シロクマを招いて
「大会があるんです、水泳の」
少し低めの落ち着いた口調に、人当たりのよさそうな……いや、クマ当たりの良さそうな笑顔でシロクマが言うと、魔女は少し身を乗り出しながら食い気味で「それって何の大会なの? もしかしてクマの種別対抗なの?」と目を輝かせる。クマの種別対抗ってどんな大会よ。いや、シロクマが大会に出るって時点で私の中の常識は音を立てて崩れ去ったのだけれど。
「あ、よく分かりましたね! 種別対抗の水泳大会なんです」
どんな大会よそれ! 私は喉まで出かけた言葉をなんとか飲み込む。私はまだまだこれまでの固定観念から脱却できていないようだ。
半年ほど前に魔女のところに来てから、今までの人生では考えられなかったようなことが、ほとんど毎日のように起こる。例えば物が浮いたり、消えたり、突然出てきたり。それから不思議な生き物に出会ったり、突然時間が止まったりした。もう動物と会話ができることには驚かなくなったけれど、それでもまだまだ驚かされてばかりだ。
前に、どうして私が動物と会話ができるようになったのか聞いたら、魔女は笑って「どうしてってそれは私と同じ魔女だからに決まってるでしょう」と言った。
「まあ、まだハルは魔女見習いだけど、魔女とほとんど変わらないわよ」
魔女にそう言われて、私は自分が魔女見習いになっていたことを知った。まだ何も魔法なんて教えてもらってないのに。
「ねえ、ちょっと呼んでみてもいい?」
紅茶がなくなりかけた頃、魔女は動物園ではしゃぐ小さな女の子のような顔で私に言った。天真爛漫な少女のような顔を見て、私に拒否権がないことを悟る。
「呼ぶってシロクマをですか?」
湖を見るとちょうど湖の真ん中あたりで、シロクマが泳ぐのをやめて仰向けでぷかりぷかりと浮いていた。
「そりゃあそうでしょう? 何してるのか聞いてみたいじゃない」
「まあ、気になりますけど……」
魔女は私が言い切る前に「じゃあ決まりね!」と言い、湖に向かって「ねえ! そこのシロクマさん、一緒にお茶でもどーおー?」と声をかけた。その結果、シロクマが魔女の声に気がついて、こちらに華麗な背泳ぎでやってきて今に至る。
因みにシロクマは背丈が3mほどある大きなオスのシロクマだった。間近で見るとすごい迫力があったけれど、それ以上に美しくツヤツヤとした白い毛並みに私は目を奪われてしまった。
「大会にはヒグマ、ツキノワグマ、マレーグマ、ナマケグマ、メガネグマ、アメリカクロクマ、ジャイアントパンダ、それから私たちホッキョクグマが出場して、4000mのメドレーリレーをするんです。そこで優勝したら優勝トロフィーがもらえて、しかもみんなの前でアーティスティクスイミングの演技をお披露目できるんですよ」
シロクマに紅茶を出すと彼は律儀に「ありがとうございます」と言ってカップに口をつけ、それから大会について簡単に説明をしてくれた。
シロクマが泳いできてすぐに、魔女が右手の親指と薬指をパチンと鳴らして、シロクマ用に私たちが座る椅子よりも二回りほど大きな椅子を出してくれた。だけど、椅子に座って話すクマを見ると、椅子はもう少し大きくてもよかったかもしれないなと思った。
八種のクマが水泳で競い合うなんて、思っていた以上にすごく面白そうな大会だった。それからその後にある優勝チームによるアーティスティクスイミングっていうのが全く想像がつかない。クマの演技って一体どんな感じなんだろう。
あと気になったのが、パンダもクマの一種だったの? あの笹を食べる白と黒のかわいいパンダが? 愛くるしい見た目の印象のせいで、今まで私にはパンダにクマというイメージがなかった。
でも、4000mということは一頭当たり1km泳ぐってことか。なかなかハードそうな競技だなあと思っていると、魔女が「それはなかなか大変そうな大会ね」とシロクマに言った。
「意外とそうでもないんですよ。私たちホッキョクグマは移動する時に何十kmも泳ぐことがあるので、1kmは全然苦じゃないんです」
魔女と私はシロクマの話を聞いて、思わず口を揃えて「へーそうなんだ!」と言った。動物園でシロクマを見たことはあったけれど、シロクマがそんなに泳げるなんて知らなかったので、私はとても驚いた。あと、シロクマって言っていたけれど正しくはホッキョクグマだったなあとも今更ながら思った。
「ホッキョクグマさんは何番目に泳がれるんですか?」
さっきまでホッキョクグマがクロール、平泳ぎ、背泳ぎ、バタフライの全てを練習していたのを思い出し、気になった私が尋ねるとホッキョクグマは右手でぽりぽりと頭をかき、俯きながら「それが私は補欠なので出られるかわからないんです」と言った。
「あら、そうなの? あんなに泳ぐのが上手だったから代表選手かと思ってた」
魔女はそう驚きながらさらりと言った。そんな魔女を見て、私も同じことを思ったけれど、すぐにそれを口に出せるこの人はやはりすごいなと半分ほど感心し、半分ほど呆れてしまった。だってその言い方は少し直接的過ぎる気がしたから。
「いやいや、私なんてまだまだなんですよ。補欠のしかも二番手なんで、出られる可能性はかなり低いんです」
ホッキョクグマはそう言って、自分の自己ベストと代表選手のベストタイムには何十秒も差があること、この差がなかなか埋まらないことを説明してくれた。
「大会は四年に一度しかないんです。だから、もし出られることになったら全力を尽くしたいなと思って練習を続けてたんです」
そう言うホッキョクグマはどこか少し照れくさそうに見える。
「大会はいつあるの?」
魔女がどこからか真っ黒のシステム手帳を取り出してホッキョクグマに聞いた。
「二週間後の日曜日、場所は真夏の三番地にある総合運動公園のプールです」
ホッキョクグマが答えると、魔女はこれもまたどこからか取り出したボールペンでさらさらとシステム手帳の真っ白のページに『真夏の三番地 総合運動公園』とメモしていた。
「ハル、シロクマさんの応援に行くわよ。二週間後の日曜日、覚えておいてね」
「忘れないようにしますけど、そう言って自分が忘れないように気をつけてくださいね」
魔女は絶対に応援に行きたくなるだろうなあと思っていたので、私はやっぱりなあと思っていた。
「応援に来てくださるんですか! ありがとうございます。でも、私は出られるかわかりませんが……」
嬉しそうな、でもどこか申し訳なさそうに言うホッキョクグマを見て、魔女は優しい笑顔で「でも、出られるかもしれないでしょう? 当日まで何が起こるかわからないんだし。それに、そう思ったからあなたは練習していたんでしょう?」と言った。
「そうですね。出られるかはわかりませんが、それでも見に来ていただけるなら嬉しいです」
ホッキョクグマは真っ直ぐな瞳で魔女と私を見つめて言った。そんな姿を見て、当日このクマが代表選手に選ばれてチームを優勝に導いてくれたらいいのになと思った。
〜 ホッキョクグマからのお願い 〜
ホッキョクグマです
次はクマの水泳大会のお話になります
私も頑張りますのでよかったらまた読んでみてください
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気が向いたらでかまいませんので
ホッキョクグマより