魔女は囚われている
「なってよかったか……どうだろう? 魔女は自由だけど縛られてるからなー」
本日のケーキである、ラムレーズンの入ったバスクチーズケーキを食べながら金曜日が言った。洋酒が効いたレーズンとチーズの組み合わせがとても美味しくて、つい夢中になって食べていた私は、最初何を言われているのかわからなかった。口の中のケーキを飲み込み、苦味の少ないホットのブラックコーヒーを飲んでから気がついた。これ、私がした質問に対する返答だと。
「金曜日は魔女になってよかったと思います?」
さっき私は金曜日にかなり踏み込んだ質問を投げた。でも、タイミングが悪く、聞いた直後に大きなウミガメが二人分のケーキとコーヒーを運んできてくれたため、話そっちのけで私たちはケーキとコーヒーに舌鼓を打っていたのだ。
「縛られてるんですか? 魔女が?」
魔女って自由だと思ってた。だから、金曜日の言葉は意外だった。だって時間は人間よりたくさんあるし、お金や時間の制約もなさそうなんだもの。マグカップに添えられた紙ナプキンで口を拭きつつ追加の質問をすると、金曜日は「まあ、自由っちゃ自由なんだけど、案外魔女も縛られてるよ。よくわからないしがらみだったり、知らないうちにできたルールだったり、かつての自分だったりね」と、ため息混じりに言った。
私は金曜日の言葉を聞いて、紐で縛られて身動きのとりにくそうな魔女の姿を想像する。でも、なんだかピンと来ない。金曜日の言葉がちゃんと飲み込めず困っていると、金曜日は優しく笑った。
「ごめんね、上手く説明できなくて。そうだなあ、『囚われている』って言うべきなのかも」
囚われている。頭の中にじゃらじゃらとした重たい鎖に繋がれた魔女のイメージが浮かび上がる。なんだか囚人みたい。私にはそんな風に見えないのにな、そう思いながら静かにコーヒーを飲んだ。
「金曜日は何に囚われてるんです?」
聞かずにはいられなかった。そこまでは流石に踏み込んじゃだめかなとも思いつつも、つい気になってしまった。嫌な顔をされるかと思ったけど、失礼な私を金曜日は咎める気配はない。特に気にもしていなさそうだった。
「私の場合は人間だった頃の自分かな」
「過去の自分ですか?」
「そう。魔女になってすぐの頃にね、何をしたらいいかわからなかった私に、これまで通り過ごせばいいって月曜日が言ってくれたの。そしたらやるべきことが見えてくるって」
「それで見えてきましたか?」
「うん、見えてきたよ。何年かしたらさ、なんとなくだけど私が魔女としてやるべきことが見えてきたの。でも……」
言い淀む金曜日。この日初めて顔が曇ったように見える。明るく可愛い先輩の意外な表情に私は少し驚く。
「見えたのに、私はまだ同じ銀行にいるの。魔女になってからずっと」
どうして? とは言えない。とてもじゃないけど言える空気ではなかった。黙って金曜日が話すのを待つ。
「私はまだ人間だった頃の自分の生活を手放すのが怖いんだ。もう魔女になって何十年も経つのに、この一歩を踏み出したら、もうあの頃に戻れない気がして……」
まあ、もう戻れないんだけどね、と話す金曜日はどこか寂しげに見えた。私がかける言葉を探しあぐねていると「私のことはさておき、他の魔女も何かに囚われてる気がするんだよね」と、チーズケーキの最後の一切れを食べ終えた金曜日が、少しわざとらしさを感じる明るい声で言った。
少し遅れて私もケーキを食べ終える。そして金曜日の言葉を頭の中で反芻して、おや? っと引っかかった。
「それって師匠もってことですか?」
自由奔放な師匠に『囚われている』と言う言葉が繋がらない。
「うん、水曜日も例外じゃない。何にとは明確に言えないけど、みんな何かありそうなんだよね」
みんな、ということは月曜日もなのか。私が知らないだけで魔女には色々な事情があるのかもしれない。思考を巡らせ考えてみるけれど全く想像がつかない。
深刻な顔をしてしまっていたのだろう。金曜日が「ちょっとちょっと、そんなに考え込まないで」と笑いながら声をかけてきた。
「囚われてるって言っても、苦しみにのたうち回ってるわけでもないし、そこまで深刻な話じゃないから。それに、私はこの状況を変えてしまえる存在がいると思っていて、それがもしかしたらハルさんなんじゃないかなーって思ってるの」
「……え? 私ですか?」
突然自分の名前が出て来て驚いた私は、リアクションに少し時間がかかった。そんな私を他所に、金曜日は「ハルさんって呼び方はやっぱり他人行儀だし、ハルちゃんって呼んでいい?」と、いきなり距離を詰めてきた。タイミング的に今じゃない気がしたけど、笑顔で私を見つめる金曜日に「いいですよ」としか言えなかった。
「例えば、水曜日。水曜日は金曜日の魔女になる人を探して毎週水曜日に銀行に来てたけど、実は彼女はその前からずっと毎週銀行に来てたんだって。いや、銀行にというか、今私が働いている銀行がある場所に通ってたみたいなんだよね。理由は教えてくれないけど」
「そうなんですか。同じ場所にずっと通うなんて、何か目的がありそうですね」
「でしょう? 私が魔女になった後も、私のサポートという名目で必ず水曜日に来てくれてたしね。でも、今日は水曜日の代わりにハルちゃんが一人で来た。何百年も続けてたことをぱたりとやめるって大きな変化だと思わない?」
確かにそう言われるとそうだ。ずっと続けていたことを一気に止めるのは、慣れるのにも時間がかかるし、そこそこ労力を使う。きっと魔女だってそれは同じだろう。
「あとはね、月曜日。人見知りのあの月曜日が、ハルちゃんと会った日にお揃いコーデをしようとしたことも変化だと思うの。私、その話を水曜日から聞いた時本気でびっくりしたもん」
「そんなにですか?」
「うん、だって月曜日って本当に人見知りで、距離を縮めるのにかなり時間がかかったもの。あとは、魔女じゃないけど、今まで図書館として貸し出ししかしてなかったクマーラが本をプレゼントしたことも変わったことの一つかな」
月曜日にクマーラ、まさかこの二人に私が何か影響を与えたとは考えにくいけど、金曜日はすごく真面目な顔で話し続ける。
「まさか、って思ったでしょ? でも、そうなんだって。今まで変わることのなかったことって言うのかな、変わらないと思っていたことがいきなり変わり始めてるの。私も含めてね」
私も、ということは金曜日も何か変わったのだろうか? 気になって金曜日の目を見ると、慌てた表情で顔の前で手を振り「ああ、私のことはいいの。気にしないで」と流されてしまった。
「とにかく、ハルちゃんは魔女に変わるきっかけを与えているんだって。自分ではわからないかもしれないけど、ハルちゃんは魔女見習いになってどんどん自分自身変わっているし、周りも変えていってるの」
金曜日は私に微笑みながら「だからもっと自信持って大丈夫!」と言ってくれた。私はその言葉が嬉しくて、素直に「ありがとうございます」と礼を言った。
金曜日の話を聞いて、たくさん聞きたいことができた。でも、聞こうとした途端、私たちのテーブルのに大きなウツボが泳いできて「席がお時間となりました」と告げた。
ウツボの説明に従い、テーブルで会計を済ませて外に出る。もうちょっとお話ししたいなと思ったけど、金曜日に「ごめんね、やることがあるから私は戻らなくちゃ」と言われしまった。
無理に引き止めることもできないので、「また、お茶してくださいね」と言うと、金曜日は嬉しそうに「もちろん!」と言ってくれた。別れ際、金曜日が教えてくれた道順で歩くとすぐに家が見えて来た。
そんなに疲れていないと思っていた。でも、家が見えた途端、波のように疲れが押し寄せてきて、かなり消耗していたことに気がついた。
金曜日との時間は内容が濃密だった。内容が濃すぎて、いつの間にかケーキの記憶が薄くなっている。嬉しいことも言ってもらえたし楽しかった。けど、『魔女は囚われている』という言葉が、下された碇のように動くことなく胸の中に居座っている。