薬草師の見習い(5)
しばらくして頭上に人影が差した。
「魔術師の兄ちゃーん!! どこ行くんだぁ!?」
「酔ったようなので夜風にあたってきますよー!」
室内からは彼を呼ぶ声がしている。別段酔った顔色でもないレイスがそばに腰をおろした。ん、とリュウが差しだす彼からの預かり物の杖を、手中におさめる。
「総巫と話せた? つか、何しにクフェンまで?」
「ありがとう。きみのおかげで拝謁が叶ったよ。星宿に出た“災い”とは何なのか、総巫さまに、半年前のあの襲撃にまつわる真相をご教示いただきたくてね。それと、知りたくなった。……星が定めた正義の名のもとに、みずからの命をも懸けて戦う、きみたちの生きかたを」
室内を向いて欄干に背をもたせかけるレイスと、欄干の一番下の柵に腕をくぐらせ、広縁の端から両足をぶらぶら宙に揺らしているリュウ。逆向きの姿勢で隣にいる。食堂舎はすり鉢状の斜面へ張り出して建造されているため、リュウのように座ると縁側ごと空中に浮いていると感じられる。その浮遊感を楽しみがてらリュウは夜景を観賞していたが、レイスの視線はクフェンの里人たちに注がれているのだった。
「ふーん? 命を狙ったやつらの里へ自分から飛びこんでくるなんて、お師匠さん、危なっかしい人だなぁ。で、総巫はなんて?」
「きみが言っていたのと似たようなことをおっしゃったな。聖なる剣士の裁きを受けながら、私がこうして生き残ったということは、定めを撥ね返し、星に生かされたからだ。ならばその“災い”は必要悪なのかもしれない、って。私に出た災いの相とは、大いなるものの滅び……、なんだそうだよ」
滅び、と音にした彼の、ふと深刻味を増した気配がひっかかり隣の横顔を窺った。
レイスは右肩から床へと、斜めに立てかけている杖を指の関節が白くなるくらいの力で握りしめ、依然として食堂内の賑わいを見つめている。暗い、まなざしをしていた。
「……私の母国はね、愚かしいほど閉鎖的なんだ。生まれながらにして魔力を具える、自分たちの種族が非魔族よりも優れていると思いあがり、他国の人々を劣ったものと蔑み、交わろうとしない。多くの民は自国に閉じこもり、同族だけを愛し、よそ人を理解しようともしないで毛嫌いする。魔術に依存し、魔力をもたない人たちを軽んじすぎているんだよ。でも他国に残されていた歴史書によると、どうやら我が国が建国された千二百年前には、事情は違ったみたいでね。私たちは、いつからこんなにも傲慢になったんだろう」
「……あんた、の」
「ん?」
「滅びの相、まさか……」
「え。やだな、違う違う!」
国でも潰そうってんじゃ……との疑念がもたげ、危険人物と出くわしたかの引きぎみの目をしたリュウに、レイスは慌てて片手を振った。
「愚かな国でも、私にとっては愛すべき祖国だ。守りたいと願いこそすれ、天に誓って滅ぼそうなんて考えるわけがない。何か方法があるはずなんだよ。国中に蔓延した頑なな選民思想を浄めて、多文化と融合できる、方法が。私が足掻いたところで何も変えられないかもしれないけれど、だからといって、何も行動しなければ変えられる可能性さえ生まれない。書物を紐解いて過去に学び、道を探ってみるよ。私は、あの国の人たちが種族の壁を超え、よそ人とも心をひらきあえる未来を信じたいんだ」
改革の志を語り、レイスはリュウを安心させるみたいに常のやわらかさで笑ってみせた。その瞳にはすでに陰りはなかった。いまいちわからなかった、けど、わからないなりにも、この人もいろいろ抱えてるもんがあるんだなぁ、と推し量った。
今後、彼は静かなる戦いを粘り強く仕掛けていくのだろうか。ふるさとの人々の意識を変える戦いを。
「そういえば、聞いたぞ。きみは、若年ながら任務に失敗したことがない、無敗の剣士だったんだって? 私なんかのために輝かしい経歴に傷をつけ、申し訳ないことをしたなぁ。リュウはわれらが里随一の剣術の天才だ、最強だ! って、夕食をご一緒したみなさん、誰もかれも我が子同然にきみを自慢されていたよ」
「酔っぱらいのヨタ話だろ……聞き流しといて」
「元気ないんだってね。半年前の森の一件からこっち」
「……」
「どうしたの」
今度はリュウの目の色が沈む。宙ぶらりんに放り出している足をぶらつかせ、どう答えればいいものか思案したあげく、問いを投げ返した。
「お師匠さんさ……、総巫んとこ行くのに俺に杖預けてったけど、あれ、意味なくね? 関係ないじゃん。杖あっても無くても、術って発動できんだよな?」
「ん? なんで?」
「なんで、って」
きょとんと訊かれてしまい、頬を火照らせる必要などない場面だというのに、リュウは体温が急上昇するのを自覚した。服の上から心臓を押さえて喘ぐように言う。
「…………あいつ、が……」
ほんのこれしきを口にするのも、なんだか必死だ。いっそ笑える。笑ってくれていい。自分でもおかしいと気づいている。世俗に縛られず執着心を持たず何事にも無欲でなければならないと育てられた戦士の自分が、ここまで、ひとつの存在に揺り動かされているなんて。
過剰に意識しすぎだろ。
あいつは俺にどんな呪いをかけたんだ。
「あっ、あー! ジル?」
レイスは合点がいった様子で手を打ち鳴らした。
そう、それ! もっと早くに察してほしかった!! リュウは無言でコクコク頷いた。
「あんな反則技を扱えるのは、あいつ一人だよ。魔術師は己の血肉に宿る魔力を、杖を出入口、というか道にして外界へ現す。通常は杖がなければ魔力も発動できないものなんだ。ところがうちの弟子ときたら、己をよりましにして血肉に精霊を呼びこむっていう、杖要らずの独自の荒技を編み出した。まったく、常識破りも大概にしてもらいたい。あの森で最後にあいつが使おうとしていたのは、精霊召喚術。樹木の精霊の力を借りて、きみを木の幹に埋めこもうとしていたんだよね」
「埋め!? いいい、生き埋めっ!?」
「いやぁ、そこまで残酷な仕打ちのできるやつじゃないよ。せいぜいきみの胴体を幹に埋めて拘束して、その場に放置する程度でしょう。次に通行する親切な人に、幹から削り出して助けてもらえってこと」
「削……木に人間埋まってりゃ助ける前に、ビビッて逃げない……? 誰にも救助されねーで飢えて死んじまえ、ってことだったんじゃ」
「きみが餓死する前には、術は解除されたはずだ。あいつなら、それくらいの匙加減は容易にできる」
レイスは後頭部を欄干の柱につけ、夜空を仰いで愉快そうに双眸を細めた。年齢差は十歳もない師弟だろうと推測されるのに、弟子の話をするとき、彼は若い父親のような慈愛を感じさせた。
「杖を用いないオリジナルの技を習得できたのは、あいつが特殊だからだ、って国じゃ言われてるけれど、私はそうではないと思ってる。ジルが、周りに自分を認めさせようとして人一倍努力をしたからだ。きみがクフェンの里の剣術の天才なら、私たちの、魔術師の国きっての努力の天才だよ、あいつは」
「…………今、は、どうしてんの」
「さあ。国で怒り狂ってるんじゃないかな」
「いか、りくる……えっ、なんで!?」
「撒いてきちゃったから。考えてもみなさい。一度は剣を突きつけられたきみたちの里を訪ねるって、飛んで火に入る夏の虫状態じゃない? バレたら、馬鹿だの命知らずだのってさんざん罵られるのは必定。ま、帰ってからも適当にごまかしておこう」
危ないまねをした自覚はあったのか。
どこへともなしに旅立った師から置いてけぼりを喰らわされたあの少年が、激怒している姿を、脳裏に思い描く。あいつは今ごろどんな眼をしているんだろう。帰国後のレイスに適当にごまかされる彼を想像して、ちょっと笑った。心臓をささやかな痛みが刺した。