薬草師の見習い(2)
百合と鷲をあしらった公爵家の紋章旗を先頭に、楽隊および騎馬の一隊が、きらびやかに行進してくる。訓練された身のこなしで馬を操る騎士たちに護衛され、トゥールガルド公、オディロン・トバーユの瀟洒な姿もあった。帽子につけた舶来の鳥の羽飾りを風にたなびかせ、白馬にまたがっている。
領主の城の正門と広場とを結ぶ、大通りのそこかしこから歓声が沸き起こった。
トゥールガルドの荘園は、公爵位を世襲するトバーユ家の領地であり、当代の公爵は下々の意見にも分け隔てなく耳を傾ける温厚な人柄と、不要な税の取りたてをしない恩情に富む政策とで、領民から絶大な人気を博している。若かりし日には奥方泣かせのプレイボーイな一面もあったそうだが、齢四十半ばの現在では、妻を思いやる良き夫としての評判が高い。困窮する者に求められれば無償で寝場所と食事を与え、旅人には不自由のない逗留を保証する、慈善家としても知られる。
不穏に濁っていた広場の空気が、慕わしい主君の登場で浄化されるような、にわかに熱気づく群衆の中でリュウは金色の人を見失ってしまった。
「ここにいたか、リュウ。キナダがそなたの帰りを待ちわびていたぞ」
白馬の蹄がリュウのそばで停止した。
波乱に満ちた半生……だったかどうかは定かでないけれども、公爵の、人生経験が渋みを添えている焦茶の双眸で見つめられると、名君の慈悲の奥底にもっと個人的な、哀愁めいたものがたゆたっている印象をリュウは受ける。なんとなく、いつも寂しそうな人に見えた。
「年寄りの気を揉ませるのではない。あれはあれなりに、そなたに目を掛けているのだからな」
「ん。じゃ急いで帰る。殿さんは、連合なんちゃらって集まりに行くんだっけ?」
リュウのくだけた調子にも、馬上の公爵は不快なそぶりを示すでもない。もし公爵に息子があれば、こうしたやりとりを交わしたかったのかもしれないと思えるほど優しい目線をこちらへ留めたまま、会話を継ぐ。
「そう、できるならこのトゥールガルドの地を離れたくはないのだが、これも私の務め。連合公国内の、領主同士の懇親をも意図する会議だ。パスするのは社交上の得策とは言えまい」
「ふーん」
「ふーん……で、私への労いはおしまいかい?」
「ん? あっ、ええっと……、大変なんだな、殿さんって立場も! 頑張ってきてな。留守は長くなんの?」
「ふふ、ありがとう。冬までには戻れるだろう」
近隣の土地を所領する貴族たちが、対等な相互扶助同盟を締結し築いた国、ロンヌ連合公国にトゥールガルドは属している。連合公国のトップ会議は視察を兼ね、各荘園持ち回りで、隔年ごとに開催されるのがしきたりである。
対等を謳っているとはいえ、公爵家は同盟貴族のうち最上位にあたる。仮にトゥールガルド公が会議への参加を怠ったところで、実質の不利益をこうむる可能性は低いのだったが、身分に驕らず、他領主とのつきあいをおろそかにしない、歴代公爵による地道な心配りが今の平和を盤石にしているのも事実であった。
「私が不在にしている間によそへ旅立ってしまうのではないよ、リュウ」
「金も貯まってねーし、雪ってのも見てみてーし。まだ当分ここで世話になるつもり。殿さんが帰るまで、俺もみんなと留守番しとく」
「それを聞いて安心した。では、しばしの別れだ」
リュウに頷きかけ、公爵は側近に合図をし、待機していた隊列を再び前進させた。リュウはもう一度広場に視線をめぐらせた。やはり人ごみから金髪の女が消えているのを、落胆とともに確かめる。そして公爵一行が通り過ぎていった道を、足早に城までさかのぼった。
石造りの円塔と本丸から成るトゥールガルド城の、広大な庭園の一角。有用植物が寄せ植えにされ秋の花を咲かせている薬草園に、キナダ婆の住む小屋は建てられている。
扉を開けたリュウを、家主と上品な身なりの娘が出迎えた。彼女たちは食卓であり作業台でもある室内に一台きりの机を挟み、ハーブ茶を飲んでいるところだった。
「タイミングの悪いやつじゃ。少々早く戻れば公爵さまのお見送りができたものを!」
木のカップを机にガン、と力強くおろしたキナダ婆が小言をくれる。何かにつけ口やかましくリュウに言い聞かせるのを生きがいとしている薬草師だが、今回はトゥールガルド公の家族と使用人たちが参列する、城の敷地内での見送りに居合わせられなかったことを責められているらしい。
ごめんごめん、と適当に謝りかけたリュウは思い直し、今朝の収益のコインを棚の壺に落としながら首だけを振り返らせた。
「ばあちゃんが俺の帰り待ってたわけってソレ? ならさっきそこで殿さんに会って、見送りしといた。つか殿さんの行列、予定よりも遅い出発だったんじゃねえ?」
最後の問いは身なりのよい娘、ミリアーヌに対して発している。優雅なベルベット仕立ての、ワインレッドのドレスを着こなしている姫君。質素な木製家具と生活用品、仕事用の諸道具が置かれているせせこましい小屋にはおよそ不釣りあいな彼女は、トゥールガルド公の一人娘である。
「わたくしもよく知らないのだけれど、急なお客さまがいらしたのですって。人払いをしてお客さまと二人で執務室にこもってしまわれて、出立が遅れたの」
「へー」
「へー……ってあなた。自分で尋ねておいて、実はほとんど興味ないでしょう。生返事になっていてよ」
ハーブ茶へゆったり唇をつけた彼女は、ドレスの袖口を飾るレースを揺らし、カップを机に載せる。挙動の荒っぽいキナダ婆とは対照的に音は立てなかった。
「リュウは愛想よく見えて、意外と心の内ではいろいろ無関心よねぇ。何でも“そういうもの”と割り切ってしまって、一定以上に追究したり深く関わったりはしない性格、というのかしら。あっさりしていてわたくしは嫌いではないけれど」
「えっ? 姫さんから見た俺ってそんな?」
「そうではなくて?」
弟を気にかける姉のような親しい口ぶりで、ミリアーヌが言う。父が父なら娘も娘。リュウとの仲に爵位という垣根を介在させない。
「そーかなぁ。俺、本気で興味持ったもんにはとことん興味あるけど。……そういや情報通の姫さんなら町で聞いたコトバ、わかんのかな」
「あら、なあに。トゥールガルドの民の言葉や噂話だったらわたくし、侍女たちから教わっていて、詳しいほうと自負しているのよ」
ミリアーヌ本人はにこやかに笑っているのに、キナダ婆の眉が、鋭い傾斜で吊りあがってゆく。あ、やばい。警戒したリュウが指で耳栓をしようとした矢先、
「たわけ!!」
小言弾が炸裂した。