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第54話 恋する日曜日、香水は甘い香り?

「んなもん知るか!」


 深夜1時。北斗の怒声がスマホの通話口から響き渡る。


「そこを何とかしてよ!頼むって!」


 必死の思いで懇願する俺に、北斗は鼻で笑った。


「はあ?いい加減にしろよ。いつまで同じ事聞くつもりだよ」


「だって……」


 どうしても聞きたくて、もう何度目か分からないくらい同じ質問をしていた。でも北斗は毎回同じ返事。冷たくあしらわれていた。


「だからさ、もう一回だけ教えてよ」


「うるせぇなぁ!お前なぁ……」


 力が抜けたような溜息が聞こえて、少し言いづらそうに思い切って聞く。


「明日、どんな服着ていけばいいと思う?教えてよ北斗!」


「だから知るかボケ!」


 また切れ気味に言われてしまった。明日は日曜日で……真珠との約束のデート。あ、いや、デートに誘ったわけじゃないんだけど……。そう、学校のあの場面から数日。ついに待ちに待った日曜日。


 でも考えても見てほしい。あれってデートに誘ったようなものだよね?だって「気分転換に付き合って」とか言ったし、真珠も「日曜日!前と同じ時間と場所で!」って急に叫んだんだ。ふつうに考えたらデートでしょ。きっと。多分……。


「何なんだお前らは!」


突然の北斗の声に、俺は思わず耳をスマホから離した。


「お、お前ら?」


その言葉が引っかかり、思わず聞き返す。お前ら?って何?


「あーもう!お前もあいつも!」


「え?あいつって……真珠のこと?」


北斗の言ってることが理解できなくて困惑した。


「そうだよ、あいつからもさっき電話あったんだよ」


「え……」


頭が真っ白になる。真珠から、北斗に?一体何の話?


「なんで……真珠が?」


「はぁ?知らねえよ、いきなり俺の電話に掛けてきて『お前とマジもんのデートするから何着ていけばいい?』とか『どこ行ったらいい?』とか、しまいにゃ『優斗はどんな匂いが好きかな?』とか、香水まで聴いてきたんだぞあいつ!?しかも気づいたら三時間もずっとそれだぞ!?お前らそろいもそろってきでも狂ってんのか!?」


 あまりにも切れすぎて、通話越しでも息遣いの荒さが伝わってくる。


「そんなこと……真珠が言ったの?」


 俺の声は自分でも分からないほど小さくなってしまった。香水?何それ?そもそも真珠もデートって考えてたんだ。しかも北斗に相談してたなんて……。


「な、なんかごめん」


急に申し訳なくなって素直に謝った。


「はぁ……もういいよ」


北斗はため息をついて、諦めたような声を出した。そして、急に何かをひらめいたように言う。


「あ!そうだ……そんなに迷ってんなら俺とデートでもして度胸つけてみっか?」


「ぶほっ!?」


思わず飲んでいた水をむせ返した。


「な、何言ってんの!?そ、それにデートは明日だよ!」


必死に抗議する俺に、北斗は笑い転げてる。


「あははは!お前ホントに面白えなぁ。まあ若いもん同士頑張れよ!俺は今度こそ寝る!邪魔したら殺すぞ、じゃあな!」


 そう言って一方的に通話を切られた。


「ちょっと……!」


 何が若いもん同士だよ、北斗だって同い年の癖に……。


 壁に背をもたせかけて、深いため息をついた。ベッドに横になって天井を見つめる。明日のことを考えれば考えるほど、緊張が増してく。胸がざわざわする。


 そうこうしていると、スマホに通知が入った。見ると北斗からのメッセージ。


 何だろ?と首をひねりながらメッセージを開く。


『これでも見てスッキリして寝ろ』


 意味が分からない。画像付きだと気付き、画面をスクロールする。


 そこには……胸元の裾を引っ張った格好で、胸が見えそうなきわどい北斗の写真。しかも少しだけブラ――


「うぎゃああああ!!!」


 思わず取り乱して、顔が真っ赤になって、スマホを思い切り投げ出した。


「何送ってるんだあいつ!!てかスッキリってなんだよ!」


 ベッドに倒れ込み、枕に顔を埋める。呆れを通り越して、もはや北斗の脳内がどうなっているのか理解できない。だいたい、こんな写真送ってきて何がしたいんだよ!


 ため息をつきながら、投げ出したスマホを拾い上げる。もう一度写真を見ると、やはり北斗のきわどい胸元アップ。顔は写ってないけど、あの金髪とピアスが光ってるのですぐに北斗だと分かる。さすがにこれは……。


 それでも、なぜか画像保存ボタンを押してしまった自分がいた。


「な、何やってんだ俺……」


 頭を抱えたままベッドにダイブした。枕に顔を押し付けて、モゴモゴ言いながら足をバタバタさせる。


 ドアをノックする音が聞こえて、母さんの声がかかる。


「優斗、夜中にうるさいわよ?」


「ご、ごめん!」


 慌てて謝った。ベッドの中で丸くなって、頭の中ではさっきの北斗の画像が浮かんでくる。


「うおおおお……!」


 絶対に眠れる気がしない。明日、真珠と会えるっていうのに。


 窓の外を見上げると、一面の星空。でも、正直今は星なんか一ミリも綺麗に見えなかった。緊張と混乱とわけの分からない興奮で、頭の中がぐちゃぐちゃだった。


 枕に顔を埋めて、うめく。明日の朝、無事に起きられる自信がまったくない。





 朝日がカーテンの隙間から差し込んで、俺は目を覚ました。


「ん……」


 まぶたが重い。昨晩は結局、北斗とのあの電話の後、ずっと布団の中でごろごろしながら考え事をしていた。気づけば朝になっていて、自分でも驚くほどぐっすり眠れていたらしい。


 スマホを確認すると午前8時。約束の時間まで、まだ余裕がある。思わず画面をスクロールして、昨日の北斗とのやり取りを見返した。そして……あの写真も。


「ああああっ!」


 慌ててスマホを枕に投げつけた。何で保存しちゃったんだよ、本当に……。もう消そう。いや、でも……。


「こほん……」


 ベッドから抜け出し、窓を開ける。爽やかな風が入ってきて、気持ちが少しだけすっきりした。


「よし、気合い入れなおそう」


 これから真珠と会うんだ。昨日散々悩んだ服装に身を包み、一度鏡の前で全身を確認する。黒のスキニーパンツに白のシャツ。これならシンプルだけど間違いないはず。前髪を何度も直して、表情の練習までしてしまった。


 そこからの一連の作業が妙に記憶にない。朝食を食べて、歯を磨いて、家を出た。電車に乗って、渋谷に向かった。ずっと頭の中は真珠のことでいっぱいだった。


 昨日の北斗とのやり取りを思い出す。まさか真珠が、俺のことや今日のことを北斗に相談してたなんて……。考えれば考えるほど、胸がざわついた。


 そして気がつけば俺は渋谷のハチ公前に立っていた。


 時計を見ると、約束の時間まであと15分ほど。相変わらず慣れない場所に緊張して、何度も電車の路線を確認しながら来た結果だ。


「ふぅ……」


 額の汗を拭うと、穏やかな陽気が肌にじんわりと感じられた。


 ハチ公像の周囲には、すでに人の波が広がっている。土日の渋谷らしい賑わいだ。見渡すと、カップルが多くて目が痛い。男女が仲良く肩を寄せ合って歩いている光景が、やけに目につく。


「前に来た時もこんな感じだったよな……」


 自然とため息が漏れる。ここに来るのは久しぶりだった。というか、一人で街に出るのすら最近になってからのことだ。


 せっかく気合いを入れたのに、だんだん自信がなくなってくる。周りに比べて浮いてないか、変じゃないか、身なりはこれで大丈夫なのか——。


 人ごみの中、すれ違う人と腕が当たり、意識が現実に引き戻された。


「あ、すみません……」


 反射的に謝ったけど、相手はすでに通り過ぎた後で、声が届いていたかさえ怪しい。


 ふと、近くの店のショーウィンドウに自分の姿が映っているのが見えた。長袖のシャツに薄いカーディガン、細身のパンツ。雑誌で見た「清潔感のあるシンプルコーデ」を意識したつもりだったけど、今見ると何だか地味な気がしてくる。昨日の北斗との会話が脳裏をよぎった。


「選ぶの手伝ってくれたっていいのに……」


 ぼやきながら、不安そうに身だしなみを整える。この服、真珠に不格好だと思われないだろうか。そもそも、待ち合わせ場所は本当にここでよかったのか。いやいや、あの時、前と同じ場所って言ってたはずだから間違いないはず……。頭の中でぐるぐると考えが回り始める。


「あの、待ち合わせしてるんです、だからごめんなさい!」


 耳慣れた声が聞こえて、思わず声がした方を振り向いた。


 そこには黒髪の女の子が、三人ほどの若い男性に囲まれていた。彼女は身体を小さくして、困ったように首を振っている。


「そんなこと言わないで~、ちょっとだけ!ね?お願い!」


「このあたりならいいとこ知ってるんすよ。一緒に行きましょうよ」


「せっかく声かけたんだし、お茶だけでも!」


 男たちが彼女を取り囲んでいる。明らかにナンパだ。女の子は困っている様子で、それを見て胸がざわついた。


 助けてあげたい——そう思ったのに、足が動かない。見知らぬ男たちに向かって行けるほどの勇気は持ち合わせていなかった。


「ほんとに、待ち合わせなんです。彼氏が待ってて…」


 また彼女の声が聞こえた。どこかで聞いた声だ。もしかして…?


 女の子が必死に断る様子を見て、もじもじしている場合じゃないと思い直した。


「も、もしかして……真珠?」


 思い切って声をかけると、女の子がハッとして振り向いた。


 その瞬間、時が止まったような気がした。


 まるで映画のワンシーンのように、風が彼女の髪をふわりと持ち上げて、瞳には太陽の光がきらめいている。顔を上げた彼女の表情が、ゆっくりと喜びに満ちていく様子が、スローモーションで見えた気がした。


「優!」


 間違いなく真珠だった。黒髪になっていたから、一瞬認識できなかった。


 真珠は群がる男たちの間から抜け出すと、一目散に俺のもとへ駆け寄ってきた。そして次の瞬間、俺の腕にしがみついたかと思うと、そのまま俺の体にわずかに隠れるようにして立ち、腕をぎゅっと絡めてきた。


「え!?えっ!?」


 思いがけない展開に動揺していると、真珠の柔らかな胸が腕に触れているのを感じて、顔がかっと熱くなった。普段はまったく意識してなかったのに、なぜだかその感触がはっきりと伝わってきて、心臓がものすごい勢いで鳴っているのが自分でもわかる。


「よかった……」


 真珠が安堵の表情でそっと呟いた声と、うっすらと桜色に染まった頬が、何故か妙に色っぽくて目が離せなかった。


 ナンパしていた男たちが驚いた様子でこちらを見ていた。


「え?マジで彼氏と待ち合わせ?」


「見た目地味なのに、彼女こんな可愛いとかマジかよ……」


「バカ!ご、ごめんね彼氏君」


 苦笑いしながら謝る男たち。真珠の方にも「彼女さんもごめんね~」と平謝りしている。


「いや、別に……」


 何か言おうとしたけど、男たちはすでに去り際だった。


「ほらみろ、あんな可愛い子に彼氏がいないわけねぇじゃん」


「お前だって『当たって砕けようぜ』とか言ってただろ……」


「いやあれは難易度激ヤバだって」


 そんなことを言い合いながら、男たちは人混みの中へ消えていった。


「あの……」


 今度こそ我に返って声をかけようとした時、俺はハッとした。


「真珠……?」


 未だに俺の腕に絡みついている真珠を、あらためて見る。


 これまでいつも見慣れていた白金色の髪が、艶やかな黒髪に変わっていた。柔らかそうな髪の毛先が風に揺れるたび、シャンプーの甘い香りが漂ってくる。


 服装も以前の大人びた感じとは違って、清楚系でかわいらしい。シンプルなワンピースに、小さめのショルダーバッグ。カチューシャで額の髪を留めて、ほんのりとピンク色のリップが唇を彩っている。


 なのに、顔立ちがあまりにも整っているから、清楚な服装が逆に彼女の美しさを引き立てている。すれ違う男たちが、わざとらしいくらいにチラチラと彼女を見ていくのが分かった。


 通りかかった女子高生の二人組が「あの子、超かわいいね」「どこのモデルさんかな?」と小声で言い合いながら通り過ぎていく。 


 もともとモデルとして活動してるだけあって、真珠はスタイルも抜群で、本当にきれいで——。


「ど、どうしたの?」


 真珠の声で現実に戻る。ほんのり上気した頬が林檎のように艶やかで、まつ毛の長い瞳は水面のようにきらめいていた。


「あ、いや、その……どうして髪が黒いの?」


 なんとか口にした言葉は、まだ頭に引っかかっていた疑問だった。


 真珠は顔を赤らめて、上目遣いで俺を見つめながら口を開いた。小さな舌が唇をなめる仕草が、妙にドキッとする。


「だ、だって…せっかくの優とのデートなんだもん……邪魔されたくないし、スピカってばれたくないんだもん……」


 そう言って、うつむくと長いまつ毛がそっと落ちて、頬が桃色に染まった。


「あの……変、かな?」


 不安そうに、ちらりと俺を見上げる真珠。その仕草が子猫のように愛らしくて、思わず息を呑んだ。


 その言葉が「デート」だと改めて確認出来て、背中に電気が走る感覚がした。


 つまり、彼女も今日のことをデートだと思っているってことじゃないか!


 しかも、あの堂々とした真珠が、こんなに恥ずかしそうにモジモジするなんて。その仕草がどうしようもなく可愛くて、心臓が自分でも押さえられない程バクバクと暴れる。


「全然変じゃないって!め、めちゃくちゃ似合ってるし……か、かわいいし……」


「……ほんと?」


 真珠の顔がぱっと明るくなり、笑顔がはじける。その笑顔があまりにも眩しくて、思わず直視できなくなる。


「優?どうしたの?顔、真っ赤だよ?」


 真珠が俺の顔をのぞき込むようにして言う。その様子を遠目に見ていた男の質の集団が羨ましそうに見ている。


「え?あ、いや、その……」


 ハッとして我に返った。


「い、行こうか」


 やっとのことでぎこちなく声をかけて、歩き出そうとする。顔が熱いまま、真珠の方を見ることができないでいた。真珠は小さく頷いた。


「あ、でも……」


 俺は真珠が腕を組んだままだったのを思い出して、小声で言う。


「も、もうあの人たち行っちゃったよ?」


 すると真珠は首を横に振って、「いやっ…」と声を小さくした。長いまつ毛を伏せて、頬を染めながら上目遣いで俺を見る仕草に、胸がきゅっと締め付けられた。


「まだこのままがいい……」


 やや甘えた声で言う真珠。優しい風が彼女の髪を揺らし、うっすらとピンク色に染まった頬が、透明感のある白い素肌に映えていた。


 その仕草も、声も、笑顔も、どれもが心臓を鷲掴みにしている気がして、このままじゃ倒れてしまうんじゃないかと本気で不安になった。


 ――これ、俺の心臓……最後までもつだろうか……。


 真珠の隣で、本気で命の危険を感じながら、俺は心の中でそう呟いた。

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