薬草師の見習い(4)
星読み師と戦士たちの集落クフェンを、旅装束のレイスがふらりと訪れたのは、去年の秋だった。森でリュウが彼を襲った日から半年ほどが経過していた。
幼少時より他に抜きんでた剣才を発揮し、歴戦の大人たちにも全幅の信頼を置かれているリュウが唯一、斬れなかった標的がいる。しかも斬り損ねたのみならず、標的からコテンパンに遣り返されたそうだ。証拠に、あいつは春先の任務以来ずいぶん落ちこんでいる、という面白おかしく脚色された噂話がようやく下火になりかけていた頃。
クフェンは“星読みの塔”を中心に形成された山間部の里である。
里はすり鉢状をしていて、複数の山頂に向かって伸びる幾筋もの階段の両脇に、食堂や洗濯場や浴場や鍛冶場といった公共の施設と、あらゆる年齢層と性別と役割の者たちが入り混じって共同生活を営む寮が建ち並ぶ。屋内外の修行場はもちろん、棚田もかなりの面積を占める。そうしたすり鉢の底、池の中へ、二十八重の高さで建立された星読みの塔が配されている。塔の行き来には入口に木戸の設けられた橋を使う。
その日、塔へつづく橋の入口に単身で辿り着き、長い杖を片手に木戸を叩いた銀髪の美貌の若者が、例の、リュウが任務で初敗退を余儀なくされた標的であるらしい、との情報は狭い里内にたちまち行き渡った。
自然発生的に集まった群衆は、階段のあちらこちらで池を遠巻きに見おろし、取り次ぎに当たった二人の星読み師たちと若者とのやりとりに耳をそばだてていた。が、
「星読みの総巫にお目にかかりたい」
若者が用向きを明らかにするや、どよめいた。
すり鉢の底の声は反響して誰の耳にもよく届いた。ゆえに一同が、さては悪しき魔術師が自分を狙わせた、星読み師の長である総巫へ報復にでもやってきたか、と気色ばんだのだ。
「ちょ~っと待ったァァ!!」
リュウは修行場に居合わせた男ども四人を連れて、人ごみを掻き分けた。レイスは橋のたもとまで走り出たリュウを翠玉色の双眸にとらえ、不穏な空気であたりを包囲している群衆はものともしないで、旧知の友との再会を喜ぶように気さくに笑んだ。
「やあ。久しぶり。えっと……そういやきみの名前、聞いてなかった」
「リュウだよ。……っとに、あんたって……」
のんきなのか豪胆なのか、読めない男だと、改めて思った。
リュウは牽制をこめて階上の人垣をグルッと見渡したあと、勢いよく腰を折り、レイスへ頭部を垂れた。
「前はありがと。あんたの言ったとおり、水めちゃくちゃ飲ませて塩舐めさせて看病したら、こいつら、一晩で元気になった」
四人の剣士たちも深々と頭を下げる。みな、あのときの任務に同行していた。
隊のリーダーを務めていた男が涙目でレイスの肩に手をかける。驚いたレイスがわずかに身を離そうとした。
「ここで会ったが百年目、逃がさんぞぉ!!」
男は意に介さず彼を引き寄せ、力いっぱい暑苦しい抱擁を与えた。
「おまえさんの知識と薬のおかげで、命拾いをした…っ。戦士としていつでも死ぬる覚悟はできているが、それは、戦いに散る覚悟だ。標的の野郎を屠りもしねェ……あ、いやいや、任務も果たせねーで、だな、異国で病魔ごときに敗れさり命尽きるのかという予感が胸に兆したときの、無念さ、口惜しさ! かような俺の死にざまを里の仲間がどう伝え聞くかを考えれば、死んでも死にきれんと――」
「なァに気取ってんだ。正直に、可愛い嫁さんと生まれたばっかの坊主遺して死にたくなかった、って言やいいじゃねーか。未練にまみれ死を恐れるとは、まだまだ修行が足りねぇぜ。まあ俺も、ゲロ吐きまくって死ぬのは苦しいわダセェわで勘弁! って思っちまったけどよ。おまえも俺も、覚悟が甘ぇ未熟もんの戦士っつぅことだな」
「あの病苦に苛まれた野営地で、俺は、きつい嘔吐感に辟易し、口へ手をつっこみ胃袋を引きずり出したい欲に駆られ、実行寸前だったんだ。救ってくださった情けは終生忘れない。魔術師殿、リュウがあなたを襲撃して非礼を働いたことを、俺からもお詫びしよう」
「……さりげなくリュウに襲撃の責任押しつけてやるなよ。魔術師さん、俺らは心からあんたに感謝してる。力になれることがあれば、何なりと言ってくれ。私情で剣を取るのは禁じられているが、それ以外なら俺らはあんたの必要なときに必ず、クフェンの剣士の名にかけて、この恩を返す」
逞しい大男の腕で抱きつかれている――というよりは締め上げられている、と形容するのが正しいありさまのレイスへ、剣士たちは口々に礼を述べた。レイスは元リーダーの気が済むまで好きにさせるつもりなのか、困ったふうに笑いつつも、感極まっている相手の背を宥める手つきでさすって、抱擁を受け容れていた。
「みなさん、すっかりお元気そうで何よりですよ」
リュウはそんな彼を目で示して、橋の戸口にいる星読み師たちを説得にかかった。
「あの人はあいつらを、クフェンの仲間を助けてくれた。俺たちの里にとっちゃ恩人だろ。それに、星の定めを撥ね返して星に生かされた人だ。総巫に会いたいってんなら、会わせてやってよ」
「……そう、だな」
「ああ。仲間の命を救ってくれた人は、我々にも恩人だ」
取り次ぎの二人は互いを見合って頷き、魔法道具を持ちこまないという条件でレイスに星読みの長との面談を許した。誰が始めたともなく群衆から拍手が沸いた。レイスは杖をリュウへ預けるついでに頭にもふわっと手を置いてきて、
「ありがとう」
と囁いた。そして開かれた木戸をくぐり、星読み師たちに先導されて橋を進み、塔の奥へと消えていった。
次にリュウが彼を見かけたのは夕食時だ。
一日の稽古をこなし大浴場で汗を流して、里の台所機能を担う建物、食堂舎に入ると、そこは一足先にめいめいの日課を終えて腹を満たしている里人たちで混んでいた。リュウも料理番から皿を受け取った。献立は鶏肉炒めと青菜の汁物と炊きたての米。どれも大盛りで。適当に詰めてもらい窓際の円卓につき、老人やら少女やら他寮の男たちやらと雑談を交わして夕飯を摂った。
クフェンのいつもの食事風景だった。時間の重なる者同士、たまたま一つの卓を囲んだ者同士で、同じ釜の飯を味わう。小さな集落に知らない顔はなく、会話には窮しない。
「なァなァ魔術師さん。お次は魔法でなんかこう、すんげぇ化け物やっつけた、って話してくれや!」
「あたしもっ。あたしもそれ聞きたいっ」
珍客の話を晩酌の肴にしようというのだろう、数ある円卓のうち一箇所にのみ人だかりができていたので、リュウは簡単に彼を発見できた。
「兄ちゃん、若いのに意外と呑めるクチだねぇ」
「ささっ魔術師殿! もう一杯。今宵は存分にお寛ぎを」
食堂の中央の卓。隣に陣取った元リーダーがしきりと酒を勧めるのを、レイスはほどほどに受け流し、笑顔で里人たちに応え、時折誰かを探すみたいに視線をめぐらせていた。目が合う。翠の虹彩がそっとなごむ。しかし同席者たちがレイスを離そうとしなかった。リュウは彼に近づくのは諦めて自分の食事を平らげた。
漏れ届く会話から判断するに、レイスは里内に泊まるらしい。
それなら今夜は寮に引きあげ明日会いにいこうか、とも考えてみた。里の人間はそれぞれ、部屋が割り当てられている寮へ帰って眠る。里には各地から引き取られた“星の落とし子”と呼ばれる孤児が多くいるが、リュウのように里内で生まれた子どもであっても、実の両親と暮らすのは乳飲み子の期間に限られる。入寮して以降はみな、剣士、星読み師、鍛冶師、幼児の世話番、料理番、洗濯番、農耕番など各自の能力に適した役割を授かり、毎日の実務と技能向上に励む。リュウの生みの親も健在ではあるものの、他の仲間以上に彼らに対して特別な情を覚える、ということはなかった。クフェンでは里の全員を親兄弟とみなして過ごす。
寮へ戻るかレイスを待つかで迷ったけれど、就寝にもまだ早く、リュウは食器を返却して板張りの広縁に出た。座って夜景を眺め、食後のひとときに食堂内の喧騒をぼんやり聞く。酔いの回った女が上機嫌で、創世の神話を歌っていた。
〽いづこの太陽と月のもとよりか 宇宙遥かに渡り
青き水の惑星テラへ降りたった賢者たち
この星を新たなる理想郷と呼んだ
獣のごとく暮らしける太古の人びとは
賢者たちに導かれ言語を得た 文明を得た
世界はひとつになった 巨大帝国バベルとして
されど熟れすぎし果実は内から腐敗するもの
帝国は亡び 人は移ろい
今も花咲きつづける遺産は言語ばかり
国は分かたれ 文化は異なろうとも
われら 帝国の遺児は守り継ぐ
人を結ぶ花 言の葉は不死 言の葉は希望
いついつまでも子孫が語り合えるよう 心は隔てぬよう
かつて世界はひとつになった 今なお言葉はひとつ