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第三幕 漆黒の海で起きた悲劇

今回は護衛艦『あたご』と漁船『清徳丸』が衝突するまでの経緯を書いています。

何故、衝突が起こったのか。

防衛省や関係各所の調査資料を元に、読者の皆様に伝えようと思います。

 訓練査閲後、『あたご』は早急に隊司令から受けた指摘事項の改善を図るため、八月の中間修理終了後、九月に鹿児島における雑音測定及び横須賀における装備機器の作動試験への進出、帰投時の航海の機会を捉えて乗員への教育を実施し、その結果、訓練査閲における隊司令からの指摘事項は改善できたものと考えていた。

 なお、同年の一〇月には、アメリカ合衆国の試験評価施設を使用した装備認定試験(SQT)に向け舞鶴港を出港するまで、停泊状態でSQT事前訓練を実施しており、航海を伴う訓練は行っていなかった。


 これが、衝突事故に関する調査の過程であげられた事故艦船の就役訓練等の概要の一部である。


 続いて事故艦船の行動の概要。

 『あたご』は平成十九年一〇月二十五日木曜日に舞鶴港を出港し、同年十一月五日木曜日にハワイ・真珠湾パールハーバーに入港、SQT実施後、平成二〇年二月六日水曜日午前十時(現地時間)真珠湾を出港、横須賀港に同年二月十九日火曜日午前八時三〇分入港予定で行動していた。


 真珠湾を出港し、母国の港に向かい始めた瞬間、運命のカウントダウンが始まった。

 それは悲しいだけの、ただの悲劇までの束の間の時間だった。

 

 広い太平洋の海を、イージス艦『あたご』が日本に向けて舵を取っていた。針路を西北西として艦首を向け、高度なコンピュータシステムを満載した最新鋭のイージス艦が翔ける。

 その艦上で海風を浴びているのが、あたごだった。短く縛ったポニーテールが可愛らしい彼女は、その整った顔立ちをさらに可愛らしく微笑ませて、鼻歌を歌っていた。

 久しぶりに日本に帰れるのだから、嬉しいのは仕方なかった。四ヶ月ぶりの日本であり、この航海が終われば当分の間は休みだろう。

 「長い間細かくて長ったらしい試験やらばかりだったから、日本に帰ったら久しぶりにうんと羽を伸ばそうかな。 みょうこう姉さんは今頃どうしているんだろ。 舞鶴にいるのか、それとも別の港にいるのかな」

 艦は母港にずっと留まっているわけではない。予定や演習の事情で日本中の港を回ることだってあるし、時には外国に行くこともある。外国に行くケースは特に非常事態が常だが、艦は母港を中心に各港を行き来する。

 あたごが向かう先の横須賀港は日本で最も大きな軍港であり、在日米軍の艦魂も含めて仲間もたくさんいる。

 そこに姉がいる可能性だって十分ある。日本に帰りたい、姉さんに会いたい、という思いがあたごの中で大きくなっていった。

 また姉と会ったら妹分補充とか言われていつもの通りになるだろうが、それでもあたごは姉と会えることは勿論嬉しかった。あたごもやっぱり、みょうこう姉さんが大好きだから。

 「えへへ……」

 姉と会った時を想像して、あたごは照れ臭く微笑む。

 顔を上げた先に見えるものは陸も何もない水平線だが、あの先に行けば姉さんたちがいる日本に帰れる。あたごはそれを思い、胸がわくわくするのを感じた。

 ああ、早く帰りたい。

 『あたご』はその思いを表すかのように、白波を翔けながら日本への航路に向かうのだった。


 艦が航行する上で最も基礎的で、かつ重要なのが、“見張り”と言っても過言ではない。

 そしてその見張りを実行することを一部としたのが、当直である。

 この時の『あたご』の当直体制は五直体制だった。

 本来の『あたご』の通常航海時は基本的に当直体制を四直体制としていたが、艦長の令により、真珠湾からの帰途については、所要の乗員にSQT実施報告を作成する時間を与えるため、艦内態勢を「通常航海直及び艦内哨戒配備における立直時間について」(あたご艦橋命令(甲)第19-4-05号。19.10.23)により通常航海直五直体制としていた。

 

 

 二〇〇八(平成二〇)年二月十九日火曜日午前二時五分――――

 真珠湾を出港して約二週間が経過したころ、艦は徐々に日本近海に近づいていた。

 艦橋には『あたご』の航海長・後瀉うしろがた桂太郎けいたろう三等海佐が第一直の当直士官に就いていた。

 航海長は海図と電子海図による本艦の位置を確認した。

 「寒くなってきたな」

 「パールハーバーを出てまる二週間ですからね。既に日本近海を北上しているあたりですから、気温も低下しているはずです」

 「その通りだな。 ハワイにいて忘れていたが、日本は二月の真冬真っただ中だからな」

 航海長は外のウイングにいる見張り員を見た。彼らは厚着の防寒着を着て、真っ暗闇の海に目を見張っているが、風がよく当たるウイングにいては凍えてしまうだろう。

 「こんな寒い外にいつまでも置いていては風邪をひくぞ。 中に入れてやれ」

 こうして航海長は、日本への北上に従う急激な気温の低下によって見張り当直員が体調を崩すことを危惧し、ウイングにおいて立直していた左右見張り員各一名を艦橋内に配置すること(その再艦橋の扉は閉)とし、その旨を指示した。

 

 しかしこの単なる当直員への気遣いが、事故発生の調査によって、事故の原因の一つではないかという意味を少なからず持たせてしまうことになる。


 午前三時四十九分、第二の当直士官である水雷長・長岩ながいわ友久ともひさ三等海佐が艦橋にあがった。そして海図台において船位を確認した後、左右見張り員が艦橋内にいることに気付いて違和感を覚えた。

 「(なんで当直の見張りが艦橋内なかにいるんだ……?)」

 本当なら雨等が降っている場合を除いて当直見張り員はウイングに出ていなければならない。当直交代後に水雷長は見張り員をウイングに出すよう指示するつもりであったが、その後失念し、第二直においても見張り員は引き続き艦橋内で立直していた。

 

 

 一方、CICでは、舞鶴出港に先立ち、船務長・安宅あたか辰人たつと三等海佐は電測員長に対し、SQTのための真珠湾往復航行において、CICにおける当直体制を艦橋と同様の五直体制とし、電測員を五組に分け、各直七名ずつの直編成とするよう指示した。

 電測員長は、真珠湾出港に先立ち、船務長の許可を得ることなく午前〇時から四時の当直においてはCIC各当直員先任者の裁量で適宜交代しながら減員して立直して良いとの指示を、第二直を除く各当直員先任者に対し個々に行った。

 その理由は、各直には電測員長レベルの技能を有している者が二名以上おり、当該技能保有者一名を含む三名の当直員を確保すれば運航安全上問題ないと考えたことと、SQT期間中電測員が他の配置に比して忙しく訓練その他の業務に従事していたため休ませようと考えたことによる。

 電測員長は当初、陸岸に近づいた場合や目標が多くなってきた場合は通常の体制に戻すことを考えていたが、その後失念し、日本近海に至ってからも通常の体制に戻す指示を出さなかった。

 第二直を除く各当直員先任者は、この指示を受け、午前〇時から四時の当直においては、それぞれ当直員を減員していた。

 

 事故当日の午前二時から四時に立直した第一直については、七名の当直員が前半の一時間を三名、後半の一時間を他の四名に分かれて立直していた。


 「右約五〇度の目標、針路二四〇度から二六〇度、距離約七〇〇〇ヤードから約八〇〇〇ヤード、ベロシティーリーダーが長く、CPA一〇〇ヤード以下です」

 ベロシティーリーダーとは、レーダー上に捕捉した目標の針路、速力を直線の方向と長さで表し、長いほど速力が速いことを意味するものである。

 艦橋前部右側に装備されているレーダー指示機OPA-6Eがそれらの数字を表す。これはCICに装備されているOPA-6Eと連接されており、レーダー情報を共有することが可能となっている。又OPA-6Eは自動衝突予防援助(ARPA)機能を有しており、自動補足機能と警報機能を備えている。

 続いて、次々と表示される目標の位置や状況を読み上げる。

 右前方の漁船群は停止中で危険性はないと聞いたが、全ての漁船が停止しているわけではない。

 ベロシティーリーダーの表示から、右約五〇度の目標及び右約六〇度の目標は、艦首を横切る態勢であったため、本艦に近づく可能性があると判断し、画面上の目標データの方位を確認した後、ジャイロコンパスレピーターで方位を確認するため、第二当直士官が艦橋中央へ移動した。

 第二直右見張り員は、午前三時五十八分頃に申し継ぎを終了した後、幾つもの目標を視認、この内新たに視認した右五度水平線の目標については、午前四時二分頃、見張り通信系により第二直当直士官に報告したが、その他の目標については、動静の変化があれば報告するつもりであったため、この時点では報告しなかった。

 

 その後、事故発生時刻までの間に何度も幾数の目標を捉え、追い、確認したが、中には視認ができても画面上で確認できなかったものもあった。だが視認では確認できたので、特に注目することはなかった。

 そして午前四時ごろに『清徳丸』を含めた四隻の漁船を確認。この時はまだ衝突の危険性もないと判断していた。

 第二直当直士官は、ジャイロコンパスレピーターで右約五〇度の目標及び右約六〇度の目標の方位が上ることを確認した。又、右約六十五度の目標を含む三隻から四隻の紅灯の真方位は〇三〇度付近であり、いずれも方位が落ちることを認識した。

 なお、この際目標を自ら視認し、明確に方位が変化していることを確認していたため、自ら処置できると考え、見張り員、CIC等への測的指示を行っておらず、危険性がないと考えたため艦長への報告を行うことはしなかった。




 午前四時三分。

 


 一人の第二当直信号員が紅灯を掲げた四隻の目標のうち、艦首側の一隻の方位が上り始めたことを双眼鏡で確認し、「右の漁船増速、方位上ります」と第二直当直士官に報告した。



 黒い絵の具をベタ塗したような真っ黒な闇が支配する海を、危うく欠伸を出るところを辛うじて飲み込んだあたごが見詰めていた。

 その闇だけが支配する海に、ぽつぽつと浮かぶ光の点。微かにポツンと赤く光るのは、漁船の船灯だった。

 海の夜というのは、正に闇の世界だ。まったくと言って良いほど何も見えない。だが船乗りは、そんな危険な夜の海を航海する時も、レーダー画面を見るのは勿論、肉眼での見張りも実施しなければならないのだ。

 何も見えないが、その中に浮かぶ船灯を視認するのが見張りの役目だ。

 もし見張りを怠れば、大惨事を招きかねない。

 艦に乗る者は勿論、あたごもそれは十分承知であったし、自分が艦魂としての生を受けた以上、生きる上の常識だった。

 あたごはずっと先に見えるぽつぽつと浮かぶ赤い光を見て、微かに微笑みかけた。あの漁船にも自分と同じ船魂がいる。今の時期は漁の最盛期なので、漁船が多く見られるようになる。お疲れ様、とあたごは心の中で優しく語りかけた。

 まだ日が昇らない真っ暗闇の寒い海で、一隻の巨大なイージス艦と小さな漁船四隻が出会った。そしてお互いに近づいていくが、危険というものなどお互い微塵も感じてはいなかった。




 午前四時四分。


 第二直当直士官は、目視で艦橋中央から右の方向を見た時、方位が落ちると認識していた船舶の紅灯のうち二隻から三隻を視認し、目測で『あたご』から最も近い目標を認識していたが、方位が相変わらず落ちていたことから衝突の恐れはないと判断した。

 第二直当直士官は、当該目標が右約五〇度及び右約六〇度の目標より近いと思った。

 「こっちの方が近いな」

 と言いつつ、距離確認のためOPA-6Eの前へ移動し当該目標の捜索をしたが、画面上に該当する映像はなかった。

 同じく第二直信号員Aも同時刻に同じ目標を双眼鏡で視認し、最も近い位置にいた目標の方位・距離を右七〇度約一〇〇〇mと認識したが、引き続き方位が落ちていたので、危険を感じることはなかった。以後、第二直信号員Aは、前方を横切る目標を横切り船として注視し、右七〇度方向の目標に関して注意を払わなかった。

 この右七〇度方向に確認されていた目標が、『清徳丸』だった。


 

 午前四時五分。


 第二直当直士官は、方位が落ちると認識していた目標をジャイロコンパスレピーターで測定。その結果、真方位は〇四二度から〇四三度であったが、OPA-6Eでは引き続き映像を確認できなかった。

 当該目標は近接するものの、目視では引き続き方位が落ち、CPAは五〇〇ヤードから一〇〇〇ヤードで艦尾を通過し、衝突の危険はないものと考え、これを確認するためさらにOPA-6Eで目標を捜索した。

 


 午前四時六分。


 波の音だけが聞こえる、基本的に静寂な黒い海の上で、あたごは、右七〇度から、右八〇度二〇〇mから三〇〇mに接近していた『清徳丸』を見つけて、ぎょっとなった。

 「え…?」

 いつの間にかここまで近づいていた一隻の漁船に、あたごは驚きを隠せなかった。確かに前から当直員の眼にも確認されていたが、ここまで近づいてくるとは思わなかったのだ。

 というよりは、実際にはお互いに近づいていた。

 「漁船増速、面舵!」

 とっさに第二直信号員Aが叫ぶように第二直当直士官に報告した。

 第二直当直士官は、第二直信号員Aの報告が、先の四時四分頃に右約七〇度に視認し、方位が落ちると認識していた目標ではなく、右艦首を横切る動きをしていた右約五〇度又は右約六〇度の別の目標に関するものと考え、OPA-6E前から艦橋中央に移動し、両目標の方位が上っていることを確認した。

 この時点で、信号員の報告を、当直士官は間違った方として認識してしまっていた。

 右七〇度で確認された『清徳丸』ではなく、別の目標と考えてしまった。

 

 そして、悲劇は起こる。


 

 午前四時六分。


 時計の針が四時六分を少し過ぎた時、第二直信号員Aの慌てた声が艦橋中に通った。

 「近い、近い、近い!」

 近い、と連呼しつつ右舷ウイングに移動した信号員を見て、第二直当直士官は、ジャイロコンパスレピーター右側に身を乗り出した。

 「ッ!!」

 右方向を確認すると、右七〇度一〇〇ヤードという近い位置に漁船の紅灯がはっきりと見えた。

 船の単位である一マイルがヤードに直すと一七六〇ヤードである。一マイルはメートルに直すと一八五二メートル。

 一〇〇ヤードというのが、どれだけ近いのかがわかる。

 第二直当直士官は、その近さに少なからずの驚きをもったが、冷静だった。

 紅灯を視認していること及び方位が上ることから新たな追い越しの漁船であると判断し、距離が近く切迫した危険は感じたものの、針路を変えずに減速すれば相手船が無難に追い越すものと判断し、目標を先に行かせるため「両舷停止、自動操舵やめ」を令した。

 『あたご』は衝突回避を促すため、減速を始めた。しかし、相手もまた『あたご』が避けてくれると思っているのか、それとも見えていないのか、わからないが『清徳丸』もまた変化を起こすようなことはしなかった。

 二隻は徐々にお互いの距離を縮めていく。


 「あ、危ないですね……」

 あたごはハラハラと闇の中にぽっと浮かぶ赤い光を見詰めていた。しかも近すぎて変な寒気がした。

 このような経験は初めてではない。今までだって真夜中の海を航海する途中で何度も漁船と遭遇したこともある。

 そして海の上では、漁船等といった小さな船が大きな船を驚かすことは全然珍しいことではない。

 大型船の前を平気で横切る漁船もよくいるし、停泊してる大型船のそばをボートが面白半分に通るという海のマナーの悪さも問題になっている。

 特に船舶が渋滞するかのように行き交う浦賀水道付近の漁船は恐ろしい。漁の時期もあって、漁船や小型船の往来が頻繁になっている。だから浦賀水道では大型船はかなり神経を使う。

 これもその一種であるとあたごは思った。だが、その考えがいけなかった。

 またいつものように「危なかった」というだけで終わってくれる、そんな甘い考えは厳しい海の世界では通用するわけがなく、むしろ制裁を与えるのに十分な材料となった。


 その時、闇の世界に一筋の光が射した。

 いや、一筋というほどではない。ただ、ぼうっと光が灯した気がした。

 それは月明かりだった。

 闇に船体を溶け込ませ、紅灯しか見えなかった漁船の姿が、月明かりによって初めて視認された。

 

 この直後、『あたご』は月明かりによって目標が漁船であることを確認したと同時に、漁船の針路が『あたご』の艦首を向いていたことを悟った。


 「!!!」

 それを知った者が全員、息を呑んだ瞬間だった。

 『あたご』は減速し、向こうが避けてくれるものばかりと考えていた。だが、漁船の針路はまっすぐに『あたご』の艦首を向いていて、その針路は変わることがない。

 「汽笛、鳴らせッ!」

 ボォッ、ボォッ、ボォッ、ボォッ、ボォッ、ボォッ!!

 衝突の危険を察知した船舶は汽笛を短音五回以上を鳴らすことが法律で決まっている。『あたご』はそれに従い、汽笛短音六回を吹鳴した。一回目の吹鳴中に「後進一杯!」の令が下った。

 「だ、駄目ッ! 来ては駄目ッ!!」

 あたごは近づいてくる漁船に向かって、思いのたけを叫んだ。相手は自分の声が届いていないのか、針路も速度も変わることはない。

 第二直信号員Aは、ウィングに出た後、信号探照灯で接近する漁船に向けて照射を行った。この際、照射開始直前に短音の汽笛が連続して吹鳴したことを信号員は聴いていた。

 第二直右見張り員は、第二直信号員Aの連呼及びウィングに出た行動から右を見たところ、右七〇度から右八〇度付近、距離約七〇mから約一〇〇mに漁船『清徳丸』を視認した。漁船に人は見えず、白灯と紅灯を点灯しており、『あたご』より高速で、変針することなく艦首に潜り込むのを見た。

 第二信号当直員B(第二直信号員B)も右舷側に駆けていく第二直信号員Aに続いて、ウイングに出て接近する『清徳丸』を視認していた。やはり人影は確認できず、『清徳丸』が若干増速し、若干面舵を取っている所を見た。

 又、第二直副直士官は、『清徳丸』が五インチ砲右舷側の死角に入る直前にわずかに増速、面舵を取ったように見えた。

 

 



 午前四時七分。



 四時七分少し前、第二直信号員Aは、『清徳丸』が変針することなく概略針路二五〇度で、漁船の船尾端一mぐらいが見えているときにドス、という音を聞き、漁船の船体が揺れたのを確認して「漁船と衝突ッ!」と艦橋に向かって叫んだ。

 ちなみに海難審判の過程で明らかになった衝突角度については、『あたご』の艦首が『清徳丸』の左舷ほぼ中央部に後方から衝突し、その角度は四十七度であった。


 「きゃあッ!」

 あたごは思わず首筋に走った痛みに驚き、膝を折った。と、同時に艦自体にドンという音が聞こえた。あたごは微かに呻きながら、思わず首に触れた手をそっと離して目を通してみると、その手のひらは赤い血でべっとりと濡れていた。

 あたごは初めて見る自分の血に目を丸くして「ヒッ」と声を漏らしかけたが、それよりさっきまで見えていた漁船が気がかりで、慌てて立ち上がった。血が流れる首筋がズキズキと痛んだが、どうでもよかった。

 しかしあたごが辺りを見渡した時には、さっきまで見えていた漁船の姿はどこにもなく、あるのは真っ黒な海と静寂、そして近くにいる三隻の漁船の微かに浮かぶ紅灯だけだった。

 

 「右艦首、漁船と衝突!」

 そんな衝撃に値する報告が艦内に伝達された。

 四時八分頃、第二直当直士官の指示で「右艦首に漁船衝突、海難対処用意、救助艇用意」を艦内に令した。


 ―――二〇〇八(平成二〇)年二月十九日火曜日午前四時七分。


 千葉県野島埼南方海域、野島埼灯台の南約四十二kmにおいて海上自衛隊所属の護衛艦『あたご』と漁船『清徳丸』が衝突するという海難事故が発生した。


私も練習船で航海当直のために船橋にあがったことがありますが……

私の時は16~20(ヨンパーという)の当直に入っていたのですが。当直に入った午後四時はまだ明るいから良いのですが、午後五時半ごろには次第に暗くなり、当直が後半に入った頃には真っ暗で、船橋の中もレーダー機器の画面が灯るのみで、まったくと言って良いほど視界が遮られております。

あの状態で外を見張るというのは本当に大変です。あんな真っ暗な船橋で見張りをするというのは、とても神経を使います。

暗い中でいきなり明るい光を照らしては目に悪いので、極力光は灯さないようにしているのでますます暗闇の中に身を置くような状態になります。

海図台も、最低限の光を灯すのみです。なので、夜の当直時は懐中電灯トーチは欠かせません。

これはあくまで個人の経験ですが、おそらく自衛艦のみならずほとんどの船舶が共通している事だと思います。

夜の航海って、本当に大変なんですよ。何度も言いますが、本当に何も見えませんから。


もう一つ、作中でも記しましたが、漁船等といった小型船が大型船をビビらせる事や海のマナーの悪さは、実際にある話です。

浦賀水道やその付近は本当に多くの船舶の交通が激しいです。そして漁船等といった小型船の往来も頻繁で、大型船はかなり神経を使います。

漁船は大型船から見れば、本当に豆のように小さくて、しかもチョロチョロと走るような船ですから、周りに漁船がいたら通りにくいのが本音です。


私が乗る練習船が護衛艦『くらま』と韓国船が衝突した関門海峡を通った時の話ですが……

突然本船の前に現れて、平気で横切る漁船は、実際にこの目で見たことがあります。

あの時は「危な…ッ」と思うほどで驚きました。汽笛も鳴らすほどでしたからね。

勿論、言っておきますが、“中にはそういう船もいる”ってだけで、必ずしも全ての漁船がそうであるということを申しているわけではありませんのでご注意ください。これはあくまで私の経験上の話ですから。

あと停泊している大型船のすぐそばを面白半分に通るボートや小型船、観光船がいるというのも本当です。そしてこれも個人的に経験しています。

錨を下ろしている状態の時に、五人ぐらい乗ったボートが船体のすぐそばをぐるりと回っていて、ちょっと迷惑というか、危ないなぁ…と思う経験もありました。


海の上は、危険がいっぱいで、ちゃんとそういう危険を防ぐために法律があるのです。そして法律の前に、常識やマナーといったのもあり、それが問題となっていることも現実です。


そして海の事故も少なくありません。これまでにも世界中の海で幾つもの事故が起こりました。そしてこれからもいつどの船が、どこの海で事故が発生するのか。

この“護衛艦あたご漁船清徳丸衝突事件”も、その一例であるのです。

起こってはいけなかった悲しい海難事故として、ちゃんとした中身を知ってもらって、人々の記憶に刻まれることを祈る思いで執筆に励んでいきたいと思います。

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