第3話 形見
「頼み、ですか?」
「ああ。……こんな話、今日会ったばかりの、それも命を助けてもらった恩人にする話じゃないんだが……。もちろん報酬も————」
「いいですよ」
「……は?」
それはあまりにも屈託のない返事。
まるで聞くまでもないと言わんばかりの。
「な、なぜだ? なぜそうも簡単に引き受ける? お前は疑うことを知らないのか……?」
「いやいや、知ってますよ、それくらい。まあ、本当は話を聞いてから判断した方がいいんでしょうけど、そういうの性に合わないんですよ。……ってなわけで話してください。私にできることであれば協力しますから」
ガダルテは呆気に取られていた。
彼女から帰ってくる言葉はその全てが本心からくるものだ。それくらいガダルテにだって読み取れる。
だがこの手の話をすると今までは打算やいぶかしむ意思が誰にだって浮かんでしまう。それは人間が人間である以上、仕方のない防衛本能だ。
それなのに、このニーヴィアという少女にはそれがない。さも当然のように、息をするように相手を信用する。
それはガダルテから見て、あまりにも眩しく————。
「ん? どうかしましたか?」
「い、いや、大丈夫だ。少し呆けていた」
「大丈夫ですよ。それより聞かせてください。ガダルテさんの頼み」
「ああ。…………ニーヴィア。『螺旋蜘蛛の遺跡』は知ってるか?」
ガダルテは自分の疑問は一旦無視し、話を続けていく。この時点で半ばニーヴィアという少女に下手な嘘は通用しないと思わされていたのかもしれない。
「螺旋蜘蛛の遺跡……。それってここから少し離れたところにあるダンジョンですよね?」
「そうだ。俺はそのダンジョンの最下層に置かれているとある武器を求めている。だがあのダンジョンは……」
「あー、神核の遺跡」じゃないですもんね。危険度で言えばかなり高い」
ダンジョン。
それは世界各地に不自然に存在している魔物を生み出す特殊空間。
誰がいつ、どんな目的で作ったのかもわからず、それでいて貴重な素材や武器などが自然発生する不思議な場所を人はダンジョンと呼ぶ。
その中でも世界で最も大きく格のあるダンジョンを神核の遺跡と分類していた。
神核の遺跡は第一ダンジョンから第六ダンジョンまで存在しており、今でも多くの冒険者が踏破しようと日々挑戦している。
その理由は明白で、これらのダンジョンではどういうわけか人が死なないようになっているのだ。
ダンジョン自体の難易度は世界トップクラスなものの、どれだけ危険な状況になっても、どれだけ死にそうになっても、その命だけは落とすことがない奇妙な現象が発生する。
それこそ魔物に殺されそうになった場合は入口まで強制転移させられたり、食料が尽きた場合は、ダンジョン内の宝箱から食料が出現したり。
そう言った意味で、攻略することは難しいが、安全が保障されたダンジョンとして有名なのだ。
ゆえに冒険者は神核の遺跡に潜ることが多い。そこで手に入る素材や武器は常に一線級であり、死ぬことがなければ危険もない。
命をかけて冒険する彼らにとって、これほど都合がいいダンジョンは他にないのだ。
であれば。
螺旋蜘蛛の遺跡とはなにか。
神核の遺跡ではないダンジョンはいわゆる普通のダンジョン。理不尽も不条理も、その全てを踏破して進まなければいけない真のダンジョンということだ。
当然命の危険もある上に、今までどれだけの死者を出したのか定かではない。
そんなダンジョンの名前がガダルテの口から飛び出した。
話の重さを理解したニーヴィアは料理をつつく手を止め、ガダルテに向き直っていく。そんなニーヴィアを見て察したのかガダルテもゆっくりと話を続けていった。
「俺には妻がいた」
「いた?」
「俺の妻は五年前に螺旋蜘蛛の遺跡で命を落とした」
「っ! ……そ、それは」
「いいんだ。お前が気にすることじゃない。俺の妻も同じ冒険者だったんだ。当時俺は妻とマルクの三人で各地のダンジョンを巡っていった。踏破したダンジョンの数も忘れるくらいには冒険に明け暮れていた」
「それは、すごいですね……」
ガダルテの冒険者階級はB級。そんなガダルテと一緒にパーティを組んでいたということは他の二人もB級もしくはA級なのだろう。冒険者の人口から考えれば、それだけ上位階級の冒険者が集まっているパーティは星都でもそう多くはない。
であればガダルテのパーティはかなり力のあるパーティだったに違いない。
ニーヴィアは今の話からそう判断していた。
「そして俺たちは冒険を続け、とうとう螺旋蜘蛛の遺跡に到達した。螺旋蜘蛛の遺跡は最深部にA級の魔物が出現するという情報を掴んでいた。当時の俺たちからしてもA級の魔物は協力してギリギリ倒せるか倒せないか、というレベルだったんだ。それに同行するパーティもそれなりにいた。だから俺たちは覚悟を決めてダンジョンに突入した。だが結果は————」
「…………」
語るまでもないだろう。
神核の遺跡以外のダンジョンでは常に想定外の出来事が起きる。それこそ冒険者を絶望に突き落とすような理不尽な出来事すら日常茶飯事だ。
であれば、そんなダンジョンで起きる最悪の事態は……。
「……妻は俺を庇って死んだ。俺やマルクも逃げることしかできなかった。他のパーティもほぼ全滅。実力が違いすぎたんだ」
「……」
「だがそれでも妻の体だけは持ち帰ることができたんだ。俺はもちろん、マルクもその体が眠っている墓に今も手を合わせにくる。……まあ、息子にはさんざん怒鳴られて、絶縁されちまったけどな」
「だからさっき……」
ガダルテは先ほど、ニーヴィアがぶすことどこかで会えると言った。しかしそれはガダルテ自身が否定した。その理由はこの出来事から来ているのだろう。
「それはまあ、いいんだ。俺の実力不足が原因だ。今更悔やんでも妻は帰ってこない。……だからお前に頼みたいのは、ここからだ」
「……」
「螺旋蜘蛛の遺跡から逃げたとき、俺たちは妻の愛剣だけ回収できなかった。それはとあるダンジョンで入手した魔剣なんだが、一年くらい前に螺旋蜘蛛の遺跡に潜ることがあって、そこで見つけた」
「まだ、残ってたんですね」
「ああ。……だが、場所が問題だった」
「最下層ですか?」
「そうだ。まあ、ある意味当然と言えば当然なんだが、妻が殺された最下層、そこに妻の剣は突き刺さっていた。魔剣ということもあってまだ朽ちてはいないようだったが」
「でも、最下層には危険な魔物がたくさんいますよね? どうやってその剣を見つけたんですか?」
「たまたま地面が崩落している場所があって、そこから下の階層を覗き見たんだ。そしてらそこに……」
「なるほど」
であれば納得できる。
ガダルテの冒険者階級はB級。
五年前にA級の魔物に殺されかけたということは、今であってもその魔物を倒すのは難しいだろう。それに今はかつての仲間もいない。
だからこそ、グランゾゴロンを倒したニーヴィアに声をかけたのだとすると、全て辻褄が合う。
「ということは、ガダルテさんは私に奥さんの愛剣を取り戻す手伝いをして欲しいと?」
「そうだ。……悔しいが俺一人じゃ、また殺されるだけだからな」
「うーん、なるほどなるほど。そういうことでしたか」
ここまで話してしまえば、この依頼がどれほど危険なものか、普通の冒険者なら理解できる。現にガダルテはこの話をした後、断られた経験が何度もある。
だからこそ、ガダルテにとってこれは賭けだった。全ては自分の実力不足が原因とは言え、ここを突破しなければ目的は達成できない。
そういう意味もあってガダルテはニーヴィアから視線を逸らさずにじっと見つめていた。それが自分にできる精一杯の誠意だと信じて。
なのだが。
「うん、いいですよ。協力します!」
「……は? い、今の話、聞いてたのか? とんでもなく危険なんだぞ?」
「ええ。わかってますよ。それも全て理解した上で、私は承諾しました」
「なっ!?」
軽い、軽すぎる。
それがガダルテの印象だった。
命を落とすかもしれないダンジョンへの潜入。それも最下層まで到達しなければいけない。これ以上ないくらい危険だ。それをこんなにも軽く引き受けられてしまうと、ガダルテも逆に困惑してしまう。
「あ。もしかして考えなしの馬鹿だと思ってます? ノンノン。ちゃんと考えてますよ、私は」
「……ちなみに、それを聞いても?」
「螺旋蜘蛛の遺跡。その全容は螺旋状に階層が連なる全十五階層のダンジョン。出現する魔物はダンジョンの名前の通り蜘蛛の形をした魔物が多い。五階層、十階層、十五階層には通常より強力な魔物が出現。その中でも最下層にはA級の『アマルルズモス』が五体出現するというおまけ付き。通常の冒険者であれば一般的な攻略レベルの五階層まで目指すのがセオリー。その先の階層は星徒、もしくは上位階級冒険者でなければ攻略は難しい。でも、言ってしまえばそれだけのダンジョン。攻略自体もそれなりに進んでいるダンジョンですから、中の作りも事前に把握可能です」
「な……」
ニーヴィアが語った情報。
それは歴戦の冒険者しか知り得ないものだ。
それこそガダルテも、五年前はそんな情報知らなかったくらいだ。だがニーヴィアは万年F級の冒険者。冒険者ギルドから提供される情報の中に、ここまで詳しいものは存在しないはず。
であれば————。
「お前、もしかして、踏破したことあるのか?」
「さあ、それはご想像にお任せします。そうと決まれば、私も準備があるので、今日はこの辺で。明日、午前六時に冒険者ギルド前に集合しましょう。それなりに深いダンジョンです。時間は早ければ早い方がいいですから」
「ま、待ってくれ! 報酬は……!」
「後払いでいいですよ。ご飯ごちそうさまでした。それじゃあ、また明日」
ニーヴィアはそう言うと颯爽と酒場から出ていってしまった。
あまりにもテンポの速い展開にガダルテは置いていかれてしまう。だが不思議と嫌な気持ちにはなれなかった。
グランゾゴロンを一撃で倒したあのとき。
あれはあまりにも美しかった。
野蛮な冒険者の剣ではなく、とこまでも愚直に積み上げられた剣の極地。
それをガダルテ目の前で見てしまったのだ。
そしてその剣が自分の悲願を達成してくれると確信していた。
ゆえに溢れる笑み。
それは明日へつながる希望が含まれていた。
「は、ははは……。まったく人生何があるかわからないな……。俺も足手まといにならないよう供えておくとしよう」
***
翌朝。
ニーヴィアはマルクが用意した宿から出て冒険者ギルドに向かっていた。
ルモス村は村としては妙に発展しており、その面積も大きい。宿屋からギルドに向かうには五分ほどかかってしまう。
そんなニーヴィアの視界に冒険者ギルドが入る。
が、そこには先客がいた。
「ん? あれは……」
「よう、ニーヴィア」
「やあ、ニーヴィアちゃん」
「早いですね、ガダルテさん。それと、どうしてマルクさんが、ここに?」
ガダルテと一緒にいたのはこの村のギルドマスターを務めるマルクだった。昨日待ち合わせをしたのはガダルテのみだったため少し驚いてしまう。
「いや、なに。ガダルテが『ナナフィ』の剣を取り戻す手伝いを君に頼んだって聞いたから、私もあいさつに来たんだ」
「あいさつ?」
「言っただろ、マルクは俺たちとパーティを組んでいたって。俺の妻とも無関係じゃないからな」
「そういうこと。私もあの件に関しては悔やむことが多い。その一端を君に担がせてしまう自分を呪いたくなる。でも私はもう戦えないからね」
そう言ってマルクは自分の右腕をさすった。それに一体どんな意味があるのか、ニーヴィアは考えないようにした。冒険者という職業柄、怪我や病気によってその道を断たれることは少なくない。
そしてそれは他人が簡単に触れていいことではないのだ。
「昨日の今日で申し訳ないが、ガダルテを頼んだよ。私はここで君たちが無事に帰ってくることを祈っている。くれぐれも無茶はしないように」
「はい、わかっています」
ニーヴィアはそう言ってマルクにお辞儀すると、ガダルテと共に村の入り口へ歩き出す。
ニーヴィアの冒険はまた一つ前に進んだのだった。
次回 第4話 螺旋蜘蛛の遺跡