第42話 たどり着いた真実
浅間先輩の腕の中。
いつもより少し強めに髪に香水をつけた私の頭を、彼がさらりと撫でる。それだけでドキドキしてしまう。
「千秋、何か飲むか?」
「あ、うん…ありがとう」
カフェバーのような内装の店内には、浅間先輩の友達――先輩の後輩や、同級生などいろんな人たちが集まっている。皆おしゃれで、大人っぽくて、こういう空間に私がいること自体が特別な感じがする。
「千秋ちゃん、マジでかわいいじゃん。雄介羨ましすぎだって!」
浅間先輩の友達の言葉に、みんなが賛同する。一瞬顔が熱くなる。でも、正直嬉しい。こういう輪の中心にいる自分が、なんだか誇らしい。
窓の外は夜の繁華街。ネオンが光り、人の波が絶えず流れている。
こんな素敵な場所、優斗君と一緒だと来れなかっただろうな……。
思わずそんなことを考えてしまう。優斗君との関係は、どこか閉じた世界だった。彼の病気のこととか、学校での立場とか……考えると少し息が詰まる。
対して浅間先輩といると、こうして輝く世界に連れ出してもらえる。みんなに羨ましがられる。高校でも目立つ存在。一緒にいるだけで、私も特別になれる。
そういえば、梢たちとはだいぶ疎遠になってしまった。中学の時は四人で一緒にいるのが当たり前だったのに。翔子はおとなしくて、陽介は少し威張り屋で、梢はいつも冷静だったな……。
ここにいる子たちは違う。女の子たちは皆、今時のファッション。男の子たちはどこかチャラいけど、それが魅力的に感じる。梢たちと比べると、なんというか……きらきらしている。
「雄介、また今度みんなでカラオケ行こうよ〜」
先輩のクラスの子が甘えた声で言うのを聞いて、少しだけ胸がざわつく。でも、浅間先輩は私の肩に手を回したまま「いいよ、千秋も一緒にな」と答えてくれた。
私は浅間先輩の胸に顔を埋めるようにして微笑む。周りの女の子たちの視線がジリジリと刺さるのを感じる。でも、それすらも今は嬉しい。私が選ばれている証拠だから。
「わっ!スピカやばっ!」
突然、店の隅にいた女の子の一人が声を上げた。
「なになに?」
周りに座っていた子たちが集まり始める。最初は私も浅間先輩も特に興味はなかった。彼は私の髪をいじりながら、友達と別の話をしていた。
……スピカ――早乙女真珠。あの優斗君と仲がいい転校生の女の子……
「北斗超かっこいい!美弥って子も!ってか、優Pヤバすぎない?」
優P?どこか引っかかる名前。でも今は思い出せない。いや、そもそも私には関係ない。浅間先輩と過ごす今が大事なんだから。
でも、女の子達の輪が、次第に大きくなって、浅間先輩の友達も「なになに?見せてよ」と集まり始めた。
「どした?」
興味なさそうに先輩が尋ねる。
「浅間君知らないの?今流行ってる、天才ピアニスト、駅前のゲリラライブとか、ギタリストのカガミとの駅前即興セッション、超バズってる動画!何か今ドームでイベントやってるらしくてさ、その動画がまたバズってんの」
周りの盛り上がりが気になって、私も浅間先輩の腕の中から少し身を乗り出して見てみる。スマホの画面に、ピアノの前に座る、馬の被り物をかぶった人が見えた。
「ちょっと見せて」
気になって思わず声が出た。
「千秋ちゃんも興味あるの?はい」
画面を向けてくれた女の子の視線に答えるように、私は「うん、少し」と笑顔を作った。
その画面に映っていたのは、確かにドームのような大きなステージ。中央に真っ白なピアノと、その前に馬の被り物をかぶった人。
「今一番バズってるの、この優Pっていう人とスピカたちのライブなんだよね。コミックワールドでやってるって」
優P……ピアニスト……スピカ……何か既視感があって、でもまだ掴めない。
「ねえ、これ見て!この前の映像がやばいの!」
もう一人の女の子が自分のスマホを出して、別の動画を再生し始めた。それは明らかに駅前でのパフォーマンスの映像。馬の被り物をかぶった人と、黒髪の女の子、そして長身の男性がセッションしている。
観客の歓声、溢れる音楽、そして途中で表示されるテロップ。
『優Pの神がかりピアノ×ミステリアス女子高生ギタリスト×カガミ・シンの即興セッション』
優P……天才ピアニスト……妙な感覚が背筋を伝う。
「優って人すごくない?」
「この人の曲めっちゃハマる、マジヤバ〜」
「でも顔見えないから分かんないよね、どんな人なんだろ」
周りの子たちが口々に言い合う。画面ではさっきの馬面の人が演奏している。その演奏は確かに素晴らしい。心を打つような音色。
そうしているうちに、画面は別のシーンに切り替わった。
『チック症を公表した優P』
映像に映るのは真珠。純白のドレスを着た彼女が――
『優Pって、ちょっとだけ変なとこあるでしょ?突然声が出ちゃったり、体がピクってなったり。あれってね、"トゥレット症候群"っていう病気なんだ』
頭の中で何かが繋がっていく。トゥレット症候群……突然の声……ピクッとする体……
「え?」
思わず声が漏れた。
「え?何々?千秋ちゃん知ってる病気なの?」
隣にいた女の子が反応する。動揺を隠そうと「う、ううん、なんでもない」と答える私。
「マジ知らなかった〜こんな病気あるんだ。でも演奏すごいよね」
「見た目は変だけど、やってる事エグすぎ」
おかしな声が飛び交う。彼らには何も分からない。
トゥレット症候群。優斗君が周りの子に変な目で見られて、いじめられて、そして……私の足を引っ張り続けた病気。
でも、優斗君はステージに立つのを怖がってたはず……。
急に息苦しくなる。仲間から離れて、トイレに行くフリをして少し離れた。
「千秋、どうした?具合悪い?」
振り返ると、浅間先輩が心配そうに私を見ていた。
「ううん、大丈夫。ちょっと……」
言葉が出てこない。浅間先輩は私の顔を覗き込んで、腕を絡める。その仕草はいつもなら嬉しいはずなのに、今は少し窮屈に感じる。
「あの動画のやつ見たいって?戻ろうよ」
浅間先輩は何も気にしていない様子で私の手を引く。
席に戻ると、動画はまだ再生されていた。馬の被り物をかぶった優Pが、ドームの
ステージでピアノを弾いている。
そして、その声が聞こえた。
『今、すごく……弾きたい気分なんです』
その声を聴いた瞬間、全身が震えた。
優斗君の声だ。
間違いない。少しだけ震える、優しくて弱いような、でも芯のある声。
周りの声が遠のき、動悸が激しくなる。手のひらから汗が滲み出す。頭がクラクラする。
今まで繋がらなかったものが、一直線に結ばれた。トゥレット症候群、天才ピアニスト、スピカと仲がいい、優という名前、優P——そして今の声。
馬の覆面の中にいるのは、間違いなく彼だ。
ずっと高校に入ってからは、大きなステージに立てなくなっていた優斗君が、何万人もの前で演奏している。私が知らないところで、彼はこんなに変わっていたなんて……。
「すごくない?この人」
「見た目は変だけど演奏凄いよね、素人でも分かるって」
「でもさ、顔が分からないのって逆に狙ってない?」
「そうそう、正体不明の天才ピアニスト的な?」
私の周りで、知ったような口調でみんなが話し合っている。何も知らないくせに。彼がどんな思いをしてきたか、何も……。
「で、顔とかどうなってんのかな。馬の被り物なのは単なるネタ?それとも顔に何かあるの?」
「イケメンだとは思うよ。声かっこよかったし」
「でもこんだけ有名になるなら、別に顔とか良くなくても大丈夫かも」
「まあね、才能あればOK的な?」
浅いことしか考えていない彼女たちにはきっと分からない。こんな人たちと私は一緒にいるの?そう思った瞬間、胸がギュッと締め付けられた。
画面に目を戻すと、今度はスピカ……真珠が登場して歌っている。北斗という名前の子と、さっきのギター少女も一緒だ。皆が彼らを称賛する。
「スピカ超かわいい」
「声量すごいよね」
「北斗かっこよすぎる」
「ギター少女も超絶テク」
それに比べ、浅間先輩はだんだん不機嫌そうな顔になっていく。
「こんなのそこまで大したことないだろ。ボカロってオタクっぽいし……。覆面被ってるだけの奴にみんな踊らされてんじゃん」
その言葉に、なぜだか思わずイラっとした。
じゃあ自分は彼と比べてどれだけ凄いの?
考えたくもない言葉が頭に次々と浮かぶ。
「スピカと優Pって仲いいらしいよ」
「絶対付き合ってるって」
「いや、北斗じゃないの?」
「ば~か、北斗女だし」
女の子たちがクスクス笑いながら言い合う言葉に、突然、胸が痛くなる。
は?……違う、真珠じゃない!優斗君は……優斗は私の彼氏なの!
そう叫びたい衝動が体を震わせる。でも、浅間先輩の腕の中にいる今、そんなことは言えない。
視線だけを動画に戻した。
人の波をかき分けて、あんな大きなステージに立っている彼の姿を見て、思わず誇らしく思ってしまう。
ふふ、こんなすごい人が、私の……。
「千秋、飽きた?別の店行く?ここうるさいし」
浅間先輩の声で我に返る。
彼の顔を見上げると、少しイラついた表情だった。なぜだか浅間先輩の顔が、少し幼く見える。
「……うん」
少し呆れた口調で答えながら、もう一度画面を見る。
優斗君のことを考えると、胸がざわざわする。
やっぱり、彼を見捨てなくて良かった、私の考えは正しかったんだ!
高鳴る胸を押さえながら、浅間先輩に連れられて店を後にする。
手元にある自分のスマホに目を移す。画面では馬の覆面をかぶった優斗君が、鍵盤の上で、まるで魔法でもかけるかのように、音を奏でていた。




