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第五章 罪の波紋

第五章 罪の波紋




 レイリン大陸は地図上では右斜め上辺りに位置する大陸で、八大陸の中では一番面積が小さい。森や谷が多く、狩猟と漁業の両方で栄えることでは有名だ。特にこの大陸の周辺は季節を問わず魚の群れが多く、魚といえばレイリン、という言葉があるほどである。

 北と南にそれぞれ大陸を代表する大きな港があり、人はこれを二大港と呼んでいる。その二大港の内、北のアインスから上陸し、一行はレイリンに到着した。

 レイリンは冬の雨期を迎えていた。息を吐けば白い塊となって大気に溶ける。

「寒いね」

「そうね。ほらフードちゃんとかぶって」

 セシルはリスレルのマントに手を伸ばしてフードをかぶせてやった。

「倒れたお友達っていうのはどういう人なの?」

「随分慌てていらしたようですけど・・・」

「・・・うーんと・・・おじ様の若い頃からのお友達。というより、うーん・・・ちょっと難しいなあルーディさんとおじ様の関係・・・」

「学友?」

「うーん。えーと・・・だから、おんなじ勉強をしてて、自分はこれについてこういう意見、でも私はこういう意見だって論争する人たちっているでしょ」

「いわゆる論敵ね」

「そうそう。そういう関係かな? でもすごく仲が良くてね、悪友・・・というかなんというか」

「わかるわかる」

 セシルは歩きながらうなづいた。霧のような雨が、彼方で微かに聞く波のような音をたてて降っている。途中で馬車に乗り、三時間ほどしてまた徒歩になり、しばらく歩くと山の中だった。

「・・・・・・・・・」

 フードに隠れてたディアスの表情が堅くなったことになど、誰も気が付かない。

 山は深く、二時間ほど歩いた所に樹が茂っている場所を見つけた。ここだと枝葉が厚く雨も霧雨だということもあってか、濡れないで済む。一行は一旦ここで休憩することにした。思えば朝からずっと歩き詰めだ。アリスウェイドはナタリアのやれやれ、という疲れた声でやっと気が付いたのだろう、申し訳なさそうに、

「・・・これは・・・すまないことをした。夢中で」

「いいっていいって。あんたの私用だってのを承知でついてきてるんだもん、あたし達はさあ。文句なんか言えないって」

「大切な友達なんだね」

 ナタリアに続いてジェルヴェーズも珍しく口元に淡い笑みを浮かべて言った。しかしジェルヴェーズの場合口調はさらっとしていて、いかにも他人事だ。

「ふう」

 リスレルもフードを外して雨滴を払った。少し疲れた顔をしているのが気になるが、雨のせいだろう。ガラハドとヴィセンシオが並んでリスレルの横に立ち、そこから見える眼下の風景を楽しんでいる。

「すごい景色だな」

「もう少し天気が良ければもっときれいでしょうねえ」

「でもこういうのもきれいだ」

 こうして並んでみると、同じ金髪でも全然違うというのがよくわかる。

 リスレルの金髪は、濃いはちみつのような金だ。秋の稲穂のようなきらきら光る、砂金のような金髪。

 ヴィセンシオの金髪はもっと淡い。どちらかというと春や夏に、陽射しを受けて反射する湖面のさざ波のような金だ。

 ガラハドの金髪は、なんというか、淡いというのも違う、独特の色である。プラチナブロンドのようにも見える淡い淡い色で、ヴィセンシオでいう淡いとは全く類が違う。雪国の早朝の光のようなとらえ所のない金色である。それは金色というよりは、白金に近い。

 そう、月のような色、というのが妥当なところだろう。もし彼の肖像を描くはめになる画家は、髪の色で相当苦労するに違いない。

「さあそろそろ行くか」

 三十分ほどして一行はまた歩き始めた。日暮れも近くなってきた頃である、リスレルは身体の調子がおかしいのに気が付いた。

(・・・あれ)

 なんだか身体が熱い。それに、視界がぐらぐらする。足場が悪いというわけではない、ふらふらするのだ。息切れがして。

「・・・・・・・・・」

 気のせいだろうと最初は思った。なにしろ雨だし、体調が狂っても仕方がない。しかし三時間ほども歩き、日がとっぷりと暮れた頃・・・

「―――――」

 リスレルは音もなく倒れた。

「リスレル!」

 少し後ろを歩いていたサラディンは慌てて助け起こそうとしたが、アリスウェイドが先だった。

「う・・・」

「・・・熱がある。風邪だ」

 アリスウェイドは眉根を寄せて言った。おや・・・ジェルヴェーズは思う。この男が、こんな顔をするものなのか。

「こっちもだ」

「え?」

 ナタリアが後ろを見ると、ガラハドがエストリーズを支えている。顔色が真っ青だ。

「ちょ、ちょっと・・・大丈夫なの?」

「身体が熱い。リスレルと同じようにやられたな」

「クロム、抱えて」

 セシルがクロムに言うと彼は黙ってエストリーズを抱え上げる。身体の大きなクロムからすれば、こんなことは朝飯前だ。

「参ったな・・・」

 誰かの呟き。立ち篭める沈黙。日は既に暮れ、山深くまで入ってしまっている。進むことも留まることもできない。雨は激しくなり、寒さに震えながらも熱を発する病人が二人もいる。

「------------------」

 すると、それまでずっと黙っていたディアスが、---------ずっと黙っているのはいつものことなのだが、なんというか、重苦しいものに遮られでもしているかのように黙っていたディアスが---------初めて口を開いた。レイリンに上陸してから、口をきくのは

これが最初であった。

「・・・ここから少し行った所に村がある」

 一行はいっせいに彼を振り返った。彼は目を背けていた。

「そこで休めばいい」

 言うや、ディアスは案内でもするかのように歩きだした。確信に満ち、早い、慣れた足取りは、彼がこの辺りを歩くのが二度や三度ではないということを暗に表わしてもいた。

「ちょっとどういうこと?」

 ナタリアはセシルに囁いた。

「この辺に村があるなんて聞いたことないよ」

「私もよ」

 セシルは固い表情で言った。なんだろう・・・ディアスのあの思い詰めた顔。初めて見る。

 ザザザザザ・・・

 ディアスが両手で茂みを掻き分ける音がした。枝葉に苛まれ雨滴を体中に受けながら、それでも一行はディアスを必死で追い掛けた。指の先が冷たくなり、しぶきのような木々の露で全身を濡らし、所々に葉をつけて、彼らはディアスの背中を見失わないように歩き続けた。大分森の深くまで行っている。

「一体どこまで・・・」

 サラディンが言いかけた時、突然視界が開けた。

 村だった。

 木で造られた普通の家々がいくつも立ちならび、煙突からは煙が、窓からは明かりが洩れている。

(ん?)

 ナタリアは妙な違和感を覚えた。なんだか、居並ぶ家のどれもが、新しいように見えるのは気のせいだろうか。その割に村そのものが新しいという空気はなく、この風景とぴったり一致して、既に風景の一つとなっている。

 ディアスが大きな建物に向かうのが見えた。酒場だろう、看板が見える。

 バン!

 ディアスは苦々しい思いで扉を開けた。乱暴な振る舞いに、訝しげに振り向いた村人の誰もが次の瞬間凍りつく。ディアスの顔をみとめて、動きが止まり声もない。

「ディ・・・ディアス・・・・・・」

「------------------・・・お、おま・・・え・・・・・・」

「---------病人がいる。宿を貸してほしい」

 村人たちは顔を見合わせた。次の瞬間ディアスの後ろ・・・表から声がする。

「ディアス! ちょっと手伝ってよ」

 ディアスが振り向き、そして消える。そしてまた再び現われる、黒髪の娘を抱えて。

「おい大変だ・・・女たちを呼んでこい!」

「湯を沸かせ!」

「部屋を!」

 村中が大騒ぎとなった。病人だ。病人が二人もいる。そして---------そして。

 ディアスが---------ディアスが帰ってきた---------!





「二人とも風邪ですね。一週間ほど休めばよくなるでしょう」

 二人の具合を診たヴィセンシオが部屋から出てきた。元僧侶として、簡単な薬草の知識くらいはある。

「もしかして脱がせたんじゃないだろうな」

 サラディンの声に呆れて言い返す、

「そんな真似しませんよ医者じゃないんだから・・・ちょっと脈を計る程度です」

 そう言ってから、セシルたち女性陣をちらりと見た。

「足止めね」

 ナタリアが腕組みして言った。アリスウェイドは無表情に言う、

「仕方あるまい」

 なにかを思う顔。病気の友人か? 違う。なんだこの自分を責めるような顔は。ガラハドは腕を組みながら、聖位剣天の男の表情を伺う。

「とにかく下に行こう」

 一行は酒場になっている一階へ降りて、温かい食事と酒を思う様口に運んだ。

「君のおかげで助かった」

 アリスウェイドが口火をきった。ディアスはちょっと顔を上げ、それからまた元のように食事を続ける、聞こえなかったかのように。周囲の村人は、滅多に来ない旅人への奇異の眼差しか、それともディアスに対する気後れの視線か、とにかく彼らを遠巻きにして見

守るだけだ。

「知り合い・・・なのか? 随分互いに親しげというか・・・知っている風だな」

 ディアスはサラディンをじろりと見上げた。そして食事もまだ終わっていないというのに、雨が降っている建物の外へ出ていってしまった。びくりとたじろいだサラディンだったが、そんな彼の態度に逆に怒りを覚えた。

「な・・・なんだよ! ただ知り合いなのかって聞いただけじゃないか。どこがいけないっていうんだよ・・・そもそもここに案内したのは奴なんだぞ!」

「まあまあサラディン」

「いつもああだ。いけすかない奴!」

 ぷりぷりに怒ったサラディンをなだめるのはヴィセンシオくらいだ。いつもなら誰か必ずフォローするところだが、仲間たちは今その余裕もない。

「そういえばそうよね」

「ここに村があるって知ってた風だったよ」

「それに上陸してから少し様子が変だった」

「うーん・・・これは・・・・・・なにかありますねえ」


 仲間たちの言葉を、村人たちはしかし、黙って聞いていた。誰も口を挟む勇気などなかった。

 ディアスが、今のようになった理由を知っていたから---------。



 アリスウェイドはその夜、リスレルの様子を見に部屋まで行った。最初同じ部屋だったエストリーズは、病人が狭い部屋に一緒にいるとよくないという理由から、向かいの部屋に移されていた。まあそれは単なる理屈で、こうしてリスレルにだけ用事のある場合、エストリーズがいては何かと迷惑をかけてしまうだろうという配慮からであった。

「・・・」

 そっとベットに座って、アリスウェイドは血のつながっていない姪の様子をそっと伺った。熱がまだ下がっていないせいか、息が荒い。霧の道を歩いたあとのように、細かい汗が額に浮き髪の毛がはりついている。アリスウェイドはそっとそれをかきわけると、リスレルの顔を見て沈鬱な顔になった。それは、普段人前では絶対に見せることのない、聖位剣天のアリスウェイドではなくただの人間としてのアリスウェイドの顔であった。人なつこくはあるが掴みどころがなく、誰にも本心をのぞかせないアリスウェイドは、今はリス

レルの前くらいでしかその真の姿を見せることはない。

 リスレルが苦しげに息を吐いた。

 アリスウェイドはそっと息をつく。その瞼に柔らかく指をおき、リスレルの顔をのぞきこむ。

 ---------済まないことをした。

 アリスウェイドの瞳がスッと細められる。濃緑の瞳には微かな苦悩すら見られる。

 自分はいつもこうだ。アリスウェイドは拳を握る。いつもいつも---------自分のことに精一杯で、リスレルに気を遣う余裕がない。リスレルをあの修道院に迎えに行ったのは他ならぬ自分なのに、それだけの責任を果たしたというのだろうか。あのままあの修道院にいた方が、リスレルにとっては平穏な生活を続けられたはずなのに。そして彼女の平和と引き換えほどのものを、今の自分が与えられているとは、アリスウェイドには思えないのだ。

 しばらくリスレルの様子を見ていたアリスウェイドであったが、やがて息を一つつくと立ち上がって部屋を出ていった。すぐ近くの空間から、様子を伺う誰かがゆっくり、ゆっくりと近付いていることにも気が付かずに---------。


 エストリーズとリスレルの回復には一週間かかった。その間、ディアスは仲間と共にいることもなく、まただからといって村人と何かを語るわけでもなく、一人で一日中表に出掛けては、夜になって帰ってきた。雨は村に到着して三日後にようやくやみ、今はまっ青

な空が広がっている。毎日毎日、ディアスはいずこかへ出掛けているようだった。天気や時間など関係ないようだった。仲間たちは日中することがないので、それぞれ自分の剣の鍛練や魔術の勉強などをしていたが、ディアスが帰ってくるたび、その青い瞳の奥深くに

しまわれていた影、彼の心に重くのしかかる影のようなものが、濃く大きく、その翼を広げているように感じられて、何も言うことができないでいた。

 リスレルの回復はエストリーズより三日ほど遅かった。エストリーズは完全に体調を戻して、いつものディアスとはまったく様子が違うということに気が付いて、ひどく案じていた。止しておいた方がいいよ、というナタリアの言葉も聞こえないかのように、ディア

スを見つけては、心配そうに声をかけている。彼が一人になりたそうな時は放っておいたが、そうでないときは、いつものような粘り強さで側にいた。

「エストリーズってすごいよね」

 食事を続けながらナタリアは感心したようにセシルに言った。窓の外では、ディアスに何か冷たいことでも言われたのだろう、置いていかれてしゅんとしている彼女が見える。

「まあね・・・リスレル達と出会う前もあんな感じだったわ。どんなに冷たくあしらわれてもめげないでね。あの娘の凄いところは、ただしつこくつきまとうだけじゃないってことかな。ディアスが本当に一人になりたい時は、鋭く察知して放っておくの」

「ふーんさすが」

「ふふふ・・・そうね」

 セシルはちらりと戸外のエストリーズの様子を見た。空を見上げて、星の数を数えている。

「アリスウェイドは」

「リスレルの部屋でしょ」

「ふーん・・・なんか・・・優しいよね」

「・・・そりゃたった一人の肉親だからでしょ」

「血はつながってないんじゃなかったっけ」

「そうだけど一緒に過ごしてきた時間は他人の線を越えるわ。弟として暮らしてきた人の娘ならなおさらなんじゃないの?」

 ナタリアはうーん、と唸ったまま、そのことについてはもう興味をなくしてしまったようだ。話題を別のものに移してしまった。

 しかしその時アリスウェイドはリスレルの部屋にはいなかった。冒険の仲間を率いる責任者として彼は、日中剣の鍛練をする以外にも色々としなければならないことがある。この時は地図を広げ、この村のだいたいの位置の確認と、雨に邪魔されずにこのままルーディルトのいる小屋のふもとの街までどれくらいかかるか、その間の賃金や食事の心配などに一通り頭をめぐらせていた。時刻はちょうど夕方、いわゆる『逢魔が刻』という時間で、冬のどんよりとした雲、日中散々雨を振らせていた重苦しい雲の向こうから、ぞっとするほど血の色をした夕焼けが見え始めていた。


 ォン・・・・・・


 空間が、微かに鳴った。薄闇たちこめる部屋。安らかに眠るリスレルのちょうど足元辺りは、衣類を入れる箪笥が置かれている。その箪笥の側は既に完全な闇である。部屋の隅というのは、とかくこうした暗闇が生まれやすい。


 ゥ・・・ゥン・・・


 唸る空間。歪む暗闇。そこにはないはずの何かが、遠い遠い、気の遠くなるほど遠いどこかから、現われようとしている。苛々するほどゆっくりと、それは遠いがゆえに、ゆっくり、ゆっくりと。そして確実に。



          見つけた



 オ・・・ン・・・・・・



          見つけたぞ 紫の石



 ゥゥ・・・ン・・・・・・


 不穏な唸り。ひずむ闇。



          そしてそれを自在に操る・・・ 娘



 グ・・・・・・ゥゥ・・・ン・・・



          もう少し・・・ 今少し



 カチャ、という突然の扉が開く音に、しかし気が遠くなるほどの時間と手間をかけて顕現しようとしていた空間は、突然フッと消えた。しかし完全に消えた、というわけではない。なぜならアナンダの意識は、すぐそこまで訪れていたからだ。しかし意識だけを飛ば

しても実体を持つものに触れることはできない。だからこそこうして空間をひずませてやってこようとしたというのに、あれだけの時間をかけたというのに、

 せっかく・・・あの娘が深い眠りにとらわれている間の好機だったというのに。

 歯噛みするアナンダの意識は部屋の天井辺りを浮遊している。誰だ。誰が入ってきた。

 今なら・・・彼の意識が飛ばされて間もない今なら、並みの人間くらいならば吹き飛ばすことなど造作もない。アナンダは詠唱を意識した。

 しかし、入ってきたのは他でもないアリスウェイドだった。それを目にして、アナンダの意識は目に見えて萎縮した。ただの男ではない、聖位剣天の称号を持つ男だ。この男が本気になって剣を一振りすれば、大陸など両断されてしまう。意識だけの肉体がない今、この男に勝つ術など九割アナンダが有利な状態にあるとしてもまず無理だ。この絶好の機会に、アナンダは指をくわえて退散しなければならなくなった。狙った獲物が目の前に無防備な状態でいるというのにむざむざ諦めなければならないこの無念・・・。しかし仕方がない。相手が悪すぎる。しかしまだチャンスはある。なぜなら、ようやくこの娘のオーラをとらえ、そしてこの一行の動きを掴んだのだ。もう水晶玉からでも充分に監視することができる。獲物が大きければ大きいほど、準備は入念にしなければ。

 アナンダの意識は砂糖が熱湯に溶けるかのようにスッと消えた。

 もうそこには、ひずんで顕現しかけた別の空間の痕跡も、飛ばされたアナンダの意識も微塵も存在しなかった。

「・・・・・・」

 アリスウェイドはベットにそっと座った。リスレルはしばらくすうすうと安らかに眠っていたが、やがて見守る気配に気付いたのだろう、静かに目を開けた。

「・・・」

「気が付いたかい。気分は?」

「・・・」

 リスレルは額に手をやって何か考えていた。長く眠っていたせいか、頭がまだよく働かない。

「・・・いいみたい」

「それはよかった。あと二日も眠れば本調子になるだろう」

 アリスウェイドが言葉を切ったのでリスレルは顔を上げた。どきりとする。

 私・・・やっぱりおじ様が好きだ

 顔が熱くなる。錯覚だよ、と言われてもいい、ずっと一緒にいるから、側にいる異性が彼だけだから・・・そう言われてもいい。だって自分にとってそれは錯覚ではないから。もし本当に錯覚や、ずっと側にいることから生じる思い込みだったら、こんなに顔も身体も火照らないのではないかと思う。証拠に、あれだけ魅力的な異性が次々と仲間になっても、リスレルには関心が沸かない。人間としてはとても興味のある者たちばかりだが、異性としてはなんとも思わないのだ。人間的に魅力のある男なら、少しは異性として惹かれてもいいはずだが、それがない。それはアリスウェイドの前ではかすんで見えるとか、そういうものではない。彼らは彼らでアリスウェイドにはないいくつもの魅力がある。ただリスレルには関心がないだけのことなのだ。

「すまないことをしたね」

「---------え?」

「周りを見ないで自分だけ先走って---------結局君が疲れていたことにも気が付かなかった」

「おじ様・・・」

「君が小さい頃からそうだった。相手のことを考えずに・・・」

「それは違うわおじ様」

 リスレルは遮った。

「おじ様は先走ってなんかいない。ルーディさんが病気で倒れたんなら、私だって慌てるよ。ちょっと前から疲れてたのに・・・自分でうまくコントロールしなかったのがいけないんだもん。おじ様悪くないもん」

「リスレル・・・」

「だから・・・」

「もういいよリスレル」

 今度はアリスウェイドが遮った。口元が微かに笑んでいる。

「君の勝ちだ。わかったわかった。もういいから、休みなさい。そんなに興奮したらまた熱が上がる」

 リスレルの居住まいを直して、アリスウェイドは立ち上がった。リスレルの言葉は気休め程度だったが、それでも彼にとってはそれが有り難かった。

 その為にリスレルと一緒にいるような気すらしていた。





 リスレルが回復して、一行は改めて地図を広げ行程について話し合った。相変わらず、日中は霧のような雨が降りしきっていたが、夜にはどんよりとした雲も晴れ少しずつ星空が見えるようになっている。食事が終わってしばらく休憩し、自分の部屋に戻って着替え

たりもの思いに耽ったりして、しばらくしてからまた酒場に降りてきてそして話し合いを始める。しかしその席にディアスはいなかった。表に出る時セシルが話し合いがあるからと言って止めたのだが、すべて任せる、そう言い残して、また出掛けてしまった。

 話し合いが終わって、さあそれでは明日発とうということが決まり、やれやれと全員が酒を飲み始めた時である、エストリーズが遠慮がちに口を開いた。

「・・・・・・あの・・・ディアスは・・・一体どうしたのでしょうか・・・。この村に来てから---------わたくしは最初の方は知りませんけれども、でも・・・やっぱり様子がおかしいというか・・・なんだかいつものディアスではないような気が」

 仲間たちは顔を見合わせた。そう、そうなのだ。誰もが恐ろしいような気がして言い出せず、見えないふりをして暗黙の了解となっていたその封印が、エストリーズの一言でふっと解けた。

「彼はいつもああよ。と言ってしまえばそれで済むんだけどね・・・」

「俺はあまり彼と過ごして長くはないがそれでも様子がおかしい。普段はなんというか、ただ無口でいるようにしているというか・・・自分を追い詰めてそれを罰として甘んじて受けているかのようだったが---------今はもっと深刻だ。深い深い影みたいなものが包み込んでいるかのような」

 おや、とナタリアは秘かに感心する。この男は、女にだらしがないだけのどうしようもない男だと思っていたが。

「そうそうそんな感じだ。あんた観察力あるなあ」

「おかげさまでね」

 サラディンの言葉に苦笑してガラハドは返す。

「そうですね・・・確かに最近のディアスは様子がおかしい。そうちょうど・・・このレイリン大陸に上陸して・・・からでしたね」

「---------」

「---------」

「・・・一体・・・」

 エストリーズが呟き、重い沈黙が立ち篭めた時、それをずっと聞いていた村人が、やおら話し掛けてきた。

「お話しましょう」

 それは杖を持った老人だった。彼はディアスがこの村に仲間たちを連れて来た時にもいたし、毎日同じ席にいて、ディアスの様子や、回復してから向こうのエストリーズの振る舞いから、彼女のディアスに対する想いもすべてわかっているかのようだった。 

「ディアスはこの村出身なのです。その辺はご想像もついたでしょうが・・・あれがこの村を出るようになった経緯、そしてあのように自分自身に影を落とすようになってしまったのには、理由があるのです。それにはこのじじいの昔話に付き合ってもらわねばなりま

すまい」

 そうして老人は勧められた椅子に座り、天井辺りを見上げて、あの日のことを思い出すかのような遠い瞳になって話し始めた。

「---------あれは何年前のことだったか・・・もう---------・・・八年ほども前になるか---------・・・・・・ディアスが十八の時の話だ」



 ディアスは当時---------恋人がいた。ミライアという名前の、緑の瞳と、黒い髪の娘だった。ディアスより一つ年下で、素直で笑顔の印象的な、明るくていい娘だった。ディアスは彼女のことを心から愛していたし、ミライアの心も同じだった。

 この辺りには神話があって、それは森の王さまの神話だった。

 森の王を継ぐ者は、妃を迎えた夜、するべき儀式がある。それは強く抱き合うことだ。

 それだけならば人間のそれと大して変わりはないのだが、彼らの場合違うのは、抱き合いながら一番高い建物の最上階から飛び降りるということだった。この時、相手が自分を抱きしめるのと同じくらい、自分も相手を抱き締めていないと、地面に衝突して死んでし

まう。しかし双方が、相手が自分を抱き締めているのと同じくらい強く相手を抱き締めれば、地面はベットのようにふかふかで、落ちた拍子に地面でバウンドし、そのまま星まで飛び上がっていってしまうのだ。そして二人で星のかけらを取って、また戻ってくるとい

う神話である。

 ディアスとミライアはよく小さい頃からその神話を聞いていた。二人の最も愛する神話であることに、長じて尚も変わりはなかった。そして二人とも、お互い口にはしなかったけれども、王と妃が相手を信じてぎゅっと抱き締める、それを相手に対する愛というのなら、きっと地面に衝突などしないと思う、それほど相手のことを愛していた。二人の仲は小さな村の中では公認で、剣の腕が村一と評判のディアス、将来必ずや素晴らしい戦士になるであろうと一身にその期待と羨望を受けたディアスと、活発で明るく、家事をなんでもこなす素直なミライアは、正に理想の二人ともいえた。誰もが愛し合う二人は将来素晴らしい家庭をつくるだろうと言ったし、当人たちもそれを信じて疑っていなかった。ディアスはミライアの父に気に入られ、よく二人で狩りに行き、ミライアはディアスの母に裁縫や料理を習った。幸せで、一番輝いている日々だった。毎日が楽しいものばかりで、苦痛や悲しみなどとは無縁だった。本当に幸せだった。

 しかしその幸せはある日突然---------本当に突然に、そして無残に引き裂かれた。

 その日ディアスは村の長老に言われた用事で村を留守にしていた。

 日暮れ前---------ディアスは嫌な予感がした。森の向こうが赤い---------・・・夕方でもないのに。サッと青ざめるのが、自分でもよくわかった。

 思い違いであってくれ、心配のし過ぎだと・・・そうであってくれ。

 しかし予感は的中した。村に着くと、家々は焼かれており、知った顔の数人かが倒れていた。慌てて駆け寄ったが、既にこときれていた。

「!?」

 ディアスは焦って周囲を見回した。妙に村人の数が少ない。山賊か・・・それにしても皆はどこに?

 何人か人相の悪い男たちが斬りかかってきたが、ディアスはそのどれもを悉く斬った。

「ディアス!」

 ほっとした。背後からの声はミライアのものだったからだ。

「ミライア・・・よかった。長はどうした? 家族は? みんなどこにいる」

「森の見張り小屋に避難してるわ。あそこ、ちょっと離れてるし。地下があるでしょ」

 山賊たちは家を燃やしてからどこかに行ってしまったらしいが、それは、賊を撹乱させるために散り散りになっていった者たちを追って行ったためで、すぐに帰ってくる危険があるという。現にディアスはその内の数人と斬り合っているのだ。

「さあ早く」

 ミライアは彼を案内しながら歩き始めた。

「君の家族は」

「父さんは森へ行ったわ。男の人たちはほとんど・・・そうでないと奴らの気をそらせなかったから」

 女たちはその間に逃げたのか。ディアスは拳を握った。自分がいたら、そんなことにはさせなかったのに。

「見つけたぞ! 村だ!」

 背後で声がした。ディアスとミライアはハッとした。自分たちのことではない、物陰にいるからだ。ディアスはミライアに戻るよう言い自分は村に戻った。誰だ? 

 悪いことに、それはミライアの父親だった。何人もの山賊に殴られ蹴られている。誰かが剣を抜いて、面白半分で浅く斬りつけている。

「やめろ!」

 ディアスは剣を抜いたまま五人の山賊と対峙した。ミライアの父親は既にぐったりして血まみれだった。騒ぎを聞きつけてあちこちから山賊が戻ってきていた。ディアスは時を忘れて戦った。無我夢中で斬った。

「女だ!」

 ハッとした。

「ミライア! ・・・戻れ!」

 心配になったのだろう、ミライアはそっと戻ってきていたのだ。そして自分の父親の血まみれの姿に茫然として、そして我を忘れて自分の身を隠すことなどに余裕を持てなくなったに違いない。最初足が竦んだように微動だにしなかったミライアだったが、ディアスに再度怒鳴られて弾かれたように走りだした。が、山賊の足は早かった。ディアスは今戦っている二人との勝負を早いところつけて、すぐに彼女を助けなければならなかった。  しかしそう簡単にはいかない。いくら彼の腕がたつからといって田舎の村での話であるし、非凡な素質があったことに間違いはないが、それを開花させるだけの充分な修業をしたというわけでもない。翻って相手は終始乱暴に人々から搾取し殺している山賊である。 向ける剣の勢いに迷いがない。ディアスは散々手こずってその二人を倒し、そしてミライアのいた方向へ走った。そんなに長い間ではなかったが、ディアスには一時間にも、十日にも感じられるようだった。茂みを抜け、走りに走った。

 ディアスは自分の目を疑った---------ミライアが倒れていた。血溜りのなか倒れていた。その身体を乱暴に蹴る山賊---------五人。なぜ犯そうとしなかったのかまでは今となってもわからない。しかしミライアは必死で抵抗したのだろう。そして背後にディアスという敵がいることを知っていた賊は、そんな余裕もなくして面倒になって思わず斬った、それが妥当なのかもしれない。

 とにかくディアスはその後のことをよく覚えていない。夢中で斬った。斬って斬って斬りまくった。目の前が赤かった。鬼神が取りついたように身体が軽かった。

 気がついた頃には、戦いは終わり---------・・・立て続けの断末魔を聞き、それがやんでそろそろと様子を見にきた村人によって、ディアスは発見された。

 血まみれになって、恋人の亡骸を抱き締め、ただ泣くばかりであったディアスを。



「・・・・・・」

「う・・・」

「い・・・痛々しい話・・・」

 ナタリアは苦虫を噛みつぶしたような顔になった。

「あたしこういう話だめだわ」

 と、横を見てぎょっとした。隣席にいるサラディンの瞳からは既に涙が流れており、あたかも滝のようだ。だーだー流れる涙を拭きもせず鼻水まで垂らすサラディンの顔は、お世辞にもきれいとはいえない。

「ううううう~~~」

「サラディンハンカチ」

「ううっ」

 ヴィセンシオが差し出したハンカチを奪うようにして、サラディンはその中に顔をうずめた。

「汚いなあ・・・もうそれ、あげます」

「それで・・・その後ディアスは?」

 アリスウェイドに促され、老人はうなづいた。

「あの後・・・ディアスはミライアの亡骸と他の村人の亡骸を我々と共に埋葬してしまうと、旅に出ました。もうその時に、かつての彼の面影はなかった。暗欝とした顔で…一生罪と罰を背中に背負っているような顔でした」

「正に今がそうよね」

「んでも、旅をしている時はもうちょっとましだったよ。むすーっとしてるのは相変わらずだけど」

 セシルもリスレルも言い方に遠慮というものがない。

「故郷に降りたって思い出したくないものを思い出してしまったのだろう。それまでのディアスは自ら造った檻の中に自分を閉じこめて、自分を戒めているかのようだった」

「そうですか・・・ディアスはまだ・・・」

 老人はちょっと足元に目をやり、また顔を上げた。

「あれは、自分を責めているのです。もっと早く村に帰っていれば、あの時自分がもっと剣の腕が達者であったなら、そう言ってあの時も痛々しいほど自分を責めていた。自分が悪い、すべて自分のせいだと。無理もありますまい---------目の前で恋人を殺されたの

ですからな」

 ナタリアは今頃になってようやく---------村に到着した時の違和感の正体をつきとめていた。なんとなく家が新しい感じがしたのは、焼かれて後建て直したからなのだ。

「ディアス・・・」

 重く垂れ篭めた沈黙の中、エストリーズの消えいりそうな声だけが、ひどく印象的だった。



 奇しくもディアスは、切り立つ崖から眼下の森を見下ろし、八年前のことを思い出して

いた。空は真っ黒で、何度も何度も流れ星がスッと落ちる。

「・・・・・・」


   ここから抱き合って落ちても


 そっと瞳を閉じる---------


   私、あの星まで行ける自信あるわ


 愛した女の声と姿と---------・・・まざまざと浮かび上がる。

 まだ忘れたわけではない、彼女のことを本当に愛していた。そして---------突然自分の前に現われた---------エストリーズ。

 ディアスは軽く首を振った。

 自分は、誰かを愛することも愛されることもあってはならない。そんな権利などないのだ。それではミライアがあまりにも可哀相だし、エストリーズとて、たまったものではない。だからこの重い罪---------一生自分が背負っていくのだ。

 ディアスは顔を上げ、燦々と輝く星を見ながら、旅立った後の日々を思い出していた。

 自分の到らなさが許せなくて---------各地を放浪した日々。戦士になるには、過去が重すぎた。厭世的に、それでいて剣を振るうには、戦士という職業は彼には軽すぎたのかもしれない。

 彼はファステイル大陸の庵を訪れそこで修業した。庵の主は、昔有名な剣士であったが今は引退して多くの剣士を育てていた。斬ったはったの生活に嫌気がさして引退したというのだから、やはり多くの死と見つめあって生きてきたに違いない。人間が練れていて素晴らしい師であったが、ディアスの心の奥に潜む影を追い払うことは、とうとうできなかった。

 これでいい、これでいいのだ---------ディアスは星を見上げてそう思った。凄絶なまでの星あかりが、彼を照らし上げてシルエットをつくりあげている。

 と、そこへ、話を聞き終えて酒場から一人、やってきたエストリーズがディアスを探してここまでやってきた。

「・・・・・・・・・」

 ディアスは気が付いてちらりと彼女を見たが、何も言わなかった。エストリーズは彼と同じ景色が見たくて、そっと横に立った。目の眩むような崖。顔を上げて思わず口元がほころぶ。彼女が一生を捧げる星空が満天に輝いていた。そんなエストリーズを見て、ディ

アスは低く言った。

「こんな夜に出歩くとまた襲われるぞ」

 エストリーズは視線をディアスに戻し、二人が出会った時のことを思い出した。

「そうしたら、またあなたが助けてくれるでしょう?」

 ディアスの口元が皮肉な笑みに歪んだ。自嘲的な笑いだった。

「ディアス」

 そんな彼に、エストリーズは静かに言った。

「私は、ミライアさんになる事はできません」

「------------------」

「彼女の代わりもできない。そのかわり、私の代わりも、誰もできません。

 私は私一人・・・」

「---------エストリーズ・・・」

 エストリーズは顔を伏せ目を背けた。

「---------戻ります」

 身を翻し・・・エストリーズは坂を下りていった。ディアスは彼女の後ろ姿を見つめ、それが消えると、また星を見上げた。

 なにもなかったかのように、星は輝き続けていた。



「リスレルはもうほんとに平気なの?」

 ナタリアが、村人に振る舞われた食後の果物を口に運びながら聞いた。

「うん」

 短く答えてリスレルが両手を合わせ何かもごもごし始めたので、ナタリアは果物を次々とぱくぱくやっている。

「しかしおいしいねこれ」

「あんまり食べすぎないように」

 ジェルヴェーズが横でしれっと言う。

「あたしの記憶ではそうやって食べまくって大変な目に遭ったことが何度かあるから」

「う・・・うるさいわねわかってるわよ」

「ハニー夜の果物はよくないぞ」

「ハニーって呼ぶなってば・・・」

 ナタリアがむきになってガラハドに抗議した時、パッとそこが明るくなった。目をやると、リスレルの向かい合わせられた掌に、黄色い炎が燃えている。

「---------」

「うん大丈夫。もう本調子」

 リスレルは言うとぱっと掌を翻して炎を消した。

「あ、あれ・・・?」

 ナタリアは一瞬混乱した。

「あんたさあ・・・昼間も魔法使ってなかったっけ」

「うん」

 リスレルは自分も果物を頬張りながらうなづいた。アリスウェイドは横で静かに酒を飲んでいる。

「ジェルヴェーズ問題です」

「何よ」

「今はいつでしょう」

「夜」

 ナタリアはジェルヴェーズを見た。

「・・・やっぱり?」

「あんたの目がいくら節穴だからってそんくらいは間違えてないわよ」

「うーーーーーーーん・・・話をわかりやすく統合すると、」

 ナタリアは頭を抱えて言った。

「リスレルは夜も昼も魔法を使える?」

「うん」

「そんなこと可能なのかい」

「わかんない。けどまあ私がこうやって使ってるんだし。可能なんじゃない?」

「不思議な話もあるもんね」

 ジェルヴェーズは大して驚いた様子はない。

「まあ世界は広いんだし、そんなことあってもいいかもよ」

「そうだねえ」

 ナタリアも自分で勝手に納得してしまったようだ。やはりガラハドも含めて三人は剣を使う者、セシルやエストリーズの時のそれのように天地が引っ繰り返るほどの驚きはないようだ。魔法を理屈でわかっていないのだから、どちらでもいいというのが正直な感想な

のかもしれない。

「さあもう寝ようか」

 アリスウェイドがリスレルに言った。

「明日も早い。なるべく早く行ってやらないと、ルーディに文句を言われるかもしれん」

「ほんとだね」

 リスレルはくすくす笑ってアリスウェイドと共に立ち上がった。ルーディなら充分有り得ることだ。

「さて・・・と。ジェルヴェーズ、そろそろ寝る?」

「そういうことは先に俺に聞いてほしいな」

「うるさいっ!」

「あーもううるさいのはあんたよ。寝る」

「えっあっちょっと・・・」

 セシルはやれやれとため息をついた。いつの間にこんなにも仲間が増え、いつの間にこなに賑やかになったのだろう。

 セシルは自分も立ち上がりながらそんなことを考えていた。ふと表を見ると、山の中の夜空は恐ろしいくらいの星空である。ディアスはまだ、表にいるようだ。

 脳裏をかけめぐる様々な考えを振り払うように二、三度かぶりをふると、セシルも二階へ上がっていった。酒場では、まだガラハドとナタリアが賑やかに言い合いをしている。


 こうして夜が更けていった。





   つかまえたぞ  もう逃がさない

   ひとたび私の意識捕捉に引っ掛かった以上 もう逃しはせぬ


   必ずや ・・・


   4



 それから山を下りると、しばらく森が続いてまた険しい山道となった。

「リスレル」

 アリスウェイドの差し出した手に掴まりながら、リスレルは一歩一歩転ばぬように道を進んでいく。

(・・・)

 リスレルは歩きながら、もう随分昔のことを思い出していた。

(おじ様が、私に怒ったことは一度もない)

(小さい頃から・・・)

(でも一度だけ---------・・・おじ様が怒っているのを見たことがある)

(旅を始めて間もない頃---------)

 思い起すとまだ鮮明に覚えている---------あの日のこと。

  『ルーディ、リスレルだ。弟の娘の』

  『まあじゃあ彼女が・・・? すごいわ二年かけて見つけだしたのね』

  『リスレル、私の古い友達だよ。ルーディだ』

 人見知りしないリスレルは子供の好きなルーディにすぐになついた。しかし、ルーディは当時大きな問題を抱えていた。その相談をするために、彼女は近くにいるという噂を聞きつけてアリスウェイドを呼んだのだ。

 アリスウェイドはあの日、しゃがみこんでリスレルと目の高さを同じにすると優しく言った。

  『リスレル、ちょっとルーディと大切な話があるから・・・

  一人で遊んでいられるかい?』

  こくこくとうなづくリスレル。

  『いい子だ。何かあったらすぐに呼ぶんだよ。いいね』

  そして扉は目の前で閉まった。

  『悪かったわ急に呼び出したりして・・・』

  『構わん、君の一大事だ。子供ができないから離縁だなんて・・・何を考えて』

  『もういいのよ』

 そんな会話が閉じかけた扉から漏れ聞こえてきた。リスレルはしばらく、一人で表で遊んでいた。今思えば自分の一人遊びが得意なのはこんなことが結構あったからではないかと考えたりしてしまう。

(そして---------・・・)

  『馬鹿者!』

 あの時、アリスウェイドの怒鳴り声にリスレルはびくりとして動きを止めた。なんだか急に不安になって、---------当時のリスレルにとってアリスウェイドは本当に『優しいおじ様』であったから、その彼が怒鳴るということが、もうそれだけでリスレルにとっては大事件であった。彼女はきょろきょろと周りを見回して木の箱を見つけ、窓の下までひきずっていくとそこに乗ってそっと部屋の中を伺った。

 アリスウェイドと、ルーディ。彼女は椅子に座っていて、そして周囲に二、三人の人間がいるが、影になっていてよくわからない。

  『子供ができないから離婚・・・何を考えている!』

  うひゃっ、と思って首をすくめたのをよく覚えている。

  『しかも離婚の理由が、愛人に子供ができたから、だと!

  人を馬鹿にするのもいい加減にしろ! 恥を知れ』

(・・・・・・・・・)

 今思うとそれはルーディルトの身の一大事であった。結局ルーディは離婚したが、その後の生活を手紙で伝え聞くと、離婚したほうがよほど幸せであったようにしか思えない。

 きらり、と空で何かが光ったので何かと思って見上げると、九星らしきものの光であった。冬の澄みきった空に九星が昼間から見えるということは珍しくはない。

「ねえねえ」

 リスレルはすぐ横を歩くガラハドに言った。

「九星ってシャレが多いと思わない?」

「うん?」

「だってさだってさ。海の神シオドマクいるじゃない」

「・・・第三星だね」

「私ねえ、シオドマクのシオは潮で海って覚えたの」

「・・・・・・」

「それにさあ、ヌシュケの守護樹木知ってる?」

「確か・・・ナナカマドじゃなかったかな」

「火の女神さまの守護する樹がナナカマドなんて笑えない? だってナナカマドって、七回かまどで焼かないと燃えないくらい堅いって意味なんだよ」

「・・・」

「極め付けはアクィーリア」

 リスレルは人差し指をたててガラハドに言った。

「な、なにが」

「だってアクィーリアだよ。スペル知ってる? Aquiliaだよ。絶対Aquaから変化したに決まってるわ」

 ガラハドは絶句して、前の方でそれを聞いてくすくす笑いしているアリスウェイドに、

「・・・変わった姪御さんだね」

「ふふふ。まあね。正確には弟の娘だ」

 アリスウェイドは笑いながら言った。どちらでもいいじゃないかと言う者もいるが、大きな違いがある。アリスウェイドは、姪と一言で言ってしまうには簡単だが、そうすることで亡き弟、血のつながっていない弟からリスレルを奪う気がして、敢えてこのくどい言

い回しを用いている。いつもならそんな細かいことにいちいちかまけたりしないのだが。

 九星に住む神は全部で九柱だが、それぞれ役割や意味、守護する鉱物や樹木が決まっている。ヴィセンシオのいた神殿の神は星神で、名前はなかったが、それは九星以外で神殿を持つどの神にもいえることだ。名前のある神は現在では九星の神々だけしか知られていない。名前がないなんて大した神ではない、言う者もいる。また、名前を忘れられてしまうほど昔だったのだ、それほど大した信仰を集めていなかったのだ、こう言う者もいる。

 しかしその中で確かなものは、神は確実に『居る』ということであった。そもそもヴィセンシオのような(元)僧侶などは、修業を積んで治癒魔法を使えるようになった者の典型だが、それは神に対する信仰心が元となっている。信仰する心を捧げる代わりに魔力を授かっているのだ。魔導師にしてもそれは同じだ。信仰心と魔法は直接の関わりを持たないから、代わりに天体のエネルギーを授かり、引き替えに制約しているのである。であるから、終始不動の九星に神がいるということに何の間違いもないのだ。第三星には海の神シオドマクが住むという。守護色は青、守護数字は三、守護方向は北北東で、漁師や水夫、船乗りは船を出す前に必ずこの方向に酒を捧げるそうだ。また守護樹木はハマユウ、守護鉱石はサファイアである。ヌシュケは火の女神で、第五星に住んでいる。守護色は赤、守護数字は五で、守護方向は南、それから南東である。女神の場合守護鉱物が二種類あるのはよくあることだが、ヌシュケもその例に漏れず守護鉱物はルビーとオパールである。第八星の主は水の女神アクィーリアで守護色は水色、それにならってか守護鉱物はトルコ石とアクアマリンだ。守護方向は北西、守護数は八。守護樹木は、樹木というより植物と言ったほうが正しいのだろうが、これもリスレルに言わせると、

「シャレだわ絶対」

 なのだが、水蓮だ。昔、あれはリスレルが十歳か十一歳の頃、アリスウェイドにシオドマクとアクィーリアの役目はどう違うの、と尋ねたことがある。前者は海の神で、後者は水の女神だが、どちらも水というものを支配していることに変わりはない。

「まあそうだよなあ」

 ガラハドは歩みながら呟いた。

「おじ様はなんて答えたんだい」

「うん。シオドマクは、海の神様。海は万物の生命が生まれてきたところ。だから、シオドマクは生まれてくる生命を司っている。海とね。でも、塩水では生命を育むことはできない」

「---------」

「アクィーリアは逆。水だけからでは生命は生まれない。でも真水こそが、生命を育てていく。シオドマクは生み出す生命、アクィーリアは育てる生命。そう教えてくれたの」

「なるほど」

 間の抜けた言葉とは裏腹に、ガラハドは半ば放心してアリスウェイドの背中を見つめていた。

 この男は、なんと物事を的確に言うのだろう。誰にでも納得できるように、簡潔に何かを教えたり説くというのは、大したことではなさそうで、なかなかできないことだ。

 言ってみれば、あの時の俺もその力に欠けていたから、あんなことになったのかもしれない。

 ガラハドが足元を見ながら心の痛む過去を思い出していた時、リスレルがわあ、と小さく声を上げた。

「さあ着いたぞ」

「ルーディさん待ちくたびれてるね」

 顔を上げると、彼らが立つ丘の下に、一件の小さな山小屋が見えた。赤い煙突と、周囲の木々の緑が対照的だ。

 ディアスの故郷から三日歩いて、ようやく二人はルーディの元へやってきたのである。



 仲間たちは遠慮して最初小屋の中に入ろうとせず、表で待っていたのだが、

「何しに来たのとはどういうことだ」

 というアリスウェイドの声に驚いて、思わず中をのぞいてしまった。

「だ、だってただの風邪なのに」

 ベットから半身だけ起き上がっている栗毛の女性こそがルーディであろう。アリスウェイドの剣幕にすっかり恐縮している。と、ルーディは窓から覗き込む大勢の若者に気付いたのだろう、

「・・・あら」

 と小さく呟き、その呟きを聞き取ったアリスウェイドが、

「…ああ」

 と、苦り切ったままの顔で振り向いて、目顔で入ってきなさいと示した。わらわらと入ってくる仲間たちに、ルーディはアリスウェイドとリスレルが息せききって入って来たときよりも驚いた様子だ。

「・・・仲間ですって?」

 それもアリスウェイドと旅をしているというのだから、驚きは増える一方のようだ。

「あなたが? 一緒に? まあそうふーんへーえ」

「・・・そんなに感心しなくてもいいだろう」

「ふうん・・・生きてみるもんねえあなたが仲間を連れて旅だなんて」

 アリスウェイドが何も言えないでいると、ルーディは起き上がって火種の側に立った。

「まあ嬉しいことお客がいるというのはいいことだわ」

「た、立ち上がったりしていいんですか」

 サラディンが慌てて言うと、ルーディはからからと笑って答えた。

「いいのよ。風邪といってももう治ったようなものだもの。懐かしい友人が訪ねてきてくれてお茶も淹れないなんて」

 慣れた手つきで香茶を淹れ始めるルーディの側に歩み寄って、リスレルは彼女を手伝い始めた。

「泊まっていけるんでしょう?」

 ルーディは香茶を淹れる態勢のままアリスウェイドに言った。

「・・・まあな」

 すっかり機嫌を悪くしたアリスウェイドがそれでも答える。ふうん、とナタリアは小さく呟いてジェルヴェーズに囁いた。

「あんな風に機嫌悪くすることあるんだ」

 ジェルヴェーズは答えなかったが、実は彼女も内心はそう思っていた。聖位剣天のアリスウェイドの話はあまり聞かなかったけれど、もっと近寄りがたくて、無表情な孤高を思わせる人間だったと聞いている。およそ機嫌が悪くなるとか、そういう次元での感情を表

に出す人間ではなかったはずだ。---------話に聞いた限りでは。

「まったくおかしい話だわ」

 くすくす笑いをしながら、ルーディは香茶の湯気を顎にあてた。隣ではアリスウェイドがむすっとして香茶を口に運んでいる。リスレルも、笑いを隠しきれない。

「あのう・・・」

 セシルがあまりにも異様な事態におずおずと口をはさんだ。

「・・・一体・・・」

「ああ、ごめんなさいね。一番の被害者はあなた方ね。なにしろ振り回されたんだもの」

「それはこっちも同じだ」

 アリスウェイドを無視して、ルーディはにこにこして話を続けた。

「ちょっとこの地方の風邪はたちが悪くてね。私、ここのところ寝ないでいろいろ作業や仕事をしていたものだから、すごい熱が出て一時大変だったの。で、まあ話によると、アリスウェイドとリスレルの名前が出たらしいのね、うわごとで」

 ルーディは手をぶんぶんと振って笑った。

「まったくどうしちゃったのかしらねえ、リスレルはともかくこの人の名前なんかうわごとで言うなんて」

 アリスウェイドの口元がひく、と引きつった。サラディンとナタリアはそれを見てとうとう堪え切れなくなって同時に吹き出してしまった。

「で、まあ、近所の知り合いが連絡してくれたみたいね。知り合いはアリスウェイドと友達だってこと知ってるから。それにしても随分と大げさな連絡をしてくれたものねえ・・・世界中のギルドだなんて。見てよこの請求書」

「知らん」

 アリスウェイドの機嫌は相変わらず悪い。それはそうだろう。予定を変更して料金のばか高い飛行船に飛び乗り雨期のぬかるんだ山道を越え、途中仲間とリスレルを病気にしてしまってやっと辿りついて、あれは誤報でしたではあまりにも理不尽だ。

「いいじゃないですかお友達が病気じゃなかったんですから」

 ヴィセンシオがくすくすと笑ってアリスウェイドに言う。

「そうよ。ねーえリスレル」

「・・・ええ、まあ・・・」

 リスレルも笑いたいところだが、あまりはっきりしてしまうのも、自分が同行していたということもあって控える。が、アリスウェイドの憮然とした顔を見ていると、それがおかしくて笑いがこらえられない。アリスウェイドをこんなに振り回せるのは、友人の中ではルーディ以外は二、三人がいいところだ。

「大切なお客さまたちだもの、今日はうんとおもてなししなくてはね。申し訳ないけどあなた方は離れで寝てくださいね。うちは普段こんなに大勢のお客はこないの」

「え、あ、申し訳ありませんこちらこそ・・・大勢でお邪魔して」

 サラディンが腰を浮かせて言った。こういう時仲間のフォローに出るのはサラディンくらいだ。なにしろ他の者たちは、しっかり一晩助かったと思っていて、礼や世話をかける詫びはしても、サラディンほど腰を低くしたりはしないのだ。

 そしてその夜---------先に寝たリスレルを二階に置いて、ルーディとアリスウェイドは久しぶりに旧交を温めた。

「疲れたでしょう、雨期の山道は歩きにくいものね」

「いや・・・君こそ病み上がりだろう。突然大勢で押し掛けて悪かったな」

 アリスウェイドの為に酒を杯に注いで、ルーディは静かな山の夜に目を馳せた。

「いいのよ。いつも一人だと嬉しいもんよ、却って」

 自分もそこに座り、ルーディは笑顔になった。

「リスレル、きれいになったわね」

「ああ。母親そっくりだよ。もっとも、もうちょっと頼りなげな女性だったがね」

「凛とした感じは弟さんに似たのね」

 ふっ、と話が途絶えた。静かすぎるほど静かな、森に囲まれた山小屋。ルーディはそっとため息をついた。

「相変わらず一人なのか、君は」

 顔をそちらに向けて、ルーディはにやっと笑った。

「ふふ・・・結婚なんて一回でいいもんよ」

「---------」

「時々訪ねてくるわ、あの人」

「・・・・・・」

「…まあ、嫌いで別れたわけじゃないしね、お互いに。向こうも悪いとは思ってるんでしょうけど---------今思うと、この生活の方が私には合ってるのかもしれないわ」

「---------・・・君がそう言うのなら間違いはあるまい」

 と、そんな会話を、リスレルは階段の影でそっと聞いていた。実は喉が渇いて目を覚まし、水をもらおうと思って起きてきたのだが、どうも話が深刻で出ていこうにも出ていけない。

(今出ていったら相当きまずいだろうなあ)

(・・・やめとこ)

 リスレルがそっと立ち上がってそろそろと階段を上がろうとした時だ。

「・・・リスレルのことなんだが」

 アリスウェイドがしばしの沈黙の後に低い声で言ったので、ぎくりとして彼女は立ち止まった。

「・・・何よ深刻な顔して・・・」

「君のところに来るまでに、熱を出して倒れた」

「---------」

「君を責めているわけじゃないんだ。ただ友達が倒れたと聞いて私は我を忘れた。リスレルが疲れていることにも、身体の具合がよくないということにも気付かずに強行しようとして、彼女が倒れるまでそのことに気が付かなかったのだ」

「---------アリスウェイド・・・」

「そもそも私が修道院に彼女を迎えに行かなければ、---------リスレルは野宿に耐えたり寒い草原を歩いたりしなくてもすんだのだ。私が迎えにいかなければな。一時の淋しさをまぎらわす為に、リスレルの人生を狂わせてしまったように思えてならない」

「おじ様・・・」

 リスレルはかすれた声で呟いた。

 知らない内に握った拳が、じっとりと汗に濡れていた。

 そっと階段を上がって部屋に戻ったが、リスレルはしばらくの間ずっと眠ることができなかった。

「・・・」

 知らなかった。そんな風に思われているなんて。

 ---------私はおじ様の重荷なんだろうか?

 すっかり冷えてしまったベットでは、なかなか眠りにつくことはできなかった。リスレルは震えながら、夜半過ぎアリスウェイドが戻ってきても寝たふりをして、ずっとずっと眠れないでいた。



「私はそんなことはないと思うわ」

「---------」

 アリスウェイドは顔を上げた。

「リスレルはとても楽しそうだもの。あなたにとって重荷だとか邪魔だとか、そういうことではないんでしょう? だったら考えすぎだわ、あの娘ほんとに輝いているもの」

「・・・」

 視線を足元に落として黙り込む。

「---------でも答えがどうかは、それは私が決めることじゃないわ。それはあなたの決めること。そしてリスレルの決めること。あなたのことだからリスレルが旅を辞めたいと言ったらすぐにまともな生活に戻すつもりなんでしょうけど、リスレルが望まないのにあなたがそうさせたら、彼女はどんな気分かしらね」

「・・・・・・」

「邪魔にされたと思うかしら」

 そんなことはない。アリスウェイドは心の中で呟いた。彼女のことを愛しいと思いこそすれ、どうして邪魔に思ったことがあるだろうか? むしろその逆だ。長い間渇いていた砂のような心に沁み通った心地よい清水---------それがリスレルだ。

「まあいいわ時間はたっぷりあるのだから---------少しよく考えるのね。それから、」

 ルーディが言葉をきったのでアリスウェイドは顔を上げた。

「---------来てくれて嬉しかったわ。うわごとであなたたちの名前を呼ぶなんて、・・・考えてもいなかった。世界の裏側にいても飛んで来てくれるような友人がいて、私は本当に嬉しいの。会えてよかった」

「ルーディ・・・」



 しんしんと音がするような静けさに包まれて、山の夜はゆっくりと更けていった。



 ルーディと別れ、港に向かう途中の草原で休憩していた時のことである。

 突然一行は蒼騎士の大群と出くわした。蒼騎士は戦争で死んでいった騎士の亡霊と呼ばれていて、邪悪な力が騎士の体に宿り多数で徘徊するというものだ。昼夜関係なく突然出現するので、サラディンがヴィセンシオと出会う前一人で旅をしていた時は、蒼騎士と遭

遇したら一目散で逃げだしていたほどだ。逃げることもまた旅では重要なことである。

「ヴィセンシオ、頼む!」

 サラディンが抜刀して叫んだ。相手は元騎士で、今は邪悪な力の宿る強敵である。こういった死してのちに何らかの力を得て蘇った魔物の類を俗に不死怪物といい、一度死んでしまったものだからどの魔物も非常に強力で倒しにくい。なにしろ一度死んでいるのだ。

 だからこういう場合は聖水を降りかけたり、神に仕える人間の神聖魔法を武器に付与し、一時的に聖別した武器でで戦うのが最も有効だ。他には穢れた死と骸とを浄化する炎の呪文や、彷徨える死者の魂を元ある場所に還す術などが効果的とされている。

 ヴィセンシオは懐から聖水を取り出してナタリアの方に投げ、片方の手では早くも印を結んでいる。ナタリアは素早く自分の剣に聖水を降りかけて飛び出し、ジェルヴェーズもそれに続いた。これで、少なくとも不浄の魔物の負の力に触れ、自分の生命力が著しく奪われたり、相手に対する攻撃が馬鹿みたいに通じないということはなくなる。ディアスやガラハド、クロムは早くも戦闘態勢に入っている。

 シャラ・・・ン

 心地のよい音がして、視界の端で戦っているサラディンの剣が薄青く光った。途端に蒼騎士たちが低く呻いたのは、ナタリアにも聞こえた。

「炎の紋章よ!」

「星の進みいでる力を紡ぎし者の名において!」

 セシルとエストリーズの詠唱が絶妙なタイミングで一致した。

「〈炎蓮〉!」

「〈星迷海〉!」

 ズ・・・ドゥンン・・・

 ゴオオオオオ!

 その頃リスレルも詠唱を完成させようとしていた。パッと開いていた両手を自分の胸の前で交差させると、

「---------!」

 途端に全身を黄色い光が取り巻く。

 シャリィィン!

 彼女は光属性の魔法をアリスウェイドの剣に付与させたのだ。休まずリスレルは次の詠唱に取りかかった。

 ジェルヴェーズは少し離れた所で戦うガラハドの姿に、自分でも気が付かない内に見入っていた。素早く無駄のない動き。振り下ろす時にまっすぐな線を描いて正確に敵をとらえる型。当たり前だ。彼は騎士なのだ。

(・・・きれいな型・・・)

 そして我が身。

(---------・・・---------)

 キュッと唇を噛む。気が付いていなかったが、アリスウェイドがそんな彼女を戦いながらも見ていた。気になるらしい。

 戦闘が終わり、相手が亡霊というだけあってあれだけ戦ったのに返り血は全員浴びなかった。冬のことであるから、持っている水で身体を清めるわけにもいかず、却って有り難い。アリスウェイドを除く全員が肩で息をしている。相手の動きは素早く、その刃風は鋭かった。

 元の場所に戻って全員無言のまま座る。昼食をとる者、その前にありったけの水を飲む者。その間中、ジェルヴェーズはしばらくぶりに感じる自らの暗澹たる気持ちを持て余し、食事もあまりせず片腕でじっと自分を抱くようにしておし黙っていた。普段寡黙だから皆気が付かないようだったが、年季の入ったナタリアだけは気が付いたようだ。寡黙は寡黙でも、ただ黙っているのとちょっと沈んでいるのとでは様子はまるで違うのだ。

「どしたの」

「・・・別に」

 ジェルヴェーズは答え、ちらりとガラハドの側に置かれた剣を見ると、そっと立ち上がってキャンプを張った場所から離れた場所で、一面に広がる草原を立ち尽くして見つめていた。

「?」

「まあほっときなよ。ジェルヴェーズって静かだからさあ、たまにああして一人になりたがるんだよね」

 そういうことは前にもあった。ので、誰も気に留めなかった。ジェルヴェーズのいつもの日課みたいなものだと思ったのだ。

 しかししばらくして、食事を終えたアリスウェイドが立ち上がった。皆が顔を上げると真っすぐにジェルヴェーズの方へ歩いていく。

「おっ」

「ふーん・・・ああいうのが好みか」

 サラディンもガラハドもそう言ったのみで、あまり感心がないように自分の作業に戻った。二人とも剣の手入れをしていた。

 しかしそのガラハドの言葉に、敏感に反応した者がいる。

「・・・」

 言うまでもなくリスレルである。彼女はそわそわとしてちらり、またちらりとアリスウェイドがジェルヴェーズに近寄るのを不安げに見ていた。アリスウェイドは、ジェルヴェーズと出会った頃から普段は示さない反応を彼女に示していた。あからさまに関心がある

ようにしか思えなかった。リスレルは不安で胸がいっぱいになった。昨夜のルーディとの会話、そして今度はあんな見たこともない接し方で女性に近付いている。確かにジェルヴェーズはぞっとするほどの美人だし腕もたつ。湖のさざ波のようなアリスウェイドの銀髪

と違って曇った感じの銀の髪はすごく目立つし、きれいだ。秋の澄んだ青空みたいな、信じられないくらい濃くてきれいな水色の瞳はリスレルだって見惚れてしまう。

(・・・・・・)

 リスレルは不安でたまらなかった。それを見ていた女たちは、いっせいに知らないふり見えないふりをして、内心男たちの鈍感さに一様に頭にきていた。



 アリスウェイドの銀髪とジェルヴェーズの銀髪が並ぶと、それはリスレルとヴィセンシオ、そしてガラハドが並んだ時に金髪は金髪でもどれくらい違うのかということを比較できるのと同じように、またどれだけ違った銀色かを認識できる。なんにしても美しい銀の髪だ、アリスウェイドは思う。

 スッと横に立ったアリスウェイドが近寄るのは気配でわかっていたらしい、ジェルヴェーズはちらりと見ただけで何も言わなかった。しばらく、アリスウェイドはジェルヴェーズと同じように彼方に黒々とした山脈を抱え込む草原を見つめていたが、やがて突然、口を開いた。

「戦士というものは実戦経験が一度もなくともいきなり戦場に出て剣を振るう。生き残るために戦うから型もなく筋も目茶苦茶だ。その中で見込みのある者だけが生き残り、自分流のやり方で剣を鍛えていく。技も筋も独特に洗練されていく。それを戦士と呼ぶ」

「・・・」

 なにを言われるかはだいたいわかっていた。アリスウェイドが何を言いたいのかも、よくわかっていた。

「君の太刀筋は、我流のものではないね」

「---------」

「だからといって学校でやるような教科書通りの筋では無論ない。君のその太刀筋は」

「いろいろとうるさいね。あんたには関係ないよ」

 最後まで言わせず、ジェルヴェーズは威勢よく言うと、フンと鼻を鳴らしてキャンプを張っている方へ言ってしまった。

「やれやれ」

 アリスウェイドは本当にやれやれという表情で山を見つめながら呟いた。

「どうもダイレクト過ぎるのが私の悪い癖だ」

 そしてジェルヴェーズもまた、ああは言ったものの、乱れに乱れきった自分の太刀筋から全てを読み取ったアリスウェイドに感服していた。

(さすが聖位剣天・・・)

 技も筋も、か。

 ジェルヴェーズは心の中で呟いた。あの男も戦士だが、やはり太刀筋は戦士のものとは全然違う。我流から鍛えたことに代わりはないが、何というかこう、根幹にきちんとした筋がピンと張っている感じだ。と、そこまで思って、ジェルヴェーズは自嘲するように唇

を歪めた。聖位剣天だ。当たり前のことではないか。

 リスレルがちらりちらりと見ていることにも気が付かず、ジェルヴェーズは己れの思考にずっと没頭していた。



 そして彼らが点のように見えるくらい離れた場所で、青い影がじっと彼らを見守っていた。

 ヒュウウウウ・・・

「・・・・・・」

 青い狼アルセスト。たった一人でただ黙々と一行の後をつけ、獲物を狙う獣のようにじっと機会を伺っている。狙うはただ一つ、あの娘、あの石。

「---------」

 おや、とアルセストが虚空の何もない場所に目を向けた。常人には見えない何かが、彼の紫の瞳にしっかりと映っている。いかなる魔法もアルセストの目を逃れることはできない。

(空間魔法・・・あれは意識捕捉だ)

(・・・・・・アナンダか)

 やはり、あの紋章学師の家を襲撃した際にアナンダも気が付いたらしい、昼も夜も魔法を使うあの娘、そしてあの石に。

 アナンダの背後には大きなものがついている。あの金髪の娘を手に入れてアナンダが何をしようとするか、アルセストには手に取るようによくわかった。

 くつくつと笑い---------・・・アルセストは彼方のキャンプに目を馳せた。


 アナンダ・・・そうはさせん あの娘は、俺が先にもらう


 ヒュウウウ・・・

 冬の草原に、低く唸るように風が渡った。


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