魔女になりました
目の前を一枚の葉が落ちていく。
くるくると回転しながら、たまに風に揺られて気まぐれに軌道を変える緑の葉から私は目が離せなかった。
「静かすぎるのもかえって話しにくいわね」
師匠が苦笑いしながら言った。葉っぱが地面に着地すると同時に、世界に時が戻る。自分の気分次第で時を止めたり動かしたりするなんて、本当にでたらめな存在もいい所だ。
いや、でも、そんなでたらめな存在だからこそ強く縛られているのかも。冷たいガラスコップの周りについた水滴のように、私の心は湿気を帯びた。
「じゃあ、次の質問の答えにいくわよ。私がハルを弟子にした理由は寂しかったから。もう一人でいることに飽きちゃったのよね」
じめっとした気持ちの私とは対照的に、からりと答える師匠。公園の喧騒の中、「飽きるってどういうことです?」と私は続きを聞く。
「長生きしてると、なんだか寂しくなってきてさ。たくさんの出会いがあるのに、ずっと生きてるのは私だけ。それが嫌になったの」
「長生きする知り合いもいるじゃないですか? 少なくとも魔女は他にも六人いるんですし」
私は月曜日や金曜日、それからクマーラを思い浮かべて言った。
「まあ、そうなんだけどねえ……」
腕組みをする師匠はどうも歯切れが悪い。
「他の魔女はなんだかちょっと違うのよ。少なくとも他の魔女は職場の同僚みたいな感じなの。仲良くないわけじゃないけど、友達でもない……みたいな具合だから、距離感がねえ……」
師匠の言葉を聞いて私はなるほどなと納得した。師匠が言いたいことはちょっとわかる。なんとなくだけど、私も金曜日のことを職場の先輩みたいだなと思っていたから。
「それはわかる気がします」
「でしょう?」
嬉しそうな顔で言う師匠はちょっと可愛かった。
「師匠は、長く一緒に過ごせる相手が欲しくて弟子を取ることにしたってことであってます?」
「正解!」
「私を選んだ理由は前になんとなくピンと来たからって言ってましたけど、それは本当なんですか?」
「それは本当。私の弟子にぴったりな人だと思ったのよね、直感的に。長く生きてきた女の勘は当たるからさ」
妙な自信を見せる師匠。根拠なんてないんだろうな。胸を張る師匠はいつもの師匠のようにも見える。でも、その後に「でも、ここまで私にぴったりな弟子とは思わなかったわ」と呟いたのは意外だった。
「どういうことです?」
「そのままの意味よ。最初は軽い気持ちだったのよ、弟子を取ることがどういうことかもあまり考えてなかった。でもね、ハルを弟子にしてから毎日が楽しくて、この関係が長く続けばいいなって思ったの」
「じゃあ、どうしていなくなったんです?」
「それはもうハルも気づいてるでしょ? 私はね、あなたから逃げたのよ」
申し訳なさそうな声で言った後、俯く師匠の顔から色が消えた。
爽やかな公園には似つかわない、暗い空気が私たちの間に流れる。やっぱりなと思いながら、私は一つため息をついてからすっかり冷めたコーヒーを飲んだ。
私たちの上に伸びた飛行機雲が薄れていく。くっきりとした白線なのに、まるでそこには何もなかったかのように消えていくから不思議だ。なんて思っていると同じく空を見上げていた師匠が重たい口を開く。
「魔女の席は七つ。もう既に全て埋まってるから、ハルが魔女になることを望んでも、魔女にはなれない。それはもう知ってるでしょう?」
私は短く「はい」とだけ返事をする。それを聞いて師匠は顔にかかった長い髪を一度かき上げると、真っ直ぐに私を見つめ直す。
「本当はそのことをちゃんとハルに言わなければいけなかったのに、私はずっと先延ばしにしてきたの」
「どうしてもっと早く言ってくれなかったんですか?」
「怖かったのよ。魔女見習いにしておきながら魔女になれないことを言ったらがっかりさせちゃうかもしれない。そしたら今の関係が崩れるかもしれない。弟子を取ろうと思った時は関係が崩れたらその時はその時でいいと思ってた。そんな軽い気持ちで始めたことなのに、私にとってこの関係が崩れることが怖くてたまらなかったのよ」
ため息混じりに「前触れなく来た日曜日には色々思うところはあるわ。でも、このずるずるとした状態を変えるきっかけをくれたと考えればありがたい気もするのよね」と溢す師匠。顔には渋さ多めの苦笑いが溢れていた。
私たちのことを可哀想と言いながら変化のきっかけをくれた日曜日。変化のきっかけを与えられた側だから尚更思うのかもしれないけれど、日曜日はなかなか大変な仕事をしてるんだなあと改めて思う。またもし会えるならゆっくりとお話ししてみたい。
「ハル、ごめんなさい。ずっと謝らなくちゃいけないと思ってた。でも怖くて言えなくて先延ばしにして、しかも日曜日が謝るきっかけをくれたのに、私はそれからも逃げ出したの。今日も会いに来てくれたのに今になるまで謝らなかった。本当に情けない女よ」
急に師匠に頭を下げられて私は驚いて咄嗟に言葉が出なかった。
「一度魔女見習いになったハルを元の生活に戻してあげることはかなり難しいわ。でも、もしハルがそれを望むなら、時間はかかるかもしれないけれど何か手立てを探してみせる。私がしたことは謝って済むことじゃないし、私のことを許さなくてもいい。だけど、ハルがこれからどうしたいかだけ教えてもらえないかしら?」
師匠の今まで見たことのない真剣な眼差しを受け、私は「ああ、師匠は気づいてなかったんだ」と、少し意外だった。いつもさらりと心を読んだり私の考えを見抜くからわかっていると思っていた。だから、私は初めて師匠の想定外の行動ができたことに嬉しくなった。
「師匠、大丈夫ですよ。私はこれからも師匠の弟子ですが、もう魔女見習いじゃないんで」
師匠の顔が固まり、そして困惑する。
「え、ちょっと待って。ハル、それどういうこと?」
「そのままの意味です。師匠、私、魔女になりました。師匠たちのルールでいくと名前は変わらないのでこれからもハルって呼んでください」
そうか師匠は驚いたらこんな顔をするのか。師匠の新たな一面を見て、私はなんだか嬉しくなった。
「師匠、私は春の魔女になりました」