薬草師の見習い(6)
リュウは欄干の柵にゴン、と威勢よく額を打ちつけた。
「な、何してんの!?」
ゴンゴンゴンゴン。自分でも何がしたいのか理解できないまま衝動に任せて連打する。間に手が差しこまれ、「よしなさいって」と窘められた。リュウはレイスのてのひらに前髪を押しつける態で動きを止め、柵のすきまから広がる夜の里へ視線を落とした。
「もしかして……、きみの元気のなさにうちの弟子が絡んでる?」
「……」
星読みの塔がある池から山頂へとのぼっていく数々の階段には、一定間隔で提灯が吊るされ、行き交う里人たちの足元を幻想的に照らしている。提灯番が夜ごと灯すあかりだ。池も階段も食堂舎の下段に連なる建物も、視界に入る里全体が飴色の光に包まれている。
もうじきこれらのあかりは提灯番によって順次消されてゆき、星読み師たちの活動が本格化する。一般の里人には就寝時刻。
「………………忘れらんないんだよ、なんか……」
リュウはうまく説明できない心の内から感情を手さぐりして、呟いた。
「あれから任務で剣を握るたびに思い出すんだ。あいつの眼、あいつの言ってたこと。俺にとっちゃあたりまえの務めを果たしてるだけなのに、頭ん中にあいつが勝手に出てきて、勝手に、怒る。星に運命決められてたまるかって、すっげおっかねぇ顏して、さ。お師匠さん、これって何なのかなぁ」
あの日、あの森で。
炎じみた熱さで睨みつけられた、あの、瞳の黒が忘れられない。
自分自身の命の価値を生かしきれていないと激昂された。命の価値ってなんなんだ。生きるときは生き、死ぬときは死ぬ。星が導いてくれる。そうじゃねーの?
だって、ここで星の定めに従って裁きの剣をふるう以外に、生きかたを知らない。どうして怒るんだよ。なんでそんなに、あいつは。
任務を達成すればするほど、標的を手にかけるほど、記憶の中から鮮やかに彼が蘇って、リュウを責める。おまえは命の価値の何たるかもわきまえない分際で、他人の命を奪うのか、と。
迷いを覚えた。
“あたりまえ”の運命を“あたりまえ”としか受け止めてこなかった日常に。
選択することも抗うこともしないで星に何もかも委ねてきた、自分に。
「……いくら天才と誉めそやされても、子どもの身には重い荷を背負わされてるんだなぁ」
レイスが夜空に向けて溜息を吐きだした。
星読み図の二十八宿になぞらえた階数でそびえたつ塔の尖端をかすめ、星が流れた。
「ジルはきみの一つ年上だけど、……っていっても初冬生まれだから実質は数ヶ月の差か。あいつが故国を離れて私たちの国へやってきたのは、今のきみより幼い、十歳のときだった。人にはたぶん、生まれ育った環境の内側にいては見えないものがあるよ。無責任な助言をするとね、リュウ。心が迷い始めたなら、きみの今いる場所から一度、飛び出してみればいいんじゃないかな」
「飛び、出す……?」
「世界は広い。子どもは光のもとで生きなさい」
ひどく優しい声音でそう言い結び、いつかと同様に、レイスはリュウの髪をわしゃわしゃ撫でた。せつないような感傷が、募ってくる。問答無用の非情さで任務を遂行せんとする剣士としてのリュウを直に目撃しているくせに、この人はどうして、自分をただの子ども扱いできるのか。
室内で彼を待ちわびている里人たちの輪へ戻っていくレイスを見送り、リュウも板張りの床から腰をあげた。
(……光のもとで)
生きてもいいのだろうか。ただの子どもみたいに。
(広い世界で……、自由に)
その晩、提灯のあかりも消えた星月夜の里で、リュウは夜通し考えた。考えて考えて考えて、一睡もしないで夜明けを迎えるまで考えて、自分の求めているのは突き詰めればたったひとつだ、との簡潔な結論に至り、目の前の霧が晴れた。
出立してしまうレイスに聞いてほしくて、朝日の中を走った。一昼夜にも満たない短い滞在だったにもかかわらず、里人たちをすっかり魅了したレイスを取り巻く送別の混雑に揉まれながら、彼の袖を捉まえる。
「おや。寝不足みたいだけど、ふっきれた顔してる。気持ちはまとまった?」
足を止めてこちらへ向き直ってくれたレイスに、リュウは呼吸を整え、とても大切な思いを打ち明けた。徹夜で考え尽くして得た答えだ。
「俺さぁ、もう一度、あいつに会いたい!」
ひとつきり、明瞭に、強く願うことはそれだった。
なぜとか、どうやってとか、そんなのは全部後回しでかまわない。結局は自分は会いたいのだ。印象的なあの黒い瞳の少年に、もう一度。
レイスは双眸を惜しげもなく弧にして、うん、と言った。
「いつか友だちになれるといいね。生い立ちも、育った環境も、そういった生まれ育ちの中で培われた価値観も、何もかもが違ったって共に歩みたい相手なら、追いかけて、怖がらずに本音でぶつかってごらん。どんな建前で繕おうと……真の友でありたければ、最後にはそうするしかないんだ」
諭す響きはリュウへのエールのようでもあり、レイスが彼自身へ言い聞かせている信条のようでもあった。続けてレイスは、かわいそうだけれども他国の者の立ち入りを拒む魔術師の国の場所は今の自分からは教えられないと謝り、代わりに、広い世界への足がかりとして、トゥールガルドを薦めた。
ここから海を渡り、エブラシア大陸に入って北西へ行ったところに、トゥールガルド公爵の領地がある。陸路になればおよそ一ヶ月の道のりに難所はなく、遠征に慣れているきみの苦にはならないだろう。機会があったら訪ねてみなさい。当代の公爵は、きみくらいの年の旅人を親切にもてなされる御方のはずだから、と。
「大丈夫。きっとまたあいつに会えるよ」
それとなく予言めいてもいた言い回しで励まして、レイスは里を去った。
友だち――。
秋から冬を経て、水ぬるむ季節が到来するのを待つ間、リュウは胸の奥でその単語を繰り返していた。里の仲間は大家族みたいなもので、友だちとは違う気がした。思えば仲間と標的、非標的、こいつは斬るやつなのか斬らないやつなのかという存在以外がリュウの対人関係にはなかった。なれるだろうか。こんな自分でも。縁をたぐって、再びまみえるいつかの未来に繋げられたとしたら、彼と。
初めての友だちに。
旅に適する気候となった春、必要最低限の荷物をかつぎ腰に愛剣を佩いて、故郷の人たちへ別れの挨拶をして、リュウは里から海に出る街道をまっしぐらに駆けだした。
星に導かれた剣士の日々を脱ぎ捨て、光のもとへ。会いたい友がいる世界へ。