第44話 偽りの楔
カラッとした陽射し。昼休みの裏庭は、ちょうどいい場所だった。日当たりも風通しも程よく、まるで俺のために用意されたテリトリーみたいなもの。その中心に座り、俺は後輩の女子たちに囲まれていた。そう、こういう光景が俺には似合ってる。涼しい木陰で女の子たちを笑わせる、この構図が俺の日常だ。
だけど、その快適な空気が次第に変わっていった。
「ねえねえ、昨日ライブ動画見た?あの優Pって人の動画!」
「見た見た!あの覆面ピアニスト、めっちゃ上手くない?」
「しかもカガミ・シンとかいうギタリストとセッションしてたよね?やばくない?」
前日から女子どもの間で、優Pがどうのこうのって話ばかりだった。昨日まで俺の話で盛り上がってたはずなのに、どこの馬の骨とも分からない覆面野郎のことで、みんな目をキラキラさせている。
「もう何回も見た!ほんとすごすぎ……」
女どもはスマホを見せ合って盛り上がってる。俺の前でやるなんて、なめてんのか? 昨日まで俺に夢中だったくせに。女子特有の浮ついた態度に、内心むかついた。
自分が注目の的であるはずの空間で、くだらないネット動画のことに夢中になる空気が許せなかった。プライドが傷ついて、ムカムカした気持ちがこみ上げてくる。
「悪いけど、俺用事あるわ」
小さな「あ……」という声を聞き流して、俺はその場を立ち去った。女子どもが「あれ?」とか言ってるのが聞こえたが、構うもんか。
まあいい、そんな奴らのためにイライラしても仕方ない。一服でもしに行くか…そう思って校舎裏に向かった。
周囲を警戒し、入念にチェックを入れる。
誰もいないな……。
人気のない場所で煙草を取り出そうとしたその時——。
「随分と荒々しいのね?」
突然、背後から声がかかった。
振り返ると、そこには梢がいた。八坂梢。二年の女だ。俺とは学年もクラスも違うし、普段は接点ゼロ。そもそも梢のような大人しくて賢い女子とは、俺は基本的に関わらない。それなのに、彼女は時々、こうして俺に接触してくる。
一年前、梢は俺が千秋を気に入っていることに気づき、自分から声をかけてきた。「優斗と昔付き合ってる、でも人前では隠してる」とか「千秋はああ見えて簡単に誘惑できる」なんて囁いてきた。千秋がどんな子で、どこに弱くて、どんなタイプにほだされやすいか——そういう情報も、梢は断片的に話していた。そのおかげで俺は千秋に結構簡単に取り入ることができた。
梢はそれだけ伝えると去ったが、たまにこうして千秋との様子なんかを聞きに来ることが多々ある。
「なに、また千秋の情報かよ?」
タバコに火をつけながら、俺は適当に返した。
「千秋とはもう寝たの?」
梢はいきなりそんなこと言ってくる。遠慮のない言い方だ。
「梢ちゃんのおかげでね」
俺は皮肉交じりに答えた。実際、俺は何度か梢を口説いたこともあったが、毎回軽くあしらわれてきた。そんな相手だってのに、千秋のことになるとやたらと詳しく聞いてくる。不思議な奴だ。
梢は一切取り合わず、「その調子で、あの子の人生めちゃくちゃにしてあげて」とさらりと言ってのけた。
「おいおい、怖ぇな」
軽口を返したが、内心ではゾッとした。この女、マジで千秋のこと嫌いなんだな。
煙を吐き出し、もう帰れよって顔をしてるのに、梢はまだ立ち去ろうとしない。
「状況が変わったの」
梢がいきなり切り出してきた。
「は?」
「優斗のことなんだけど」
その名前を聞いた瞬間、俺の神経が逆立った。天川優斗。千秋の彼氏で、学校じゃストーカーだの変態だの噂されてる陰キャ君だ。千秋がまだ未練タラタラなのは知ってるが、別に放っておいてもクソ弱そうなヤツだし、気にしちゃいない。
「ああ、あのゴミクソ陰キャね。で?」
梢は俺を一瞥して、冷たい目を向けて言った。
「千秋がまた優斗の方に傾くかもしれないわ」
思わず、タバコの灰が落ちた。なんだと?
「ありえないね。千秋は俺にべた惚れなんだよ」
思わず声が荒くなる。俺の方が、断然イケメンだし、奴はスクールカーストの最底辺だ。何よりあの女は俺と体の関係まで持ってるんだ、そんな女が陰キャなんかにまた戻るわけねぇだろ。
梢はそんな俺を見て薄く笑った。正直、ゾクッとする笑顔だった。
「このまま何も手を打たないなら、間違いなく千秋はあなたから離れるわ」
言い放つ梢の顔には、どこか余裕が見える。なにを企んでるんだこいつ……?
「俺よりあんなクソ陰キャがいいってのかよ!」
思わず声を荒げてしまった。梢はニヤリと笑って、「その陰キャが、あんたより輝いてたら……どうする?」と静かに畳みかけてきた。
「ふざけるな!そんな事あり得るか!」
マジで頭にくる。あいつが俺より上?ありえねぇよ。そいつは誰よりもダメな奴じゃねぇか。女子からドン引きされてる奴だろ?そいつに俺が負けるなんて冗談じゃない!
「……でも、あなたのような、女の子を手玉に取るだけの浅はかな男より、音楽の才能がある優斗の方が……千秋の心に響くかもしれないわよ」
梢の言葉に、煙草を地面に叩きつけた。その顔は挑発的で、俺を試すような目だった。
「音楽……?何言ってんだてめぇ、調子に乗んなよ!俺を誰だと思ってんだ」
梢に詰め寄ると、彼女は一歩も引かずに、むしろ挑むように俺を見返した。
「え?誰って……せこい男よ。抱いた女を撮影して、それを売りさばいてる下衆な男」
言葉が喉に詰まった。なんでこいつが……?
「そ、そんなん、どこで……」
「動画販売サイトがいくつかあるでしょ?隠し撮りとかのジャンルで、"A.Yコレクション"だっけ?バカみたいな名前、ほんと、名前の通り浅はかな男……」
一瞬、背筋が凍った。そんなことまで知ってるのか……。
確かに、俺は付き合った女と寝るたびに撮影して、顔にモザイクをかけて販売してた。そのおかげでバイト代以上の小遣いが入るし、コレクションとしての価値もある。千秋も、飽きたら流す予定だった……。
「……これで分かったでしょ?貴方は私に従って言う事を聞いてればいいの、千秋を逃がさないよう繋ぎ止めておいてね、駄犬でも、それぐらいはできるでしょ?」
余りの言いように、思わず牙を剥く。
「駄犬だと!?調子に乗んな!俺は千秋がほしいから狙っただけで、お前の言いなりになってるわけじゃねぇんだぞ」
なめた態度を取られて腹が立った。俺は彼女の腕を掴んだ。が、梢は怯む様子もなく、こちらを冷ややかに見つめている。
「千秋は元々優斗のものだったの。優斗は千秋に弱い。昔から、千秋の言うことには何でも従っていた。あの子に依存してしまっている。だから……あなたは私の"楔"として、千秋を優斗から引き離しておく役目なの、分かった……?」
楔……?なにそれ。俺を道具みたいに言いやがって。それに優斗から引き離す?十分離れてんだろ。
「千秋は俺から離れられない」
強く告げると、梢は「どうかしら」と一言だけ笑い、背を向けて去ろうとした。
「どういう意味だ」
問いかけても、梢はただ「せいぜい足元をすくわれないようにね」と残して立ち去った。
この女……なにを知ってる?なにか企んでる?
梢に主導権を握られたことに苛立ち、近くのゴミ箱を思いっきり蹴飛ばした。中身が散乱したが、そんなことどうでもいい。
「俺があんな陰キャに劣るわけねぇ……」
強がりを吐きながら、どこか不安が頭をよぎる。顔をしかめて拳を固く握りしめた。
それでも、胸の奥がざらついていた。――ムカつくほど、はっきりと……。