月曜日とワッフルと
「ハル、オススメノホン、ススンデル」
カタコトの日本語が頭の上から降ってくる。見上げると白い綿雲が一つ浮いている。図書館の中に浮かぶ雲。その上にちんと座るターバン頭のおじさん。久々に会ったクマーラは相変わらず優雅に雲に乗る。
「久しぶりクマーラ、元気そうね。でも、どうして私がお菓子の本を読み進められてるってわかるの?」
前にここに来たのは一年前だっけ、いや、二年前だったかな。記憶が曖昧だけどそこは気にしないことにして、私は肩にかけていたデニムのトートバッグから本を取り出しクマーラに聞いた。
私は前にここに来た時クマーラから『おうちでつくるお菓子の本』をもらった。ここは図書館。本来なら貸し出ししかしていない。でも、『トクベツ』にもらったこの本は、不思議な本だった。たくさんのレシピが載っているのに、私が成長しなければ新しいページは読めない。それから載っている内容が私の状況に合わせてぴったりなレシピを教えてくれる魔法の本だった。
「ハル、ソレ、ホンノオカシ?」
クマーラは私の質問を無視して、私が持つ茶色い紙袋を指さして言った。無視したことに悪気はないんだろう。だってクマーラはお菓子を前に目を輝かす子どものような顔をしていたから。
「ふふふ、秘密」
「エー、ソレ、アレデショ? ベル……」
クマーラが言い終える前に目の前の本棚がすーっと動き出す。そして、すたすたと歩く軽い足音と共に、黒デニムのロングシャツを着たショートボブの女性が出てきた。
「いらっしゃい。ハル、奥へどうぞ」
月曜日の声を聞いてクマーラが少し残念そうな顔をする。月曜日を見るともう私に背を向けてすたすたと本棚の向こうに歩き出していた。私がクマーラにごめんねと謝りながら見上げると、クマーラはしょんぼりとしながら上へ上へと雲に乗って登っていった。
相変わらず不思議な図書館。クマーラを目で追いながら見上げると永遠に上に伸びる本棚が見えた。
「また後でね」
私が声を遠ざかる雲に声をかけると、雲の上からひらひらと揺れる手が見えた。
本棚の間の通路を抜けて辿り着いた月曜日の部屋は前に来た部屋とは全く別物だった。前と同じものもある。木製のテーブルとその上に積み上げられたたくさんの本。それは同じ。でもそれ以外は何もかもが違う。だって、ここ草原だし。
どこまでも続く草原。天井や壁なんてものはなく私の頭上には青空が広がっている。通路を抜けたら草原って、魔女見習いになって少し耐性がついてきていた私でも驚かずにはいられなかった。
小高い丘があって、その向こうには海も見える。人工物は何一つ見当たらず、人もいない。でも、馬はいる。
馬。体高は約130cmほどだろうか。ざっと数えただけでも二十を超える馬があちこちにいる。歩いたり、草を食べたり、遠くを眺めていたりと思い思い自由に過ごしている。師匠も一緒に来れたらよかったのに、そんな思いがちらりとした。
大股歩きで五、六歩離れたところに、穏やかな目でこちらを見ている馬がいた。茶色い毛並みが美しい馬。ちょっとだけ触ってみたいなと思った。そしてできることなら乗ってみたい。だって馬に乗ったことないんだもの。
「みんな野生の子。だから、近づくのは危ないよ」
本の山の向こうから月曜日が言った。心を読むまでもなく、たぶん顔に出てしまってたんだろう。その自覚があったので、恥ずかしいけど誤魔化す気にならなかった。
「やめときます。そうだ、やっぱり馬って後ろから近づいたら……」
「たぶん蹴られる。それも思いっきり。絶対にしない方がいいよ」
月曜日が淡々と言った。やっぱりそうなんだ。知識としては知っていたけど本当に危ないんだなと思った私は、素直に「はい」と返事をすると、指を鳴らして椅子を出して大人しく座った。
「あの、ワッフルを食べてくれませんか?」
馬をひとしきり眺めて満足した私は月曜日に言った。私が言い終えるかどうかのタイミングで月曜日がテーブルに手をつき勢いよく立ち上がる。その結果、月曜日が座っていた椅子は倒れ、テーブルの上の山が少しぐらついた。
「食べたい……です」
月曜日は椅子を起こして座ると少し顔を赤ながら言った。師匠、今日も月曜日はかわいいですよ。私は心の中でそっと報告をした。
私がお土産に持ってきたのはベルギーワッフル。金曜日と遊園地に遊びに行った日、家に帰ってからお菓子の本を見てみると新しいページが読めるようになっていた。そこに書いてあったのがこのワッフルのレシピだった。
強力粉に薄力粉、砂糖と無塩バターと卵。それから牛乳にドライイーストに塩、ワッフルシュガー。使うのはすごくシンプルな調味料。アレンジレシピもあったけど、その日から私はオーソドックスなワッフル作りに没頭した。
ワッフルは最初に作った時から美味しかった。でも、何かが足りない気がした。美味しいのに日曜日がくれたワッフルが頭にちらつき素直に美味しいと思えなかった。
レシピの作り方を少し自分なりにアレンジしながら毎日試行錯誤を続けること一カ月。やっと少し納得ができる仕上がりになってきた私は、月曜日に聞きたいこともあったのでワッフルを片手に会いに行くことにしたのだった。
「コーヒーも持ってきたから一緒にどうぞ」
私が紙袋からワッフルを出して魔法で出したお皿に並べていると、月曜日が積み上げた本をずりずりとスライドさせてスペースを作ってくれた。私は追加でマグカップとコーヒーシュガー、ミルクピッチャーを魔法で出すと、水筒に詰めてきた温かいブラックコーヒーをマグカップに注いで月曜日に出してあげた。月曜日の顔が無邪気な女の子のようにぱぁっと明るくなる。
私も小腹が空いたので、自分の分のワッフルとコーヒーを用意しているとテーブルの向こうから「美味しい……」と月曜日が声を漏らすのが聞こえた。私は嬉しくて思わず顔が綻ぶ。私も一口ワッフルをかじる。やはり今回のは我ながらそれなりの出来だと思う。
遠くの海を見つめる馬、あの子は今何を考えているんだろう。そんなことを考えながらワッフルを食べていると、先に食べ終わった月曜日が口を開いた。
「ハル、ごめんなさい。私は魔女だけど審査員にはなれない。だから、これが日曜日のワッフルと比べてどうこう言える立場じゃない」
申し訳なさそうに言う月曜日。月曜日はなんでも知ってるって師匠が前に言っていた。やはり彼女には私の目論見なんてお見通しだったんだ。せっかく美味しいって言ってくれた彼女にこんなことを言わせてしまった。私はそんな自分の至らなさに情けなくなった。
「ごめんなさい」
謝る私に月曜日は首を振る。そして、「私には判定はできないけど、ハルのワッフルすごく美味しくて好き。コーヒーもありがとう」
口調自体は淡々としているのに声に温かみを感じた。草原に柔らかな風が吹く。私をみる月曜日の表情は、孫娘を愛でるお婆さんのような温もりがあった。やはり最初の魔女は歴があるから違うのかなと思ったけど、口に出したら怒られそうだったので胸にそっとしまっておくことにした。