アニメのタイアップ曲を依頼してきた制作会社だ。きっと、オーディションの詳細について何か連絡があったんだろう。
「マジか……こりゃまた面白い展開になりそうだな」
北斗の口元に、いたずらっぽい笑みが浮かんだ。その表情を見ていると、きっと俺たちが予想もしていないような内容なんだろうという予感がする。
俺は口の中のイチゴを飲み込んでから、北斗に聞いた。
「面白いって、どういう意味?」
北斗がスマホの画面を一瞥してから、ゆっくりと顔を上げた。その口元に浮かんだニヤリとした笑みが、何かとんでもない爆弾を抱えているのを物語っている。
「俺らの対戦相手が決まったぜ」
その一言で、テーブルの空気が一変した。さっきまでの真珠の父親の話なんて、一瞬で吹き飛んでしまった。
「誰だれ?」
真珠が身を乗り出して、目をキラキラと輝かせながら聞く。その表情は完全にワクワクモードで、さっきまでの困惑した様子は影を潜めていた。やっぱり音楽の話になると、真珠は別人みたいに活き活きしてる。
「まあ、予想通りっちゃ予想通りなんだけどよ」
北斗がもったいぶるように間を置く。俺も思わず身を乗り出していた。
「PRISM」
「おお!」
真珠が手を叩いて喜ぶ。
「いいじゃない、いいじゃない!やっぱりって感じだよね!」
確かに、PRISMなら納得だ。スポンサー受けも良いだろうし、俺たちとしても手応えのある相手だ。
「でもさ、PRISMだけじゃ物足りなくない?」
美弥がコーヒーカップを置きながら、ぽつりと呟く。
「まあ、確かにな。あいつらだけじゃ——」
北斗がそこで言葉を切って、いたずらっぽく笑った。
「と言いつつ、実はまだ続きがあるんだな~これが」
「え?」
俺は眉をひそめた。まさか、もう一組いるのか?
「あとな……」
北斗が間を置いてから、爆弾を投下した。
「カルマの野郎も参戦だ」
「えっ?」
俺は思わず声を上げた。
「ちょっと待って、それって三組ってこと?」
三組でのオーディション?それは予想していなかった。てっきり一対一の勝負だと思っていたのに。
「相手にとって不足なし」
美弥がぼそりと呟きながら、アイスクリームをスプーンですくい上げる。その無表情な顔に、かすかな闘志が宿っているのが見えた。
「よーし!よく言ったじゃねーか、美弥!」
北斗が勢いよく美弥の背中を叩いた。その瞬間、美弥が口に運ぼうとしていたアイスクリームが、反動でぽたりと落ちる。
「あ……」
美弥の口元が、バニラアイスで真っ白になっていた。でも表情は相変わらず無表情で、その落差が何ともシュールだった。
「………筋肉メスゴリラ」
美弥が恨めしそうに北斗を見上げる。
「んだとぉ!?今なんつった!?」
北斗が立ち上がりそうな勢いで身を乗り出す。
「ま、待って待って!」
俺は慌てて二人の間に割って入った。この二人、放っておくと本当に喧嘩を始めそうだから困る。
「PRISMは分かるけど、カルマさんはソロでしょ?どうやって三組で競うの?」
俺の疑問に、北斗がニヤリと笑った。その笑顔が、また何か裏があることを示している。
「その件なんだけどよ……」
北斗の視線が、ゆっくりと真珠に移った。
「真珠」
「え?なに?」
真珠がきょとんとした顔で北斗を見返す。俺も嫌な予感がしてきた。まさか……。
「カルマはボーカルに、お前を指名してきてるぞ」
「え……えええええ!?」
真珠が椅子から飛び上がりそうな勢いで驚いた。自分を指差しながら、目を丸くしている。
「わ、私に!?なんで!?」
「ちょっと待ってよ」
俺も慌てて口を挟んだ。
「それって俺たちとカルマさんの曲を、真珠が両方歌うって事でしょ?不利じゃないか?だって、真珠はカルマさんにとってライバル側でしょ?」
確かにおかしい。普通なら、自分のライバルを味方に引き入れるなんて、戦略的に考えてもメリットがない。
「真珠がそんな姑息な真似すると思うか?」
北斗が鼻で笑いながら言う。
「向こうもそれ分かってて指名してんだよ。いかにもカルマらしいやり方だぜ」
なるほど……確かに真珠なら、たとえカルマさんと組んでも、手抜きなんて絶対にしないだろう。音楽に対して、彼女は誰よりも真摯だから。
「どうする、真珠?」
北斗が真珠の方を向いて聞く。
「一応、断ることもできるからな」
「う、う〜ん……」
真珠が困ったような表情で、手をもじもじと組み合わせる。その仕草を見ていると、彼女がどれだけ悩んでいるかがよく分かった。
しばらく沈黙が続いた後、真珠がふと俺の方を向いた。
「……優はどう思う?」
突然話を振られて、俺は戸惑った。
「え、俺?」
「うん。どう思う?」
真珠の瞳が、真っ直ぐ俺を見つめている。その視線には、俺の意見を本当に聞きたがっているのが伝わってきた。
でも、俺はどう答えればいいんだろう。正直な気持ちを言えば、真珠が他の男と組むなんて、あまり面白くない。でも、それは俺の個人的な感情で、音楽的には……。
「う、うん……」
俺は言葉を選びながら答えた。
「真珠が良いと思うなら、別に……俺は構わないよ」
本当はもっと違うことを言いたかった。でも、真珠の音楽に対する想いを考えると、俺の個人的な感情で邪魔をするわけにはいかない。
「そっか……」
真珠の表情が、少し曇った気がした。
「うん……分かった」
その声には、どこか寂しさが混じっているように聞こえた。俺の答えが、彼女の期待していたものと違ったのかもしれない。
北斗がスマホの画面を見ながら、呟くように言った。
「カルマの野郎、なんて書いてるかっつーと……『真珠さんのために作った特別な楽曲があるので、ぜひお願いしたい』だとよ」
そう言ってから、北斗が舌を出した。
「ったく、よく言うぜ」
真珠のために作った楽曲……その言葉が、なぜだか胸にチクリと刺さった。カルマさんが真珠のことを、どんな風に思っているのか、余り想像したくない。
「そろそろ帰らなきゃ」
美弥が突然立ち上がった。口元のアイスクリームは、すでにナプキンで拭き取っている。
「家の店番、頼まれてるから」
「あ、もうこんな時間か」
北斗が腕時計を見ながら言う。俺も時計を確認すると、既に六時を回っていた。店内は薄暗くなり始めていて、外を見ると夕焼けが街並みを優しく染めている。一日がもう終わろうとしている。
「優、途中まで一緒に帰ろうよ」
真珠が俺に向かって言った。その顔には、いつもの明るい笑顔が戻っている。
「あ、うん」
俺は頷いた。正直、真珠ともう少し時間を過ごしたかったし。
「不純異性交遊は禁止」
美弥がぼそりと言った。相変わらず無表情だけど、なんとなく茶化しているのが分かる。
「ふ、不純なことなんてしてないもん!」
真珠が顔を真っ赤にして反論する。その慌てっぷりが可愛くて、思わず笑ってしまった。
「ま、まあまあ」
俺は苦笑いしながら真珠をなだめる。美弥のからかい方も、だんだん巧妙になってきている気がする。
「とりあえず、また詳しいことが分かったら連絡するよ」
北斗が立ち上がりながら言った。
「うん、よろしく」
俺たちもそれぞれ返事をして、席を立った。
会計を済ませて店の外に出ると、夜の空気が頬を撫でていく。街灯がぽつぽつと点き始めて、住宅街の向こうから夕飯の匂いが漂ってくる。一日の終わりを告げる、穏やかな時間だった。
「じゃあな、お疲れさん」
北斗が手を振りながら、美弥と一緒に駅の方へと歩いていく。
「お疲れ様」
俺と真珠も手を振り返して、二人を見送った。
そして、俺たちは反対方向へと歩き始めた。真珠が隣にいるだけで、いつもの帰り道がなんだか特別なものに感じられる。街灯の下を通るたびに、真珠の横顔が柔らかく照らされて、思わず見とれてしまいそうになった。
商店街の明かりが暖かく足元を照らしている。平日の夜にしては人通りも少なく、俺たち二人だけの静かな時間が流れていた。真珠の足音が俺の歩調に合わせてリズムを刻んでいて、なんだかそれだけで心が落ち着く。
でも、さっきからなんとなく真珠の様子がいつもと違う気がした。普段ならもっと色々話しかけてくるのに、今日は妙に静かで、時々横目で俺の方をちらちら見ている。
「ねえ、優?」
歩きながら、真珠が俺を見上げて声をかけてきた。その声には、いつもの明るさに加えて、ほんの少しだけ恥ずかしそうな響きが混じっている。
「ん?何?」
俺は歩調を緩めながら答えた。真珠の表情を見ようとしたけど、彼女は俯きがちで、よく見えない。
「手……」
真珠がもじもじと指を絡めながら、小さな声で続けた。
「繋ぎたい……」
その一言で、俺の心臓が大きく跳ねた。手を繋ぐ?今?この状況で?
「あ、う、うん……」
俺は慌てて返事をしながら、おずおずと手を伸ばした。緊張で指先が少し震えているのが自分でも分かる。いつもなら真珠の方から手を取ってくるのに、今日は俺から……。
真珠がそっと俺の手を握った。その瞬間、彼女の指が俺の指の間に滑り込んできて——これは、恋人繋ぎって呼ばれるやつじゃなかろうか!?。
心臓がバクバクと鳴り出す。真珠の手は思ったより小さくて、温かくて、そして少しだけ汗ばんでいる。彼女も緊張してるんだな、と思うと、なんだか安心した。
「優と手を繋ぐと……」
真珠が歩きながら、照れたような笑顔を浮かべる。
「安心するんだ……」
その笑顔があまりにも愛らしくて、俺は思わず立ち止まりそうになった。でも真珠が歩き続けているから、慌てて足を動かす。
「うん……俺も、安心する」
本当にそうだった。真珠の手を握っていると、今日あった色々なことが、全部どうでもよくなってしまう。カルマさんのこととか、オーディションのこととか、そんなものより今この瞬間の方がずっと大切に思えた。
しばらく無言で歩いていると、真珠がふいに呟いた。
「優が魔法使いだったらいいのになあ……」
その声は風に紛れて、よく聞き取れなかった。
「え?今何て言った?」
今魔法使いって聴こえたような……。
俺が聞き返すと、真珠はハッとしたような顔をして、慌てて首を振った。
「あ、ううん!何でもない!」
一体何だったんだろう。でも真珠の反応を見ると、深く追及しない方が良さそうだった。
「うん……そっか」
俺も適当に返事をして、それ以上は聞かなかった。
角を曲がったところで、真珠が急に歩みを止めた。
「私……」
振り返った真珠の表情は、いつもより真剣だった。
「音楽には嘘をつきたくないから」
その言葉の意味を理解するのに、少し時間がかかった。
ああ、カルマさんのことか。
「カルマさんの曲、ちゃんと一生懸命歌うよ」
真珠の瞳が、街灯の光を受けて揺れている。その真摯な表情を見ていると、胸の奥が少し痛んだ。
「うん……分かってるよ」
俺は複雑な気持ちで微笑んだ。分かってる。真珠はそういう子だから。音楽に対しては絶対に妥協しないし、手抜きもしない。たとえ相手がライバルであっても。
だからこそ、俺は……。
「だから……」
真珠がそこで言葉を切って、俺の手を離した。そして俺の正面にくるりと回り込んで、まっすぐ俺を見上げる。
「優も、私のために素敵な曲を作ってね」
その瞬間、真珠の顔に満面の笑みが浮かんだ。今まで見た中で一番美しい笑顔だった。街灯の光が彼女の金色の髪を輝かせて、まるで天使みたいに見える。
「……うん」
俺は言葉を噛みしめるように答えた。
「もちろん!」
その瞬間だった。
真珠が背伸びをして、俺の頬にそっと唇を寄せた。
柔らかくて、温かい感触。一瞬の出来事だったけど、時間が止まったように感じられた。
「へっ……」
俺は頬をそっと撫でながら、その場に固まってしまった。
今の、キスだよね?頬だけど、キスだったよね……?
「えへへ」
真珠が顔を真っ赤にしながら、いたずらっぽく笑った。
「不純異性交遊、しちゃった」
その言葉で、俺の頭の中が真っ白になった。美弥の言葉を、そのまま使うなんて。でも真珠の頬が赤く染まっているのを見ると、彼女も相当恥ずかしがっているのが分かる。
「ここまででいいよ」
真珠がくるりと背中を向けて、俺から数歩離れた。
「また明日ね、優!」
そう言い残すと、真珠は小走りで角の向こうに消えていった。最後に振り返って手を振る姿が、夜の闇に溶けていく。
俺はしばらくその場に立ち尽くしていた。
頬がまだ熱い。真珠の唇の感触が、まだ残っている気がする。これは夢じゃないよな?本当に起きたことだよな?
家まで歩いて帰ったはずなのに、その記憶がまったくない。玄関の鍵を開けたのも、靴を脱いだのも、全部無意識にやっていたらしい。
「あら、遅かったのね」
リビングから母さんの声が聞こえた。
「ご飯もう用意してあるから、すぐに食べられるわよ?」
「うん……」
俺は力の抜けた返事をして、そのまま階段を上がった。食事のことなんて、今は全然頭に入らない。
部屋に入ると、俺はベッドにバタリと倒れ込んだ。天井を見つめながら、しばらくピクリとも動かない。
でも、次の瞬間。
「キ、キスだよね!?」
俺は跳ね起きて、手足をバタバタと動かしながら叫んだ。
「さっきのキスだったよね!?」
改めて口にすると、現実味が増してくる。本当にキスされたんだ。真珠に……。
興奮が収まらなくて、俺は再びベッドに寝転がった。天井を見つめながら、今日の出来事を思い返す。
「頬だったけど……」
嬉しそうに呟きながら、頬にそっと手を当てる。まだ少し熱い気がした。
ポケットからスマホがポロリと落ちる。立ち上がりなんとなく拾い上げると、通知マークが点滅していた。
「真珠からメッセージが来てる……」
もしかして、さっきのことについて何か言ってくれてるのかな?そんな期待を胸に、俺はメッセージを開いた。
でも、そこに表示されたのは——
写真だった。さっきファミレスで、真珠が北斗に対抗して撮った、あの写真。
俺の頭の中が真っ白になった。
白い肌着に透けて見える黒のブラ……。
スマホを持つ手が震えて、そのまま俺はベッドから転げ落ちた。その衝撃で、部屋の棚に置いてあった本やフィギュアが次々と床に落ちて、ガシャンガシャンと派手な音を立てる。
「優斗〜?今すごい音がしたけど、大丈夫?」
一階から母さんの心配そうな声が聞こえてきたけど、俺は返事ができなかった。床に倒れたまま、天井を見つめて硬直してしまった。
真珠の唇の感触と、あの写真の光景が、鮮明に脳裏をよぎってくる。
「……無理だ……死ぬ……」
枕に顔を埋めたまま、小さく呟いた。
これ……明日、どうやって会えばいいんだよ……。