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第五幕 変貌した彼女、堕落―――

練習船から無事に帰って参りました。どうもお久しぶりです。

ということで、活動再開として遂に本編を投稿することができました。

もうここからはシリアスしかない感じです。今回もなんだか重い感じです。

 護衛艦『あたご』と漁船『清徳丸』の衝突事故から数日、艦首の一部を損傷した『あたご』は横須賀港の岸壁に停泊していた。事件捜査のために、乗員は一切上陸が禁止され艦内に缶詰状態だった。

 その間に海上保安庁の捜査が『あたご』に入り、艦長や航海長等、『あたご』乗員への事情聴取が開始された。二月二十三日には海洋研究開発機構所属の海洋調査船『かいよう』による現場海域での調査も始まった。

 海保による捜査がある程度進むと、今度は海上幕僚監部の艦船事故調査委員会(以下海幕事故調)が捜査にようやく踏み入れた。海保の捜査を優先していたため、海幕事故調の捜査は遅れて三月四日から行われることになっていた。

 しかし海幕事故調とは別に防衛省・海自内では事故当日の二月十九日午前一〇時から、防衛省に呼んだ『あたご』航海長から衝突時の状況を聴いていたことが判明し、海保側や冬柴国土交通相が不快感を示していた。

 捜査が進むにつれ、事故当時の状況が次々と判明されていくが、途中で防衛省に明かされた既述と海保で聴取された内容が一致しない等と、捜査する側への批判等も起こったが、特に大きな障害はなく捜査は順調に進んだ。

 だが、世間の目は冷たい。自衛隊や海保側の捜査が進んでも、報道はそれを大っぴらに語ることはなかった。縮図された内容しか国民は知ることができず、一部では一方的に『あたご』側に非難の目が向けられていた。

 そして、罪に苛まれた者の末路がここにあった。

 横須賀港に停泊する『あたご』の艦内は重苦しい空気で充満していた。事故以来、事情聴取のために乗員全員は艦内に閉じ込められ、心休まる時がなかった。乗員たちのストレスや疲労は日に日に蓄積され、『あたご』のへこんだ艦首も痛々しいままだった。

 

 首に包帯を巻いた一人の少女が暗い陰の端で膝を抱えて佇んでいた。陰湿な空気の中、彼女は顔を上げることは一切なかった。

 彼女は一人、ずっとそこにいた。瞳は生気を失ったかのように真っ暗で、唇はからからに乾いている。自分の罪深さに散々泣いた涙は枯れて、もう出ない。

 膝を抱えて長い間佇む彼女の姿は、まるで死人のようだった。

 すべての始まりは、あの真っ暗な闇が支配する、寒い海で起きた悲劇。最新鋭のイージス艦である『あたご』はハワイから日本への帰路の途中で漁船と衝突、漁船は見るも無残な姿になってしまい、漁船側乗員二名が行方不明になった。

 必死の捜索に関わらず、乗員は見つからず、漁船の船体も真っ二つに折れて浮いているだけだった。あの光景を、あたごは忘れはしなかった。

 「……………」

 ぎゅっと膝を抱え、顔を埋める。彼女は息を殺して、小さく震えた。

 罪と、自分に辛く当たる冷ややかな目と声。

 それは自分の罪を考えれば当然であると、あたごは思った。

 世間は予想通り、彼女を罪人として辛く当たった。一方的に辛く当たる世間に、あたごは頭を垂れ、謝罪の言葉を繰り返すことしかできなかった。

 あたごの心中は、溢れんばかりに謝罪の言葉でいっぱいだった。

 「……ごめんなさい、ごめんなさい……」

 ブツブツと、謝罪の言葉を繰り返す。心から漏れる、震える謝罪の言葉を。

 「あたごさん……」

 事故発生当時指揮艦として捜索を仕切った護衛艦『いかづち』の艦魂、いかづちが謝罪を繰り返し、陰に佇むあたごの姿を見て、細めた瞳を悲しげに揺らした。

 事故発生以来、ずっとあたごはこんな感じだった。そんなあたごを必死に支えようとしているのが、同じ海自の艦魂であるいかづちたちだった。

 今日もまた、いかづちは彼女たちのお姉さんとして、一人であたごの下にやってきていた。

 「……………」

 だが、声をかけ難い。実を言うと、あたごの下にやってくる艦魂は、いかづちぐらいしかいない。

 最初は他の艦魂たちも彼女の下へ訪れ、慰めようとしたが、はるさめの「一人にしてやった方が一番良い」という言葉を発端として、彼女の下から徐々に訪問者が減っていった。

 はるさめの言葉は間違いではない。更にはるさめが「我々が何を言っても、彼女には慰めにもならないし、彼女が背負う罪を軽くすることもできない」とも言ったように。

 だが、それでもいかづちはあたごを放っておくことはできなかった。彼女は本当に苦しんでいる。せめて自分がそばにいてあげなければならない。でないと、彼女は本当に壊れてしまう。支えるものがないと、駄目なのだ。

 「あたごさん、おはようございます」

 「……………」

 「隣、良いですか?」

 「……………」

 いかづちは努めて微笑みながら、優しい口調であたごに声をかける。あたごはいつものように反応しないが、いかづちは隣にぺたんと丸いお尻をひんやりとした床に付けた。季節は春を前にした冬、最後の冷え込み。そんな冷えた床にぷるっと来たが、いかづちはあたごの方を振り向いた。

 普段のポニーテールは最近しておらず、さげた長髪が長い間手入れしていない事を物語るようにボサボサだ。いかづちはそっとあたごの頭に触れるが、あたごはやはり反応しなかった。

 「髪、ぼさぼさですね。 私が手入れしましょうか」

 「……………」

 やがて、いかづちはあたごの髪の手入れを始めた。ぼさぼさになった黒髪をブラシで解き、優しく滑らせる。

 「駄目ですよ、髪は女の命なんですから。 折角あたごさんは髪が綺麗でポニテが似合うのに、勿体ないです」

 「……………」

 されるがままに、あたごは無言でいかづちに頭を手入れをされる。

 「……あたごさん、気を強く持ってください。 私は、私たちは……あなたの味方ですから」

 「……………」

 ふと、あたごの髪をブラシで撫でながら、いかづちはそんなことを呟いていた。いかづちがハッと気付いた時には、あたごが久方ぶりの反応を示していた。

 「……私」

 「え…?」

 掻き消えそうな小さな声が紡がれる。

 「私、人殺し……ですよ…」

 「!!」

 いかづちの撫でるブラシが、止まった。

 髪を今まで撫でられていたあたごが、ゆっくりとその悲愴な表情をいかづちに振り向かせた。

 「人殺しに、味方はいりません……こんな私は、悪い娘なんですから…」

 「あたご、さん……」

 以前とは別人のように変わってしまった彼女。その悲愴の表情からは、以前の明るい彼女の面影はどこにもなかった。

 「私は……他人を死なせてしまったんです……」

 後頭部を向けたあたごが、ぼそぼそと呟く。

 首に巻いた包帯を、爪で掻きながら。

 「私は……生きてはいけない……」

 「あ、あたごさん…! なにを言って…ッ」

 「私は――――」



 「生まれちゃ、いけなかったんだ――――?」



 それを言ったあたごの表情は、虚空だった。瞳はなにを見ているかわからないもので、その口は淡々と言葉を紡いでいた。

 そのすぐ後ろで、いかづちは絶句した。いかづちの手から落ちたブラシが寂しい音をたてた。

 それ以上、二人とも言葉を発することはなかった。


 その夜、いかづちは姉の一人であるはるさめと共にお酒を嗜んでいた。しかし、いかづちの口にお酒が注ぎこまれることはあまりなかった。

 「どうした、いかづち。神妙な顔をして」

 「はるさめ姉さん……」

 誰もいない食堂の長机を挟んで、酒を飲んでいたはるさめがいかづちに問いを投げた。はるさめは酒を飲んでいても、表情も変わらず、酔った様子は微塵も感じられなかった。

 「そんな顔をしていては、酒が不味くなる」

 「す、すみません……ちょっと、考えごとを……」

 「あたごの事か」

 即言いあてられてしまったが、いかづちは「うん…」と頷くしかなかった。

 「ふん…」

 小さく鼻を鳴らすと、はるさめは酒をぐいっと飲み干した。いかづちは、普段通り酒が飲める姉が理解できないのが心の片隅にあった。

 「他人にそこまで気を遣うお前は、相変わらずお人よしだな」

 「な…ッ、ね、姉さん……ッ!」

 「まだ、彼女のもとに訪れているようだな?」

 「……………」

 はるさめの言葉に、いかづちは口を噤んだ。

 「前にも言ったが、お前が何を発言したり行動しても、どれに対しても彼女の慰めにはならん。むしろ陥れている。やめろ」

 「な、何を言ってるんですか…ッ! あんな……あんなに苦しんでいる彼女を、放っておけるわけな……」

 「何をしても無駄だと言うことがわからんのか」

 「ッ!」

 はっきりとした、突き刺すようなはるさめの言葉。はるさめの圧迫するような威圧感と鋭い視線に、いかづちは耐えるしかなかった。

 「罪に苛まれ、一人苦痛を帯びる者に、他者の気易い介入はするべからずだ。 二十年前のなだしお事件の時もそうだった」

 「―――!!」

 なだしお事件。二十年ほど前、横須賀で潜水艦『なだしお』と遊漁船が衝突し、遊漁船側が沈没した事故。あたご事件と同様、自衛隊艦船が民間船と衝突した事件である。

 「先輩方から聞いた話だがな。 だが、当時の事故当事者であったなだしお殿も、随分と罪に苛まれ苦しまれたそうだ」

 「……………」

 はるさめは平成生まれなので、当時はまだ生まれていない。だが、はるさめは当時の事故を年輩である艦魂たちからよく聞かされた記憶があるのだ。

 「ただでさえ自衛隊われわれは国民に忌み嫌われる存在だ。 なだしお殿は罪に苦しんだとしたが、言ってしまえば、罪は両者にあった。 なだしお殿にも、沈んだ遊漁船側にも。 船である我々が知っているはずである“両方とも悪い”決まりだ。 だが、人間は一方的に自衛隊を批難した。 まるで悪いのはなだしお殿だけ、という風にな。 実際に両者ともその罪を法律で裁かれた。 なだしお殿は最後まで罪を、十字架を背負って生きることになり、他の艦魂も彼女を慰めることなどできるはずがなかった」

 海の上の法律では、二隻の船舶間で衝突事故を発生させた際は、二隻とも罪に問われる。

 例えば、海の上で錨泊している船舶がいて、停止しているその船舶に別の航行している船舶が衝突してきたとしても、罪は両方に裁かれる。

 だが、自衛隊は色々な意味で国民にとっては特殊な存在だった。本来国民を護るはずの組織であるが故も一つの理由かもしれないが、法律とは関係なく感情論で一方的にされることも多かった。

 今回の事件も、勿論『あたご』側にも、『清徳丸』側にも罪はある。法律に基づいて、厳正な裁決の下で両者は裁かれることだろう。

 捜査の結果としても、『あたご』側の方が非が大きいとなるのは確かだが。

 「彼女の事は、彼女自身が解決せねばならない。 十字架を背負って生きるという決意を、彼女自身がしなければな」

 そして、黙りこんだいかづちを置いて、はるさめは酒が入った瓶を持って食堂の出口へと向かった。背を向けたはるさめが去る際に、「もしくは壊れてそれまでになるか、だ」と言い残した言葉を、いかづちは聞き漏らすことはなかった。そしてその言葉の意味、この先に起こることを、いかづちは知る由もなかった。


 いかづちは、『あたご』にいた。はるさめに言われたことで、迷ってしまったいかづちだったが、やはり彼女を放っておくことなどできるはずがなかった。

 せめて様子を見るぐらい許されるではないかと、いかづちは心中で強く訴えた。

 「あたごさん、おはようございま―――――」

 目の前の光景に、いかづちの言葉は止まった。

 いつもの陰の場所に佇んでいたあたごは、その首に巻いた包帯を解き、醜い傷を露にしている所だった。

 「な、なにをしているんです……?」

 雷のように走った傷。解かれた包帯はぺたんと座りこむあたごの周りに捨てられた。傷からは、じわじわと血が滲み出ていた。

 「だ、駄目ですよ。 まだ治っていないんですから、ちゃんと包帯を……」

 次の瞬間、いかづちは声にならない悲鳴をあげかけ、無意識のうちに駆け出していた。

 あたごが、自分の手に発現させたナイフを自分の首の傷目がけて、刃先を向けたからだ。

 思い切りナイフを突き刺せば、首を貫通するのではないかという恐怖観念に駆られる。

 艦魂は己を傷つけようが、本体の艦が無事である限り、最悪死ぬことはない。

 だが、傷つけるという自体は変わりない。

 そして何がどうだろうが、その―――自殺行為というものは、決して許してはいけない行為として、止めるべきものだった。

 いかづちが、ナイフの刃先を自分の首下に向けたあたごに飛びついた。ナイフは吹き飛び、カラカラと遠い所へと床の上を回っていた。

 そしてナイフとは別に床に転がっているのは、あたごといかづちだった。あたごはいかづちに倒されて、仰向けに転がっていた。その上を覆いかぶさるように、いかづちが荒い息を吐いていた。

 「はぁ…はぁ……」

 「……………」

 あたごが咄嗟に掴んだあたごの手首、そして手のひらには、ナイフは消えていた。遠くに飛ばされたナイフは、やがて光の粒となって消えていった。

 押し倒したあたごを正面から見据えて、いかづちは叫んだ。

 「なにをしているのですかッ!!」

 「……………」

 いかづちの一喝にも、あたごは全然動じなかった。虚空の瞳は天井を見据えており、いかづちの事などまったく見えていなかった。

 そんな瞳を見て、そして悲しくて、あたごは瞳から涙をこぼした。ぽつ、ぽつと、いかづちの涙があたごの頬に落ちた。

 

 『生まれちゃ、いけなかったんだ―――――?』


 昨日の、あたごの言葉が脳裏によみがえる。

 「生まれちゃいけないなんて事、あるはずないんですよ……」

 いかづちは涙を頬に刻みながら、あたごの胸にぎゅっと拳を握り、自分の顔を近づけた。

 仰向けに倒れたあたご。そしてあたごの上で覆いかぶさるように重なり、小さく震えるいかづち。

 あたごの頬に、いかづちの落とした涙とは別の涙が、一筋、伝っていた。


 その日、『あたご』艦内で事故当時の当直であった海士長が自殺未遂した。それをきっかけに、翌日から上陸を禁止されていた乗員全員に対して、上陸・休暇の外出が許可されることとなった。

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