第十幕 十字架を背負う彼女
遂に今回で最終話です。
久しぶりにみょうこうと出会い、そして彼女の温もりに触れ、解放されたあたごは、ずっとみょうこうに寄り添っていた。
三角座りしたみょうこうに寄り添い、ぼうっとするあたご。そして、慈愛に満ちた表情であたごの頭をそっと撫で続けるみょうこう。
端から見れば、微笑ましい光景である。
「……みょうこう姉さん」
「ん? なぁに、あーちゃん」
みょうこうは普段と変わらない雰囲気で、もしくは普段以上の優しさで、呼びかけに答える。
「……ありがと、ね」
「お礼なんて言われるまでもないわよ」
「……そして、ごめんなさい」
「謝ることもなし」
みょうこう姉さんは、やっぱり優しかった。
だが、時にその優しさが胸に痛いこともあるけど、嬉しい。
「あーちゃんはあーちゃん。 私の中ではずっと変わらない」
「うん……」
こんなに優しい姉がいるなんて、自分は幸せ者だ。
だが、罪を背負った自分が、こんなに幸せで良いのだろうか。不安で仕方がなかった。
あたごは、やっぱりこのまま姉の優しさばかりに甘えては駄目だと、強く思った。
「……姉さん、聞いてください」
「…なに?」
みょうこうは静かにあたごの言葉を待つ。あたごは、真剣な表情で口を開いた。
「私は、いけないことをしてしまいました。 決して許されないことです」
「あーちゃん……」
「でも、さっき姉さんに言われて、少し心が軽くなりました。 姉さんには本当に感謝しています」
お礼はいらないと言われた。だが、姉には感謝しても仕切れない。
「私は、これからもこの艦生を、姉さんや、そして日本のために全て捧げようと思います。 …ううん、元からそういう艦生なのはわかっています。 でも、私は更なる自覚を持って、生きていこうと思います」
「……………」
「私は、死ぬまで十字架を背負って生きることになります。 だから、私は……」
「もういいのよ、あーちゃん」
「え……」
ふわりと、あたごを自分の胸に寄せ付けるみょうこう。とても柔らかくて、暖かい、良い香りがする姉の胸に、あたごの顔が触れる。
「とりあえず今日は、私のそばでゆっくり休みなさい。 ねっ」
「……は、はい」
また、涙が溢れそうになった。だが、あたごはそれを隠すように、みょうこうの胸の中に自らの顔を押し付ける。
ぐず、と音が聞こえるが、みょうこうは聞こえないフリをして、あたごの頭をまた撫でた。
今日は、夜が更けるまでずっと、久しぶりに再会した二人の姉妹がいつまでも寄り添っていた。
気がつけば、一年の月日が流れていた。
あたごがたった一人の姉であるみょうこうに、絶望の淵から手を引かれた時、衝突事故から一年が経過していた。
長らくあたごを蝕んで、十字架を背負わせた事故は、国民の記憶には既に薄れたものとなっていた。
しかし、国民に『あたご』の記憶を思い出させるきっかけが起こった。
平成二十一(二〇〇九)年一〇月二十七日午後八時ごろ、関門海峡において護衛艦『くらま』と韓国籍のコンテナ船『カリナスター』が衝突するという海難事故が発生した。
衝突当初、マスコミ各報道社は艦首部分が炎上する『くらま』の映像を速報で流し、事の経緯を報道した。しかし、その報道もまた『あたご』事件を再び思わせるようなものであった。
自衛隊所属の艦船と韓国の民間船が衝突したと知ると、マスコミはまず、護衛艦側の責任追及に向ける報道を行い、大した知識も持て合わせていない評論家を出しては、護衛艦側に責任の色を浮かばせるような報道を国民に見せつけた。
日本政府も、まだ護衛艦側に責任があると判明されていないにも関わらず、当時の防衛相が陳謝するという異例の素早い記者会見を行う。
しかし、事故発生から二日後、調査の結果、自衛隊でも海保でもなく、韓国籍のコンテナ船側が事故の主因であることが発覚。
今まで護衛艦側に責任を追及していたマスコミの報道はぱたと報道を取り止めていた。
更に、原因が韓国籍コンテナ船側にあると判明されたにも関わらず、とある労組と政党が自衛隊に対して謝罪や原因究明を申し入れた。
そんなニュースを見つけ、新聞に怪訝な表情を向けるのは、被害者である護衛艦と同じ立場の艦魂たち。
「……日本国民の生命・財産を護る護衛艦と他国、どっちが大事なんだ?」
「そりゃあ、これを見れば聞くまでもないでしょう」
明らかに護衛艦『くらま』が被害者なのに、この労組と政党は海自に対して謝罪と原因究明の要求を出したのか、それだけで彼らの中にある自分たちがどのように扱われているのかがわかる。
しかも、政権交代を果たした時の首相は「日韓関係にいささかでも差し障りがあるようなことにならないようなことが大事だ」と報道曰く慎重らしい対応を指示。
―――日本国民の血税で生まれた貴重な護衛艦が、韓国のコンテナ船の操船ミスによって傷つけられたのに、自国と国民を護る盾よりご近所のご機嫌を優先するのは、何事か―――
日本全国の艦魂は、ある者はそれを思い、ある者は呆れて言葉も出なかった。
そして―――
「昨年二月に起こった『あたご』の衝突事故の教訓が生かされていない」
海自側に謝罪と原因究明を要求した政党の戯言である。
この国は、特殊である。
如何なる方面においてもそれは言えたが、特にこのような事態においては、誰もがそう思えた。
これからも、何らかの不幸な事故が起きてしまえば、同じようなことが繰り返されるだろう。
真の再発防止は意味を為さず。
そしてまた、“『あたご』の教訓”が表沙汰にされる。
彼女は、そうしてずっと、十字架を背負い続ける。
しかしあたごは、もう絶望には負けない。
転んでも、立ち上がる強さを貰った。みょうこうという姉に手を引かれたおかげで、あたごはこれからも十字架を背負って、強く生きることを誓った。
たとえこれから何度も世間や罪の意識が襲おうと、すべて受け止める覚悟を持った。
それが、彼女の役目だから。
「私は、護衛艦。 護る艦。 だから、どれだけ嫌われても、私は護るものを護るだけ」
最近になって再び不安定になった東アジア情勢。
北朝鮮の自称人工衛星打ち上げに、日本をはじめとした関係諸国は危機感を露にし、関係各国の全軍は厳戒態勢に入っていた。
そして、勿論ミサイル防衛を想定された貴重なイージス艦も……
自衛隊は、護衛艦はどの時代でも認められない存在。
だが、彼女たちを理解してくれる者だっていることを、知っている。
そして、自分を理解してくれる、理解してくれない者、そんな人たちを護ることも、自衛隊としての、護衛艦としての使命。
「私は、あたご。 愛宕の名を受け継がれし防人の魂」
今日もまた、彼女は海の上を翔ける。
荒々しい波を跳ね除け、勇猛果敢に進む『あたご』の姿は、日本国民の貴重な財産である一隻のイージス艦であった。
不幸にも護るべき対象の命を失くし、重い十字架を背負うことになった護衛艦。
だが、十字架を背負っても、彼女の使命は変わらない。
護衛艦。
それは、日本国民の生命・財産を護る、艦のことである。
……あれ、なんか微妙な終わり方だった気がする。
ごめんなさい、中々納得のいきそうな終わり方が思いつかなかったもので(涙
とりあえずこのあたごの作品は無事に完結することができました。
これもここまで読んでくださった方々のおかげです。どうもありがとうございました。
当初は『あたご』の事件に対するマスコミの報道のやり方が以前から気に入らなかったこともあって、いつか真実を伝えれば良いなと思い、遂に筆を取った感じでした。
船舶関連の法律に関して未熟だったり、その上駄文なために、上手く伝えられたかどうかは自信ありませんが……
とにかく、自分なりに頑張ったつもりです。
マスコミが当時報道していた内容とは違う真実を伝えられたら良いなと思います。
しかし……悲しいことですが、元々船舶間の事故は珍しくはないんですけどね。
それに、自衛隊の艦船が事故を一〇〇パーセント起こさないというのは、無理な話ですが…
この作品を書いていて感じたことは、自衛隊がどれだけ嫌われているのか、そして日本は世界に比べてどれだけ非常識なのか、痛感できる経験でした。
そして、沈没され、行方不明になられた漁船乗組員二名に対しても、深くご冥福をお祈り致します……
あの事故は本当に悲しい、不幸な事故でした。
海難事故というのは、何に関しても恐ろしいものです。真の再発防止に繋がればそれに越したことはありません。
これからもこのような事故は起きるかもしれません。
ですが、再発防止に力が注がれることを切に願うばかりです。
それでは、ここまでのご愛読ありがとうございました。
これからも伊東と、他の作品もどうかよろしくお願いします。