第4話 螺旋蜘蛛の遺跡
「あ、そうそう。言い忘れてたんですけど」
「なんだ?」
「ガダルテさんの依頼を受けるにあたって、一つだけ条件があります」
「なに?」
「いたって簡単です。『死なない』こと。以上です」
「は?」
「私は至って真面目ですよ。私のモットーは『生きることを楽しむ』なので、自分の仲間が自分の目の前で死んじゃったら、それはもう楽しくないので」
現在。
螺旋蜘蛛の遺跡。
第十三階層。
ここに至るまで特段苦戦することなくニーヴィアとガダルテは進んできていた。
通常全十五層のダンジョンであれば一週間ほどかけて踏破するのが平均的だ。しかし今の二人は潜り始めてわずか三時間という驚異的なペースで降っている。
その理由は明白。
ダンジョンに仕掛けられているトラップの数々をニーヴィアが熟知していたからだ。加えて魔物との戦闘は実力差がありすぎて苦戦すらしない。
五階層と十階層ではそれぞれB級とA級の魔物が出現したものの、それすらニーヴィアは物ともせず倒してみせた。特に十階層に出現したのは昨日倒したばかりのグランゾゴロンであり、またしてもニーヴィアによって斬り殺されていた。
「……それはそうと、少し変じゃないですか?」
「……今の俺からしたら、目に映る全てが変だ。お前が持っているダンジョンの知識も、その力も、全部な」
「それはほら、私、前にもここ来たことあるので」
「やっぱり前にも来ていたんだな」
「おっと、失言でした」
「はあ、もういい。早く攻略できることに越したことはない。……で、変というのは?」
「十階層のグランゾゴロンですよ。前に来たときはグランゾゴロンなんて遭遇すらしなかったのに」
「ダンジョンは絶えず魔物を生み出し続ける。たまにそういうイレギュラーがあってもおかしくはないだろう。俺だって他のダンジョンで事前情報にない魔物と出会したことなんてザラだ」
「……まあ、通常はそうなんですけどね。あ、そこからアメラント六体来ますよ」
「おう」
アメラント。
それは最下層にいると思われるA級アマルルズモスの下位固体だ。
全長三メートルほどの蜘蛛の魔物で、八本の手足を使ってダンジョン内を縦横無尽に駆け回るその動きは、低級冒険者では手も足も出ない。下位の魔物とはいえ、しっかりと準備を整えなければ攻撃を与えることさえできないと言われている。
加えて口から吐き出す粘着質の糸は毒があり、革や布製の防具では一瞬にして溶かされ、皮膚を抉り取られてしまう。
それが全階層に生息しているのだから、やはりこのダンジョンはレベルが高いとみていいだろう。
しかしニーヴィアはそんな魔物たちを一蹴する。
このダンジョンは螺旋状になっている関係で天井の高さこそあれど、横に広がる作りにはなっていない。そのためニーヴィアのような長い武器を使用する場合は最新の注意を払う必要があるのだが、その心配もニーヴィアには皆無のようだった。
(……まるで、体の一部みたいに武器を扱っている。これは一朝一夕で身についたものじゃないな。加えてダンジョンに入ってからのニーヴィアの動きは、昨日とはまるで別物だ)
アメラントを倒しながらガダルテはそんなことを考えてしまう。
以前自分たちがこのダンジョンに入ったときも、ここまで順調にはいかなかった。今のほうが攻略が進み、情報が増えているとは言え、どう頑張っても無数の魔物たちに足をとめられてしまう。
だが今回は、それがまったくない。
エンカウントした瞬間、それを先読みして動いているニーヴィアは目にも止まらぬ速さでその全てを屠っていく。
と、ここでニーヴィアが足を止めた。
そこは螺旋状に連なっている階層を撃ち抜くような縦穴が広がっており、最下層の一部まで見て取れるようになっていた。
そしてその中心に。
魔力を発しながら一本の剣が地面に突き刺さっている。
「あれですか?」
「ああ。あの剣だ。前に来たときは、ここで引き返している。食料も体力も限界だったからな」
「……それにしても、他の冒険者とほとんど出合いませんでしたね。やっぱりみんな、神核の遺跡に行ってるんですかね?」
「だろうな。村からの距離はこっちのダンジョンの方が近いとは言え、危険度が段違いだ。それにあっちは神核の遺跡の中でも最も初心者向きと言われている第一ダンジョンだからな。人気は当然あっちの方があるだろう」
「でもまあ、そのおかげで、あの剣はまだあそこに刺さっているってことですから、今回は感謝しなきゃですね」
「ああ、そうだな」
そう言ってニーヴィアとガダルテはさらに奥に進んでいった。
十三階層と十四階層は最終階層の十五階層目前ということもあり、それほど強力な魔物たちは出現せず一時間ほどで踏破することができた。
そしてついに。
「第十五階層到達―! ささっ、ガダルテさん、準備はいいですか?」
「あ、ああ、大丈夫だ。というか、なんでお前はそんなに楽しそうなんだ?」
「え? そりゃせっかくダンジョンに行くんだったら楽しんだ方がお得だからですよ」
「こっちなんて恐怖でガタついてるっていうのに、呆れるぜ」
「そりゃ、私だって人並みには怖いって思うときもありますよ。でも恐怖に支配されて死ぬくらいだったら、楽しんで攻略する方が何倍もお得です。その方が結果もついてきますよ?」
「それはお前だけだと思うぞ……」
「ってなわけで索敵しちゃいますね!」
そう言ってニーヴィアは目を閉じ、何かに集中する。
この姿をガダルテは何度か目にしていた。通常であれば、魔物の位置を索敵する用の魔道具であったり、魔法や魔術を使って索敵を行う。魔物の位置がわかるだけで攻略の難易度はかなり下がるからだ。
しかし、ニーヴィアが行っているのはただ目を閉じているだけ。
最初は音でも聞いているのかとガダルテは思っていたが、たまに歩きながら行っているため、そうでもないらしい。
ただでさえガダルテは自分の事情に巻き込んでいるという意識があるため、ニーヴィアに対する詮索は可能な限り避けるようにしている。実際、ここまで何事もなく進めているのだからガダルテとしても問題ない。
とそこで。
「……妙ですね」
「なに?」
「静かすぎます。この階層全体が」
「どういうことだ?」
「以前来たときもこの階層には到達したんですけど、そのときはもう魔物の巣窟のような感じで、どこに行っても魔物とエンカウントするような状態でした」
「……だが今は、魔物なんて一体もいない」
「それこそ、何かに怯えて息を潜めているかのように」
「何かってなんだよ」
「それは私にもわかりません。私の索敵は魔力濃度が高い場所だとそれほど広範囲には使えないんです。最新部に五体のアマルルズモスがいるのはわかるんですけど、それも妙にノイズが走っているというか……」
「……わかった、気をつけて進もう」
妙な違和感と共に二人の表情は引き締まる。
ガダルテといえどB級の冒険者だ。少しの違和感が後々とてつもない事態を引き起こす可能性を秘めていることは理解している。だからといって引き返すわけにもいかないのも事実。今は慎重に進むしかない。
実際ニーヴィアはニーヴィアらしくないほど慎重にゆっくりと周囲を警戒しながら足を動かしていった。
しかし結局、魔物との戦闘は一度もなく最深部へと到達した。
そこはとても広い空間で、中央にはガダルテの妻、ナナフィの剣と、それを守るように五体のアマルルズモスが居座っていた。
それを見たガダルテは斧を構え直し体勢を整えていく。
が。
ニーヴィアは違った。
苦虫を食わされたような表情を浮かべながら剣槍を握る手に力を入れている。
「…………どうした?」
「嵌められた」
「なに?」
「逃げてください!」
と、次の瞬間。
二人の体を両断するかのような斬撃が目の前から飛んできた。
ニーヴィアはガダルテを抱き抱えるように持ち上げると、真横に飛んでそれを回避する。
「な、なにが!?」
「ちっ……。妙だと思ったのはこれが原因か……。魔剣の魔力を吸って強制的に進化。突然変異個体……。あの縦穴はダンジョンから出ようとした痕跡……? いや、そもそもルモス村にグランゾゴロンが現れたのは、あれから逃げてきたから……?」
その攻撃は一瞬でも判断を誤れば避けられないほど早い一撃であり、ニーヴィアの額には汗が滲んでしまう。
「誘い込まれたんですよ、私たち」
その言葉が最後だった。
ニーヴィアの目が大きく見開かれた瞬間。
地面を揺らす衝撃がダンジョン全体に広がっていく。
「っ! きます!」
すでにガダルテの隣にニーヴィアはいない。
ニーヴィアは魔剣が突き刺さっているフロアの中心に移動していた。
そしてその目の前に突如現れた一体の魔物。
五体のアマルルズモスはすでに肉塊へと変わり、そこは死臭が満ちる空間へと塗りつぶされていく。
五体のアマルルズモスはおそらくその魔物に倒された後だった。
加えてこの階層に魔物の姿がなかったのは、恐怖したからだ。
何も恐怖するのが人間だけとは限らない。魔物の中でもヒエラルキーは存在し、上位関係も確立されている。人間よりも弱肉強食の世界で生きる彼らには、人間よりも死の匂いに敏感なのかもしれない。
ガダルテが見つめる先。
そこにはニーヴィアが剣槍を両手で持ち、巨大な魔物の攻撃をなんとか凌いでいた。
「ぐっ! ……がああ!」
その魔物は手足が十六本あり、アマルルズモスの倍はあろうかという大きな体。加えてその手足は人間が扱う刃物のように鋭く尖っており、斬撃すら放つことができる。
漆黒の蜘蛛の体を持ちながら巨大な翼を携えるその魔物を人々はこう呼んだ。
アマキ・ラコスディア。
通称。
上位階級魔物。
と。
上位階級魔物はA級を超えるS級以上の魔物の総称だ。
魔物の強さはA級からS級には大きな壁があるとされており、あまりにも強くなりすぎるため区分を設けることとなった。
またこの区分に分類される魔物は討伐レベルという指標が設定され、各階級1から100までランク付けされている。
そしてアマキ・ラコスディアというと……。
「S級……!? 討伐レベル12!? あ、ありえない! なんでそんな魔物がこのダンジョンに……!」
幸いアマキ・ラコスディという魔物は比較的有名な魔物だ。それこそS級の魔物の代表格として声明されるほど認知度がある。
しかしそれゆえにそのあまりにも規格外の強さも理解しているということになり……。
(ふ、震えが止まらん……! ニーヴィアを助けに行きたい。だが、行けば間違いなく殺される!)
ガダルテの体は震えていた。
それだけではない。身体中から汗が吹き出し、手足にはまったく力が入らない。
それでもなお、逃げ出さないというのは冒険者であるがゆえかもしれないが、それは逆を返せば逃げることすらできないとも言える。
対するニーヴィアはアマキ・ラコスディアの二つの手足が振り下ろされている状況で、なんとかその攻撃の威力を殺そうとしていた。
(重い……!! 体に気配を充満させてるのに、押し返せない! こ、これがS級……!)
と、そこでさらにアマキ・ラコスディアの攻撃が激化する。空いているニーヴィアの懐に、残っている手足が滑り込んできた。両手が塞がっているニーヴィアにその攻撃を防ぐ手段は残っていない。
のだが。
(それは、承知の上!)
そこはさすがニーヴィア。
押すのではなくあえて攻撃を引いていなすことによって剣槍を自由にし、その攻撃に対応する。
しかし。
「がっ!?」
防いだはずの攻撃の威力が大きすぎたことで、ニーヴィアは思いっきり吹き飛ばされてしまった。ダンジョンの壁にめり込むように激突したニーヴィアは思わず意識を手放してしまいそうになる。
(いったー……。しっかりしろ、私……! 今はガダルテさんを逃すのが先! まだ体は動く。まだ立て直せる)
そんなことを考えていた矢先。
「ッ!」
目にも止まらぬ速さでニーヴィアに接近したアマキ・ラコスディアは、その腑を抉るように鎌のような手を振り抜いた。
それはニーヴィアでさえ認識できないほどの速さで————。
(あ……。これ、まずい)
瞬間。
轟音と爆発が同時に起こり、このダンジョンは今日初めて絶望に包まれたのだった。
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