第5話 冒険
『ニーヴィア。お前は強い。この私が認めるんだ、それは本当だ』
『……先生?』
『だが、そんなお前でも窮地に立たされることはあるだろう。そんなとき、決して殺意に飲まれてはいけない、いいね?』
『殺意?』
『……殺意をいだき続けると、人は周りが見えなくなる。その感情に支配されて、本来できることすらできなくなる。そのエネルギーは一時的に力を与えるが、それでは何も解決できない』
『……先生と出会う前の私みたいに?』
『そうだ。……でも今のお前は違う』
そう言って先生はニーヴィアの頭を優しく撫でていく。
柔らかな感触と、太陽のように暖かい笑顔。
それは遠い記憶の中にある光景だとニーヴィアは理解する。
『ニーヴィア。……生きることを楽しみなさい。辛く、悲しく、絶望することだってあるだろう。でも、その全てを、自分の人生の一部だと思って楽しみなさい。そうすればきっと、お前の運命は輝くはずだ』
『生きることを、楽しむ……?』
『今のお前にはまだ難しいかもしれない。でもきっと、それがわかる頃には世界がお前を優しく抱きしめてくれる。私がいなくても』
『……やだ。私、先生とずっと一緒にいたい!』
『はは。できることなら私もそうしたい。でも、今のお前は戻る場所があるだろう?』
その言葉をきっかけに、ニーヴィアの意識は現実へ引き戻されていく。
必死に手を伸ばすも、その光景には二度と届かない。
それを自分自身が一番わかっているのだから、どうしようもないだろう。
だからこそ、ニーヴィアは前を向き続けるのだ。
***
(あ、あれ……? 私、今、どうして……)
ニーヴィアの瞼が開いた。
ありえないはずの景色を見ていたような、そんな感覚だけが残っている。
だが。
そんなおぼろげな記憶など、目の前の現実が一瞬で吹き飛ばした。
「ぐっ! に、ニーヴィア! 生きてるか!」
「……え! ガダルテさん!? ど、どうして……」
そこまで口にしてようやく思い出す。
アマキ・ラコスディア。
S級の上位階級魔物と戦っていたのだと。
その攻撃を見誤ってニーヴィアは吹き飛ばされたのだ。そして数秒程度だが意識を失っていた。
魔物との戦闘中に意識を失うなど言語道断。その隙に殺されていても不思議ではない。
しかし、そうなっていないということは————。
「ガダルテさん、私を守って……」
ガダルテはニーヴィアを背に、 アマキ・ラコスディアの大きな鎌を一人で受け止めていたのだ。
「もう嫌なんだよ! 俺の目の前で誰かを失うのは! たとえそれが昨日会ったばかりの底辺冒険者だとしても、今の俺にはそんな恩人を見捨てるなんてできない!」
「っ……!」
その言葉を聞いたニーヴィアはすぐさま体勢を立て直すと剣槍を握り直してガダルテとアマキ・ラコスディアの間に割り込んでいく。
「はあっ!」
その剣はアマキ・ラコスディアの手足を弾き返し、戦線へ復帰する。
(もう逃げることはできない。……ガダルテさんも捕捉された今、ここは二人で打って出るしかない。でも、ガダルテさんを守りながら戦える相手じゃない。どうすれば……)
「おい、何を迷っている?」
「え?」
「俺たちは一時的とはいえパーティを組んだんだ。背中くらい預けてもらわねえと困るぜ」
「ガダルテさん……」
「俺はお前を信頼する。だからお前も俺を信頼してくれ。言われたことはきっちりこなす」
この場において一番悔しい思いをしているのはガダルテだと、このとき初めてニーヴィアは認識した。
自分の妻の形見を取り戻すために、自分以外の力を借りなければいけないこの状況は彼なりに色々な葛藤があったはずだ。それを乗り越えてガダルテはここにいる。
であれば、それを引き受けたニーヴィアが取る行動といえば————。
「そうですね。そうでした。言い出した私がそれを出来ないなんて、本末転倒ですよね」
「ん?」
ニーヴィアは息を吐き出し、そして剣槍を構え直して気持ちを切り替えた。その瞳には先ほどまでとは違う、殺意ではない闘志が宿っている。
「……では、私が合図を出したら少しだけアマキ・ラコスディアの足を止められますか?」
「時間が必要なんだな?」
「はい。十秒あれば大丈夫です」
「はっ! S級相手に十秒とは無茶な注文だ」
「でも、やってくれますよね?」
「もちろんだ、任せろ!」
「お願いします」
その言葉を発した直後。
ニーヴィアの顔に笑みが溢れる。
それは彼女がこの冒険を楽しみ始めた証拠だった。
「いきます!!」
「おう!」
****
『あ、あなた……。あの子を、お願い、ね……』
『どうして俺を庇って……! ……待て! いくな、ナナフィ!』
『大丈夫……。私が、いなくても、もう……』
『駄目だ! お、俺は、お前がいないと……』
ガダルテの脳裏に浮かぶのは、忘れたくても忘れられない記憶。
目に焼きついたその光景は、呪いのようにガダルテを苦しめてきた。
どれだけダンジョンに潜ろうとも、どれだけの魔物を倒そうとも、あの日には戻れない。愛する人を失った、あの日には。
それを理解してもなお、ガダルテは過去に縛られている。
妻を守れなかったことで息子には見限られ、絶縁状態。彼の気持ちを考えればそれも理解できないわけではないが、それがさらにガダルテの心を苦しめた。
彼女から託された唯一の希望にも、見放されてしまったのだ。
その結果、彼の足は何度も螺旋蜘蛛の遺跡に向き続ける。それは一種の贖罪のようで、それでいて救いを求めているような————。
そんな中、奇跡のようなことが起きた。
すでに年齢も四十を超えている現在。
A級の魔物に殺されかかっている自分を助けた少女がいた。
彼女は太陽のように明るく、それでいて一生懸命だった。
そんな彼女が、自分を庇うように戦っている。
出会ってから一日しか経っていないガダルテを守るために、命を削って戦っているのだ。
それを、見過ごすことなどできただろうか。
ここで動かなければ間違いなくガダルテは戦士として立ち直れないだろう。いや、戦士は愚か、一人の人間として元には戻れなくなってしまう。
そう思うと、自然と力が湧いてきた。それはまるで自分の背中を亡き妻が支えてくれているかのように。
たちすくむ足に無理やり力を入れる。
A級を飛び越えてS級の魔物。そう簡単に倒せるはずがないことはわかっている。
だが、それに立ち向かうことも冒険だ。
決して命を粗末にしているわけではない。自分で決め、自分の意思で前へ踏み出す。
さあ、いけ。
もう一度ガダルテは冒険を始める。
思い出すのは恐怖の記憶ではなく。
共に笑い合い、楽しみながら歩いた旅路。
それを今、再び————。
「うおりゃあああああああああああああ!」
ガダルテは雄叫びをあげながらニーヴィアとアマキ・ラコスディアに割り込んだ。彼女を死なせないために。
反撃開始だ。
***
突然変異個体。
それは通常の進化形態ではない状態に変身した魔物を指す。
アメラントは魔力を吸収し、一定の強さに到達するとアマルルズモスに進化する。そしてそれ以上変化することはない。
であれば、アマキ・ラコスディアとはなんなのか。
それは突然変異個体の代表格としても有名で、アメラントが何らかの外的要因によって突然変異を起こし、進化した姿だと言われている。
そしてもう一つ。
突然変異個体には大きな特徴がある。
(……おそらく、あのアマキ・ラコスディアは一年近く前からこのダンジョンに巣食っていたはず。あの魔剣がここに突き刺さったのが五年前。ガダルテさんがそれを発見したのが一年前。物に溜め込まれた魔力は許容量を超えると、限界を迎えたかのように吐き出す性質がある。その魔力に当てられて一体のアメラントが進化した。そして————)
ニーヴィアは自身の感覚を限界まで研ぎ澄まし、アマキ・ラコスディアの攻撃をいなし続ける。斬撃すら放てるほどの速度を誇る攻撃である以上、気を抜くことは許されない。
(アマキ・ラコスディアのあまりの強さに他の魔物は怯えて出現しなくなった。おそらくルモス村に逃げてきたグランゾゴロンも、そのうちの一体。そんな中、私たちがこのダンジョンにやってきた。その段階までは五体のアマルルズモスは生きていたはず。それが殺されたということは———)
「ぐっ! 手足が十六本もあるのは、さすがに反則だなあ……! 蜘蛛っていう生物の枠組み超えてるじゃん!」
最初こそ前方から生えている二本の手足を使って攻撃していたアマキ・ラコスディだったが、今では四本に増えてしまっている。ここまでの戦いからニーヴィアを強敵と認識したのだろう。
(それこそが罠。ただでさえ人の出入りが少ないこのダンジョンに、最下層まで人間がやってくるとなれば、それを狩りに来るのは至って自然の流れ。五体のアマルルズモスを餌に私たちを十五階層まで誘き寄せて不意をつく。その直前でアマルルズモスは始末して獲物を独り占め。……やっぱり噂通り突然変異個体は————)
「頭がいいね、まったく!」
それこそが突然変異個体のもう一つの特徴。状況判断を含めた思考能力が異常に発達するのだ。それは歴戦の冒険者すら欺くほどの知恵を発揮する。
その策にニーヴィアもガダルテもまんまと嵌められたというわけだ。
「だけど、そのアドバンテージはもうないよ?」
徐々に、徐々にだがニーヴィアの目がアマキ・ラコスディアの動きを捉えていく。無数に繰り出される攻撃を剣槍でいなしているニーヴィアの動きに余裕が出てきた。
それはひとえにニーヴィアの超人的な順応能力が成せる技だ。アマキ・ラコスディアにも学習能力があるように、人間だって戦闘中に成長する。
そしてそれはどう考えても魔物のそれより早く、精度が高い。
(手足が十六本あるとはいえ、あの大きな体を支える以上、半分以上の手足を攻撃に回すことはできないはず。背中の翼も動きに関してはただの飾り。それは今までこの魔物を倒してきた冒険者たちが確認済み。なら……!)
「あとは、私があなたよりも速く動ければいいってことだよね?」
「ギュアアアアアアアアア!」
その言葉にさっきを感じたアマキ・ラコスディアは、今までよりも速く、鋭い攻撃を繰り出していく。口から地面すら溶かす粘糸を吐き出し、ニーヴィアの動きを制限しながら確実に追い詰めていった。
しかし。
それすら今のニーヴィアには通用しない。
粘糸を吐き出すその一瞬の隙。それを見逃さない。
「さあ、まず一本!」
「ガギュアアアアアアアアアア!?」
「どんどんいくよ!」
剣撃が止まらない。
白い剣線が煌めき、一本、また一本とアマキ・ラコスディアの手足を切り落としていく。それは暗い洞窟に空を描いているような、輝かしい光景だった。
しかしここはダンジョンの最深部。
魔力が満ちる空間であるため、放っておけば魔物たちの傷もたちまち癒えてしまう。
ゆえに勝負は一瞬。
このチャンスをものにしなければいけない。
「はあああああああああ!!」
「ク、キュアアアアアアア!」
ついに冷静さを失ったアマキ・ラコスディアは体重を支えることに使っていた後ろの手足さえも攻撃に使ってしまう。それによりアマキ・ラコスディアはその場から動けなくなってしまうが、それでもニーヴィアへの攻撃を優先したのだ。
だが、それこそがニーヴィアの狙い。
「それじゃあ、そのままお座り!」
瞬間。
ニーヴィアの体が今までよりも速く加速する。その一閃によって残っていた全ての手足が切断された。
そしてそれと同時に戦況はひっくり返る。
「ガダルテさん!」
「ああ!」
ニーヴィアとガダルテが入れ替わる。
ガダルテはアマキ・ラコスディアの粘糸を躱しながら、ニーヴィアが斬り落とした傷口に岩を押し込めていった。それは魔力による再生を見事に封殺するため。
対するニーヴィアはアマキ・ラコスディアを一撃で倒す準備を開始した。
それは彼女の源流とも呼べる力。
目を閉じて体の奥底に眠っている力を組み上げていく。
それはニーヴィアの体を青く照らし、やがて剣槍に向かって集まり始めた。
その力は誰もが怯える力。
人間だろうが、魔物だろうが、無機物だろうが破壊する必殺の一撃。
「ッ! おいおい、まじかよ!」
しかしそんなニーヴィアを見逃すほどアマキ・ラコスディアは甘くはない。唯一残された二つの翼に魔力が集中し、このダンジョンすら破壊してしまうほどの魔力砲を放とうとしてくる。
二つの翼。それは移動に用いられるものではない。それは全てを灰燼に変える必殺の一撃のために用意された器官だったのだ。
それはガダルテだけではどうすることもできず、慌ててニーヴィアへと視線を向けた。
「おい、ニーヴィア! あれまず……い……。……ニーヴィア?」
「……離れていてください」
そして両者の攻撃が激突する。
この場にある全てを焼き払おうとしているアマキ・ラコスディアの魔力砲が今、放たれた。音にならない音を発生させ、ニーヴィアに向かってまっすぐ進んでくる。
しかし。
ニーヴィアはその攻撃を攻撃とすら認識していなかった。
そして放たれる。
ニーヴィアの奥の手が。
「気配殺し」
瞬間。
ニーヴィアの剣槍と共に放たれたそれは水色の光を纏ってアマキ・ラコスディアの魔力砲と激突した。
否。
触れただけ。
拮抗などしなかった。
その斬撃は魔力砲を触れただけで霧散させ、大地を割るような威力のままアマキ・ラコスディアを縦に両断したのだ。
アマキ・ラコスディアは断末魔すら上げることができずに消滅する。
それはまさに戦場に空を描くという彼女のもう一つの二つ名、「我等の空姫」という名前にふさわしい光景だった。
「はあ、はあ、はあ……」
ニーヴィアはそのまま地面へ仰向けに倒れてしまう。
しかしその顔は笑っていた。
拳を天井に向けて突き上げ、勝利を噛み締める。
「や、やりました……!」
「……。ふ、ふははははは! お前ってやつは、本当に、すごいやつだよ」
ニーヴィアの勝利を目に焼き付けた瞳にはガダルテ涙が浮かんでいる。
それは愛する妻へ向けたものか、はたまた安堵からくるものなのか、それは彼にしかわからない。
とはいえ。
螺旋蜘蛛の遺跡での冒険は幕を下ろすのだった。
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