憐れみの目
「そんな、かたいこと言わないでよ。あなた、もう十分パレード見せたじゃないの」
流暢な日本語。吹き替えの映画でもみているよう。日本が長いのかな。そんなことを考えている私の横でうさぎは頭から湯気を出しそうなぐらい怒っている。
「そういう問題じゃないんです。いくら魔女とはいえ私の邪魔をすることは許しませんよ」
だむだむだむだむ、うさぎは足を床に叩きつけて不服さをアピールしている。テンポのいいだむだむが部屋中に響く。でも、そのだむだむは日曜日の「今日は魔女としてだけじゃなくて、もう一つの立場としても来ているの」という言葉によってぴたりと止んだ。
「もう一つの立場?」
日曜日とうさぎの会話に割り込んじゃいけないと思って黙ってたけど、気になりすぎて我慢ができなかった。そんな私に日曜日は笑みを向ける。何か説明してくれるかと思ったけど、日曜日よりも先に口を開いたのはうさぎだった。
うさぎは大きな大きなため息をつくと、「そうですか、そちら案件でしたか。それなら仕方ありません、今回はお譲りします」と言った。口調はすごく丁寧だけど、絶対に納得はしていない。だって顔が膨れっ面になってせっかくのかわいい顔が不細工になっているから。
「魔女見習いのお嬢さん、すみませんが本日は失礼します。また、機会があればお会いしましょう」
うさぎはそう言って私に深々とお辞儀をしてからきつく日曜日を睨みつけた。そしてため息を一つついてから煙のようにゆらりゆらりと体を燻らせて終いには消えてしまった。
消えゆくうさぎに私は「看病してくれてありがとうございました」と言ったけど、私の声がうさぎにちゃんと届いたかはわからない。
「私ね、ベルギーワッフルが好きなの」
うさぎが去り、私の部屋には日曜日と私の二人だけ。何を話せばいいのかわからず私が気まずさを感じ始めた時、日曜日が口を開いた。するとそれが合図だったかのように、私のベッドの横に四角い天板で四本足の木製テーブルと椅子が一脚現れた。テーブルの上には片手サイズの茶色い紙袋が載っている。
日曜日はすたすたとテーブルの側まで来ると紙袋の口を開けて、茶色の耐油紙に包まれたワッフルを二つ取り出した。
「あなたも一ついかが? すりおろしたりんごだけじゃお腹が減るでしょう?」
「ありがとうございます」
日曜日がくれたのはプレーンのワッフルだった。日曜日が椅子にゆったりと座り食べ始めたので私もいただくことにした。
「あ、すごく美味しい……」
想像以上の美味しさに言葉が我慢できなかった。まだ温かさの残るワッフル。外のさくさく感とざらめの食感が絶妙だし、甘さもちょうどいい。ワッフルって作り方はシンプルだけど、自分で作ってもこの味なかなか出せるものじゃない。一度食べ始めると止まらなかった。
「これ、私が作ったの。私、ワッフル好きなのよね」
日曜日は上品に笑う。白衣にワッフルというあまり見慣れない組み合わせだけど日曜日にワッフルはよく似合う。
「コーヒーもあるわよ」
黙々と食べているとふんわりとコーヒーの香りがした。日曜日を見ると大きな白い陶器のマグを二つテーブルに並べている。「お好みでミルクとお砂糖をどうぞ」と日曜日が言う。なんて行き届いた対応だろう。私はお礼を言ってからブラックでいただいた。
柑橘系の香りがした。コーヒーなのに華やかで果実や花のような甘酸っぱい空気が口の中いっぱいに広がる。ワッフルも美味しいしコーヒーも美味しい。日曜日はただ者じゃない。
「すごく。すごく美味しいです」
完敗だ。お菓子作りもコーヒーも好きだけど、日曜日は私なんかよりもすごく高みにいる。私はちょっと悔しいなあと思いながら素直に感想を述べた。日曜日は爽やかな朝の光のように明るい笑顔で「それは良かった」と言ってくれたけど、心なしか私を見る目には何か別の色が混ざっているような気がした。
「光が一切ない世界があって、そこで生きる人間は音のみを頼りに生きるしかないとします。もしそんな世界があるなら、音楽は神に近い存在になると思う?」
コーヒーを飲んでいると日曜日が「ねえ、私、あなたと話してみたかったの。ちょっと付き合ってくれないかしら?」と言った。その直前に「いくらでもおかわりはあるから言ってね」と追加のワッフルをもらっていた私に拒否権なんてあるはずもなく、私は日曜日とお話しすることになった。そして日曜日からきた質問はなかなか癖が強かった。
「なれると思います……だって音のみを頼りに生きる場合、音は視覚のある世界以上に生きることに直結する大切なツールになる。そんな世界なら神に近い存在になる可能性も高いと思います」
日曜日の質問の意味を咀嚼し、頭に浮かんだ答えをゆっくりと噛み締めるように私は言葉にして答えた。
「なるほど」
日曜日は、幼い子どもが話すのを見守る大人のような目を私に向ける。そしてその目は私に『それで?』と問いかけているように感じた。まだ考えられるでしょう? とでも言いたげな目に私は焦りを覚える。
「えっと……光がなくて何も見ることができない世界なら、神をイメージした像のようなものは作られない気がします。だって作っても見えないから。それで像の代わりに信仰対象としての音楽、例えば『神の旋律』みたいなものが作られて崇められる、そんな可能性もあるはず。だから、音楽は神に近い存在にはなり得ると思います」
真っ暗な世界で神々しく人間を照らす音楽と、それを演奏しながら崇拝する人間を思い浮かべた私。私が知らないだけで実はそんな世界は存在しているかもしれない。
「なるほど、確かにそれはありそうね。文化的な背景により神の捉え方は人それぞれ。あなたの考え方は面白いわ」
日曜日の反応が良かったので私は一先ず胸を撫で下ろした。なんだかテストでも受けてるみたいだ。でも、そんな安心も束の間、日曜日が口をひらく。
「因みにだけど、あなたは神が存在するとするなら、神は『いる』と考える? それとも『ある』と考える?」
「え? 『いる』か『ある』ですか……」
私は返答に窮してしまった。そんなこと考えたことない。そもそも神様に会ったことがないのに難しいことを聞くなあと思う。「ちょっと待ってくださいね……」私は前髪をかき分け一息ついてから自分の考えを整理した。
「私は神が『いた』だと思います」
神はいた。今はいない。私の中ではそんなイメージだ。気まぐれな神がいて、ボタンをぱちんと押した結果この世界の元が生まれ、今の状況がある。その神はボタンを押したことに満足してまた次の世界を作りにこの世界からはいなくなってしまったけど、この世界のどこかには神がいた痕跡がある、そんな気がしている。
私は神様に会ったことがないから正しいことはわからない。でも、私には「いた」がしっくりくるのだ。私がそのことを説明すると、日曜日は「なるほど、『いた』派か。あなた、面白いわね」と嬉しそうに言った。それから「水曜日にこの質問はしたことないけど、彼女も同じように考えそうね」とも。
私が日曜日に「日曜日はどう考えるんですか?」と聞くと、日曜日はふふふと笑うだけだった。でも、目の奥に冷気が漂っているような気がした。
日曜日の答えはまだかなと思いながらコーヒーを飲んでいると突然味が変わった。酸味がキツくなり舌の上に苦味がしつこく残る。気のせいかと思いもう一口飲む。やはり苦い。こんなにいきなり味が落ちるなんてことあるだろうか。
コーヒーの変化に私が無言で戸惑っていると日曜日が、「あなたたちはいつまで続ける気だったの?」と言った。さっきまでの会話と違い、声に少し冷たいものを感じた。
「いつまでって何をですか?」
何の話だろう? うさぎのパレードのことかな。でも、それは何だか違う気がする。日曜日を見ると曇りのない目で真っ直ぐ見つめられていた。
「じゃあ、あなたはいつ魔女になれると思っていたの?」
「それはわかりません。私はまだ魔女見習いだし、それに魔法も習ってないので……」
なんだか言い訳がましい言い方になり私は日曜日から目を逸らしてしまった。なのにまだ日曜日の容赦ない視線が私を突き刺す。
「それなら質問を変えるわね。あなたは水曜日のことをどこまで知ってるの?」
「師匠のことですか?」
私は再び日曜日を見る。日曜日はやっぱり私を真っ直ぐに見ていて言葉を放つ。
「あなたは魔女見習いで、水曜日の弟子よね。あなたから見た水曜日はどんな魔女?」
「師匠は、自由気ままでマイペースで、優しい魔女です」
日曜日の目は緩むことなく私を見ている。
「それが、彼女があなたに見せる姿なんでしょうね。でも、あなたは知らない。自分がいつ魔女になれるかも。そして、あなたを魔女見習いにした本当の理由も……伝えない彼女はあなたがさっき言った姿に当てはまるかしら?」
頭からバケツで冷たい水をかけられたような気分だ。全身の血の気が引く。でも、顔は熱くなる。日曜日が言いたいことがわからないのに何故かわかってしまう気がする。楽しい日常がずっと続いて欲しくて目を背けていた何かをいきなり目の前に持ってこられたような、そんな気持ちになった。
私は今、日曜日に怒りたいのかもしれない。でも、いつかちゃんとしなきゃいけないと思っていたことにピリオドを打ってくれたことに感謝をしている気持ちも僅かだけどある。色んな感情が嵐の子どものように私の中を駆け回る。
日曜日はまだ私から目を逸らさない。真っ直ぐに全てを見通す目を前にして、私の心臓はギュッとなる。
「私から見れば、水曜日は哀れな魔女よ。明るく振る舞う彼女を見るのは胸が痛むわ」
日曜日が目を閉じてしんみりと言った。寂しさの中に優しさを感じる声だった。でも、そんな日曜日の前で私は胸に痛みを感じている。言葉に秘められた見えない棘が私を突き刺してくる。
「さてと、そろそろ行くわね」
日曜日は目を開くとすっと立ち上がると、体の正面でパンッと軽く手を打った。乾いた音が部屋にこだますと日曜日の側にあったテーブルと椅子が音もなく消えた。
「あの、えっと……」
ドアに向かって歩く日曜日を呼び止めようと声をかける私。でも、聞きたいことはたくさんあるはずなのに何からどう聞けばわからず、呼び止める言葉さえ上手く発することができない。
このまま部屋を出ていってしまうのかと思った時、日曜日がドアの手前ではたと立ち止まり、ゆっくりと振り向いた。日曜日の美しい金髪がゆらりと揺れる。
「そうそう、水曜日は哀れな魔女だけど、とっても罪深いところもあると思うの」
そう言った日曜日の目に憐れみが浮かぶ。でも、この目は同じ魔女である師匠を思っての目ではない。この目は、日曜日が憐んでいるのは私のことだ。
「私から見れば、あなたもとってもかわいそう」
そう言って日曜日は私の部屋を出ていった。私はふと右手を見ると残っていたワッフルを握りしめていたことに気がついた。潰れたワッフルの欠片は硬く、私は残っていたコーヒーで流しこんだが、喉に何か違和感が残る。
うさぎも日曜日もいなくなった静かな部屋に、途方に暮れた私の弱々しいため息がひっそりと沈む。