ジャックの時計
翌日レゾリューの谷はモリスの絶望を映すように霧雨に煙った。
ローレルたちは105補給基地に帰還する準備を進めていた、片道で燃料の半分以上を消費している、下りは若干燃費は上がるが荷物がない状態で重量を気にする必要がない。
満タンにして非常時に備える。
「私の後ろに乗っていってね、フェイリル」
「いいえ、ご遠慮いたします、下りは高度が確保できます、ウィングスーツで基地手前までは飛行可能です」
「またぁ、フェイはそんなこと言って困らせないで!」
「いいえ、ローレル少尉は部隊の要、危険と分かっていて同乗することは出来ません」
「何が危険なのよ、ナジリスの高射砲も今日は静かだわ」
「みなさんご承知のとおり、私自身が呪いです、危険を積んで飛ぶようなものです」
「なにを言っているの、それなら貴方が先に死んでないとおかしいでしょ、ガンガラシバナから飛び降りて死なないなんでラッキーガール以外の何者でもないわ」
「ラッキーガール!さすが隊長、そのとおりです」
「隊長じゃない、副隊長ね」
ラッキーガール、チヒロにそう言われたことを思い出した。
「じゃあ元々バティなんだから私の後ろで決まりね」
「拒否は許さないからね」
「・・・分かりました、でも危険と判断したら私は飛びます、その時はかまわずに行ってください」
「タンデムだからって舐めないでよ、倍の体重の男を担いで飛んだことだってあるんだからね」
ステラは細い腕に、ほんの少しの力こぶを作って見せた。
「良し、決まりね、出発は一時間後、遅れないで」
「はっ」
レゾリュー基地の片隅に前線基地にはふさわしくない花壇がある。
今はクリスマス・ローズが可憐な花が競っている。
花壇の整備に汗を流している頭の薄いおっさんはジャックだ。
「咲いたんだね」
「ああ、ステラさん、昨日は変な時にお邪魔しちゃってすいませんでした」
「そんなことないよ、おっちゃん、美味しかったよチョコレート」
「それは良かった、とはいえステラさんに運んで貰っているのですが」
「えへへ、いつも半分は貰っちゃっているけどね」
ジャックが作業する脇に腰を降ろして、一緒に雑草を取る。
「手が汚れてしまいますよ」
「かまわないよ、洗えばいいだけ」
「ここは水だけは豊富にありますからね」
「おっちゃんこそ毎度花壇いじりしていていいの」
「ええ、このところ迷宮の中はナジリス軍がウロウロしていて探索に出ることが出来ませんから、仕方ありません」
「この基地にいたらどっちが安全ともいえないね」
「私など・・・皆さんが命を賭してクーリエ任務をしているときに、自分が情けなくなります」
「ほんと男の人は変なとこ気にするよね」
「男は女を守るために存在しているのです、生命の基本です」
「戦って死ぬのは男の役目、みなさんに食事制限までさせて・・・かわれるものなら私がカカポ機に乗りたいくらいです」
「じゃあ、ダイエットが必要だね」
「私が見る記憶の海、そこでも戦争がありました、宗教や不平等から憎しみや妬みが産まれる、誰もが愛と平和を欲して戦い始めてしまう、何処までいっても人は愚かだ」
寂しそうに笑うジャックは覚醒者だ。
「大事な魂との惜別の時は来てしまう、輪廻に還れば同じ魂は産まれない、知っているから余計に辛く哀しい、知らない方が良いこともあります」
「もう誰も好きになったり出来ないの」
「さあ、どうでしょう、覚醒者同士でも結婚して家庭を持っている人はいます、まあ、私のようなおっさんには関係ありませんげど」
「ふーん、おっちゃんモテそうなのになぁ」
「おやステラさん、嬉しいことを言ってくれますね、私にもまだ希望があると思いますか」
「もちろんだよ、おっちゃん、頑張りなよ」
「そういうステラさんこそ素敵な相手が待っているのでしょう、必ず無事に帰らないといけませんよ、男が残されればそれは悲惨な結果になりますから」
「女だって悲しいのは同じだよ」
「基本的に男の方が弱いのです、女という支えがなければ直ぐに燃え尽きてしまう」
「それじゃあ、女を守れないじゃん」
「だからです、守るべき者がいなければ無用な生き物なんです」
「なんだか堂々巡り、迷宮みたいだ」
「だから私は迷宮の探索をしているのです」
禿げたオッサンのウィンクは妙に可愛らしく映った。
「愛の探求者!」
「なんか凄い二枚目になった気分です、お礼になんか奢りましょう、なにがいいですか?」
「じゃあさ、その・・・おっちゃんがしてる時計なんて貰えないかな」
「時計?・・・かまいませんが、官給品のおんぼろですよ」
「いいの、今流行ってるんだよ、男物のビィンテージ時計」
ちょっと言い訳としては苦しい。
「そうなのですか、時計は幾つも持っていますので、それならもっとステラさんにふさわしい物を差し上げましょう」
「ううん、それがいいの」
「そうですか、なんか心苦しいですが」
革バンドを外して服の袖で擦るとステラに手渡した。
「ありがとう!本当に貰ってもいの」
「ええ、こんな安物で良ければいくらでも」
「うれしいよ、大事にするね」
開けておいた左手首に巻き付ける、やっぱりぶかぶかだ。
嬉しそうに文字盤を眺めて離陸の時間が迫っていることに気づいた。
「あっ、もう時間だ、いかなきゃ」
ふわりと髪を翻して風のように立ち上がる。
「どうか、ご無事で」
「おっちゃんもな、無理したらいかんよ、年なんだから」
「私は兵隊でなくて学者ですから、ステラさんの方が心配です」
「大丈夫、私すばしっこいのよ」
「またこうして会える事を楽しみにしています」
「うん、いってきます」
二人はハグをして別れたころに霧は晴れて、明るい陽射しが谷に光の梯子を降ろしていた。




