豆腐の街の二大勢力
「どうして誰もいないの?」
さっきから歩けども歩けども、一向に誰もいない。いや、誰もいないどころか何もいない。人もいないし動物もいない。人でも動物でもない、私がまだ名前を知らない何かもいない。白い街に動くのは黒い猫とレインコートを着た私だけ。風もなく音もしない。
「どうしてって、みんな忙しいんですよ」
「忙しい?」
「みんなどっちが美味しいかを決める会議に夢中なんです」
「どっちが美味しいか?」
黒猫は私の方を見向きもせずに歩き続ける。どうやら黒猫はこの街について詳しいみたいだけれど、私にはまだこの街のことがさっぱりわからない。決めるって何を決めるんだろう。
「この街では、木綿豆腐派と絹ごし豆腐派の二大勢力が対立していて、毎日どっちが美味しいかを話し合っているんですよ」
「二大勢力の対立……」
黒猫はゆっくり立ち止まると、「ほら、あの白いドームが見えるでしょう? あそこで会議が行われてるんです」と言って、はるか前方に見える白いドーム球場みたいな建物を右の前足で差した。あのドームも豆腐でできているのかな? 私はドームの中にたくさんの人が所狭しと並んで、やいのやいのと自分の好きな豆腐を熱弁する光景を想像した。
私は木綿豆腐も絹ごし豆腐も好きだ。それぞれに特徴があって、どちらが優れているなんて決められるもんじゃないような気がするんだけど、豆腐の街の住民はそれを決めようとしているのだろう。でも、それってどうやって決着するんだろう?
「まあ、どっちが美味しいかなんて好みの問題だから、ずっと決着がつかないんですけどね」
前を歩く黒猫が小さなため息をつくのが聞こえた。でも、ため息をつきたくなる気持ちもわかるような気がする。
「でも、最近新たな動きが出始めたんですよね」
「新たな動き?」
「今まで少数派だったおぼろ豆腐派とソフト木綿豆腐派の二つの派閥が手を組んで、第三勢力として発言権を強めようとしているみたいです」
「おぼろ豆腐派とソフト木綿豆腐派……その動きはうまく行きそうなの?」
「まだわかりません。そもそも手を組むって言っても二つとも異なる豆腐なので交渉が難航しているみたいです」
「なるほど……」
たかが豆腐、されど豆腐。どの豆腐が一番美味しいかだなんてどうだっていいじゃないと思うけれど、この街の住民にとっては大きな問題なんだろう。黒猫の話を聞く限りではまだまだ決着しそうにないなと思った。
「ここが街の中心です」
大きな広場にたどり着いた時、黒猫が振り向いて教えてくれた。円形の広場の真ん中には大きな噴水があり、広場からは放射状に道が広がっている。噴水から出る水は白っぽく見えるので、豆乳が出ているのかもしれない。そんなことを考えていたら、黒猫が「あの噴水の水は豆乳なので飲めますよ」と教えてくれた。
「飲んでいいの?」
「はい。でも、飲むには容器を持参しなきゃいけないんですが……」
黒猫はじーっと私の持つバケツを見ていた。コップなんて持ってきてないけど、流石にこれで飲むのは気が憚れる。私は「また今度にするわ」と言って諦めた。
「その方が良さそうですね」
黒猫はうんうんと頷きながら言った。
広場の隅っこに水道があった。公園にあるような1メートルほどの高さの四角い柱に蛇口が付いているシンプルな水道で、黒猫の指示に従いそこでバケツに水をくんだ。最初はここからも豆乳が出てくるんじゃと思ったけれどそんなことはなく、透き通った普通の水が出てきた。
「くみ終わったよ」
バケツに水を半分ほどくみ黒猫に報告すると、黒猫は「ちょうどいいタイミングですね。ほら」と空を見上げた。黒猫に倣って空を見ると、上から四角い小さな塊が降ってきた。しゅるしゅる、しゅるしゅる。回転しながら降ってくる小さな立方体は白い豆腐だった。豆腐は地面に落ちると音もなく地面に吸い込まれていく。
「落ちた豆腐が消えていく……」
物理原則を無視し過ぎだろ、なんて思ったけれど豆腐で街ができている時点で、もう私の知っている物理原則なんて全く当てにならないことに気がついた。
「降ってきた豆腐は街の一部になるんです。街はどんどん大きくなっていってるんですよ」
黒猫は私にそう言うと、降ってくる豆腐を食べ、「うん、やっぱり今日の方が美味しい」と言って満足そうに笑った。
「街がどんどん大きく……」
降り注いだ豆腐がぽこぽこと新しい家になったり、道になったりする光景を思い浮かべてみたけど上手くいかなかった。私は実際はどんなふうに街が大きくなっていっているのか見てみたいなと思った。
水を張ったバケツで豆腐を受ける。
ぽしゃん、ぽしゃん
音を立てて着水する豆腐を見ているとなんだか楽しくなってくる。最初はなかなか上手くキャッチできなかったけれど、コツを掴むと案外簡単に豆腐をバケツに入れることができるようになった。自分の思い通りに豆腐がバケツに入っていくのが嬉しくて、調子に乗って私はどんどん豆腐をキャッチし続けてた。
「そんなに拾って重たくないんですか?」
黒猫に言われて気がついた。夢中になって豆腐をキャッチし続けていたらバケツの中は豆腐でいっぱいになり、かなりの重量になっていた。
「重たい」
「でしょうね」
バケツいっぱいになった豆腐を見てどうしようかなあと思っていると、足元から「豆腐ハンバーグが食べたいです」と声がした。見るといつの間にか黒猫が足元に寄ってきてキラキラした目で私を見つめている。さっきまで一切そんな表情を見せなかったのに、なんだかずるい。
「豆腐ハンバーグが好きなの?」
「ひじきが入ったのが好きです」
こいつ……そんな細かい好みなんて聞いてないのに。私は少し引っかかったけれど、そんなことなんてすぐ気にならなくなるぐらい可愛い顔で見つめられてしまい、私はすぐ今夜の夕飯のメインを決めてしまった。
「夕飯のメインディッシュは豆腐ハンバーグにするとして、あとは何を作ろうかなー」
私は豆腐がたくさん入ったバケツを見ながら頭を巡らせる。師匠が好きな豆腐料理はなんだったかな……リクエストがないか聞いてみなくちゃ。