魔女見習い、銀行へ行く
急に暗くなったと思ったら、大きな大きなクジラが頭の上を優雅に泳いでいた。クジラの親子が二頭、お話ししながらゆるりゆるりと遠ざかっていく。今日は子どもクジラの誕生日のようだ。嬉しそうに話す子どもクジラに、お母さんクジラが温かい眼差しを送っていた。
「あの子、誕生日なんだ。おめでたい日だね!」
遠ざかる二頭を眺めていると、私と同じことを考えている人が前にもいた。いや、人じゃないか。私の前、濃紺の丸テーブルを挟んで向かい側に座る金曜日の魔女が、クジラたちに優しい笑みを向けていた。
今日、私は金曜日の魔女と海の中の喫茶店でケーキを食べている。
「私の代わりに行ってみる?」
水曜日の昼下がり、クマーラにもらったお菓子のレシピ本を読んでいると、師匠にいきなり言われた。代わりに行ってみるってどこに? 情報が不足し過ぎだと思う。
「ごめんごめん、今日私の代わりに銀行に行ってみない?」
私の心を勝手に読んだ師匠が補足説明をしてくれた。勝手に読むなよ、と思ったけれど、もういつものことなので私は諦めた。
「銀行って何しに行くんですか?」
「特に用事はないんだけど、そうね、とりあえず一万円をこの口座に預けてきて」
そう言うと、師匠は私に一万円札を一枚、それから預金通帳と『水曜日』の印鑑を渡してきた。
「銀行って本人以外は取引できませんよ?」
たしか銀行は原則として口座の持ち主以外は取引ができなかったはずだ。窓口に行って受付の人に断られるなんて恥ずかしいし、そもそも名前が『水曜日』の時点で怪しまれるのは目に見えている。
「大丈夫大丈夫! 金曜日がいるから安心して。そもそも、お金を預ける行為に特に意味なんてないの。金曜日の職場に顔を出すのが目的だからさ」
金曜日の職場に顔を出す。金曜日はきっと金曜日の魔女のことなんだと思うけど、魔女が銀行で働いているってどういうこと? あと顔を出すことが目的って? 私は師匠に説明を求めたけど、「行けばわかるから」といつものように流されてしまった。
師匠に言われた通り指定された銀行に向かう。金曜日の魔女がいる銀行は、たくさんの高層ビルが立ち並ぶ街中にある支店だった。自動ドアをくぐると、月末の給料日ということもあってか、ATMにたくさんの人が並んでいるのが見えた。
キャッシュレス決済が浸透しても尚、現金派の人はまだまだ多いようだ。順番を待つ人はざっと見ただけでも三十人は余裕で超している。私は長蛇の列を横目に発券機へ向かい、受付番号札を取って待合席で番号が呼ばれるのを待った。番号札は64番。3人待ちだった。
待合席は空いていて、3分ほど待つとすぐに私の番が来た。係の人の指示に従い指定された窓口に行くと、同い年ぐらいの女性が笑顔で迎えてくれた。
「初めまして、ハルさん。そろそろ来てくれるんじゃないかなーって思ってたの」
水曜日と書かれた通帳や印鑑を出して変な目で見られたらどうしよう、なんてどきどきしながら通帳を出したのに、そんな心配はいらなかったみたい。まだ何も言ってないのに私の名前を知ってるってことは、どうやらこの人が金曜日の魔女なんだろう。
金曜日の魔女は、私が師匠から一万円を預けてくるよう言われたことを説明すると、笑顔で対応をしてくれた。「本当はダメなんだけどね」と言う彼女の顔は、悪戯っぽい子どものように見えた。
「せっかくだし、一緒にお茶でもどう? 私、行ってみたい喫茶店があるの」
預け入れの手続きが終わり、私が帰ろうとすると金曜日の魔女が誘ってくれた。金曜日の魔女の年齢は、私とほとんど変わらないような気がする。金曜日の魔女からは、久しぶりに会った友人と話しているような、ちょっとした安心感を感じる。そういうこともあり、私は迷うことなく「是非お願いします!」と返事をした。
「じゃあ、早速行こう!」
金曜日はそう言うと、アクション俳優のように颯爽と窓口のカウンターを飛び越してきた。そして驚く私を他所に「さ! 早く行こう!」と歩き出した。
「あの、お仕事はいいんですか?」
お仕事中なのに抜け出していいのかな? 心配になって歩きながら聞いてみた。
「大丈夫大丈夫! ほら」
金曜日の魔女がちらりと振り向いて窓口を指差す。どういうことだろうと思い私も振り向くと、窓口にはもう一人の金曜日の魔女がいて、私に向かって笑顔で小さく手を振っていた。
「え、二人いる!?」
戸惑う私を見て、私の前を歩いていた金曜日の魔女は楽しそうに笑ってから「私は一人しかいないって。分身を置いてきたの」と説明してくれた。そうか、魔女なら分身もできるのか。便利なものだ。
「なるほど、そうだったんですね」
私は納得しなから、私もいつか分身ができるようになるのかな? と気になった。
人通りの多い大通りを金曜日の魔女と歩く。通行人が多いせいであまり話す余裕がなく、私は金曜日の魔女の少し後ろをついて行くのに必死だった。
金曜日の魔女は、見た感じはっきり言って魔女に全く見えない。まあ、師匠も月曜日の魔女も魔女に見えるかと聞かれるとそうでもないんだけれど、私が知る二人の魔女以上に私と近い雰囲気を感じる。
親近感を感じるのは服装や髪型の影響もあるのかもしれない。あとは分身に任せて仕事はあがる予定だと言う金曜日の魔女は、オフホワイトのシャツにネイビーのパンツスーツを着ていて、髪は黒に近い暗いブラウン。魔女というより金融系で働く女性っていう感じだ。まあ、実際に銀行で働いてるんだけど。
後ろ姿を追いかけながら色々考えているうちに人混みを抜け、私たちは古いビルの一階にある地下鉄の駅に向かう階段にたどり着いた。金曜日は「着いた!」と言うと私に「お店までもうすぐだからね」と言って階段を降り始めた。
金曜日の魔女に続いてしばらく何十段もの階段を降りる。しばらく降り続け、15回目の踊り場に着くと、金曜日の魔女は『関係者以外立ち入り禁止』と書かれた鉄扉の前で立ち止まった。
「ここですか?」
気になって聞いてみる。
「そう、ここなの」
金曜日の魔女は楽しそうに言った。そして指をパチンと一回鳴らすと扉がぎしぎしと重たそうな音を立てて開いた。扉の中は、照明がついていないのか真っ暗で何も見えない。
「すみません、二名いけます?」
金曜日の魔女は大きな聞きながら、真っ暗空間に踏み込んでいった。