魔女見習いは寝込む
風邪をひいた。
原因はわかってる。雪まつりだ。そうに違いない。師匠と雪まつりに行って石像を見ながらホットワインを飲んだのが一昨日。ちょっと熱っぽいかなと思ったのが昨日の夜。昨夜、夕飯の後にちょっと濃いめのコーヒーが飲みたいなと思い豆を挽いていると、そろりそろりと寒気が後ろから忍び寄ってきた。
おぶさってきた寒気を振り解くことはできなかった。この寒気はやばいなあと思いながらコーヒーを飲み、明日の朝元気に起きれますようにと願いながら布団に潜り込んだがやっぱりダメだった。朝、まず寒くて目が覚めた。布団にくるまっているのに寒いし、体の節々が痛いし、喉はいがいがするし、頭も痛い。
そもそも雪まつりを楽しみ過ぎたんだ。迫力がある石像たちを見ながら飲むホットワインが美味しくて、師匠も私も何杯もおかわりした。私と違って師匠は雪まつりに何度も来ているようだったけど、師匠もすごく楽しそうだった。
「こんなのいつぶりだろう。やっぱり雪像を見ながらお酒を飲むにしても誰かと一緒の方が楽しいわね」
たぶん五杯目のホットワインを飲み干した師匠がにこにこしながら言った。私はまだ三杯目なのにペースが早い。ちょっとぐらい待ってくれてもいいのに。私は師匠の時間を潰したくて「前に誰かと来たんですか?」と聞いた。
こんな質問に大した意味なんてない。でも、聞いてから私は少し後悔した。だって師匠は「さあ、もう忘れてしまったわ……」とこっちを見ようともせずに言ったから。師匠からあんな反応が返ってきたのは初めてだった。
あの時の師匠の様子は気になるけど、今はそれどころじゃない。今最も重要なのは私の体調だ。だって師匠と暮らし始めて体調を崩したのも初めてなんだもの。魔女って病気にならないものだと思ってたけど、どうやら違ったみたい。なんだかちょっとがっかりしている。
「ハルー、朝よー」
ノックと共に師匠が部屋に入ってきた。壁に掛かった時計を見ると、いつもなら私が師匠より先に起きて朝ごはんの支度をしている時間だった。もうそんな時間か。
「あら、大丈夫? 顔色悪いわよ。もしかしてハル、風邪でもひいた?」
一緒にお酒を飲んでいたのに師匠はいつも通り元気そう。私だけが風邪をひくなんてなんだか不公平だ。
「そうみたいです。魔女になれば病気にならないと思っていたんですけど……そうじゃないんですね……」
喉が痛いのでいつものように話せない。ぼそぼその声でなんとかゆっくり話すと、師匠の顔がほんの少し引きつったように見えた。でも、気のせいかもしれない。師匠はいつもの明るい口調で「そうよ、魔女になれば病気にならないわ。でも、ハルはまだ魔女見習いだから。人間よりは病気になりにくいけど完璧じゃないのよね。それで風邪をひいたのかも」と言った。
「あ、そうなんですね……なるほど。」
なんだ、そういうことだったのか。そう思って私は納得しかけていた。でも、私が「じゃあ、早く魔女にならなきゃな……」と言いながら師匠の顔をちらりと見ると、師匠は私から目を逸らした。それから師匠が目を逸らしてからすごく小さな声で『もう七人いるから無理だけどね……』と言ったのが聞こえた。
今のは一体どういう意味だろう? 胸の中にざらりとした感触が残る。あと、私の目は見逃さなかった。目を逸らされる前に見た師匠の目が哀しい色をしていたことを。
「師匠? どうかしましたか?」
気になって聞いてみた。でも、師匠は「え? なんでもないわよ。ハルも早く魔女になれるといいわね」とさらりと言った。さっきの反応はまるで無かったことにしているみたいだ。
胸の中のざらざらが増してむずむずと気持ち悪くなる。さっきの反応はどういう意味なのか聞きたい。でも、風邪のせいで思考回路がおかしくなっている私は言葉が上手くまとまらず何も言えなかった。そんな私に師匠は、「今日はゆっくりしてなさい。しっかり休んでちゃんと治さないと」と言って部屋を出て行った。
「あ、そうだ! 何かあったら呼んでちょうだい。私は自分の部屋にいるからねー」
再びちらっとドアを開けて顔を覗かせた師匠が言った。そんな師匠の顔は優しいお姉さんの顔だった。なんだ、いつもの師匠じゃないか。風邪のせいで頭が回ったり回らなかったり、感覚が敏感になっていたり誤作動を起こしている私。師匠が変に見えたのは私の気のせいかもしれない。
いつも通りの師匠の様子にほっとした私は、「ありがとうございます」と言って目を閉じた。そしたら気が抜けて安心したのか、私はそのまま寝てしまった。
お腹が減った。
目が覚めると私は空腹だった。ものすごくお腹がちくちくする。師匠と話してから気づけば二時間が経過している。
悪寒がする。この感じはたぶん、いや、絶対に熱が上がっている。体は重力が二倍になったんじゃないかと思うぐらい重くてうまく動けない。
もう一度寝ようかと思った。でも、お腹が減ってちくちくするし、汗をかいたせいか喉は干上がり、全身の細胞が水分を求めている。私はなんとかベッドから起き上がったけど、頭がぐわんぐわんとしてすぐにベッドに吸い戻された。ああ、やっぱり動けない。
風邪ってこんなにしんどかったっけ? 人間だった時のことを考えるけどインフルエンザでもここまでしんどくなかった気がする。しんどいやら、お腹が減ったやら、喉が渇いたやらで私はどんどん悲しくなる。
なんとか部屋を出て台所に行きたいけど、よく考えたらうちには風邪薬はおろかスポーツドリンクなんて代物も見た記憶がない。
そうだ、師匠ならお薬もスポーツドリンクも魔法で出せるかも。でも、干上がった喉からは声は出ないし、師匠の所まで行く気力もない。
お腹が減ると負の感情が湧き出しやすくなるもので、私はどんどん気が滅入っていった。どうしてこんなに辛いんだろう。せめて水だけでも飲みたいのに全く動けないし今の私は何の魔法も使えない。このまま私は干からびて、干物のように薄く硬くなってしまうんだ。きっとそうに違いない。
大人になって、しかも魔女見習いにまでなったのに、無力な私は自分が情けなくて涙が出た。喉は砂漠のように乾燥しているのに、どこにそんな水が残っていたのか不思議に思うぐらい涙は止めどなく流れていく。流れる涙が部屋を満たし、私はきっと自分の涙に溺れるんだ。今度はそんな気さえし始める。そんな時だ。
「おやおや、大丈夫ですか?」
いきなり部屋の中で声がした。びっくりした拍子に涙が止まる。誰? 声を出したいけど干からびた喉から声が出ない。
「涙が落ちる音がしたので来てみたら、水源は魔女見習いさんでしたか」
視界の端にもそもそと動くものを捉えた。ベージュ色のそれは、とてとてとかわいい足音共に私に近づいてきて、私の涙をそっと拭ってくれた。
ベッドの側まで来てくれたのは迷彩服を着たドワーフウサギだった。