護衛艦あたご漁船清徳丸衝突事件
護衛艦『あたご』と漁船『清徳丸』が衝突した海難事故。“護衛艦あたご漁船清徳丸衝突事件”
あの事故からもうすぐ二年になります。
それは忘れてはならない出来事であります。尊い人命が失った事故があったということ、このような海難事故があったこと、そしてそれが何故起こったのか、将来またこのような事故が起こらないことが大切だと思います。
防衛省・自衛隊・海難審判所・海上保安庁等の事故調査を元に、執筆に励みたいと思います。
二〇〇八(平成二〇)年二月十九日、一つの悲劇が起こった。
千葉県の野島崎沖で海上自衛隊のイージス艦と漁船が衝突した海難事故が発生。漁船側の乗組員二名が行方不明(後に認定死亡)となった。
この海難事故はこれまでの海難事故とは違った感覚で世間を騒がせ、日本の海難事故史上においても、自衛隊においても、印象深く残る事故となった。
事故の当事者となる船舶の内、漁船と衝突したイージス艦の名前はおそらく日本国民の中で唯一色濃く記憶された名前となっただろう。
そのイージス艦の艦名は、『あたご』
そして乗組員二名が死亡し、船体を真っ二つにされて冷たい海に沈んだ漁船の名は『清徳丸』
海難審判(海難審判法に基づき、海難を発生させた者に対して懲戒を決めるために海難審判所が行う審判)での事件名は、“護衛艦あたご漁船清徳丸衝突事件”
何故、事故は起きたのか。何故、このような事態に至ってしまったのか。海難審判による現場検証や乗員への事情聴取等の調査をしても、本当の真実は誰にもわからない。最も当時を知る者は、死者は、何も語れないのだから――――
そして、十字架を背負いし“彼女”も――――――