プロローグ――目覚めは何時だって突然で
その目覚めは唐突であった。
何時だって目覚めとは唐突な物ではあるが、彼の目覚めは凄まじい激痛と吐き気、その他不快感と共に齎された。
――そうして、彼は目覚めた。――
気づけば男は、薄暗く光る魔法陣の中にいた。辺りは暗く、闇の中であった。男が混乱と恐怖に呑まれそうになっていると、男の耳に歌う様な声が聞こえた。その声は不気味な様でいて荘厳であり、男の魂に働きかける物であった。
声の主は言った。
「汝、我ト取引セヨ。」
男の頭には疑問があった。自分の状況について、声の主について、契約について。男はそれらの疑問を口に出そうとしたが、それが為される事は無かった。ただ小さく呻き声を出した男に対し、それは言った。
「汝、然リ、否デノミ回答ヲ許ス」
そう言われても、男は取引内容なぞこれっぽっちも知らなかったし、それらしき心当たりも無かった。沈黙の果てに、業を煮やしたのかそれは言った。
「汝、問答ヲ欲スルカ?」
男は間髪入れずに応えた。
「然り」
「デハ汝、三ツ問イヲ述ベヨ。汝ノ発言ノ制限ハ失ワレタ。」
男は考え、言った。
「契約内容を教えて頂きたいです。」
男には疑問が山の様にあった。声の主、この場所、自分の状況について。しかし貴重な質問の一つ目はそれが持ち掛けた契約の内容についてであった。しかしそれはひとえに、男の知恵を総動員した結果であった。男はこう考えた。凡そ相手は人間とは思えぬ声を出し、暗闇の中でも俺の事を認識している様に思う。しかも、こちらの声を勝手に弄れる様な相手だ。ましてこちらは何もわからない状況だ。この様な状況で契約に同意するかといわれれば否という人物はそういないだろう。とはいえ、声の主の意向を無視し沢山の疑問を呈し様ものなら、おそらくまた、発言を『制限』されるのだろう。もはや契約というよりも脅迫だ。この様な悪質な契約を持ち掛けるのは、悪魔や悪徳な保険会社だと相場が決まっている。しかしどちらも契約の穴を突く事はあれど、内容は違えない事で有名だ。故に、まずは契約の内容を知るべきだと男は考えたのだ。
そして、それは言った。
「我、汝ノ言ヲ訂正ス。之ハ契約デハ無イ。盟約デ有ル。我ガ望ミハ、汝ガ我ノ指定スル通リニ転生スル事。故ニ我、既ニ命潰エシ汝選バン。汝ハ唯、同意スレバ良イ。サスレバ汝、対価ト新タナ命ヲ得ン。」
「確かに私は一度死んだ身ですが、その様な者は沢山おりましょう。何故私を選ばれたのですか?」
そう、男は既にその人生を終えた筈だったのだ。
「ソノ問イハ無効デアル。何故、等ト言ウ問イハ愚問故。選考基準等、汝ニトッテ重要ナ問題デハ無イ。唯汝ハ同意セヨ。我ノ指定シタ世界ヘト転生スルト。」
その問いを言った瞬間、一瞬だが凄まじい恐怖感を覚えた。死を経験したからこそ、よりそれから感じた恐怖感が恐ろしかった。
故に、男は言ってしまった。
「はい!私はあなたとの盟約に同意します!ですのでどうか!気をお鎮めください!」
もう、取り返しはつかない。
「此処ニ盟約ハ成サレタ。汝、対価ヲ述ベヨ。」
「では先ず、指定する世界について教えて下さい。それは生前私がいた世界ではないのですか?元いた世界と同じ国に戻す事は出来ないのですか?」
「汝、二つ目ノ問イヲ述ベシ者ヨ、汝ノ行ク先ハ汝ガ知ル世界トハ異ナル。何故、其ノ様ナ事ヲ気ニスル。汝ノ過去ハ既ニ知ッテイル。汝ニハサシタル未練等無ク、又アノ世界ヲ謳歌シテイタトハ我ハ思エヌ。」
「確かに私はあの世界にさして未練等ありません。遺した家族も居らず、友と呼べる人物もいませんでした。碌に働きもせずにいた私は、資産も社会的地位も無く、確かに未練等もありません。」
男は続けた。
「しかし、私は自分の境遇がそれなりに恵まれた物であったと思っています。最低限度の健康で文化的な生活が保障され、犯罪も他の土地より少ない国で過ごして来た私には、他の環境ではとてもやっていけるとは思えません。どうしてもと仰るのなら、私の記憶を消して下さい。そうすれば私は――
「我トテ、汝ニ其ノ様ナ力ガ有ル等トハ思ッテオラヌ。」
男があまりに必死そうに喋るからか、それは男の話を遮り、言った。
「故ニ汝、盟約ヲ思イ起コセ。汝ハ盟約ノ対価ヲ得ル事ガ出来ル」
「その対価とは何を得られるのですか?」
「汝ノ希望ノ物ヲ」
それを聞いた男は、はっとした。何の力も無い状態で転生なぞ恐怖でしか無かったが、どうせ既に盟約は結ばれたのだ。今更ごねた所で相手は聞きやしないだろう。しかし、対価として希望の物が手に入るというのであれば、不安ばかりだった新たな人生も話は変わってくる。男は生前より嗜んでいた娯楽作品達を思い出していた。その中には異世界に行く際に貰える力で新たな人生を楽して歩むという筋書きの作品が多々あり、正しくその状況の始まりは今の自分と酷似していた。故に男は希望を持って言った。
「では、何者にも負けない力をください。」
するとそれは少し困惑した声で言った。
「不可能デ有ル」
男はめげずに言った。
「では、決して死なない力をください。」
「不可能デ有ル」
「では時間を止める力を」
「不可能デ有ル」
「亜空間の生成、入出」
「不可能デ有ル」
「相手の力をコピーする力を」
「不可能デ有ル」
男は自身の知る様々なチート能力やアイテムを挙げて言ったが、帰って来たのは不可能、不可能、不可能ばかり。
やがて男は数年にも感じる問答の末、疲れ果てた様子でこう尋ねた。
「では、どの様な力であれば可能なのですか?」
それも疲れた様子で答えた。
「……我ハ本来デアレバ赤子ヘノ干渉ハ性別ヲ決定スル程度ノ物。シカシ我モ元ハ人ノ子。汝ノ祈リヲ聞キ届ヨウ。汝ノ望ミハ新タナ世界ニ特異ナ力ヲ持チ込ム事、デ良イカ?」
「そうです!」
男は漸く、漸く祈りが通じたと思った。特異な力なんて本当に貰っても良いのかなぁ等と呑気に罪悪感すら感じていた。しかしその時間は凡そ数十秒で終わりを告げた。
「デハ、特異ナ力トシテ、脳ノ異常発達、汝ノ望ミヲ完全ニ叶エラレヌセメテモノ詫ビトシテ、常人ヨリ優レシ肉体、ウイルスヤ菌等ニ対スル強力ナ免疫ヲ汝ニ与ウ」
「え?」
想像していた言葉と違った返答が帰ってきた男はその言葉を理解するのに少し時間がかかってしまった。そして、その時間が命取りであった。
「デハ、盟約ヲ結ビシ者ヨ。汝ノ道ニ光ガ在ラン事ヲ。」
「ちょ……ちょっと待っ――」
男が文句を言うよりも早く、男の足元にあった魔法陣が輝き白い花へと変化していく。やがて男の周囲を包み込み、輪飾りの様になったそれは男と共に薄くなって消えていった。
――聖ブリジット修道院にて、小さな問題が起きた。とある修道女が居眠りをしたのだ。それだけならまだ良いが(良い訳はないが、彼女にとって居眠りは初めての事では無かった。)その時丁度赤ん坊を抱いていて、その子を落としてしまったのだ。これにはさしもの非行修道女も大慌て。やがてその慌て様は修道院全体に及び何処か忙しない一日となった。しかし、最も慌てていたのは、まだ自我も未熟な筈の赤子であった。
何せ、前世の記憶を思い出していたのだから。
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