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第九幕 姉と妹

 日本古来から軍港としての伝統を色濃く残す横須賀港には、最近になって海難審判の判決を終えたイージス艦『あたご』の停泊する姿があった。

 事件当時は、常に全国に中継されるカメラの視線が彼女に浴びせられていたが、今となってはあっけないものだった。まるで反動のように、気のせいかむしろ寂しく見えてしまう。

 ぽつんと停泊する一隻のイージス艦。周りにも他の停泊する艦はあるのだが、彼女が一人だけ、寂しく佇んでいるかのようだ。

 地の上に咲き起こる桜吹雪は、春の訪れを教えてくれる。しかし、彼女には関係なかった。

 地上の桜に関心が向かず、ただ、海の方を見詰める毎日だ。

 それが、あたごの日課だった。

 「ずっと、海を見ているの?」

 澄んでいた心が突然、膨れ上がる水面のように湧きあがり、彼女を振り向かせた。丸くしたあたごの瞳に映るのは、一年ぶりの懐かしい姉の姿だった。

 「みょうこう……姉さん…?」

 「久しぶりっ。 あーちゃん」

 一年前とまったく変わらない雰囲気で、首を傾げてニコリと笑うみょうこう。

 歩み寄るみょうこうを、驚愕した表情で見詰めるしかないあたご。

 だが―――

 「―――駄目ッ!」

 あたごの声が、みょうこうの足を止めた。

 振り絞ったあたごの声に、みょうこうは特に驚きもせず、冷静に立ち止まっている。

 対して、あたごは胸をおさえ、ぷっくらと汗を浮かばせていた。

 「……姉さん、なんで……」

 なんで、ここに来たの。

 なんで、こんな私の前に現れてくれたの。

 こんな、汚れてしまった私の前に。

 「勿論、可愛い妹に会いたかったからよ」

 首を傾げて指を頬に当てたみょうこうは変わらず、愛想の良い、にっこりとした笑顔で答えた。

 「……………」

 「一年ぶりねぇ、あーちゃん。 私みたいに変わってないだろうなと思っていたけど……変わっちゃったね」

 あたごはビクリと震える。

 そして、神経が後頭部に集中する。あたごの特徴的だったポニーテールは、面影もない。ばっさりと切り落とされ、ショートになった頭がやけに痛く感じた。

 「……残念ねぇ。 あーちゃんのポニーテール、とっても可愛かったのになぁ」

 「……………」

 みょうこうは頬に手を当て、残念そうに溜息を吐く。だが、それも普段の姉と変わらないものであった。

 「……なんで髪、切っちゃったの?」

 「……ッ」

 思わず下唇を噛んだあたごは、ぎゅっと拳を握った。そして、顔を上げると、目の前には真剣な眼差しで見詰めるみょうこうの姿があった。

 「……これが、私のケジメだから」

 「ケジメ……?」

 「私、もう以前の私じゃありませんよ……みょうこう姉さんの、妹ではありません……」

 「何言ってるのよ、あーちゃん。 あなたは私の妹よ」

 「……いいえ。 姉さんの妹は、罪人なんかじゃありません……」

 「私の妹分レーダーがびんびん反応してるんだから、間違いないわ。 髪を切っていようが、どこかが変わっていようが、あーちゃんはあーちゃん。 私の妹よ」

 「違う……ッ!!」

 意外と大きく響くあたごの声に、みょうこうの口が閉まる。

 あたごは、震えながら自分を抱き締める。みょうこうの視線が痛くてたまらず、顔を俯ける。どうしても姉を直視なんかできなかった。

 こんなにまで、自分は変わってしまっていた。

 目の前の姉は、全然変わっていないのに。

 どんな顔で、姉と会えば良いのか。前科を背負った自分に、姉と会う資格なんてない。あたごは当然であるかのように、ずっとそう考えていた。罪を負い、己の一部を捨てた自分なんか、以前のような幸せを得ることなど許されない。

 「私は……他人を殺した罪人です…ッ! そんな私が、姉さんと会う資格なんて……」

 「……罪人とか、資格とか、変なことを言うのね。あーちゃん」

 「あーちゃんって、呼ばないでください…ッ! 私は……もう…」

 「あーちゃんは、あーちゃんだって」

 みょうこうの優しい声が、どこまでもあたごに染みわたる。それが、あたごにとっては苦しく、そして暖かった。

 「あーちゃんは、何も悪くないのに罪人なの?」

 「わ、私は人を殺したんですよッ!? それが、罪人以外に何があるんですかッ!」

 あたごはカッとなってみょうこうに叫ぶ。目からは涙が溢れ、顔は真っ赤になっているだろう。だが、あたごは自分の顔がどんなことになっているのかどうでも良く、構わないままに叫び続ける。

 「私、何の罪もない人たちをこの手で殺してしまった…ッ! 同じ存在であるはずの彼女を、そして彼女に乗っていた人の命までッ! 私の罪は、誰にも許せるはずがないものなんです……ッ!!」

 あの冷たい夜で、あの闇の中で、自分は他人を、冬の冷たい真っ暗な海の底へと沈めてしまった。

 きっと彼らは、苦しみ、自分を恨みながら逝ったに違いない。

 自分の思った通り、世界は自分に罪を問い、罰を投げた。重大な罪を、十字架として背負う艦生を過ごすことになったのは、当然のことだと思う。

 だから、自分の罪は絶対に許せるものではないし、消えるものではない。過去に犯した自分の罪は、未来永劫残される。そして、その罪に対して償わなければいけないのだ。

 「あーちゃんは、罪人なんかじゃないわよ」

 当たり前のように、みょうこうはサラリと言って見せた。

 「実際に言っちゃえば、あれは人である乗員の見張り不十分が原因だし、あーちゃん自身に問題はなかったはずよ。 それに、過失なら向こうにもあったし、まとめれば不幸な事故だったってことよ」

 「そ、そんな簡単に……ッ!」

 「だって、実際そうだもの。 特に、あーちゃんがそこまで苦しむ必要はないわよ」

 「違う…ッ! 違う違う…ッ!!」

 「何が違うの?」

 「違います…ッ! 姉さんは、私の気持ちなんて知らないから、そんなことが言えるんです……ッ!!」

 ここまで姉に気持ちをぶつけるのは、初めてのことかもしれない。

 そしてこんなに心が嵐のように荒れ狂うと、もうどうしようもない。おさまる気配が自分でもわからない。

 「姉さんなんて―――――!」

 「まだ姉さんって呼んでくれるのね」

 「――――!!」

 あたごの暴風のように荒れ狂っていた心が、ピタリと静まった。シンと静まった空気の中、ゆっくりと顔を上げたあたごの視線の先には、みょうこうのお姉さんそのものの、優しい微笑があった。

 「許すわ」

 「………は?」

 一瞬、みょうこうの言っていることが、あたごには理解できなかった。

 「だから、私が許す」

 「何を言ってるんですか、姉さ……」

 次の瞬間、あたごは柔らかくて暖かい感触に顔を包まれた。

 みょうこうに抱き締められ、顔を胸の中に埋めたあたごの動きが、止まった。

 そして、不思議で澄んだような、静寂が支配する。

 「……姉さ…ん……」

 「自分で私の妹じゃないなんて言っておきながら……まだまだ姉さんって呼んでくれてるじゃないの」

 「……………」

 埋める顔を覆うような、暖かさ。それは全身を溶かしてくれるような、清楚な柔らかさだった。

 「私が、許す。 だから、もうこれ以上、苦しまなくてもいいのよ」

 豊満に溢れる胸の中に、あたごの顔を埋め、頭をそっと撫でるみょうこう。そしてその言葉は、あたごが最も欲しかった言葉であり、そしてその温もりもまた同じだった。本当に欲しかったものが、あたごのもとにあった。

 「世界がなんて言おうが、私一人でも、あーちゃんを許す。 あーちゃんは、あーちゃんだということを、私が認めるわ」

 「……………」

 「あなたは、いつまでも私の大切な妹なんだから」

 「みょう……こう……姉さん…ッッ!!」

 その時、あたごはみょうこうの胸の中から、ありったけの声量で泣き叫んだ。

 どこまでも響き渡るあたごの泣き声は、籠の檻から解放された鳥のように、果てしない空へと飛びあがる。

 鎖が切れ、重いものが取り外されたみたいに、あたごは解放的なままに、思いのたけに泣き喚く。

 そしてそんな妹を、姉であるみょうこうが優しく、抱き締めて包んでいる。そっと頭を撫でる姿は、姉そのままの姿だった。

 世界は彼女に罪を背負わせた。だが、たった一人の存在が彼女を許した時、彼女は解放された。

 彼女には確かに、未だに見えない十字架があるのかもしれない。

 だが、彼女以外の存在はそんな見えないモノなど、まったく気にしない。それどころが、その見えないモノを認めず、彼女の存在だけを認めた。

 少なくとも、呪縛に呪われたように閉塞的だった彼女あたごの心は、暖かさに引き上げられ、解放された。

 彼女にはこれからも色んな日々が待っている。苦しいこともあるだろう。だが、楽しいこともきっとある。そして、彼女一人だけではない。彼女のそばには、誰かがいることになるだろう。

 そしてその中で最もかけがえのない存在が、姉のみょうこうであることは、疑いもしない。

 一年の呪縛に縛られていた彼女は、一人の姉に、手を引かれた――――

やはり、あたごを解放したのはたった一人の姉であるみょうこうでした。

この時のために、みょうこうという存在は必要でした。登場当時は妹分補給とか言っていたみょうこうでしたが、彼女は本当に妹であるあたごが大好きな女性なのです。



次回で遂にこの作品も終了の予定です。

ここまでお読み頂いた方々には感謝するばかりです。


それでは、最後の時までお付き合いください。

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