豆腐の街
1センチ角の白い塊が曇天の空からくるくる回転しながら降ってくる。雨粒よりはゆっくりと、綿雪よりは少し早いスピードで降る四角を見ていると、なんだか幻想的な気持ちになる。
空から降ってくる四角いのは綺麗な豆腐。しゅるしゅる、しゅるしゅる、回転しながら降り注ぐ豆腐。
ぽしゃん
私はタイミングを見計らって、水を張ったバケツでそれをキャッチする。
私は今、豆腐の街にいる。
「お豆腐、取ってきてくれない?」
今朝、キッチンで朝食の食器を洗っていると師匠に頼まれた。
「いいですけど、『買ってくる』じゃなくて『取ってくる』なんですか?」
食器を洗う手を休めることなく、後ろから声をかけてきた師匠がいる方向へ首だけを向ける。すると、師匠はむふんと満足気な顔で、昨日突然我が家にやってきた黒猫を抱っこしていた。黒猫は師匠の手の上で気持ちよさそうに寝ている。
「買う? 違う違う、取ってきてほしいのよ。さっきね、この子が教えてくれたの。今日はいい絹豆腐が取れるよって」
「この子って、その黒猫ですか?」
「そうよ、昨日もいい感じだったけどもう少しって味だったから今日はきっと美味しいって」
色々と頭に疑問が浮かぶ。でも、一つずつ聞くことにした。
「猫ってお豆腐食べてもよかったですっけ?」
「少量ならいいそうよ。でも、この子に猫の常識は当てはまらないと思うけど……ねえ?」
黒猫に問いかける師匠を見てさらに疑問が増える。でも、何をどう聞けばいいのかわからなかった私は「そうなんですか?」としか言えなかった。
「うん、この子はそういう子だから。たぶんたくさん食べても大丈夫よ」
どういう子なのかは私にはさっぱりわからないけれど、私は「そうなんですね」と言って残りの食器を洗うことに専念した。おそらく聞いてもよくわからないし、きっとそういうものなんだろう。
後ろで師匠が黒猫に向かって「大丈夫よねー」と声をかけているのが聞こえた。
食器を洗い終えた私に師匠は白いレインコートと、白のレインブーツ。それから10リットルほど水が入りそうな大きな真っ白のプラスチックバケツを持ってきた。
「師匠が黒以外のアイテムを持ってくると、なんだか変な感じがしますね」
私はつい思ったことをそのまま口にしてしまった。
「ちょっと失礼ね。私だって黒以外の服も持ってるんだから。本当は黒いレインコートでもいいんだけど、たぶんこっちの方が面白い気がするのよね」
「面白い……ですか?」
「うん、面白いと思う」
「はあ……あと、あの、そもそも豆腐を取りに行くのにレインコートって必要なんですか?」
私は今からどんな所におつかいに行かされるのか不安になった。そんな私の心を覗いたんだろう、師匠は悪戯っぽい笑みを浮かべた。
「大丈夫、この子が案内してくれるから。ねぇ?」
師匠の問いかけをちゃんと理解しているかのように、黒猫は一度「にゃー」と返事をした。
師匠が言った通り黒猫は私の前を歩いて道案内をしてくれた。家を出てすたすたと前を歩く猫の後をついて行く。
山の中の大きな木々の間を通り抜け、見慣れない獣道を歩き続けると、気がつけば不思議な街に辿り着いた。
不思議なもので、まだお昼前だというのに街に入った途端空は墨のように暗くなった。太陽の気配さえ感じられないほど黒々とした空。なのに、暗いとは感じないのは街全体が明るいからだろうか。
街にはいつか写真で見たヨーロッパの街並みのように、白い小さな家々がたくさん立ち並んでいる。白い街並みの景色は壮観で美しい。でも、ここの白さどこか異質だ。まず街並みに色が白しかない。青い屋根なんて一つもなく、道まで真っ白だ。
あと白さが違う。たしかヨーロッパの家の外壁の白さは石灰だと聞いたことがある。でも、ここの白さは石灰の白さとは雰囲気が違う。この見慣れた白さ。そう、例えるならここの白さは……
「豆腐の街へようこそ」
足元から男の子のような声がした。見ると前を歩いていた黒猫がこちらを見上げている。
「猫が喋った……」
表情には出さなかったけれど、驚いた私は思わず思った言葉を口に出してしまった。
「喋ったって……ハルは水曜日の弟子なんでしょ? 何を今更驚いているの?」
猫は明らかに呆れた顔をしている。
「まあいいや。そんなことより、ここは豆腐の街だよ。街全体が豆腐なの。だからどこを見ても真っ白なんだ」
「なるほど……」
全然何も理解できていないけれど、猫に呆れられるのはなんだか辛かったので私はわかったふりをした。豆腐の街って何? でも、確かにこの白さは豆腐の白だった。
黒猫に続いて街を歩く。豆腐の街はどこまでも真っ白で、美しくもどこか不思議な景観だった。そんな街の白い道の真ん中を歩く黒猫はすごく目立つ。そして、その黒猫の後ろを歩く私は真っ白。白い服装をしているとなんだか私も白に溶け込んでしまいそう。
「私も街の一部みたい……」
師匠が白いレインコートの方が面白いと言った理由が、なんとなくわかったような気がした。