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気まぐれ魔女との生活は、今日も穏やか  作者: 鞠目
第二章

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この場所

「この場所な気がするんだよね」

 師匠が前を向いて言う。でも、そこに見える景色は不明瞭で何もない。

 いや、何もない訳じゃない。草木が風にゆれたり擦れ合うような音、お香の煙のように形を持たずふわりふわりと漂う何か。それから時折り鼻腔を掠める花のような香り。目を凝らせば何か見えるような気もする。でも、何も見えないような気もする。ただ一つ言えるのは何かしらの存在の気配はあるということ。

「今からずっと昔、どこにでもいそうな、なんの変哲もない女がいました。長い黒髪のその女は自由気ままに生きていました。そして、その女はこれまたなんの変哲もない男のことを愛していました」

 師匠の語りに反応するように、前に漂う煙の濃度が高くなり、薄ぼけた男女二人の姿が浮かび上がる。影のように単色で、緩やかな陰影しかない二人。女はさておき男の雰囲気に心当たりはない。まあ、当然と言えば当然なんだけど。

「ある日、男は突然この世を去りました。その原因が事故だったのか病気だったのか、それとも事件に巻き込まれたのかはもう分かりません。ただ、男は若くして死んだのです」

 師匠の語り口に感情は一切感じられない。ただ事実を述べるだけの音声のよう。英語の教科書に書かれた英文をめんどくさそうに『これはペンです』と訳す中学生でももう少し言葉に温もりがありそうだ。そんな不気味なぐらい味気のない師匠の声に導かれるように、男の形をした煙が輪郭を失って霧散し、横でそれを見た女が膝から崩れ落ちる。

「男を失った女は失意のどん底に落ちていきました。足を踏み外して穴に落ちたみたいに真っ逆さまに。でも、落ちて落ちて落ち続けた時、いつまで経っても底に足がつかないことに気がつきました。そして、これはどこまで行っても底がないなと思い、どうしたものかと考え始めました」

 地面に座り込んでいた女はゆっくりと立ち上がると、ぱぱっとお尻を払ってから腕組みをして考え始める。

「悩んだ末に女は決意しました。かつて男に言われた言葉を胸に、一人でも歩き続けることを……」

 そこまで言うと師匠は黙り込んでしまった。気になって見てみると、師匠が小刻みに体を震わせている。そして、堪えきれなかったのか、くっくっくと息を殺すように小さく笑った。

 師匠の笑い声に反応して、目の前の師匠の形をした煙がふわりと消える。でも、師匠にそれを気にする様子はなく、ひとしきり笑ってから、「ごめんね」と師匠は私に謝った。

「ちょっといつもと雰囲気を変えて話してみたくなったの。だけど、変に意識し過ぎちゃって何をどう話せばいいかわからなくなっちゃった。やっぱり慣れないことをするもんじゃないわね。変だったでしょう? 自分でも笑っちゃった」

 師匠は笑顔だ。でも、その笑顔はいつもより乾いた印象を受け、私はどことなく痛々しさを感じた。


「結局ね、私も縛られてるのよ」

 師匠が改めて言った。師匠を見ると長い髪が少し顔にかかっている。

「大切な人を失った私は魔女になったの。魔女はいつの日か来る戦いに備える使命はあるけど、それ以外は基本的に自由。普段は気ままにやりたいことができる。だから、魔女になって楽しい思い出が増えれば気も晴れるかなって思ったの」

 呟くように師匠が「浅はかだったのよね」とこぼすのを私は聞き逃さなかった。でも、そこに対して踏み込む勇気を私は持ち合わせていない。

「魔女になる。最初はいいことばかりだと思ってた。でも、なってみてわかったの。魔女は万能じゃないって」

 師匠は私を見て「もう知ってるでしょう?」とでも言いたげな顔をしている。だから私は「人間だった頃の記憶が薄れていくってことですよね?」と聞いてみた。すると師匠は軽く頷く。

「魔女になるための条件が記憶を失うこととは言わないわ。明確に定められたものじゃないからね。でも、一度失った記憶は取り戻せないの。長く生きているとそれだけ思い出が増える。でも、覚えていられることには限度があるから、昔の思い出は薄れていってしまう。私がそのことに気がついた時には、既に大切な記憶は薄れた後だった。なんだか残酷じゃない?」

 師匠の問いかけに私は反応ができず、沈黙が空気を満たす。そんな私たちの間を冷たい風が通り抜け、肌寒さを感じた。風に乗って微かに雨のような匂いがしたけど、空に雲はなく雨が降る気配はなかった。


 周りの景色はセピア調からいつの間にか色を取り戻し、今の時間のものへと戻っていた。でも、まだ時間は流れておらず、みんな静止画のようにじっとしている。師匠はそんな景色を見て「大事な話が終わるまで、世界にはじっとしててもらいましょう」とこともなげに言った。

 相変わらず師匠はさらっとすごい魔法を使う。そんな師匠の横で私はこの人は本当になんでもありだなあと思った。

「私ね、もう思い出せないの。大切だった人の顔も声も名前も何もかも。覚えているのは『君は黒が似合うね』と言われたことと、長い髪を褒めてもらえたこと。そして、ここが二人にとって大切な場所だったってこと。もうそれしか覚えてないから、私はずっとそれにしがみついている」

 魔女は何かに縛られている。それは知っていた。もちろん師匠も例外じゃないだろうとは思っていたし、金曜日との話からそこに師匠の過去があることも想像できた。でも、想像と現実は違う。

 自由気ままで子どものような笑顔をする師匠。そんな師匠にも縛りがあると知っても、私には師匠とそういうものは程遠い印象があり、イメージが湧かなかった。だから、もし師匠が縛られていたとしてもそれはそんな大したものじゃないのでは、なんて、甘く考えている部分があったんだと思う。

 師匠の口からこの場所に、かつて愛した男の人の言葉にしがみついていると聞いて、私は無意識のうちに軽く唇を噛み締めていた。


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〜鞠目からのお知らせ〜
連載のきっかけとなった短編があります
水曜日の魔女と金曜日の魔女の出会いのお話です

↓短編はこちら

水曜日の魔女、銀行に行く
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師匠にそんな過去が( ˘ω˘ )
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