ep2,闇の傍ら、叡智を見ゆ
ギブレイは夜が好きだった。特に今日の様な祭りの日は、昼間の祝い事のある時特有の雰囲気も鳴りを潜め、修道院全体が静寂に包まれていた。心地よい静けさに身を包まれ、世界が自分だけの物になる様な錯覚すら受ける。そんな夜が好きだった。
また、そういう夜の過ごし方にも、ギブレイは一家言あった。
先ずはじっとして、目を瞑りる。そうしていると、夢と現実の境が段々と曖昧になってくる。そうして準備万端になると、想像する。想像する事は様々だったが、前世の記憶のおかげでアイデアには困らなかった。想像の中で、ギブレイは英雄になったり、偉大な魔術師になったり、勇者にもなった事があった。
しかし、その日その夜は違った。何時もの様に想像をしていたギブレイにとって、それはあってはならない事だった。耐え難い感覚であった。まるで昼寝の最中に布団を剥がされるかの様に、ギブレイの夜はその声によって終わりを告げた。
「起きろ」
その声が聞こえた途端、ギブレイは何故か恐怖を感じた。
「うぅ……もう、朝?」
「巫山戯んな、約束の時間だ、行くぞ」
「え?何処に?」
「馬鹿か、お前。こんなとこにある訳ないだろ?良いから、食堂行くぞ。」
女の子の声と、男の子の声。
どちらも聞き覚えのある物だ。女の子は今日この修道院にやってきたウィロー、男の子の方はきっとこの修道院では問題児として有名なエリオットだろう。
二人が部屋から出ると、ギブレイはほっと息を漏らした。しかし、恐怖心がギブレイの中から消えると、代わりに怒りがギブレイの心を乗っ取った。
怒りと少しの好奇心に突き動かされ、ギブレイは二人の後を追う事にした。どうせ、今日出された豪華な食事の味が忘れられずに食べ物でも探しに行ったのだろう。ギブレイにとっては美味しいとは口が裂けても言えない様な食事だったが、 子供達には評判がいい。現場を押さえて、大騒ぎでもしてやろうか。修道院の規律など馬鹿らしいが、罰則は無視出来ない。きっと二人は散々な目に合う事だろう。そんな風にギブレイが考えていると、遂に食堂へとたどり着いた。
しかし、こっそり覗き込んだギブレイの目に飛び込んだ景色は想像していた物とは全く違った。
僅かな蝋燭の灯りすら届かぬ闇の中から、エリオットが持ってきた物、それは本だった。
ギブレイは驚愕した。まず、本がここにある事に。本はこの世界では貴重品であったから、ギブレイの驚きも大きかった。
次に、その本を見て更に驚いた。もしそれが聖書の写本であったなら、ギブレイもここまで驚く事は無かった。修道院には聖書の写本が何冊もある。珍しいが、子供が盗んだ事もあったとギブレイは知っている。しかし、ギブレイはその本を見た事が無かった。
だから咄嗟にタイトルを見て、ギブレイの脳は驚きで固まった。
「これだ。」
「これが、その……」
「ほら、早速読んでくれよ」
「え?私、まだ読めないよ?」
「は?嘘だろ……冗談だよな?」
「読めないよ!読んでくれるかと思ってたのに……」
「お、俺は文字とか苦手だから……あぁもう、どうんだよ……」
だから、そんな会話を聞いて思考停止状態から復帰したギブレイは、自身が隠れているなぞすっかり忘れて、ただ目についたものを、自身にその驚きを齎した物を読み上げた。
「魔術教本……」
「え?」
夜の静けさに、子供の声はよく届く。例えそれが、小さな呟きであろうと、二人がその声に気づかぬはずが無かった。
ギブレイは今更ながら、二人の存在を思い出し、自分の迂闊さに気が付いた。
「誰だ……何処にいる、こっちに来い」
幸いにも、蝋燭の灯りはまだギブレイの姿を照らしてはいないようだった。故に、ギブレイは冷静に考える事が出来た。ギブレイには選択肢があった。一つは、逃げる事。一目散に走って、元の部屋に戻る。そうすればまた、明日からは何時もの日常が待っている。そして、もう一つは……
「なんだ、お前か」
立ち向かう事。勿論、ギブレイにそんな勇気は無かった。
逃げようと、何度も思った。魔術教本は修道院住みの孤児、否、平民の子供でも買えない程高い。スリか、空き巣か。手口は分からないが、まともな入手経路だったとは考えづらい。ギブレイはそういう危険なものと関わり合いになりたくなかった。
もしかしたら、口封じの為に、殺されるとは言わないが、殴られて脅されるかもしれない。罪を擦り付けられるかもしれない。
それでも、ギブレイは自ら姿を現した。理由はきっと一つではない。怒りがあった。自分の日常を乱された怒り、危険な事に巻き込まれた怒り、そして、自分が諦めた物を手にしている事への嫉妬からくる怒りが。勿論ギブレイの心の内には欲望もあった。魔術教本は、ギブレイに残された希望だ。ギブレイには、もしかしたら魔術の才能があるかも知れない。魔術の天才と呼ばれる可能性だってある。だが、魔術の使い方も、練習の方法もギブレイは分からなかった。けれど。この魔術教本があれば、それが叶う。欲しい。読みたい。
そういった欲望や怒りによって、ギブレイは動かされていた。
必死だった。どうにかして、魔術教本の内容を知る。その為にギブレイは――
「うん、僕だよ。エリオット、ウィロー。もし良かったらその本、見せてくれない?」
取り敢えず普通に頼んでみる事にした。
この選択により、ギブレイの人生が大きく変わるとも知らずに。
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