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第三章 それぞれの二万キロ

第三章 それぞれの二万キロ



 星神神殿の僧侶の中でも、ヴィセンシオは変り者と評判だった。

 大抵貴族の息子というものは、長男か次男でなければ家督を継いだりその補佐をしたりできないもので、他家の養子になったり、または神殿の僧侶として修業に出されるのだが、ヴィセンシオもその口で、五男ともなれば決まったも同然だろう。

 彼は周囲の決定に従ったのではなく自分からそれを望んだという面でも変わっていたが、とにかく神殿の僧侶の間では、変り者で通っていた。

 例えば薬草摘みの帰り、突然どしゃ降りにあうとする。他の僧侶たちは走って帰るというのに、ヴィセンシオは悠然と歩調を変えずに歩いて帰ってくる。なぜ走らなかった、雨に濡れてしまうのにという彼らの問いかけに、ヴィセンシオは答える、久しぶりに雨が降

ったというのに逃げてしまっては可哀相じゃないですか。

 またこんなこともあった。

 満月があかあかと輝くある春の夜のこと、回廊でぼおっとしているヴィセンシオを見つけた年上の僧侶が、なにをやっているのかと尋ねると、しっと指で口を押さえ静かに、と諭した。女性の着替え中ですよ。

 夜中の神殿の庭で女が着替えをするはずもないが、もしそうだとしたらそんなに不届きなことはないし、それを黙って静観しているヴィセンシオも僧侶の風上にもおけない。年上の僧侶はどこにそんな女がいるのかとやっきになって庭を見たが、おかしなことに人影

はひとつもない。不思議に思ってどこにそんな女がいるのかと聞くと、そっと庭の片隅を指さす。

 そこには、一輪の月見草が、今しも花を咲かせようとしているところだった。

 年上の僧侶が茫然としていると、ヴィセンシオは満足至極といった顔で、女性というのはいつでもいいものですね、と言ったという。

 こういう変り者である。

 生まれが貴族だから顔立ちは品がよく嫌味がない。月を思わせる金色の髪と春に萌えいずる燃えるような明るい緑の瞳は神殿の中にいてもひときわ目立つ。柔和な人柄を示すかのような優しい目元、終始笑みの浮かんでいる端正な唇。女性信者も知れず集まってくる。 そればかりかヴィセンシオは先輩の僧侶たちにも言い寄られた経験が一つや二つではない。取りつく島もないので高嶺の花と裏で言われているが、本人からすればいい迷惑だろう。頭の回転が早く時々強烈な皮肉をさらりと言うギャップも周囲からすればたまらなくおかしいらしく、彼を変り者と呼ばせるいい助けとなっている。

 十三歳の折りから神殿にきて修業を始め、二十六にまでなった。

 いつからだったか・・・こんな自分の姿勢がひどく疑問に思われてならないのは。

 三年ほど前、神殿に一人の戦士がやってきた。大ホールに他の信者と同じようにやってきて祈りの言葉を呟くわけでもなく、僧侶に説教を頼むわけでもなく、ただ黙って、じっと星神像を見上げていた。

 その瞳の静謐な光。

「―――――」

 理由がなにかはよくわからぬ。

 胸を衝かれた。

 その瞳は今まで一度も見たことがないほど穏やかな瞳だった。信者や僧侶、大司祭ですら、こんな穏やかな瞳を見せるようなことはなかった。生活のほとんどすべて戦いに身を置く者がなぜこんな目を持っているのだろう。

 ヴィセンシオは戦士という職業と、戦士そのものに興味を抱いた。当初は興味を持っただけで、それ以上のことは起きないだろうと思っていたのに、---------いつからだろう、自分が僧侶であるという現実に何かちぐはぐなものを感じ始めたのは。最初それはあまりにも縁遠い生活を送る戦士との比較の結果、その生活が新鮮なものに思っているだけなのだと思っていた。しかし違った。何か違う、何かが間違っているという違和感に近いものが心の中でどんどん膨らんでいく。

 それは知らなければ知らないで、そのまま僧侶として平和で幸せな生活を送っていくことができたのだろうが・・・ヴィセンシオの場合はそうではなかったという事だろうか。

 一年も経つと僧侶であることが一種苦痛にすら思えてきた。それは彼からすれば不幸なことだった。当時二十四だったから神殿に来て十一年目だったということになるが、それはそれまでの自分のすべてを自ら否定することになるのだ。

 神殿は丘の上にあるので夕焼けがよく見える。回廊から沈みゆく太陽を見てヴィセンシオの心はいかばかりであっただろうか。

「---------? ヴィセンシオ? なにをしている」

 同年代の僧侶が近付いて問いかける。

「・・・・・・・・・」

 無表情に夕日を見つめていたヴィセンシオであったが、はあ、と大きなため息をつくと、

「秋の夕暮れというのは淋しいもですねえ・・・」

「はあ・・・?」

 そのまま、不可解な面持ちの同僚をおいてヴィセンシオは自室に帰った。

 どうすればいいのかわからぬ。どうしたいのかもわからぬ。

 そのまま---------二年の歳月が流れた。あの頃より気持ちは穏やかで、渦巻く、めくるめくような葛藤はなくなったが、しかし相変わらず僧侶を続けている自分に対する違和感は捨てきれない。しかし人生の半分を捧げてきた僧侶という職業の、一体どこがそんな

に不満だというのだろう。自分は別の職を経験したこともないし、だから僧侶がいいとか悪いとか、比べることがそもそもできないはずなのに。こうして毎日僧侶としての生活を送るその一瞬一瞬が、居心地の悪い部屋に閉じこめられているような中途半端な息苦しさを含んだなまぬるい苦痛なのだ。信者に説教をしていても、祈りの言葉を捧げても、そんな自分の姿をどこかから見ている自分に気付く。客観視すらして、そして再び思う、

 これは本来あるべき姿ではない、

 と。

 そしてそれを知っていながらも、具体的にどうすればいいのか、またどうしたいのかわからず---------ヴィセンシオは今日も僧侶としての日常に精を出している。

 それは夏の始めの、やっと梅雨が明けた七月初頭のことだった。

 折からの暑さに加え、その夜はなぜか眠れなかった。何度も何度も寝返りを打ってとうとう今夜は眠れそうにもないと居直ったヴィセンシオは、起きだして少し表を歩くことにした。庭を歩き、涼しそうな草木を愛で、池の周りを歩いて大ホールへ。人生の半分を費

やして仕えてきた星神のおわす場所である。

 日中は信者で賑やかな大ホールも、夜はしんとして薄暗く人気もない。神殿というのはいつどんな状況でも信者が駆け込んでくるということを考慮に入れて夜も門を開けたままにしているが、星神や月神などの夜を支配する神々の神殿は、夜になってからわざわざ訪れる信者も珍しくない。しかし、今日は夜になっても松明を焚かず、礼拝も行なわない、僧侶たちも夜番をしない週に一度の休みの日だ。それでも安らぎを得たい人のために神殿は開放されない日はない。

 ヴィセンシオは大ホール正面の星神像のある、ひときわ高い場所へと通ずる幅広の段の上に腰掛けてそっと像を見上げた。

「・・・」

 荘厳な表情をしてまっすぐ前を見つめている星神がそこにいる。神代の時代幾千幾億の魔物たちと壮絶な戦いを広げたという神々は数知れずおり、星神もその内の一柱だ。九星に住まうとされている神々と違ってこれらの神々には名前はない。最早忘れ去られてしまうほど遠い昔の神なのだ、意地悪くそう言う者もいるがヴィセンシオはそれは違うと思っている。忘れるほどなら最初から崇めたりはしない。強く信仰されている以上は、名前を忘れようはずもない。ヴィセンシオは思う、きっと名前という形骸化したものがあると、

人はそれに固執してしまう。星の神とだけ心に留めておけば、なにものに対しても星の神を感じることができるのではないか。それは極端に言うなら花瓶でもいいし毎日使う包丁でもいいのだ。

 そうすると太古の神々は名前を忘れられたのではなく最初から持っていなかったのではないのか---------ヴィセンシオは思うのだ。そして九星の神々は名前を最初から持っていただけ、ただそれだけの違い。確実なのは神は確かに存在するということぐらいなのか

もしれない、ヴィセンシオは思う。だからこそ人を治療する力を得られる。信仰心と引き替えにその力を授かる。しかし――――今の自分は?

「はあ・・・」

 ヴィセンシオは力無いため息をついてもう一度星神を見上げた。

「私はやっぱり、僧侶には向いてないんでしょうかねえ・・・」

 星神は前を向いたままだ。再び息をついて神殿入り口の方に目をやる。

「---------」

 ヴィセンシオは膝についていた肘をといて顔を上げた。誰かいる。信者だろうか?

 いや---------今日が週に一度深夜礼拝をしない日だということくらい誰でも知っている。地元の街を通って巡礼が訪れ、そこを訪れないと色々な支度ができず、支度をする以上は誰かが必ず今日は礼拝がないことを教えてやるはずだ。それでも門を閉じないのは誰もいない場所で、誰にも構われない場所が欲しくなる気持ちの追い詰められた人々のためだ。今日は珍しくそんな人間が来ないかと思ったら---------違うのか?

 人影はゆっくりと歩を進めてやがて大ホールの入り口で静かに止まり、どうやら星神を見上げているようだ。入り口の光を背にしているのでどういう風体かも、表情すらも掴めない。しかし向こうもこちらを凝視する何者かに気が付いたようだ。

「誰かいるな。・・・誰だ」

 ヴィセンシオは立ち上がった。ゆっくりとこちらに向かってくる人影---------窓から差し込む光に照らされて、その全貌があらわになる。

「僧侶です」

 我ながら間抜けな返事だ---------ヴィセンシオは言いながらそう思う。

 近付いてきたのは若い男で、恰好からして戦士のようだ。自分と大して歳は違うまい。 月の光を受けて微かに青く光る黒髪は肩まで長く、額に細いリングをしている。目も黒かったが、ヴィセンシオが注目したのはそのどこか少年のような無垢な光であった。汚れていないというか、純真なものを映す瞳だ。

 ヴィセンシオは彼に近付いていき、にこにこと笑みを浮かべて話し掛けた。

「何かご用でも?」

 戦士はきょろきょろと辺りを戸惑いがちに見回しながら言う、

「・・・今日は誰もいないのか」

 おや・・・ヴィセンシオは気が付く。街から来たのではないのか?

「ええ今日は週に一度のお休みの日です。毎晩徹夜していては当番の僧侶が倒れてしまいますのでね。ところで、」

 ヴィセンシオは不思議そうにあちこちを見渡す男に、神殿に来たのは初めてなのだろうかと思いつつ、

「街まで戻っては時間がかかりましょう。巡礼の為の部屋が空いているのでお泊りになってはいかがですか。こちらの受付は二十四時間です」

 と言った。

「え・・・そんな部屋まであるのか」

「・・・・・・」

 ヴィセンシオは笑顔のまま凍った。冷汗たらり。

「・・・ご存じない?」

「神殿というものに来るのは初めてなのだ」

 居心地悪げに男は言った。

「そうですか・・・とにかくどうぞ。ご案内します」


 それが彼との出会いだった。



 男はサラディンと名乗った。

「サラディン・ド・ガーシャリーだ」

「『ド』・・・ははあ」

 ヴィセンシオは一人呟いた。『ド』の称号は貴族の中でも割合古い歴史を持つ中級の貴族のみに与えられる。なんとなく世馴れていないところは、きっと彼がそんな環境で育ったからに違いないのだ。

 サラディンはもう七年も旅を続けていて、なかなか目的を果たすことができないため、人が集まる神殿ならばひょっとして、と思い、訪ねてきたのだという。

(・・・七年も旅しててそんなことにも気が付かなかったんですか・・・)

(それは先が思いやられますよ)

 自身の思惑は口には出さず、ヴィセンシオは穏やかに聞いた。

「・・・目的・・・とは」

「ああ。実は父の仇を探しているのだ」

「仇とは物騒な話ですね」

「何が物騒だ! 男子たるものだな、不当な理由において親を殺されたら・・・」

「はいはいわかりました」

 ヴィセンシオはサラディンを手で押しとどめて弱く言った。やれやれ・・・熱くなりやすいタイプのようだ。純真な分単細胞らしい。

「それだけですか?」

「う?」

「他にも理由があったのでは」

「・・・」

 サラディンは押し黙った。図星らしい、ヴィセンシオは香茶を出しながら思った。これだけわかりやすい男に出会うのは初めてだ。

「・・・実は・・・」

 サラディンは胸の内を告白した。

 一人旅というのは何かにつけて辛い。魔物と遭遇したときに一人で戦わなくてはならないのも辛いが、大きな傷を負った時に手当てをしてくれたり助けを呼びに行ったりする者がいなくて、サラディンは何度も命を危険にさらしてきたという。

(というより、)

 ヴィセンシオは思った。

(・・・もしかしてこの人・・・物凄く要領が悪いんじゃ・・・)

「それでだな、」

 そんなヴィセンシオの胸中も知らず、要領の悪いサラディンは更に言う。

「冒険者のために僧侶を貸してくれる・・・と言うと聞こえが悪いが、とにかく一緒に旅をしてくれる協会のようなものがあるらしいな」

「はいはいありますよ。ここの近くだとヴァルファスミストですかね」

「知り合いに聞いたのだが・・・そういう場合神殿で紹介状を書いてもらうと割合早く相手が決まるとか」

「・・・ええ。そうですね。確かに紹介状があるのとないのではだいたい長くて二週間ほども違うと聞いています」

「それで紹介状をもらえたらと思って来たのだ」

 ヴィセンシオは承知して、担当の者を呼びに席を立った。部屋を出るとき振り返って扉を閉めようとして、ヴィセンシオは窓の外の風景を見ているサラディンの横顔を見た。明るい光を受けて庭を見るその瞳。

「---------」

 それはあの時の戦士の目の光と同じだった。無垢で、雑念のない。

 そう、そこでヴィセンシオは三年間抱え続けていた悩みを、やっと解消する術を見いだした。それは長い長い旅路だった。

 ---------僧侶であることに違和感を感じ、

 ・・・戦士に興味があるのなら、

 ------------------自分が戦士になればいいこと。

 思えば僧侶である自分に疑問を抱き始めたのは戦士というものを研究してからだった。 あの夜も眠れぬ懊悩は、ヴィセンシオの本能と才能とが、真になるべきものを捉えて必死に抵抗していた結果だったのだ。

 ヴィセンシオはそこに立ち尽くした。

「---------? どうした?」

 そして・・・

 戦士にあるまじき無垢な瞳を見せたこの男。七年も旅しているのに要領も悪くて世馴れない、思わずおせっかいの一つや二つやいてやりたくなるような、いかにも手のかかる、――――しかし何かひどく人間的に魅力を感じるこの男。三年間の悩みから解放される手がかりをくれた男。

「・・・・・・」

 ヴィセンシオは出ようとしていた部屋に入り、パタンと扉を閉めた。

「? ・・・」

「---------実は提案があるのですが・・・・・・」



 ヴィセンシオの申し出で、神殿は大混乱になった。

 今までにも還俗したいという僧侶はいた。それぞれが僧侶では成し遂げられない自分の夢だとか進むべき道だとかがあったり見つけられたりして、そうして俗に帰っていったのだが、司祭と違って結婚も許されている僧侶では還俗といっても大して意味がない。

 しかし僧侶からいきなり戦士になるというのは、前例のないことであった。しかも両極端、例えて言うなら東と西くらいに違うものだ。神に仕え、生命と死のはざまに立ち、人の平穏と幸せを祈って暮らす僧侶と、一方で戦いに身を投じ殺生することを生業とする戦

士。許されないことではないが、倫理上僧侶たちが声を大にして反対しヴィセンシオを非難することはしごく当然のことであった。

「ついていく?」

 サラディンは、当初困惑してヴィセンシオが何を言っているのかよくわからないようだったが、やがて、

「・・・お前は僧侶だろう」

 と低く言った。

「ええ。だからその僧侶をやめたいんです」

 しれっとヴィセンシオは返す。

「・・・やめてどうする」

「お供しますよ。どうもあなたは要領が悪い。見ていてほっとけないんですよ」

「お前がついてきて俺になんの利益がある」

「私は僧侶です。十何年やってきてますから使えない回復術はありません。還俗といっても僧侶としての義務と任務から解放されるだけで僧侶としての技能を失うわけではないのです」

「・・・つまり?」

「あなたは旅のアドバイザーを手に入れるのと同時に、敵と戦う時に手助けしてくれて、おまけに傷を治してくれる供を手に入れるわけです」

「・・・・・・」

 サラディンは放心していたようにぽかんとしていたが、やがて口を噤んで考え込み、

「・・・いいな」

 と呟いた。

「でしょ?」

「---------しかし・・・周囲はどうする? 見たところ優秀な僧侶のようだがそんな人間を神殿が手放したがるか」

「大丈夫ですよ」

 ヴィセンシオの態度は、やけに自信ありげだった。

「手放させてみせます」

 そして今---------サラディンはちょっとだけ後悔している。ヴィセンシオを連れていくことを承知した自分に対してだ。あれから四日---------終日彼は待たされている。廊下の椅子であったり、寝泊りしている部屋であったり。廊下で待たされている時は、大抵自分も意見を言わされる時で、そんな時サラディンは身も縮こまる思いで待っている。中に入れば僧侶たちの刺すような視線が彼を取り巻き、浴びせられる質問も鋭くて棘のある、どらちかというと悪意のこもったものばかりで、毎度のことだがサラディンは寿命が十年縮む思いだ。

(そうするともうオレは五十年ぶんくらい寿命が縮まってるぞ)

(・・・なんだ年齢を越えてしまった)

(困ったこれじゃあ長生きできない)

 間の抜けたことを心の中でブツブツと呟いているサラディンと、ヴィセンシオといえばこちらは大したもので、飛びかう非難悪口罵詈雑言にもめげず、知らん顔でそれを聞き流している。まるでまったく別の次元に意識を飛ばしているかのような涼しい顔で、サラディンは隣にいてそれが羨ましくもあり、憎くもある。

(どうして俺がこんな目に遭わなきゃならんのだ)

 汗をじっとり額に浮かべながら、サラディンはじっと耐える。

 食堂に行っても大ホールに行っても、僧侶たちの彼を見る目は冷たく鋭い。優秀な僧侶を抜けさせる原因を作ってしまった男なのだ。歓迎はしないだろう。

 一週間も経つとヴィセンシオの決意の強さを知って神殿の大司祭までが会議に乗り出してきた。最高司祭はこのことを聞いて、行きたがる者も引き止める者も、なんとか納得のいくような形で決着をつけないことには、神殿の職務にやがて影響が出ると憂えているよ

うだ。最も信頼する大司祭の一人を寄越したのである。

 会議はいつものようにヴィセンシオの浅薄な思いつきと軽はずみな意志を非難する声、殺生を生業とする戦士と共に、僧侶としてならともかく、同じように戦士として行動したいという非常識さを責める声で弾けんばかりとなった。大司祭はずっと黙ってそれらの意

見を聞いており、視線は終始ヴィセンシオに注がれていた。サラディンがおどおどと意見を述べ、僧侶たちは苛立たしげにその意見の挙げ足をとる。ヴィセンシオの実力は神殿でも定評がある上に、その容姿に引きつけられる信者も少なくない。

 いや、なによりも、彼らは僧侶として許せないのだ。同じように生命の大切さ、生きる大切さを叩きこまれて暮らし、それを人に説いて生きてきた。誰よりもそれをわかっているはずの者が、突然それとは正反対のものになりたいということに対して、彼らは僧侶と

しての生き方を否定されたようで怒りを感じている。

 この日の会議は夕方まで続いた。

 そして大方の僧侶たちが喉を枯らし、出す言葉もなくなってテーブルに手をつきぜいぜいと言う頃、大司祭は指を組んで静かにヴィセンシオに問うた。

「さて・・・。

 皆も言いたいことは言い終えたようだ。ヴィセンシオ。今度はお前の番---------お前はどうしたいかね? それでもまだ、僧侶をやめて戦士として生きていきたいと?」

 全員がヴィセンシオに注目した。

 あれだけ長時間罵声されて顔色一つ変えないというのもたいしたもの。---------それだけ決心が強いということなのか?

「・・・・・・」

 ヴィセンシオはゆっくりと顔を上げた。

 その瞳---------。

 誰もがハッとした。

 こんなにも澄んだ、なにものにも憚りなく堂々とした瞳。信念を持ち、信念に添い、その信念がために死ぬこともよしとする深い深い瞳。

「---------」

 長い長い沈黙だった。その沈黙のあと、ヴィセンシオはまっすぐ視線を固定したまま言った。

「人の、人としての最大の幸せ、それは」

 ヴィセンシオの声は静かだった。

「その人間が何より人として在ることではないでしょうか……?」

「・・・・・・・・・」

 大司祭のその一瞬の沈痛な表情。微かに寄せられ、すぐに消えた眉根の皺。サラディンはそれを確かに見た。

「その人間の最高の在り方こそが、その人にとっての幸せだと、私は思うのです」

「---------」

「---------」

 サラディンはごくん、と息を飲んだ。

 その人間にとっての最高の在り方---------。

「・・・」

 大司祭はそっと目を瞑った。テーブルの上に置いた手の指を組んだまま、その目を瞑った。そして次にその瞳を開ける時、大司祭そのひとが言う言葉は、考えに考え、練りに練られたものだった。

「------------------そこまで考えが及んでいるのなら・・・---------ヴィセンシオ・・・---------・・・・・・もう止めはしまい。自分の選んだ道を行きなさい」

「な・・・!」

「ありがとうございます」

 うなづき、ヴィセンシオは立ち上がった。

「ど、どこへ行く!」

「旅の支度をしにです」

「ゆ・・・許さないぞヴィセンシオ!」

「あなた方が許さなくても、私は行きます」

「なん・・・だと!」

「勘違いなさらないで下さい先輩方・・・私は星神を捨てようというのではない。僧侶としての生き方をやめると言っているのです。信仰を捨てたわけではない・・・私は星神を捨てたりはしない」

 ヴィセンシオは大司祭を見た。

「・・・お主がそういう心づもりなら、星神神殿はいつでもお主の協力を聞き入れようヴィセンシオ。星神はお主を見捨てたりはしない」

「大司祭様・・・!」

「なにを!」

「もう黙りなさい。お前たちの怒鳴り声を聞き続けていささか疲れた」

 大司祭はうんざりとした顔で立ち上がり、そのまま退室した。ヴィセンシオもその後から部屋を出、慌ててサラディンが追う。

 後には、茫然として立ちすくむ僧侶たちが残されるばかり。



「そうか・・・。そこまで深く」

「はい」

 最高司祭は窓から見渡す草原を見て呟くように言った。その背中を見つめながら、報告を終えた大司祭が答える。

「・・・・・・」

 その視線の先には広がる草原がある。

 少し前までその草原には、見慣れた金色の髪の青年らしき影があり、その隣には黒い髪を肩まで垂らした戦士の風体の青年がいた。

「信仰を捨てないと、あれは言ったのかね」

「はい。星神を捨てたりはしないと」

「・・・ではあれはまだ僧侶だ。最も人生の半分近くをそう過ごしていたのだから、本能に近い場所で僧侶なのかもしれん」

「・・・・・・」

 大司祭は黙っていた。最高司祭のその言葉は、僧侶としての資格と能力をヴィセンシオから剥脱しないという意味を含んでいた。望んで還俗した者は能力を奪われることはないが、僧侶らしからぬことをしてなんらかの禁を犯した者は罰として、また放逐されたのちその能力を悪用しないために能力を剥脱される。

 ヴィセンシオは僧侶としての治癒能力を持ったまま戦士となったのだ。

「・・・元気で行ったのかね」

「はい。さすがに、剣を握る時には緊張を隠せないようでしたが」

 最高司祭は高らかに笑った。

「それはそうだろう。十三年間触れることを禁じられていたのだからな。神に仕える者刃に触れるべからず・・・さてあれにこれからどんなことが起きるのか・・・坊主の身では最早想像もできぬわ」

 最高司祭は窓の外の草原を見渡しながら言った。

 ついさっきまで、その草原の向こうに、金の髪を点のように光らせながら、一人の青年が消え行こうとしていた。

 その金色の点は、丘の上に立つとゆっくりと振り返り、しばらくこちらをじっと見つめていたが、やがてゆっくりゆっくりと、---------丘の向こうに消えていった。






 さて二人の珍道中が始まった。

 サラディンは、戦士としてのはまあまあの腕だろうとヴィセンシオはだいたいの予想をつけた。予想、というのは、なにしろ彼は十三で神殿に来て以来剣というものを握ったことがなかったので、剣術に対する勘が鈍っているというよりは皆無に等しくなっており、記憶と勘とを辿ってそういう予想をつけただけのことだった。

 サラディンは、彼が思っていた以上に要領の悪い男だった。よくも一人で七年もの間無事に旅を続けられたものだと、ヴィセンシオは密かに感心したものだった。例えて言うなら、冬山に万が一に備えて缶詰を持ってきておきながら缶切りを忘れてくるような、そん

な万全と思っている裏に致命的な穴をいつも持っている、それがサラディンだった。彼を七年間守ってきたのは、ひとえにその驚異的な悪運の強さだということにヴィセンシオが気付いたのは、サラディンが道で小銭を見つけて拾おうとした拍子にどこぞで夫婦喧嘩でもしているのか、ナイフが飛んで来たり、やれやれと道の端のベンチに腰掛けて靴紐を直そうと屈んだ次の瞬間に真上にあった木の枝が折れたり、おい見ろよ、ときまぐれなサラディンが猫とカラスとの喧嘩に見入って裏路地に入ったすぐ後に暴れ馬が暴走してきたりという、様々な出来事に遭遇してから後のことだった。

「あなたと一緒にいると命がいくつあっても足りませんねえ」

 げっそりとしてヴィセンシオは言った。

「? なんのことだ」

 サラディンはきょとんとして歩きつづけながらもヴィセンシオを伺う。本人はまったく気付いていないのだ。

 ヴィセンシオは、ちょっとだけ神殿を出てきたことを後悔していた。



 当初がどういったきっかけだったかは、誰もよくわかっていない。

 ただ、女三人、男三人という冒険者でも数の多い彼らでは、当然大部屋など空いているはずもなく、空いていても同室者があまり柄のよろしくない男たちだったりして、ほとんど二部屋に分かれて宿を取ることだけは、確かだった。部屋をとる際しなくてはならない

のが料金の半額前渡しと、代表者の名前を登録することだ。

 アリスウェイドは、こういう時女性に名乗らせるのをよしとしない。酒場で名前を聞かれてしまうとたちの悪い男たちに付け回されたり、名前を利用されよからぬ魔術の対象とされたりしてしまうからだ。長年旅を続けていてそんな悲惨な目に遭った女たちを、彼は何度も何度も見ているのである。

「アリスウェイド・ジェラコヴィエツエだ」

 だから当然、こういう時は男が名乗るものだと---------アリスウェイドは思っている。

 第一女性に声を高くして名を名乗らせるのを、彼はあまり好まない。

 フェミニストなのである。

 そんな空気は毎日共にいて何気なく伝わったのであろうか、いつのまにか男たちの間には暗黙の了解ができていた。すなわち宿をとる時には順番で名乗っていくという・・・。

 簡単なことで単純なことではあったが、一緒に旅を続けていく大切なことでもあった。

 何度交替で名乗りあったかわからぬ。下らないことのように見えて重要なことだということは、四度ほどエストリーズが酔っ払いにからまれているのを見て実証された。

「ぼさっとしているからだ」

 ディアスは相変わらず不機嫌である。

「・・・ディアス・ディフェイン」

 名乗るときにもそれは変わらない。

 しかし---------エストリーズは気付き始めていた、その不機嫌が---------実はディアスが彼自身に課した罰のようなものであるということを。

 罰---------罰? その言い方は適当ではないかもしれない、しかしエストリーズにはどうしても、ディアスがわざと自分を辛い、悪い境遇に置いて自分を罰しているかのように見えて仕方がないのだ。

 そしてそれが何故なのかは、まだエストリーズにはわかっていない。



「それで仇の容貌はわかっているんですか」

 さわさわと心地よいざわめきの溢れる昼間の酒場で、ヴィセンシオは昼食後の冷たい香茶を楽しんでいた。杯に入れてあるというのがなんともいいではないか。神殿では考えられないことだ。

「いいや」

 ヴィセンシオは杯をもてあそぶ手を止めた。

「・・・居場所は?」

「わからん。わかっているのは名前だけだ」

「・・・・・・」

 ヴィセンシオは目の前が真っ暗になって思わず目を覆った。

「どうした」

「ちょっとめまいが」

「レバーでも食べれば治るんじゃないか」

「・・・・・・」

 当分顔を上げるのは嫌だった。

 この男は・・・この男は・・・これで七年か。七年経ってもこうなのか。本気で仇探しの旅をしているのか。

「これだけ探しても見つからないんだからなあ・・・」

 ため息まじりのサラディン。

(ため息つきたいのはこっちですよ・・・)

 ヴィセンシオは痛んできた頭をなんとか上げてサラディンを見た。

「だいたい要領が悪いんですよ」

「ん?」

「人に聞いて回るだけなんですから」

 しかし実際サラディンの探す仇がどんな名前なのか、ヴィセンシオはよく知らない。サラディンはヴィセンシオを神殿から出してしまったことに少なからず責任を感じているらしく、これ以上関わらせるのはいけないと思ったのか、彼の聞こえる範囲で仇の名前を出

して人に尋ね回らない。またヴィセンシオも、敢えてサラディンが言うまではと、仇の名を聞いたりはしない。

「しかしわかっているのは名前くらいなのだから仕方があるまい」

「だからその辺の占い師に聞くとかするんですよ」

「うん?」

「評判がよくて高い金を取る占い師はたいてい当たります。百発百中というわけにはいきませんが、行ってみて損はないでしょう」

「へえええ・・・凄いなお前・・・物知りだなあ。ずっと神殿にいたのに」

「どこにいようと常識ですよそんなの・・・」

「え? 何か言ったか」

「なんでもないです」

 深い深いため息をヴィセンシオがついた時・・・酒場の入り口に冒険者の一行がやってきた。

「宿を頼みたい・・・三人ずつ、二部屋で」

 おやおや・・・随分と大所帯だ。聞くともなしに聞いていたヴィセンシオは、興味を覚えてそちらに顔を向けた。

「前金が銀貨十五枚・・・はいはいどうもね。お名前は?」

 一同の視線が一斉に一人の長身の男に向けられた。それを受けて、渋々というか仕方なくというか、大男といっても過言ではないその男は低いが聞き取りやすい声で言った。

「クロデンドルム・ブルーエルフィンだ」

 !

 ガタン!

 ヴィセンシオがどうしたのかと尋ねるひまもなかった。突然顔面蒼白になったサラディンがいきなり抜刀し、カウンターにいる大男に飛びかかったのだ。

 ガッ!

 気配を察知して振り向きもせずによけたクロムの、ちょうどそこにいた場所、カウンターの縁がサラディンの剣によって弾け飛んだ。木片が飛び散り、サラディンは食い込んだ己れの剣を苦労して引き抜いて男と対峙した。

「サラディン!」

「見つけたぞ・・・クロデンドルム・ブルーエルフィン!」

 興奮の絶頂にいるサラディンはヴィセンシオの声も聞こえてはいない。酒場は騒然となり、これ以上のとばっちりを受けないように各々立ち上がっている。逃げ出すもの、興味津々でこちらをみている者。アリスウェイドは後ろ手にリスレルを庇いながら突然の出来事を理解すべく鋭い視線を向けている。

 一人冷静なのはクロムただ一人、抜刀もしなければ、する気配もない。

「・・・クロム・・・だ、誰・・・なの」

「……」

「俺の名はサラディン・ド・ガーシャリーだ」

「---------」

 クロムがわずかに顔を上げた。反応したのだ。

「七年前父をお前に殺された。息子の常として仇を討たせてもらう!」

 ガシャァン!

 再び斬りかかったサラディンをひょいとよけ、相変わらずクロムは戦う気配がない。

 酒場のテーブルはこの果てしない追いかけあいで滅茶滅茶になり、おかみが悲鳴とも金切り声ともつかない怒鳴り声を先程から上げている。

 しかしどれだけ渾身の力を込めて斬り掛かっても、霧にでもなったようにクロムはさらりとよけてしまう。次第に息が切れてきて、剣を持つ腕がだるくなってきた。

「くくくくくーっ逃げるな! 正々堂々勝負しろ!」

「サラディン! 落ち着きなさい自分がなにをしているのかわかっているんですか」

「わかっているとも! こいつは父の仇だ!」

「確認をしなさい確認をーっ」



「仇・・・」

 その騒ぎを向かいの建物の屋根の上から見ていたアルセストは、その響きのおかしさに笑いを抑えられないでいた。

「仇・・・な・・・ふふふふふ。はっはっはっはっはっはっはっ・・・こいつはおかしい・・・くっくっくっくっくっ」

 アルセストの不気味な笑いは彼の喉の奥で低く響くのみで、誰にも聞こえはしない。



「結論から言うと---------」

 滅茶滅茶になった酒場の片隅で、なんとかテーブルを起こしてそこに座り、アリスウェイドがまず言った。

「クロム、間違いないのだね」

「・・・」

 クロムは答えない。しかしその表情は明らかに肯定しているそれである。アリスウェイドはうなづき、サラディンの方を向いた。

「私はアリスウェイドという。アリスウェイド・ジェラコヴィエツエだ。ここにいる彼が君の父上の仇であることに間違いはないようだが、」

 アリスウェイドはちらりとカウンターを見た。そこにはぶつぶつと文句を言いながら破壊されてしまった自分の酒場を片付けているおかみの姿がある。

「だからといって街中で剣を振り回すのはいただけないな」

 サラディンはしゅんとして肩を落としている。リスレルは興味津々だ。

「すまん・・・七年間ずっと探していたもので。つい、・・・頭に血がのぼって」

 サラディンはそこまで言っておや、という顔になった。

「あ・・・あれ?」

 アリスウェイドをじっと見る。

「・・・今・・・---------アリスウェイド・・・---------ジェラコヴィエツエって」

 くす、とリスレルが笑いを殺す。エストリーズとセシルもくすくす笑いをやめられないようだ。サラディンはアリスウェイドを指差して、

「あ・・・あ・・・・・・---------」

 と言ったまま、絶句して凍りついてしまった。

「・・・ああ・・・アリスウェイドとは剣天のアリスウェイドのことでしたか・・・どうりで聞いたことがあると思いました」

 アリスウェイドは苦笑いした。

「よかったねおじ様」

 リスレルが果汁を飲みながら言う。

「最近そういう人増えた」

「たまたまだよ」

 それからアリスウェイドはサラディンの連れで、戦士にしては物腰の優雅な、サラディンが剣を振り回している間ずっと必死になって止めようとしていた男を見た。

「ああ失礼・・・・・・ヴィセンシオ・メルトゥイユと申します」

「お兄さんなんだか戦士っぽくないねー」

「ええ。少し前まで僧侶だったもので」

「まあ・・・珍しいですわね」

「そうね」

 エストリーズとセシルがうなづき合うのを横で聞きながら、ディアスはクロムのことを先程から観察していた。

 ---------人に仇と付け狙われるような男では、ないはずだ。

「こっちがディアス。それから・・・まあ彼は知ってるわね。クロムってみんなは呼んでるわ」

 名を呼ばれてはっとした。どうやら女たちは自己紹介を終えたばかりのようだ。

「話を総合すると間違いではないようだ。

 しかし私が見たところ、クロムという男は不当に誰かを殺すような男ではない。彼と旅を共にしてそう長くはないが、それでもどれだけ懐の深い男かはよくわかっている」

 世に聞こえし剣天と名高い男の言うことだ。並みの人間の観察眼ではない。多分・・・アリスウェイドの言うことに間違いはない。

「---------しかしこの男が父を殺したことに間違いはない。父はこときれる寸前この男の名を確かに言ったし、この男もそれを認めている」

 そんなに簡単に説得されるようでは、自分の七年間は何の意味も成さない---------。

 サラディンはぐっと拳を握り締めて搾りだすように言った。

「それはまあそうだ」

 アリスウェイドは息をついて答えた。どちらの言い分も正しい---------こういう時、厄介なことに両者に善悪はないのだ。

「---------」

「・・・・・・」

 ヴィセンシオはうつむいてしまったサラディンをちらりと横目で見て顔を上げた。

「・・・サラディン」

 ヴィセンシオはそっと言った。

「---------どうやらどちらの言っていることも、私には本当に聞こえます」

 アリスウェイドはうなづいた。

「ならば、あなた自身の目で確かめてはいかがです」

「---------どういうことだ」

 ヴィセンシオはアリスウェイドを見た。

「どうでしょう、あなた方の旅に、私どもを連れていってはくれませんか。サラディンはそこにいる方を探して七年間一人で旅をしてきました。何度も死にかけたし、何度もやめたくなった。それでも彼はやめなかった。七年間、ようやく見つけた相手が、そんなこと

をするような人間ではないと言われてはいそうですかと素直に引っ込めるほど短い時間ではありません。クロム殿が仇なら、そしてそのクロム殿がみなさんの言われるような仇と後ろ指さされるような方ではないというのなら、それを決めるのはサラディン本人ではないでしょうか。サラディンが生活や生死、旅を共にして、彼自身に決めさせていただくわけにはいかないでしょうか。そして然るのち、二人が正式に決闘をするというのは」

 決闘こそが仇討ちの正式な戦い方だ。

「私は構わないが・・・」

 アリスウェイドはリスレルを見た。そもそも好奇心の旺盛な娘であるから、反対するはずもない。にこにこと笑ってうなづいた。エストリーズとセシルも異論を唱えなかったし、

ディアスも何も言わなかった。

 全員がクロムを見た。

「・・・構わん」

 クロムが珍しく口を聞いて、それで事は決まってしまった。

(なんという男だ)

(俺が命を狙っていることにかわりはないんだぞ)

 サラディンは呆れてしまったが、これもチャンスといえば絶好のチャンスだ。

「よろしい。それでは、」

 アリスウェイドはため息をついた。なぜだかこうして人が集まるのは、一体どうしたことなのだ。

「この決闘、私がしばらく預かる」

 クロムとサラディン、二人はうなづいた。それでも無理矢理決闘をしたいとなれば、預けた人間を倒さねばならない。そして預かった以上は、いつかきちんと審判をかって出て二人を正式に決闘させるつもりでいる。

「さあそれでは、」

 やれやれ・・・仲間がいるのは結構なことだがこれ以上増えるのも考えものだ。アリスウェイドはそんなことを考えながら立ち上がった。

「片付けを手伝わねば」

 全員の迷惑そうな視線が、サラディンには痛かった。



 アルセストは笑いがとまらない気持ちだった。相も変らず屋根の上でくつろいだ姿勢のまま彼らを観察していたのだが、どうにも愉快だ。こんなにも楽しい気分になったのは本当に何年かぶりだった。

「ふふふ・・・・・・仇か・・・あの間抜けな戦士もいつかわかるだろう・・・」

 近くを通った野良猫が、アルセストに気付いて立ち止まり、すぐに逃げるようにして消えた。

「仇を討つということがいかに無意味で人生を無駄にしているかをな!」

 屋根の上の青い影・・・その高らかな嘲笑にも関わらず、彼に気付く者は誰一人としていなかった。



 さて・・・。

 二日間の逗留ののち、一行は街を旅立った。新たに二人を加えて、今や旅人すら振り返るほどの大所帯になっている。その数八人。四、五人が普通の冒険者では、やはり多いといわねばならない。

 しかしその分戦いはぐっと楽になった。サラディンはディアスやクロムには遠く及ばないものの、貴族の息子というものはやはり幼少時からの特訓がものをいっているのか、はたまたそれは彼自身の実力なのか、並の戦士では歯も立たないほどの腕で彼らを器用にサ

ポートした。彼の要領の悪い旅の行程で彼を死に至らしめなかったものは、その剣の技量であったのだ。またヴィセンシオも久しぶりとはいえ神殿を旅立ってからの二、三週間で勘を取り戻しつつあるのかいい腕をしていたし、なにより頼もしいのは右手で剣を振るい左手で僧侶特有の魔法を使えるということだった。また八人ともなると戦闘が終わった後の傷もまた生易しい数ではなく、滅多な傷では治癒魔法を使わないと言っても、リスレルだけでは少々しんどいところを、ヴィセンシオが彼女をうまく補助したのでバランスはいいといえる。

 ヴィセンシオは、攻撃の魔法を派手に使うリスレルが治癒呪文を使えることを不思議に思っていたが、生来あまりそういうことを深く考える性格ではないので気にもしていなったし、サラディンはそんなことに気が付くような男ではない。まだ二人は、彼女が制約外で魔法を使うということを知らなかった。

 ある夜。

 不寝番になったサラディンとディアスは、何を話すというのでもなしに焚火を囲んでいた。

 サラディンは、どうもこのディアスという男が苦手だ。いつも不機嫌そうだし、余計なことを一切話さない。クロムとはまた違う---------クロムはどちらかというと話すのが面倒というか、話さないことが本来というか、陰気な感じはしないのだが---------ディアスの場合は、わざと自分をそうさせているような感がある。

 と、突然ディアスが前触れもなく立ち上がったのでサラディンは大層肝を潰して、立ち上がった彼をどきまぎして見上げた。

「・・・その辺を見てくる」

「え、あ、ああ」

 夜半の周辺見回りも大切な役割だ。獣が寄り付いてくるかもしれないし、野盗が焚火を見つけて近寄ってくるかもしれない。残されるはサラディンただ一人、周囲は不気味なほどに静まり返り、誰かの安らかな寝息が聞こえてくるのみだ。

 パチ・・・

 焚火が静かに爆ぜる。

「・・・・・・」

 サラディンは斜め向かいに、自分に背を向けて眠るクロムを凝視した。

 完全に警戒を解いている---------いや、そもそも警戒しようとしていないのだ。酒場の時もそうだったが、反撃しようとすれば、彼にはいくらでもその隙はあった。

 なぜ何もしなかった? そしてまた今も、いくらアリスウェイドが決闘を預かっているとはいえ、それをいつ破るかもわからない。こうして眠っているところを狙ってしまえば、誰が決闘を預かっていようと関係のないことだ。だいたい何の関係もない第三者に預かったと言われたところで、それを素直に聞き入れた人間など聞いたこともない。誰もが相手が油断しているところを討っている。それでも正義はこちらにある。

「------------------」

 サラディンはそっと傍らに置いてある剣の柄に指を置いた。

 ドキ、ドキ、ドキ。

 心臓が高鳴る。---------今、今やってしまえば。

 なにもいつ来るかわからぬ決闘の時期を待つ必要などない---------。大体、こちらが仇を討つというのに決闘というのでは機会が平等すぎるような気がする。だって仇を討つ方は、不当な理由によって突然肉親を殺されたがゆえに、仇を討たねばならぬからだ。向こうは突然やってきて身内を殺しておきながら、いざこちらが仇を討つ時に、向こうに警戒させ戦う準備を万端整えさせるというのは、不公平にはならないのだろうか。

「---------」

 額に脂汗が流れ、顎を伝って落ちる。ごくん、唾を飲み込む音が、やけに生々しい。

 剣をそっと握り、

 殺気を放たないようにし、

 ---------いざ。

「・・・・・・」

 しかし---------なにを思ったかサラディンは手の力を抜いた。その瞬間息を止めていたのがわかる。はあっと大きく息を吐く。動悸がする。掌は、じっとりと汗で濡れている。

「---------」

 ふぅ・・・と息をついたのは明らかに自分だ。

 ---------やはりこういうやり方は卑怯だ。

 サラディンは思った。いくらなんでも、相手が眠っている間になんて---------。

 それに、と彼はまたも思う。

(俺が正しくて、相手が間違っているのなら、)

(どんなに俺が不利な状況でも、必ず勝つはずだ)

(俺はそれを信じる)

(---------卑怯なやり方で勝っても---------・・・・・・胸を張って父上の墓前に行くことはできない)

(・・・・・・)

 大きく深呼吸する---------・・・力が抜けていく。

「あーあー」

 小さく呟いて伸びをし、そのまま草の上に仰向けになる。

 満天の星・・・。恐ろしくなるくらい、不安になるくらいすごい星空だ。自分の存在なんて実はないのでは、とふと不安に駆られるほどの見事な星空。

「・・・」

 自分の視界の少し斜め上に、九星が見える。夏の今も、冬の空でも、他の星々の動きなど知らないかのようにそ知らぬ顔で輝く九つの星。

「・・・その人間の最高の在り方か・・・」

 呟くと、それは驚くほど小さく、不安げな声だ。

(今の俺は---------仇を血眼になって探し、見つけだして今戦おうとしている現在の俺は、)

(最高の在り方でいるのだろうか・・・?)

 ザッ。

 ぎょっとした。

 星空の真ん中に、いきなりディアスが現われたのだ。彼をまっすぐに見下ろしている。

「なにをしている」

「うっえっあっ、べべべべ別に」

 慌てて起き上がり・・・意味もなく焚火をかき混ぜる。ディアスは黙ったまま元いた場所に座り、炎を見つめている。

 サラディンのため息は、焚火の中に消えた。

「・・・」

 それを、寝たふりをして伺っていたアリスウェイドは、どうやら大丈夫そうだと判断して一安心していた。

 ---------なるほど、一人の僧侶の生き方を変えられるだけの清廉さは持ち合わせているようだ。

 ちらりとクロムを見る。

 変わらぬ姿勢で眠っている・・・が、眠っているようでいて、実は眠っていないことに、アリスウェイドは気が付いていた。




「リスレル! 今よ!」

「〈炎渦〉!」

 ぱっ、と突き出したリスレルの両掌から、紅蓮色の炎が十重二十重の渦となって魔物に襲いかかる。

「すごい・・・」

「サラディン! 感心してる場合ですか」

 サラディンはヴィセンシオの怒鳴り声にはっとした。目の前に人ほども大きな体をした狼のような魔物が迫りこようとしている。

 サラディンは慌てて剣を掴み直し、咄嗟に横によけて剣を一文字にしたまま払った。思わぬ彼の動きに魔物はどうすることもできず、突進してきたスピードもそのままに、首を突かれる終わりとなった。

「まったく・・・何を見てたんですか」

 戦いを終えて、ヴィセンシオはブツブツと文句を言いながらサラディンの手当てをしている。治癒魔法を使うほどの傷ではない、擦った程度だ。

「別に・・・若いのに凄い魔法をいっぱい使うんだなあって思っただけさ」

「リスレル? ああ・・・まあそうでしょうね。マエリガン修道院といったら私だって知ってるような大きな修道院ですから」

「修道院なのに・・・」

「だから有名なんです。あそこのシスターの三分の二は魔法を使うという話ですよ」

「ふうん・・・」

 サラディンは少し離れたところでエストリーズとセシルと話すリスレルを見た。

 魅惑的なすみれ色の瞳・・・いつもにこにこしている。

「う」

 サラディンは胸騒ぎを覚えた。

(なんだ?)

 胸がどきどきしてきた。

「何赤くなってるんですか・・・ほらできましたよ」

「・・・・・・」

 サラディンはそれから、リスレルを変に意識している自分に気付き始めた。リスレルという娘は、いつも機嫌がよく誰にでも笑って接する。食事の時離れた席にいる彼と目が合っても、スッと目をそらすのではなく小さく手を振って応える。そのたび、サラディンは

胸だけが飛び出してしまいそうにどきどきするのだ。

 ある夜のことである。

 焚火を囲っていつものように食事をしている最中のことだが---------。

 おおーん・・・

 突然、どこかで怪しげな咆哮が聞こえた。

 賑やかに歓談していた彼らの会話は、そこでぴたりと止まった。

「・・・・・・」

「・・・・・・」

 互いに顔を見合わせる。そしてしばらくしてヴィセンシオを見る。戦士になる前は僧侶で、今も継続してその能力を持つ彼は、魔に対する感覚が常人よりも優れている。ヴィセンシオは緊張した面持ちでこくりとうなづいた。

 一同は一斉に立ち上がる。各々の武器を持ち、杖を手にして。

(リスレル・・・平気かな)

 いつもと同じように戦闘に向かおうとしているリスレルを見てサラディンはちらりとそんなことを考えていた。いくら彼が世間を知らないとはいえ、魔導師は制約した天体が出没していない間魔法は使えないという、それくらいのことは知っているのだ。

「光の紋章---------ティス、レイス、フェルマスに各々命ず!」

 ヴ・・・ン

 セシルの詠唱と共に彼女の体の三ヶ所が光った。

 そしてそれに応じて、リスレルが詠唱する---------セシルの魔法と同時に魔力を放つことによって威力を倍にする為だ。

「汝の力我に与えその血その脈すべてを我に注ぎ・・・」

「汝等の光の根幹我が紋章に宿りその力今発揮させ給え!」

 カッ

「〈光炎〉!」

「〈輝塔〉!」

 二人の声がほぼ同時に響き---------カッという音と共に一瞬目の前が白くなった。

 次の瞬間、二人が対峙していた七匹の魔物は跡形もなくなっていた。セシルとリスレルはしたり顔で次の獲物に取り掛かろうと走りだす。

(あ・・・れ?)

 サラディンは何か引っ掛かりを感じた。

(・・・---------・・・)

(・・・彼女、昼・・・間・・・)

(え・・・あ、あれ?)

 そんなことはお構いなしにリスレルは次々と詠唱を繰り返している。

(ええい・・・)

(今はそんなこと考えている場合じゃない!)

 サラディンは剣をぐっと握って集中した。

 同じ時、セシルは前方で戦うディアスの補佐をする為、彼の剣の動きを見つめて隙をっていた。

「---------」

 少し離れていた場所で、そのセシルの背後から忍び寄る魔物に気付いたのはクロム一人だった。彼は黒騎士の亡霊と呼ばれる魔物と戦っている真っ最中で---------元が黒騎士という大物の魔物が死んでさらに強力になった魔物だから、さしものクロムも一筋縄ではいかず、いくつか小さい傷を負いながら戦っていた。

 そんな時に彼はセシルの後ろからそろりそろりと忍び寄る狼のような魔物を見つけたのだ。

 狼といえばおとなしく聞こえてしまうかもしれない。なにしろ大きいものは大人の男ほどあり、その針のように鋭い牙の一つ一つは強力な毒が仕込まれているのだ。クロムは叫ぼうとしたがそれだけの余裕がない。また叫んだとしても、周囲の剣戟と轟く魔力の波動

のなかでは、かき消されてしまうに違いない。斬りかかってきた黒騎士の亡霊の剣を受け止め、強烈な踏み込みに耐えて逆に押し返す。腕の筋肉がぎりぎりと音をたてそうに限界まで行っている。クロムは全体重を一点にかけてかなり強引に黒騎士の亡霊を斬った。左

手の筋が悲鳴を上げていた。すぐに彼は走りだした。一歩遅かった。大狼は走りだしてセシルの白い背中を狙っている。このまま魔物を仕留めるには距離が足りない---------クロムは一瞬で判断した。草の上を跳ねるようにして移動し、セシルと魔物との間に割って

入る。剣を持ち上げる格好でその口に突っ込もうとして、また筋がぐきりと痛んだ。痛みだけではクロムという男を支配することはできないのだが---------筋が痛んだせいで腕が動かなかった。傷めたのだ。

「!」

 ズシャァッ

 遅かった---------クロムの腕に魔物が噛みついていた。

「! クロム!」

 一瞬のことだった。セシルが誰かが後ろに来た、と思った瞬間、そして振り返った瞬間に、彼はもう噛まれていたのだ。

 見ていたヴィセンシオがすぐに駆け寄ってきてその魔物の首を落としたが、首を落とされてもその口はクロムの二の腕に食らいついたままだった。

 そこで戦闘は終わった。

「クロム・・・! なんてことを」

 セシルは蒼白になっている。

「とにかく手当てを。リスレル」

「はい」

 リスレルは詠唱を始めた。青黒くなったクロムの肘から下---------思わずめまいを感じる。

「手伝いましょう」

 ヴィセンシオも割って入る。治療のプロだ。彼が解毒の治癒魔法を唱え、リスレルが傷口を治療した。

「・・・」

 二人の治療魔法の光に照らされ・・・クロムの顔が黄色く照っている。それでも彼は相変わらず無表情だ。

 治療と言っても、解毒と最低限の止血と、必要に応じた痛み止め程度しかすることができない。何度も繰り返してそんなことをしていると、肉体の自然治癒能力が極端に衰えてしまうからだ。

「はい終わり。治療魔法を使う人間が二人いてよかった。思っていたよりずっと軽くてすみましたよ。あなたは身体が大きいし、大丈夫でしょう。でも次の新月までは無理をしないでくださいよ」

「セシルだったらちょっと危なかったね」

 リスレルがぎゅっとその傷口を布でしばりながら言った。

「あ・・・」

 セシルが顔面蒼白なまま呟く。確かにあれだけの大きな魔物なら、セシルの華奢な身体には毒は強烈すぎ、またあの牙が背中から胸まで貫通していたとしてもおかしくない。

「さあ戻ろう・・・クロム、今日の不寝番は君とサラディンだが・・・大丈夫か」

 クロムは黙ってうなづいた。本当にあまり毒がまわらなかったのか、それともそんなことでいちいち不寝番を替わることなどないと思っているのか、いまいちよくわからない。

 一行はキャンプを張っていた場所に戻り、食事を再開した。

 ぼぉっと仲間の食事風景を見ていたサラディンだったが、リスレルの横顔を見てあることに気が付いた。

「あ・・・」

 その呟きに全員が彼を見る。

「どうしましたサラディン」

「え・・・いや・・・---------リスレル、君月か星で制約してたっけ・・・」

「---------」

「---------」

 セシルとエストリーズは顔を見合わせ、ディアスとクロムはそれぞれ顔を上げてサラディンを見、しばらくして一同は何もなかったように食事を続けた。

「え・・・?」

 アリスウェイドも一呼吸遅れて食事を続ける。

「ううん。星でも月でも制約してないよ」

「え・・・で、でも」

「うん。でもね太陽でも制約してないの」

「実際のところ何で制約しているかもわかっていないのだ」

「そ・・・そんな・・・ことって」

「あるんですねえそんなことも」

 ヴィセンシオが平気な顔で食事をしながら言った。

「ヴィ・・・」

「まあまあいいじゃないですか。そういう人がいても。いやあやっぱり表の世界というのは出てみるものですねえ。色々な人がいる。攻撃の魔法を使うのにまた治癒魔法を使う人がいるとは・・・神殿を出て正解でしたよ」

 ヴィセンシオの笑顔には一点の曇りもない。その笑顔に、サラディンは気圧された。

「サラディン、自分の常識にすべてを嵌めこもうとするのは危険ですよ」

「そういうこと」

 セシルがヴィセンシオを受けて、そこでその話は終わりとなった。

 サラディンもそもそもあまり物事にこだわらない質だし、なにしろこういう男だから、魔法に普段縁遠いということも手伝って大して気にもしなかったようだ。

 彼らの中に制約魔導師がいないからこうだが、一人でもいたらこうもすんなりと現実を受け入れることはまず無理だ。それだけ魔導師というのは厳しい制約の下魔法を使っているのである。



 遠くからそんな一行の様子を伺っていたアルセストは、リスレルの金色の髪と、そしてその指の指輪を、じっと凝視していた。

 どこからか、こちらは野性の狼だが、一匹やってきてアルセストを見つけると低くうなったが、彼がじろりと睨むと怯えたようにそそくさとどこかへ消えていってしまった。



 サラディンは緊張していた。

 クロムと不寝番とは・・・なんという巡り合わせだろう。しかしいつかはこういう組み合せが来るのはわかっていたのだから、それを考えると不条理と怒る気にもならない。

 まだ宵の口だったから、仲間たちは起きていて思い思いのことをしている。リスレルは魔法の予習に念がいっているし、エストリーズは星を見上げて天文学師としての一片をのぞかせている。ディアスとアリスウェイドは剣を磨いて手入れをしている。ヴィセンシオはたったさっき就寝前の祈りに入った。

 セシルがスッ、と立ち上がってクロムの側に来た。

「横に座ってもいい」

「・・・」

 何も答えなかったが、嫌な顔はしていない。セシルは返事がなくて当たり前と思っているのか、そこに座ってクロムに寄り掛かった。腕をからめ、頬を寄せる。

 純情な、というより、そういうことに慣れていないサラディンは度胆を抜かれた。

(そ・・・そういう関係だったのか・・・?)

「ありがとね」

「・・・」

 セシルは焚火の火を見つめながらそっと言った。クロムは答えない。彼女はそっと顔をクロムに近付けた。礼のくちづけは彼の頬におさまった。

「おやすみ」

 クロムの傍らでセシルが横たわり・・・サラディンが気が付くと仲間たちはもう眠っていた。空を見上げると、もう星は真夜中の位置にまで来ている。

 クロムは無口な男だった。しかしディアスと違って、沈黙されても一向に気にはならない。気まずいものも感じないし、居心地も悪くない。ふとクロムが動いたのでサラディンは妙に緊張して、身体を堅くした。

 しかしクロムはセシルの毛布をかけ直したたけで、後はじっと焚火の火を見つめているのみだ。

「------------------」

 この男がわからない---------サラディンは困惑した。

 この男の名前は変わっている。

 クロデンドルム・ブルーエルフィン。

 一度聞いたら二度と忘れられないし、この世に二つとない名前だ。

 あの日・・・辺り一面炎に包まれ、屋敷が燃え、何人もの怒号がそこここに聞こえたあの日・・・草の上に倒れ伏した父を、彼はやっとの思いで見つけだした。そして聞き出したのだ、クロムの名を。

 どれだけ卑劣でどれだけ汚い男か、七年間必死にクロデンドルム・ブルーエルフィンという男のイメージを造り上げ考え続けてきた。

 しかし予想に反してやっと探しだした仇はとてもそんな男には思えない。卑怯者でもないし卑劣でも汚くもない。しかしまた彼が仇であるということに間違いはないのだ。クロム自身もサラディンの名前に反応し、そして確かに自分が仇であると認めたのだから。

 仇---------。

 サラディンの瞳に憎しみが見え隠れする。

 パチ・・・それに反応したように、焚火が爆ぜる。そしてやはり人の殺気には人一倍敏感な職業だけに、---------サラディンが殺気を発していないとしても、この間の夜実際にはクロムは彼のしようとしていることに気付いていたのだから---------クロムは顔を

上げた。慌ててサラディンは目をそらす。

 ---------今、どんな顔をしていただろうか。憎しみ? 怒り? 迷い?

「・・・・・・・・・」

「・・・そんなに俺が憎いか」

 さらりと言った言葉に、何の感情も感じられなかった。なにものにも固執していない声だった。

「---------」

 初めてクロムの言葉らしいものをきちんと聞いて、なんだかサラディンは恥ずかしくなった。この男が・・・こんな風にものを言うなんて。およそ考えもしなかった。

 膝を抱えて火を見つめる。

「---------・・・旅を続けて何年になる?」

 サラディンは顔を上げ、少し迷って言った。

「------------------・・・・・・七年だ」

 クロムはそっとオリーブグリーンの瞳を閉じた。

「そんなに経つか・・・」

 サラディンは硬直した。

 なんだこの・・・遠くを見つめるような瞳は。

 惑わされるな・・・この男は確かに自分の父を殺した仇なのだ。

 サラディンはあの日のことを思い出した。父が死に、家が途絶え、自分が放浪の身となるはめになった、あの日のことを---------。

 父は清廉な人だった。厳格で曲がったことを嫌い、どちらかというと頑固で、あまり人あたりのいい人でないことは確かだった。しかしサラディンはそんな父を尊敬していた。

 貴族というのは陰謀と策略に生きる生き物だと、サラディンは思う。今日味方だった人間が明日には簡単に敵になっている。無論すべての貴族がそうだというわけではない。領主として領民を取り締まり平和に暮らす貴族は多い。しかし一旦政治的なものに関わって

しまうと、そこにはもう不信と謀略の泥沼があるのみだ。サラディンは当時十八歳であった。もう世間がどういうもので自分と自分に近しい環境がその世間とどういう付き合いをしているのか充分にわかる歳である。十八というと家業を手伝い、社交的にもデビューするという節目の年齢だが、父は彼に一切仕事を手伝わせようとはしなかった。サラディンも、特に声を大にしてそのことについて抗議しようとも思わなかった。彼は騙したり騙されたりの駆け引きは得意ではなかったし、性にも合っていなかった。剣の稽古をしているほうが好きだった。今思えば、父はそんなサラディンのおっとりしたところをきちんと見抜いていて、好きでなければ、性に合わないのであれば、無理にする必要はないと思っていたのかもしれない。

 良くいえば厳格な、悪くいえばとっつきにくい人だった。

 それでいて曲がったことが大嫌いというのだから、父を陰でどうにかしたいと思っている人間は数多くいたのではないだろうか。賄賂にしたって受け取らないほどの清廉な人であったから、そんなものを贈るとは性根が腐っておるとどやされて、逆恨みにしている者も多々いたと聞いている。

 とにかく---------そんな人間が複数、それも五、六人の少数ではなく両手に余る程が連結して、父を陰謀にはめたことだけは確かだ。父は、十数年間に渡る武器の横流しと横領という汚名を着せられ、不審に思った国王が父自身に追及するより先に、他の貴族たちの兵士に襲撃されて命を落とした。サラディンはその日珍しく父の用事で馬で三時間ほどの場所へ行っており、昼前に出掛けて帰ってきたのは夜だった。

 サラディンは我が目を疑った。

 屋敷のある森から火が!

 まさかと思い全速力で馬を走らせると、もう既に事が終わったあとだった。声を張り上げ、体中顔中煤だらけになり、ところどころ火傷を負いながら、崩れ落ちる屋敷の梁柱と炎の脅威にさらされ、サラディンは父を探した。

 どれくらい経ったのか---------やっと庭の隅で俯せになっている父を見つけた。相当の深手で、誰の目にも助かる見込みはなかった。

「父上・・・父上!」

 必死の呼び掛けにも、しばらく答えなかった。激しく揺り起こし、腰の水筒からわずかの水を顔かけて、やっと父は意識を取り戻した。

「父上・・・!」

「・・・サラディンか・・・」

 かすれた声。どれだけ血を流したのか・・・朦朧とした瞳。

「誰に・・・誰にやられたのです!」

「・・・---------いいか・・・陛下のお裁きが必ず下される。私の無実は間もなく証明されるだろう---------」

「そんなことは今は・・・!」

 しかしサラディンの手をぐっと握り、父はしっかりとした目で彼を見据えた。

「いいかサラディン。陛下の決定が下されるまで・・・おとなしくしているのだ。長くはかからない。そして復讐しようとも思うな ---------ガーシャリーを継ぐか継がないか、それは私の決めることではない。継ぎたければ継げ。継ぐ気がないのなら---------私のような生活がしたくないというのなら---------陛下に返上するのだ。いいな」

「父上・・・! 誰が・・・誰がこんなことを!」

「反・・・国・・・派・・・・・・の・・・・・・」

「違う・・・! あなたを斬った男は? どんな男だったのです!」

 そう父は---------抜き身の剣を手にして倒れていたのだ。誰かと戦ったのだ。父はぜいぜいと苦しそうなあえぎの下からやっとのことで言った。

「・・・クロデンドルム・・・・・・・・・ブルー・・・エル・・・・・・・・・フィ・・・・・・ン」

「クロデンドルム・ブルーエルフィン!? それが仇の名前ですか!? そうなんですね父上! 父上っ!」

 しかし父は、そこでこときれた。



「・・・・・・・・・」

 あの日の炎の熱さを---------覚えている。叫び続けたあの喉の痛み。

 結局父が汚名を着せられていたことはすぐにわかり、国王判定前に不当な攻撃を仕掛けた貴族たちは厳しい処分を受けた。サラディンは長男で、というより一人息子だったから、この時家を継ぐのかということを確認されたが、サラディンは断った。もとより父のようにできるはずもない。自分には政治手腕の才能はないのだ。父の言葉通り国王に地位を返上し彼は家を継がない意志を明確にした。国王は彼に尋ねた。

「それで一体・・・これからどうするつもりなのかね」

「仇を探します」

 率直にそう言い放ったサラディンの冷たく硬い表情を見て国王は言葉につまり、爵位は返上しても、サラディンにそのまま貴族の称号『ド』を名乗ることを許した。

 そうしてサラディンは国を出、諸国を放浪し、今念願の仇が側にいるというのにその仇と不寝番をしている。

「・・・」

 ぱち、と、また焚火が爆ぜた。



 次の晩のことである。食事の後、ディアスは何気なく立ち上がって焚火から遠ざかり、しかしそうは離れていない場所まで行って、一人で星を見ていた。

 その背中---------。

 エストリーズは胸が痛くなった。ディアスの過去に、一体なにがあったのか。どうしてあんな悲痛な後ろ姿を? 彼の心は未だ癒されていない。あの、人を突き放した孤独な背中は、彼が彼自身に与えた罰のようにも思える。

(ディアス---------)

 そしてそのディアスもまた、自分が自分に罰を与えるきっかけとなったあの事件を、知れず思い出していた。



       『早く逃げて!』

       『こっちだ! ---------早く!』



「------------------」

 今でも瞳を閉じると、耳を澄ますと聞こえるあの怒号。家々が焼け落ちる音。

 そうそして俺は---------・・・---------。

 ディアスは目を閉じた。

(俺は---------)

(俺は幸せを望む権利のない男だ)

 大切なものも守れない人間が、どうして一人だけ幸せになどなれるのだ---------。


 その背中は、誰も寄せ付けようとはしなかった。



 セシルは、少し前から気が付いていた。

 リスレルの視線の先、そこにアリスウェイドがいて、その瞳には姪が叔父を見る以上に強い炎が宿っていることを。

「ふう・・・ん」

 この時も、ディアスの背中を心配そうに見つめているエストリーズを放っておいて、セシルはリスレルを観察していた。ちらりとアリスウェイドを見る、その瞳に込められた『女』と強い想い。

「好きなんだ」

「え・・・」

 突然言われてリスレルは相当驚いたようだ。最も最初はなにを言われたのかわからなかったのだが。

「---------」

「図星ね」

「・・・・・・」

 リスレルはうつむいた。

「いんじゃない?」

 それだけ言うとセシルは、大きく伸びをしてそのまま仰向けになった。

「すごい星・・・九星もあんなにくっきり見えるわ」

 リスレルもつられて空を見上げる。

 セシルは---------好きに血のつながりも、男も女もないと思っている。愛した人間に妻がいても、好きになってしまったものは仕方がない。人の気持ちは鎖では縛ることはできないのだ。愛した人間にたまたま妻がいたのということが世間にままあるのなら、愛した男がたまたま血のつながりがあったとしても、大した違いではないと思っている。

 ちらりと焚火の向こうを見る。

 星空を見上げるリスレルに、ぽーっとなっているサラディンが見える。

「ふふふふふ・・・面白くなりそうだわね」

 セシルの呟きを聞いていたのは、空の星だけ。



    水晶玉に映る影---------それはまさしくリスレルのもの。

    その影を見つめ、不気味に笑ったアナンダは・・・くつくつと低く呟く。

   「スウィントネス家の際は逃げられた・・・偶然見つけた逸材・・・逃がさんぞ」   

    スゥッ

    リスレルの影が消える。水晶玉にはアナンダの影のみが映される。

   「くっくっくっくっくっ・・・追い掛けて追い掛けて・・・やがてここぞという時にさらってくれる      わ・・・」


    くつくつくつくつ、不気味な笑いは、しばらく続いていた。



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