図書館と月曜日の魔女
「コレ、オススメ」
カタコトの日本語が頭の上から降ってくる。見上げると白い綿雲が一つ浮いていた。そうか、雲は話すことができないと、いうのは私の固定観念だったのか。まんまるのすいか三つ分ほど私の頭より高い位置に、シングルベッドサイズのもこもこした綿雲が浮いている。
「クマーラ、オススメノホン」
まただ、また雲が喋る。しかもこの雲、クマーラという名前まであるらしい。そうか、雲にも名前があってもいいのか、なんて思って見上げていると、ターバンを巻いた異国感溢れるおじさんが、ひょこりと雲の上から顔を出した。
「うわっ!」
私が思わず大きな声とともに後退りをしたのに対し、師匠は「ちょっとハル、大きな声を出さないでよ」と呆れ顔だ。
「久しぶり、クマーラ。そのおすすめは私に? それともハルに?」
「コレ、ハルニ、オススメノホン」
「私へのおすすめは?」
「クマーラ、イマ、ハルニ、オススメスル」
「たまには私にもおすすめしなさいよ」
なんだか仲が良さそうに話す二人を見て、私は落ち着きを取り戻す。なんだ、師匠の知り合いだったのか。
今日は図書館に来ている。たぶん、ここは図書館なはずだ。今朝、師匠が「月曜日に会いに行こう!」と言った時、図書館に行くと言っていたから。
どこの図書館かは全くわからない。そもそもここが図書館なのかも私には確証がない。だって、目の前に広がる光景に現実感がないんだもの。
視界に入るのは年季を感じる木製の床、それから、見上げるとてっぺんが見えないほど高い本棚がある。右を見ても本棚、左を見ても本棚、私はバレーボールのコート二面分ほどの広さの空間で、大きな大きな本棚に囲まれている。
この部屋、すごく背の高い本棚に囲まれているのに何故か明るく、出入り口らしきものはない。さっき通った入口はどこに行ったんだろう?
図書館に行くと言われ、半袖の黒のシャツワンピースを着た師匠の後ろについて家を出た。もちろん私は濃紺のシャツワンピースを着ている。服装を見るとなんだか師弟というより仲のいい友達みたいだなと思った。
二人で家の裏の原っぱに出ると、白い木製のドアが立っていた。ドアの周りには何もなく、少し色褪せたドアがぽつんとあるだけだ。いつの間に出てきたんだろう? ここも何度も掃除をしているけれど、今までこんなドアはなかったはずだ。
前を歩く師匠はドアに向かって進んでいく。
「こんなドアありましたっけ?」
「今日は行くって伝えてたから出してくれてるのよ。月曜日、恥ずかしがり屋だから、ハルが来てからドアを引っ込めちゃってたのよねー」
振り向きながら、「悪い人じゃないのよ?」と言う師匠の目はすごく優しい色をしていた。ぎぎぎぎ、と軋むような音をたてて師匠がドアを開けると、ドアの向こうは白くて優しい光に満ちていた。
「さあ、行くわよ」
「……はい」
月曜日の魔女、一体どんな魔女なんだろう。少し緊張しながら師匠の後に続いてドアをくぐるとここにいた。本棚に囲まれた不思議な空間に。
私は頭の中で状況を整理していると、一つの答えに辿り着いた。
「あの、もしかしてあなたが月曜日の魔女ですか?」
私は思い切って雲の上のインド人のような男性に声をかけた。そして、すぐに違和感を覚えた。魔女、魔女じゃないぞこの人。
「オレ、クマーラ。マジョジャナイ」
「この人はクマーラで月曜日の魔女じゃないわ」
クマーラと名乗った男性と、その直後に全く同じ情報を言った師匠は顔を合わせると、仲良さそうに「ネー!」と言いあった。なんだろう、なんだか悔しいというか恥ずかしいというかもやもやする。
「月曜日は私」
私がもやもやしていると、突然かわいらしい女性の声聞こえた。どこから声がしたか分からず、きょろきょろと見渡していると、すーっと目の前の本棚に隙間が生まれて人が一人通れるぐらいの通路ができた。
「どうぞ」
声は通路の奥から聞こえる。どうしたらいいかわからず師匠を見ると、師匠は「久しぶりねー」なんて言いながら通路に向かっていった。私が慌てて師匠の後に続くと、後ろから「イッテラッシャーイ」とクマーラの声が追いかけてきた。どうやら彼は来ないようだ。
通路はそれほど長くなく、5メートルほどの長さだった。通路を抜けると真っ白な壁に囲まれた部屋に出た。
部屋の中には木製のシックな丸テーブルがあり、テーブルの上には二十冊ほどの本が積まれている。その本の塔の向こう側にショートボブの女性が座っていた。
彼女の後ろには大人の人一人分ほどの大きな窓があり、白いレースのカーテンがかかっている。窓の外はわからないけれど、そこからが差す光が部屋の中に優しい空気を作っている。
「彼女が月曜日の魔女よ。さっきのインド人はクマーラ。ここの案内人みたいな人で魔女じゃないの」
師匠は右手の親指と薬指をパチンと鳴らして椅子を二つ出しながら説明すると、月曜日の魔女はこくんと一度頷いた。師匠と違っておとなしそうな人だなと思った。
白い半袖のシャツワンピースを着た月曜日の魔女は、私と師匠が椅子に座るとすっと俯いてしまった。座っちゃダメだったのかな、なんて私が気にしていると、「ハル、よかったらこれを出してあげてくれない?」と師匠は私の膝の上にある茶色い紙袋を指差した。
そうだ、お土産を持ってきたんだった。私はすっかり忘れていた。
「あの、これよかったら一緒にどうですか? お口に合えばいいんですが……」
私は紙袋からプリンを三つ取り出した。月曜日の魔女はプリンが好きと聞いたので、たまごたっぷりのプリンを作ってきたのだ。
容器は師匠にお願いして、魔法でかわいい小瓶を出してもらった。プリンの出来は自分で言うのもなんだけど、そこそこいいと思う。濃い黄色のプリンはたまごの濃厚な味がいい具合に出せたし、カラメルソースもばっちり。ここに来る前に師匠と一緒に味見と称して一つずつ食べたけど美味しかった。
私がプリンを出し終えるのとほぼ同時に、スプーンが三つ現れ、そのすぐ後にアイスコーヒーの入ったグラスが三つ出てきた。師匠が出したのかなと思い隣を見ると、師匠は私を見てから首を横に振った。
あれ? と思い前を見ると、本の塔の後ろで月曜日が嬉しそうに目を輝かせていたが、私の視線に気がつくと顔を真っ赤にしてまた俯いてしまった。
「……ありがとう」
消え入りそうなお礼の声が本の塔の向こうから聞こえてきた。私は思わず失礼ながらも「かわいいなこの人!」と、ときめいてしまった。
多分そんな私の心を読んだのだろう。隣で師匠が小さな声で「でしょう?」と何故か自慢げな顔をしていた。