腕枕
目覚めた時、腕時計が見えた、シンプルだけれど上品な時計。
諜報員だと名乗った男の腕枕で寝ていた。
夢ではない、撃墜されたのだ。
「目覚めたか?」
聞いたことのない近い場所、頭の後ろから声を掛けられて飛び上がるほど驚いた。
「!?」
朦朧としていた意識が一気に目覚める。
「出血が激しかったからな、低体温を起こしかけてた、だから・・・その一緒に寝たんだ、決していやらしい気持ちからじゃないぞ」
身体を起こしてみる、背中の痛みはずいぶん引いていた。
「ずっと私を抱いていたのですか?どこかに不調はありませんか?」
「ないね、俺は現実主義者なんでね、科学的に立証出来ないことは信じない」
上半身が裸のままのフェイにTシャツを投げてよこした。
「洗ってある、それを着てくれ」
「返すことは出来ないと思いますがよろしいのでしょうか」
「ああ、かまわないさ」
「それと、その敬語はやめてくれ、俺は君の上官じゃない」
「はい、申し訳ありません」
「それも敬語」
呆れて頭を掻いた、こういう反応には慣れている、というより仕向けていると言った方がいい、変な奴と思われれば向こうから距離を取ってくれる。
素肌に直接Tシャツを被る、さすがにブカブカだ。
「もういいか」
「はい、着用しました」
後ろを向いていてくれた諜報員が向き直る。
「さすがに大きいな、あとこれスーツな、大穴が空いている、良くそれで済んだものだ、やっぱり運がいい」
折れた枝が槍となってスーツを突き破って背中を割ったのだ、数センチずれていればモズのはやにえだったろう。
「名前を聞いてもいいか」
「はい、第105補給大隊 カカポ小隊所属 認識番号NSR400R0011 フェイレル・レーゼ曹長です」
立つことはおろか敬礼することも出来ない。
「俺は昨日のとおり名乗れないが諜報員としては新米だ、しかし君を助けた判断に後悔はない」
「ありがとう・・・ございます」
まだ背中の呪いは自分を解放してはくれないらしい、体調は戻りつつある、また誰かを不幸にしてしまう恐怖から逃れられない。
自分を助けてくれた諜報員の男、良い人だと思う、であれば余計に離れなければならない、不幸になっていく姿を見たくない。
「貴重な機体を失いました、前線への補給も実施出来ていません、私の重大な過失です、正確な情報のため報告書にあなたの件を記してもよろしいでしょうか」
「ああ、問題ない、リリィ・チラン少佐は承知している」
「リリィ隊長と面識があるのですか?」
「昔、世話になったことがあるんだ・・・と忘れてくれ、喋り過ぎた、また怒られる」
「君も含めてカカポ隊の損害は俺にも責任がある、君の過失ではない」
リリィ少佐を知っている様子、少佐の出自は名門ガイラ家であることは有名だ、父上は現政権の参謀でもある。
曹長レベルが触れる情報ではない、質問は終わりだ。
「では、私はこれから被弾墜落の報のため基地に帰還させて頂きます」
「帰還?どうやって」
「徒歩で帰ります」
「武装はあるのか、第一に歩けるのか?」
「・・・」
「今直ぐは無理ですが数時間後には・・・」
「君を撃ち落とした対空戦車部隊はまだ近くにいる、まともに歩けない君が出て行けば捕虜になるだけだ、かといってここに長居するのも危険だ、答えは決まっている」
最悪の予感。
「俺が君を背負って基地まで送る」
「駄目です、拒否します」
「他に選択肢はない、納得してもらう」
「納得出来ません、今までの話を察するに重要な作戦行動中と推察します、私がお荷物になることで他に迷惑が掛かることは承服しかねます、死んだ方がましです」
「だからといって君をここに置いて行くことなど出来るはず無いだろう」
「出来ます、黙っていればいいだけです」
彼の顔が赤くなった、怒りに燃える目がフェイを捉えているが彼女は相変わらず無表情だ。
さあ、今すぐにドアを蹴って走り去れ、早く離れてと無表情の仮面の奥で願った。
期待は裏切られる。
ブスッとした顔で近づいた彼は、持っていたフェイの飛行帽を無理矢理に着装させると無造作におんぶしてお尻にベルトを回して固定する。
「あっ、ダメです、本当なんです、呪いが!呪いが移ります」
自分のバックを胸に抱きかかえるようにして担ぎ、その上からマントを羽織ると片手に小銃を持って力強くドアを開け放ち外へ踏み出した。
「黙れ!黙らないとマリファナで眠ってもらうぞ」
「止めて!お願いです、迷惑を掛けたくない、私に触らないで!」
必死な願いも空しく男はフェイを背負っているにも関わらず軽い足取りで坂道を下っていく。
「背中は痛まないか?異常があったら言え」
「許しては頂けないのですか」
悔しさなのか何なのか分からない感情に初めて顔が歪む。
「おっ、初めて感情を見せたな、いいぜ、その調子だ」
諦めるしかなかった、この男はどうしても離してはくれないらしい、何かあれば自分を盾にしたいがベルトで固定されているうえマントで上からカバーされては自由にならない。 「しかし、軽いな、カカポライダーには体重制限があるとは聞いていたが本当なんだな」
「・・・四十五キロ以下でないと失格となります」
垂直離着陸(VTOL)であり静粛性重視リ小型のエンジンを積むカカポ機は重量制限が厳しい、制限重量の中に搭乗者の体重の占める割合が大きいためだ。
隠密性の高い機体で小ロットの荷物を局所まで届ける、迷宮のような山岳戦地に物資を届け、あるときは救助活動や無線中継基地としてのマルチな役割を担っている。
オートバイの四隅に回転翼を付けたような機体は高空を跳ぶことが出来ない。
そんな機体を航空隊は跳べないオウム(カカポ)と揶揄する。
武装もなく直接人を殺すことのない任務だから志願した。
新規部隊の危険と分かっている任務に志願する者などほとんどいない。
フェイのような(死にたがり)か、特別手当に釣られたかのどちらかだろう、正義感から手を上げるようなお人好しはほとんどいないのだ。
中肉中背だと思っていた男の背中は驚くほど広かった、歩く度に筋肉の束が皮膚の下で躍動しているのを感じる。
「左足はなんともないのですか?」
最初に見たとき引き摺っていた。
「印象を足に向けさせるための偽装だ、人台や顔の印象を操作するためのな」
男は隙なく四方に視線を配りながら、想像を絶する脚力で渓谷の悪路を下る。
他人にこれほど気遣われたことがあっただろうか、あれほど顔を赤くして怒りを露わにしていたのに優しい言葉を掛けてくる。
心が揺れてしまう、希望の芽が発芽しそうになる、いけない、自分の死に際を躊躇することになるのが怖い。
殺すなら殺された方がいい、傷つけるなら傷つけられた方がいい。
未来が怖い、自分のために誰かが傷ついていくことはもう耐えられない。
広い背中に立てた指を男の分厚い筋肉は難なく跳ね返した。