観覧車での会話
カレーとラーメンを食べた後、私たちはメロンクリームソーダを買った。冷たいバニラアイスと舌の上で弾ける炭酸。飲むたびにいつも思うけど、メロンソーダの味は絶対に果物のメロンの味とは違う。でも、そういうものだしそれもまた味だと思う。
メロンクリームソーダを買った理由はすごく簡単で、ジャンクの魔法のせいだった。食事を終えてレストランを出ようとした時、メロンクリームソーダを載せたトレイを運んでいる女の子が見えた。お父さんに買ってもらったようで、すごく嬉しそうに、大切に両手でテーブルまで運んでいた。微笑ましい光景を見た私たちは顔を見合わせると券売機に急いだ。
食事時で人が増え始めていたけど、購入するのにそれほど時間はかからなかった。
「仕方ないよね」
ソーダに浮いたアイスをスプーンで突きながら金曜日が言う。
「仕方ないですよ」
ソーダを一口飲んでから私が答える。
「どうしても抗えないんだよなあ……」
「抗えませんねえ……」
そんな情けない感想を言いながら、私たちはゆったりとメロンクリームソーダを堪能した。
レストランを後にした私たちは、金曜日の提案によりもう一度メリーゴーランドに揺られた。そして、二回目も楽しく揺られた私たちは、導かれるように近くにあったコーヒーカップにも乗った。
これもぐるぐる回るアトラクションだ。でも、当然ながら私たちに景色を楽しむ余裕はなかった。最初はゆっくりだったけど、気がつけば私たちは全力でカップを回して時間いっぱい楽しんだ。まあ、その後調子に乗りすぎた私たち二人が目を回したのは言うまでもない。
コーヒーカップ近くの木陰のベンチに腰掛け回復を待つ間、私たちはこの遊園地を上から見てみたいという話になり、観覧車へと向かった。
上から見る遊園地は不思議なもので、さっきまで私たちがいた場所でも、上から見るとちょっと違って見えた。見下ろしているから当然だと頭では理解しているのに、どんどん上がり続けることで変わり続ける景色から目が離せない。
観覧車がてっぺんに来た時、ああ、もう半分終わってしまったのかと切なさを感じ、同時にそんな自分に驚いた。私はいつの間にかこの遊園地での時間を心から満喫していた。
結局、観覧車からの景色を夢中で眺めているうちに、金曜日も私も一言も話すことなく一周が終わってしまった。
「終わっちゃいましたね……」
搭乗口に着き、ちょっと名残惜しい気もしたけど私が席を立とうとすると、金曜日が黙って右手を挙げてそれを制した。戸惑う私に金曜日は「今日は付き合ってくれてありがとう。ここからは私がハルちゃんに付き合う番」と笑った。優しい雰囲気の笑顔、でもその眼差しは真剣だった。金曜日が魔法を使ったんだろう、私たちが乗るゴンドラは係員の人に触れられることもなく私たちを乗せて二周目に突入した。
「聞きたいことがあるんでしょう? 私にできる範囲にはなるけど協力してあげる」
確かに金曜日に聞きたいことはある。でも、それはこのタイミングじゃない。絶対に遊園地満喫中のこのタイミングじゃないんだけど、この独特のテンポはきっと金曜日の性格によるものだろう。前にも同じようなことを感じた気がして、なんだか微笑ましくも思えた。私は素直に「ありがとうございます」とお礼を言った。
「魔女になる条件、それは人間だった頃の記憶を失うことですね?」
何から聞こうか悩んだ結果、私は師匠が姿をくらませてから考えていた説を金曜日にぶつけた。
「どうしてそう思ったの?」
金曜日は肯定も否定もしない。
「魔女には時間がたくさんあって、魔法が使えて、自由な生活ができる。私はその代価がいつか来る戦いに備えることだと思ってました。けど、師匠がいなくなってからそうじゃないと気がついたんです」
金曜日の表情を確認する。彼女は職場の後輩を見守る先輩のような眼差しで「うん、続けて」と先を促した。
「そもそも月曜日が戦いが起こるという未来を見た時、既に魔女は四人いたんですよね? それじゃあ、戦いは条件と関係ない。それで考え直した時に思い出したんです。金曜日は人間だった頃の自分に囚われていて、私に出会うまで同じ銀行から動けていなかった。ですよね?」
金曜日は最初は真顔だった。でも、ぷるぷると体が震えだし、堪えきれず吹き出した。そして、「ごめん、サスペンスドラマに出てくる探偵みたいな話し方だと思ったら面白くて……」と、体をくの字にして笑いながら謝った。私は五秒後にちょっと顔が熱くなるのを感じた。
こほん、金曜日が軽く咳払いをして姿勢を整える。
「ええ、私は銀行から動けてなかった。今は違う支店だけど結局銀行で働いてる」
「それ、私最初はなんとも思わなかったんですけど、最近ふと思ったんです。もしかして金曜日は銀行から離れると何かを失うからじゃないかなって」
失うものはきっと物理的なものじゃないはず。そう考えると思い当たるのは記憶だった。人間だった頃の記憶が曖昧になっていき忘れてしまう。だから、魔女は人間だった頃の自分を止めたくて、何か過去に繋がるものに囚われてるんじゃ? 全部想像でしかないけど、私は的外れな説じゃないと思っている。
自信は七割ほど。私は金曜日の反応を待つ。真剣な顔で私の話を聞いてくれた金曜日は、また、こほんと咳払いをしてから「半分ぐらいは正解かな。でも、半分は不正解。結論から言うと魔女になることの条件なんて明確にはないの」と言った。
「条件が、ない?」
「そう、特にないの。強いて言うなら人間に戻れなくなる、ただそれだけ」
そんな出鱈目な。魔女になれば時間がいくらでもあって、魔法が使えるようになって、人間だった頃には見えなかった世界が見えるようになって、できることが増える。なのにそれに伴う対価がない。そんなこと許されていいの?
「いいんですか? そんなのハイリターン過ぎません?」
「良いも悪いも、魔女ってそういうものだからさ。それに立場によって何を利とするかは違うでしょ? ハルちゃんはリターンが大きいと思うかもしれないけれど、違う誰かにとっては等価に思えたり、もしくは失ったものが大きいと考える可能性もゼロじゃないとは思わない?」
金曜日に諭され、私は先輩に指導される新社会人のような気分になった。金曜日の言いたいことはわかる。確かにそうだけど、私にはどうしても魔女になることのメリットが大きすぎる気がしてならない。
「でも、ハルちゃんの言うことは半分は正解なの。だって魔女は忘れちゃうから」
「忘れちゃう?」
「そう、魔女って完璧な存在じゃないのはなんとなくもうわかるでしょ?」
魔女が完璧な存在じゃない。私にはその言葉がわかるようなわからないような気がした。
「魔女はなんでもできるわけじゃない。例えば過去や未来に行けないし、命を蘇らせるなんてこともできない。あと、記憶は人間と同じでずっとなんでも覚えていられるわけじゃない」
私の心臓がどくんと大きな音を立てる。
「ハルちゃんって小学生の頃の記憶ってどれぐらいある? 例えば二年生の時の担任先生ってすぐに思い出せる?」
「えっと……野中先生だったような、野原だったかな……そんな名前たった気がします」
記憶を辿ってみたけど、いきなりの質問にぼんやりとしか名前が出てこなかった。でも、金曜日は「すごい! 覚えてるんだ」と驚いていた。
「子どもの頃の記憶って覚えてることもあるけど、忘れていくことも多いでしょう? 生きる時間が長くになるにつれて過去の記憶は薄まっていく。ということは?」
金曜日は私にいきなり話を振った。
「ということは……魔女になって生きる時間が長くなれば長くなるほど、人間の頃の記憶が薄れていく?」
「そう、正解」
金曜日がクイズの司会者のように言った。ふざけているのに目はどことなく寂しい色をしている。
「魔女にとって人間だった頃の記憶は、子どもの頃の記憶と同じようなものなんだよね。私にも大切な思い出はたくさんあるよ。でも、鮮やかに頭の中に刻まれたことも全く風化しないわけじゃない。魔女になって過ごす時間が長くなると、それだけ自分の昔の記憶は薄まっていく。でも、それを止める術はないの」
過去に全く囚われない生き方なんてできない。だって過去は今の自分を作る背景だから。だからこそ、失われていく過去の自分、人間だった頃の自分をとどめたくて、過去の自分の形跡に縋ってしまう。
「魔女になる条件なんて決まってない。でも、長生きする結果、昔のことを忘れてしまう。ということですか?」
私の質問に金曜日は私にまた笑顔を向ける。でも、雲が光を遮り彼女の顔に影がさす。
「正解。そして、薄れていくのは特に人間だった頃の記憶ってこと」
鋭利ではない。でも、尖った何かが胸を刺した。