レストランからの帰り道
魔女の家は静かな山の中にある、明るくて少しひらけた草むらに立つ、小さな赤い屋根の家だった。二階建ての家はこじんまりした外観に反して中は広く、少し古さを感じるけれど綺麗だった。
私の部屋だと案内された部屋は八畳ほどの広さで、大きな窓も二つあった。
「もし狭かったり、窓が増やしたかったら言ってね。変えるから」
今なんて言った? 私は自分の耳を疑ったが、魔女は特に冗談を言っている感じもなく、なんなら「もっと部屋数増やしたかったら言ってね」とまで言われた。どうやら魔女だからそういうことも簡単にできちゃうらしい。
特に広さは問題ないし、窓のサイズも十分だ。あとはどこに何を置こうかな、なんて思いながら魔女に「大丈夫です」と答えると、「じゃあ、細かい配置は後で調整してね」と言われた。どういう事だろうと思ったけれど、その言葉の意味はすぐにわかることとなる。
数秒だった。
まず、何もなかったはずの部屋の中に、前の家、と言っても今朝まで過ごした私の家で使っていたであろうラックやタンスなどの家具が突然現れた。そうかと思えば、ばたばたと音を立てて私の荷物が詰まった箱の口が開き、そこから帰省本能が働いた動物のように服や下着、雑貨や本が収まるべき場所へと収まっていった。
「はい、開梱作業終わり!」
綺麗に整頓された私の新しい部屋を見て、魔女は満足そうに頷いた。私はそんな魔女を見て、改めて本物の魔女なんだなあと思った。
魔女との生活を始めて半年になる。
私は家の掃除をしたり、ご飯を作ったり、魔女に誘われてお出かけをして過ごしている。毎日色んなことが起きて刺激的だし、私を取り巻く環境はがらりと変わった。でも、私自身変わったこととしたら、魔女見習いの肩書を得たことぐらいで他に何も変わっていない。
あと強いて言うなら魔女に倣って髪を伸ばし始めたことと、ネイビー系で丈の長い服を着ることが増えたことぐらいだろうか。
「環境は変わったのに、私はまだ何も変われてないですね」
思った言葉がそのままふらふらと口から漂い、マグカップの中のコーヒーに沈んでいく。沈んだ言葉は水気を含んでふやけていき、最後はぐずぐずになって溶けていった。
「ハル、あなた変わりたいの?」
不思議そうに私を見る魔女。毎日を楽しそうに過ごすこの人には、私の思いなんてわからないのだろう。
「そりゃ、変わりたいですよ。どう変わりたいかはわからないけど、今のままじゃダメな気がして……」
「今のままじゃダメなの?」
まただ。またこの人は私を真っ直ぐ見つめる。魔女の目は真っ直ぐで、真っ暗で、なんだか深い淵のようだ。私はすーっと深い淵の中に引き込まれそうな気がして、少し怖くなる。
「今のままじゃダメだって言い切れないなら、今はまだそのままでもいいんじゃない?」
「え?」
優しく微笑みながら魔女が言った言葉が、私の中でぽんと響く。軽く叩いた木琴のように、明るく軽く響く。
「まだどうなりたいかわからないのに、焦っても仕方ないじゃない。こうなりたいなーと漠然とでも思えるものが出てきてから変わる努力をしてみたら?」
「それでいいんですか?」
私は思わず聞いてしまった。だってそれでいいの? と不安になったから。
「いいんじゃないの?」
さらりと魔女が言う。
さらりと流れ出る魔女の言葉に、私はなんだか縋りたくなった。今までぼんやりとだけど、私も周りの人みたいに変わらなきゃいけないと焦っていたから、焦らなくていいと言われて嬉しいような、情けないような、泣きたいような、複雑な気持ちになった。
「私はあなたの師匠なの。師匠が大丈夫って言ってるんだから大丈夫よ」
「……師匠」
焦らなくてもハルはまだまだ若いでしょ、なんて笑う魔女を見て、この人は一体いくつなんだろうと思う反面、初めて『師匠』って言ったことに気がつき、ちょっと照れ臭くなった。
「あ、そうだ。ハルがもし変わりたいのなら、月曜日に会ってみる?」
不思議なレストランからの帰り道、魔女が出してくれた日傘をさしつつ、暑さから少しでも逃れるために日陰のある道を選んで帰っていると、私の右隣にいた魔女がぱっと思いついた顔で言った。もちろん日傘の色は魔女が黒で、私が紺色だ。
「月曜日……ですか?」
「そ、月曜日の魔女。彼女なら今のハルにとって何かのきっかけになることを言ってくれるかもしれないわよ」
やっぱり月曜日の魔女もいるんだ、なんて思ったけれど、もう私は驚かなかった。そりゃ水曜日に金曜日の魔女がいるんだから、月曜日も火曜日も、それから木曜日や土曜日、日曜日の魔女もいるだろう。もしかしたら祝日の魔女もいるかもしれない。
「流石に祝日の魔女はいないわよ」
右からくくっと我慢し損ねた笑い声がしたかと思うと、ふふふと笑いながら魔女が言った。なんだいないのか、私は残念に思ったのも束の間、かっと顔が赤くなった。
「ちょっと師匠、勝手に人の心を読まないでくださいよ」
だって祝日の魔女もいるのかなと本気で思ったんだもの、笑われるとすごく恥ずかしい。
「ああ、ごめんね。つい何を考えてるのかなって気になって……ねえ、ハル。今、私のこと師匠って……」
「もういちいち拾わなくていいんです! さ、早く帰りますよ師匠」
私は顔を見られるのが恥ずかしくて歩くスピードを上げた。たくさんのセミが合唱する道を汗を流しながら歩く。さっきより汗が止まらなくなったのは、きっと暑さのせいに違いない。
後ろから「ちょっと待ってってば」と追いかけてくる声を聞きながら、私は月曜日の魔女ってどんな魔女なんだろうと気になり始めていた。