月曜日のとっておき
「ここが私のとっておき」
月曜日が見せたい場所があると言うので、私たちは教室を移動した。向かったのは校舎の隅っこにある図書室。入った途端、部屋の中に広がる古い紙の匂いが私たちを包む。埃っぽいような乾燥した中に、どこか懐かしさを感じる匂いがした。温もりと優しさを感じる空気に少し心が震える。
月曜日に続いて奥に進むと、視界の端で小さな何かが動くのを感じた。虫でも飛んでいるのかな、なんて思いながら視線を向けると、メダカが泳いでいた。五匹ほどのメダカが空気中を気持ちよさそうに泳いでいる。
「メダカだ……」
自分が見た光景が信じられず、思わず大きな独り言が出てしまった。
「メダカね……」
師匠も少し驚いている。そして、もちろん金曜日も目を丸くしていた。
「ここはね、夏がよく絵本を読みに来る図書室なの。夏はメダカが好きだから、ここで飼うことにしたんだって」
月曜日が近づいてきたメダカに手を伸ばす。するとメダカはすっと進路を変えて離れて行った。そんなメダカを愛おしそうに見つめながら、月曜日が教えてくれた。図書室の水槽で飼う、ではなく、図書室全体でメダカを飼うんだ。目が慣れてくると、部屋の中には数十のメダカたちがいることがわかった。どのメダカも気持ちよさそうにあっちにいったり、こっちに来たりして泳いでいる。
「夏はわんぱくな男の子なの。ほら、噂をすれば……」
月曜日が目を細めながら人差し指を口の前で立てる。すると、廊下の外から軽快な足音が近づいてくるのが聞こえた。
「おまたせー!」
ガラガラと大きな音を立てて引き戸を開けると、真っ黒に日焼けした半袖半ズボンの男の子が入ってきた。にかっと無邪気に笑う顔は小学校低学年のような雰囲気を感じる。
「あれ、魔女がいっぱい……」
図書室に入ってすぐ、夏が戸惑ったような顔をする。誰もいないと思って飛び込んだのに……明らかにそんな戸惑いが見える。
「もしかして、ぼく入っちゃだめだった?」
「そんなことないわ。私たちが勝手にお邪魔してるだけなの。ごめんなさいね」
心配そうな夏に月曜日が優しく答える。月曜日と夏は親しい関係なのかもしれない。二人の間にそんな空気を感じた。
「ここ、私も大好きなの。それで、みんなにも見てほしくて連れてきちゃった」
「そっか! じゃあ、えさやりいっしょにしよう!」
夏はそう言うと、短パンのポケットから『メダカのえさ』と書かれた手のひらサイズのボトルを出す。そして、魔女のもとを回っては手のひらにぱらぱらとえさを出した。
「えさの時間なんだ。メダカたちのそばにまいてあげて!」
真夏のお日様のような眩しい笑顔で夏が言う。春よりも少しお兄ちゃんなのかもしれない。子どもらしさの中に頼もしさのようなものが見え隠れする。まあ、春と同じく夏も私よりかなり年上なんだけど。
えさをつまんでぱらぱらと撒いてみる。するとフレーク上の茶色い粉は床に落ちることなく、空気中をふわりふわりと漂い始めた。メダカたちは漂うえさを見つけると、ぱくぱくと勢いよく食べ始める。
水槽の上から、もしくは横から見る光景が目の前に広がる。メダカがえさを食べるところなんて珍しいことでもない。けれど、図書館で、しかも空中だから不思議な感じがする。
師匠も金曜日も楽しそうだ。
「これ、楽しいわね!」
「やだ……これ、なんだか癖になりそう」
はしゃぐ師匠の横で金曜日が真剣な目でえさを撒いている。金曜日の何かのスイッチが入ったみたいだった。
「楽しいでしょう! 毎日この時間にえさをあげる約束なんだ」
夏が胸を張って教えてくれた。そんな夏の後ろで月曜日が優しく笑う。温かい光景にふんわりと胸が満たされる私がいた。
「そうだ、そろそろ行かなきゃ。冬に怒られちゃう……」
メダカのえさやりを終えると、夏が少ししおらしく言った。
私が「冬に怒られるの?」と聞くと、こくりと夏が頷く。
「夏休みの宿題をしなきゃいけないんだ。冬はすごく厳しいから、サボるとすぐ怒るんだ」
両腕を抱いてわざとらしく身震いする夏。冬にはまだ会ったことがないけど、なんとなく白いワンピースが似合うお姉さんが頭に浮かんだ。
「宿題ってどんなものがあるの?」
気になって聞いてみる。
「色々あるよ! 読書感想文に習字でしょう。それから……」
「え、そんなにあるの?」
「うん、いっぱいあるよ! あとね、ドリルと自由研究にポスター作りかな!」
宿題の量が思っていたよりも多くて驚いた。でも、夏の口から出てくる懐かしい宿題の数々に頬が緩む。私はいつも苦手な読書感想文と自由研究を後回しにしてしまうタイプだった。だから八月末なんかは涙目で宿題をしていたような気がする。
「いっぱいあるんだね」
「そうなんだよ。冬は計画的にやれば大丈夫って言うけどさ、終わる気がしないんだよね」
口を尖らせる夏。わんぱく小僧のお目付役がきっと冬なんだろう。二人の関係性になんだかほっこりする。
「あの、お姉さんってもしかして春の魔女?」
意を決したかのように夏が言った。夏と冬の関係性に意識が向いていたので、私は少しびっくりした。
「うん、私は春の魔女。まだなりたてだけどね」
私が微笑みかけると夏は少し顔をくしゃっとした。そして、小さく「そっか……いいなあ春は……」とこぼした。私は夏の顔に宿った影が気になった。もしかして、夏は私が春に会った時お菓子を持って行ったことを知ってるのかもしれない。もしくは、それ以外で何か気になることがあるのかも。私は夏に聞こうとしたけど、残念ながらそれは間に合わなかった。
「ぼく、そろそろ行かなきゃ! またね!」
夏はぱっと顔を明るくして、何事もなかったかのように言った。そして他の魔女たちにも手を振ってから、ばたばたと音を立てて図書館を飛び出した。他の魔女たちには夏の呟きは聞こえなかったらしい。笑顔で夏に手を振る魔女たち。誰も何も気に留める様子はなかった。
私だけだ。靴の中に入った砂粒のように、小さいけれど存在感のある何かが私の中に居座った。
図書館で絵本や小説を思い思い読んだ私たち。気がつけば日が暮れていて、校内放送でホタルノヒカリが流れ始めていた。ホタルノヒカリの哀愁に浸りながら、そろそろ私たちは帰ることにした。
「ところで、水曜日はハルにちゃんとお礼を言ったの? かなりお世話になったんでしょう?」
図書館を出て正門に向かう途中、月曜日が話を投げかける。話を向けられた師匠は何も言わなかったけれど、顔は今にも『うげっ』とでも言いたげだ。
師匠との例の一件から時間はそれなりに経過している。でも、まだはっきりとはお礼を言われてはいない。
たぶん、月曜日もそのことは知っているだろう。にやりとした顔が物語っている。知っていて聞くあたり、月曜日も意地悪だ。
「ちょっと用を思い出したから、私先に帰るわね」
師匠はそう言うと小走りで正門に向かって行った。
「あ、ちょっと待ってくださいよ師匠。私、ここから家までの帰り方に自信ないんですけど!」
私は月曜日と金曜日に別れを告げると慌てて師匠を追いかけた。一人で帰れないわけではない。でも、少し自信がないのと、いたずらっ子のような顔で走り出す師匠を追いかけたくなったんだ。
「また集まりましょうね! 今度は日曜日も誘って」
師匠を追う私の背中に月曜日の少し大きな声が届く。月曜日が大きな声を出すなんて珍しい、そんな気がして私は振り向いた。後ろで月曜日と金曜日が並んで手を振ってくれていた。私は二人に手を振ると再び師匠を追いかけた。
「ちょっと! なんでそんなに本気で走るんですか!」
さっきまで小走りだったくせに。前を見ると陸上選手顔負けのフォームで全速力で走っている。
「師匠! 待ってくださいよ!」
私の叫びを聞いて、師匠は楽しそうに笑い声を上げながら走り続けた。