魔法のレシピ本
クマーラからもらった本について、あれこれ師匠に聞いたけれど、その日は結局よくわからなかった。最後は「まあ、作ってたらそのうちわかるから大丈夫!」と言って、師匠は出かけてしまった。
あの日から一か月ほど経った。相変わらずレシピは読めないけれど、わかったこともある。それは作れるレシピは増えていくということだ。
師匠が出かけた後、最初のページのシフォンケーキを作ってみた。シンプルなレシピながら、焼いた自分が言うのもなんだけど美味しかった。甘さ控えめの生クリームをつけて食べると、ほどよいしっとり感が口の中に広がり、美味しくてついつい手が伸びる。あと一口、あと一口だけと思いながら食べていると、気がつけばケーキは跡形もなく姿を消していた。
一人でケーキを食べた結果、どしんと胃に来るものがあった。胃もたれではない、これはただの罪悪感。無視するにはちょっと存在感が強すぎるほどの。
口の中に残った微かな甘さをコーヒーで流してから、師匠にも食べてもらうため、私はすぐに二回目のシフォンケーキ作りを始めた。
せっかくもう一度作るなら、ちょっとアレンジしてみたい。色々悩んだけど最終的にモンブランのようにマロンクリームを添えることにした。
マロンクリームの作り方が本に載っていたらいいなー、なんて思いながらレシピ本のページをめくると、『おすすめのアレンジレシピ』なる今の私にぴったりなタイトルが目に飛び込んできた。
「こんなページあったっけ?」
何度も本を見ていたけどこんなタイトル見た覚えがない。見落としていたのかな? ありがたいことにマロンクリームのレシピも載っていたので、私は早速作ってみることにした。
マロンクリームの材料は簡単に手に入った。レシピを見て、師匠みたいに指をパチンと鳴らしたら、材料が音もなく作業台の上に現れたのだ。
なるほど、私もどうやら魔法が使えるようになってきたみたい。なんとなくできそうだなと思ったらできたので、それほど驚くこともなかった。ただ、魔女見習いっぽいことがやっとできたなあと、私は安心していた。
でも、魔法のレベルはまだまだのようだ。マロンクリームを作ろうとして気がついたのだが、材料はちゃんと揃ったけど、量の調整ができておらず、マロンペーストだけ必要量の3倍の量が出てきていた。
マロンクリームの出来は上々で、師匠にも満足してもらえた。食後にレシピ本に見覚えのないページが現れたこと、マロンクリームの材料を魔法で出せたことを報告すると師匠は「もうできちゃったの?」と驚いていた。
「そっかー、まだ少し先かなあと思ってたけど、もうできるようになったんだ。おめでとう! また魔女に一歩近付いたわね」
私は「ありがとうございます」と言いながら、師匠が我が子の成長を喜ぶ母親のように言うので、なんだか照れ臭くなった。こんなふうに褒められるなんていつぶりだろう。少なくとも社会人になってから経験した覚えはない。嬉しくて温かい気持ちが胸を満たす。
「そうだ、マロンクリーム作ってからレシピ本見た?」
思い出したかのように師匠に聞かれた。
「いいえ、見てないでけど、なにかあるんです?」
質問の意図がわからない私は首を傾げる。
「見てみるといいわ」
師匠に言われるがまま、テーブルの端に置いていたレシピ本を広げると、私は目を疑った。シフォンケーキのアレンジレシピの載ったページが無くなっていたのだ。
「え? どうして?」
私は戸惑いながらもページをめくり続ける。でも、やっぱり見たはずのページがない。そして、さらに驚いたのが、シフォンケーキのレシピの他にコーヒームースとかぼちゃプリンのレシピが読めるようになっていたことだった。
新しいレシピが読めるようになったことは嬉しい。しかし、また新しい疑問が生まれた。コーヒームースも、かぼちゃプリンも、今まで載っていた記憶がないのだ。シフォンケーキのアレンジレシピを見た時も思ったけれど、やはり見覚えのないページが増えている気がする。
私は答えを求めて師匠を見た。すると、師匠はにこにこと嬉しそうに笑いながら「ハルが思った通り、このレシピ本は内容が変わってるわよ」と言った。
「この本はね、持ち主の成長に合わせて読めるページが増えていくの。魔法の本によくあることよ。ただ、その成長ってのが本それぞれでね、人間性の時もあれば、何かのスキルの時もあるし、単に年齢の時もあるから一概に何か言えないのよね」
師匠は「クマーラも魔法の本をおすすめするなんて、粋なことするわねえ」なんて言いながら笑った。
「じゃあ、今回読めるページが増えたのは?」
「ハルが何か成長したってこと」
「なるほど……でも、名前すら見た覚えがないレシピが増えたり、アレンジレシピが出てきたり消えたりしてるんですが?」
「レシピが増えたのは成長したからよ。そういうケースもあるわ。そのレシピもハルなら作れるだろうって本が認めたから出てきたの。あと、アレンジレシピが出てきたり消えたりするのはきっと……」
「きっと?」
「本の気まぐれでしょうね!」
師匠はそう言って楽しそうに声を上げて笑った。本の気まぐれ、そんなことあっていいものなのかと私は衝撃を受け、笑う師匠をただただ見つめていた。
本の気まぐれに振り回されながらも、私はレシピ本を読み続けた。そのおかげで作れるレシピは7つになり、本ももらった時よりも少し分厚くなった。本の厚みまで変わるなんて、魔法の本は本当になんでもありである。
ベイクドチーズケーキは、5番目に読めるようになったレシピだ。どのレシピのお菓子もすごく美味しいけれど、今のところベイクドチーズが一番好きだ。先週作った時、少し焼き色が付きすぎてしまったので、今日はうまくいけばいいなと思っている。
「あとどれくらいで焼けそう?」
オーブンを眺めていると、ソファーの方から師匠の声がした。
「あと10分ほどで焼けますよ」
「ほんと! 早く焼けないかなー」
声の主を見ると、女の子のような可愛らしい顔で目をキラキラさせながらこちらを見ていた。
「焼けますけど、食べるのはちゃんと冷やしてからです」
「えー、焼きたても美味しいじゃないの」
口を尖らせる師匠は私よりもかなり年上のはずなのに、どう見ても年下にしか見えない。
「ダメです」
「そこをなんとか!」
ふと、複数の視線を感じた。よく見ると視線は師匠のさらに後ろから来ていた。白猫のカルテットが演奏しながら物欲しそうにこちらを見ている。
「じゃあ、ほんの少しだけですよ」
「やったー!」
子どものように喜ぶ師匠。その後ろで上機嫌で演奏をするカルテット。家の中に流れる音色が明らかにさっきよりも楽しげに聞こえるのは、きっと気のせいじゃないと思う。